第4話

「私、青が好きなんですよ」

「知ってる」

「え、なんで知ってるんですか。愛が溢れちゃってたのかな」

「隣で描いてたからな」

 ぎし、と古い椅子が鳴った。「ですよね」と夏服姿の桜沢は苦笑する。

 彼女が入部してから、俺と桜沢は毎日放課後になると美術室に集まってイーゼルを二つ並べた。そして広い教室の隅で二人、時折雑談を交えながら筆を動かす。あの瞬間は俺にとって初めて部活と呼べる時間だった。

「お前はほんと青ばっかり使ってたよな」

 彼女の絵はそのほとんどが青色だ。 

 粘るような濃い青から透けるような薄い青まで、今までろくに絵を描いたことがないという彼女のキャンバスには有り余る愛が溢れていた。

「そういえば先輩はあんまり青使わないですよね」

「そうだっけか」

 目の前の未完成のキャンバスを見る。確かにまだ青は一度も使っていない。意図したわけではないが無意識に避けていたのだろうか。

 青は彼女の色だから。自分の好きな作品の色だから。

「でも私、先輩の作品好きですよ」

 桜沢は姿勢を傾けて俺のキャンバスを覗き込むようにしながら言った。

「沢山の色を使って、カラフルで楽しそうで、世界に色があることを祝福するみたいですよね。先輩の絵見てると踊りたくなっちゃいますもん」

「……なんだよそれ」

「あらら照れてるんですかー?」

「照れてない」

 からかうように笑いながら彼女は姿勢を戻す。後輩の形をした影が床に伸びた。

「でも照れてないで誇ってくださいよ」

「照れてないって」

「私は先輩の絵が見たくて、筆を折ってもここに来ちゃうんですから」

 窓枠に切り取られた入道雲を背景にした彼女は。

 とっておきの秘密を教えるように微笑んだ。


「先輩の作品には、人を動かす力があるんですよ」


 その言葉を聞いて、ほんの少しだけ筆が軽くなる。

 今ならどんな絵だって描けてしまいそうで、どんな色だって味方になってくれそうだった。

 ――そして同時に。

 俺もこんな風に言えてたら、彼女が筆を折ることもなかったのかもしれないとも思った。

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