重なるため息
土曜日、橘は朝から如月霊能事務所を訪れていた。昨日話にあった被害者の霊を捜索するため千代と一緒にお茶を飲みながら古河の到着を待つ。するとパジャマ姿の如月が伸びをしながら居間に現れ目が合う。まさか橘がもういるとは思わなかったのだろう。油断したところを見られて少し照れくさいのか上に伸ばしていた腕をゆっくりと下ろしていきあくまで自然を装いながらすまし顔をした。
「……早いわね」
「そりゃあな。遅れたら助手失格だろ」
「まだ九時よ?」
「一時間前行動と教わらなかったか?」
時間なんて守りさえすればそれでいいのよ、と如月は呟きコップに水を注いで飲み干す。そうして目を擦りながら再び部屋から姿を消した。その姿は本当に如月なのかと橘が疑うほど普段と比べて非常にゆっくりとした動きだった。そんな橘の頭の中を読んだのか千代が微笑む。
「葵様は朝弱いんです」
「意外な弱点だな」
その後も二人は如月の話で盛り上がって時間をつぶす。十時前に再度如月が居間に現れたときには完全仕事モードのようだった。
「相変わらず制服なんだな」
「勝負服だから」
そして時間通りに古河が到着し彼の運転で出発する事となった。どうでもいいがその顔でサングラスをかけるのは止めた方が良いと橘は思った。だが車を運転したことが無い橘には分からないだろうが今日のような日差しの良い日にはサングラスは必須である。とはいえ橘の言わんとすることは良く分かる。これでは裏社会の人間である。
昨日の今日で古河にはまだ話しかけにくいので橘はジャブとして如月に話しかけることにした。いろいろ説明もしてほしいし。
「被害者の幽霊探しか、どこにいるのか検討もつかないけど……まずは住んでいた部屋に行くんだよな?」
「ええ。いないにしても何か手がかりがあるかもしれないから。まあそもそも霊にならずにそのまま成仏してる可能性もあるけど」
「死んだら人は幽霊になるんじゃないのか?」
橘には衝撃的な話だったが、
「死んだ人がみんな霊になってたらそこら中に溢れかえってわたし達霊能力者は狂っちゃうわ」
と、如月に言われてそれもそうかと思い直す。それでは幽霊とはどういった条件でなるものだろうか。如月に聞くと詳しくは分かっていないけど、と前置きしたうえで説明してくれた。
「この世に未練を残して死ぬと霊になりやすいと言われてるわ。あとは突発事故などで自分が死んだという自覚が無い時もそうなる事が多いらしいわ。と言っても何の未練が無くても霊になって楽しく満喫してる場合もあるけどね」
「楽しく……? まあいいや、じゃあ今回のような殺人事件だと幽霊になっている確率は?」
「未練次第だけど半々ってところじゃないかしら」
「半分の確率で徒労に終わるのか……」
橘は愕然とした。半分の確率で存在しないかもしれないモノを探すという中々に骨の折れる事を行うという事に気が付いたからである。だが初の刑事からの依頼でもある。始まる前からへこたれていてはいけない、そう奮起し暖まって来た所で古河にも話を振ってみる。
「それにしても幽霊っていうファンタジー的な存在に刑事さんが関わるなんて思いもよらなかったです」
「あんたまだファンタジーとか言ってるの?」
如月に白い目を向けられているもそれは無視し運転席をガン見する橘。そんな二人のやり取りを微笑ましく思っているのか表情を柔らかくして古河は返事をした。
「ああ。警察の中でもごく一部以外には秘密にされているんだが幽霊などが関わっている可能性がある事件担当の課があってな。未解決事件のような霊能力者頼りの事件もそこに来るんだ」
「へえ……。霊感が強い人ばかりいる課って何か凄いですね!」
「ん? あ、ああ。まあな」
初めて聞く警察の仕組みに感心していると何だか微妙な反応をする古河。何か変なことを言ってしまったのだろうかと橘が不安になっていると隣にいる如月が解説をしてくれた。
「古河は元々捜査一課のエリートで霊感は弱いんだけど並の霊能力者よりも優れた直感があってね。それと捜査一課での貢献が評価されて色物を扱う捜査零課に栄転したのよ。事情を知らない周りからは左遷扱いされてたけどね」
(捜査零課、まさか霊からとって零と名付けたのか。いやまさかそんなギャグみたいな……)
一応古河に聞いてみようかとも思ったが橘は真実を知る事を恐れて別の話題に食いつくことにした。何となく自分の推理が合っているような気がしたし。
「優れた直感?」
「以前私よりも先に悪霊の存在に気が付いたことがあったわ。見えない癖に」
「それは……」
もはや動物なのでは、というセリフをぐっと飲みこみ無難な相槌を返す橘。それと同時に自分は幽霊の存在を完全に感知出来ないのに霊感が弱いにもかかわらず感知できる古河が羨ましくなった。羨望の眼差しで見ていると古河が苦笑いをする。
「そんな大したものじゃないけどな。一番重要な娘に関することは直感が働かないから意味がねえよ」
「娘さん?」
橘が首を捻っていると如月が声を尖らせる。
「また娘さんを怒らせてるの?」
「ああ……。娘の心は未解決事件よりも難解だ」
そう言ってうなだれる古河。さっきまでのハードボイルドな男はどこへ行ったのだろうか。ここにいるのは娘に弱いただの父親である。今から未解決事件捜査に行くとは思えないほど平和な空気だ。橘もこの空気に乗っかって会話することにした。
「娘さんはおいくつなんですか?」
「中学生だ。だんだん反抗的になってきてるんだがそれでも俺に似て可愛くてな!」
「あ、そうですか」
一気に興味を無くす橘。この男に似ているという事は将来はレディースの総長かプロレスラーだろうか。そんな失礼な事を考えていると如月が安心させるように口を開く。
「大丈夫。奥さん似で可愛いわよ」
「いやでも中学生はさすがにな」
「何よ。あなた年上好きなの?」
そんな事を如月と言い合っているとさっきまでとは打って変わって怒気を孕んだ表情で古河が割り込んでくる。運転中だというのに警察官がよそ見など良いのだろうか。
「おい……! 俺の娘は可愛くないっていうのか!?」
「そういうわけじゃ――」
「ああ!? 娘は渡さねえぞ!?」
話が通じそうにない。どうやら娘の話は全体的に地雷のようだ。ふと如月の方を見ると目が合う。目と目で通じ合う二人。やっていることは責任の押し付け合いだが。
(お前が娘の話広げるからだぞ!)
(私だけの時はこんな事にはならなかったのよ。あなたのせい)
そんな風に眼だけで会話し言葉は発さずとも今、この二人の心は一つになった。
――このオッサン面倒くさい。
目的地に到着までの数十分、如月が古河の怒りを静め橘が地雷を踏まないよう当たり障りのない会話で時間をつぶすという見事なコンビネーションを見せ、到着するころには平和な時間を取り戻していた。二人は疲れたのか重い体を引きずって車から出る。言うまでも無く本番はこれからなのだが体力は大丈夫なのだろうか。二つのため息が重なって青空に消えていった。
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