警察とのコネ

 今日一日の講義も終わり橘はいつものように如月霊能事務所に向かう。事務所と言ってもただの家屋なので事務所感はかなり薄いのだが、そうしておかないと女子高生と小さい女の子がいる家に足蹴く通う大学生といういかにも問題ありそうな肩書が付いてしまうため橘は努めて事務所と言う名を譲らなかった。


「邪魔するぞ」

「お帰りなさいませ伊織様」


 玄関の扉を開けると千代が三つ指ついて出迎える。さすがの橘もこの出迎えには少々面食らってしまう。


「千代、お前悪意あるだろ……」

「ふふっいえいえ。そろそろ伊織様がいらっしゃる頃だから驚かそう、だなんて思わなかったですよ?」

「勘弁してくれ」

 

 文句を言いながら居間に向かうと如月が机を占領している。どうやら珍しく宿題をやっている現場に遭遇したようだ。


「千代がそう言うくらいあなたこの家に出入りしすぎなのよ」

「盗み聞きはみっともないぞ」

「私の家で盗み聞きも何も無いでしょ」

 

 確かに千代にお帰りなさいとからかわれるくらい橘が出入りしているのは確かだ。というかほぼ毎日事務所に通っている訳でつまりはほぼ毎日他人の家にお邪魔しているという事である。普通だったらそれはもう迷惑な話ではあるが今のところ直接そう言われた事は無い。少なくとも千代は橘が来ることを好意的に受け止めてくれているようだし如月もたまに文句は言うものの、来るなという類の事は言わない。だから多分大丈夫だと橘は思い込むことにしていた。というか来ないように言われても無視する気満々なのでどう思われてても関係ないのだが。

 

「何だ珍しく宿題でもやってるのか。どれ、大学生のお兄さんが教えてあげようか!」

「お父さんみたいでキモい」

「父親に謝れ。余裕があったら俺にも」

 

 そう言って橘は宿題をのぞき込むが……。


「なに、これ」

「普通に高校一年の数学よ」

「そ、っか。えっとね?」

「大丈夫よ期待してないから」

 

 何も教える事は出来ず何も言い返す事も出来ず橘は無言で千代のお茶を飲んだ。心なしか塩味が効いていて泣きそうなくらい美味しかった。


「千代。俺本当に大学生なんだよ」

「はい、そうですね。伊織様は勉強いっぱいなされたんですね」

「そうなんだよ……頑張ったんだよ俺」

「ええ、頑張りましたね」


 橘がポツリと漏らす言葉に千代がうんうんと笑顔で頷く。如月はそんな二人を無視して晩御飯までひたすら勉強に集中していた。

 

「ごちそうさま! いやいつも悪いね晩御飯頂いて」

「悪いと思ってないでしょその顔。満面の笑みよ」

「いえ、伊織様は美味しく食事なさるので作り甲斐があります」

 

 晩御飯に関してはさすがに毎日と言う訳では無かったがそれでも高い頻度でお邪魔している橘。以前お金を払うと言ったが千代に思い切り拒否された。千代は二人分作るのも三人分作るのも一緒だから問題ないと言ってくれたが絶対そんな訳はない。そう思って後ほどコッソリ如月にもお金の話をすると同様の対応を取られた。


「千代が良いって言ってるんだから気にする必要は無いわ。給料日もまだだし取り合えず食べたければいつでも来て良いわよ」

 

 如月にいつでも来て良いと言われた事よりも給料日と言う文化があった事に驚いた橘ではあったがとにかく言質は頂いたのでそれ以来そこまで気を遣わず晩御飯のお邪魔になっている。


「そういえば仕事の依頼があったわ」

「何!?」

 

 何でもない風に重要なことを告げる如月。橘は思わず身を乗り出して話を聞こうとするが如月にうるさい、と怒られたので座布団に大人しく座って続きを待つ。その姿はまるでお預けを食らっている犬のようだった。如月も同様のことを思ったのか少し頬を緩める。


「その前に依頼には大きく分けて三種類あるって言ったのを覚えてる?」

「ああ。個人から、警察から、協会からの三種類だな」

「よく覚えてるわね、偉いわ」

「馬鹿にしてる?」

 

 如月は本心からの言葉だったようだが橘にはそれが余計に苛立ったようだ。とはいえ続きが気になるので怒りを抑える。


「そして今回は警察からの依頼よ」

「それを受けるにはコネがいるとか言っていた気がするが……」

「あるのよ、コネ」

「マジか」

 

 そういえば警察は大体如月の事を知っていると以前の事件で聞いた気がする。夜中だったのにすれ違った警官は補導しないどころか敬礼までしていた。そう考えると深い繋がりがあると言われても不思議ではない、そう橘は思った。


「今日の夜依頼の説明にここに来るそうよ」

「警官が来るのか……。何かちょっと緊張するな」

「悪いことしてなければそんな要素は無いはずだけど」

「え!? し、してないに決まってるだろ悪いことなんて!」

「伊織様?」


 怪訝の顔を二人に向けられながら橘は新入生歓迎の時に無理やり飲まされたアルコールの事思い返していた。


(いや、あれはセーフのはず。むしろ飲ましてきた先輩が悪いんだ! というか他の奴らも飲んでたし大丈夫だ大丈夫)


 そう自分に言い聞かせていると如月と千代が何かあったのだろうか、ピクリと反応する。


「来たようね」

「予定より早いです……お茶の用意をしないと!」


 千代が慌ててお茶の準備をしに席を立ち、後には二人が残された。一体なぜ客が来たと分かったのだろうか。


「何かの達人なのお前ら」

「結界の効果の一つよ。分かりやすく言うとこの家の敷地に何者かが入るとそれを知らせる探知機が仕掛けてある、みたいな感じね。あなたには反応しないんだけど」


 そう如月がため息をついた時玄関のドアを叩く音が聞こえた。それを聞き千代が玄関に飛んで行った。相変わらず忙しない。ドキドキしながら警官の登場を待っていると思っていたよりも大柄の厳つい人物が現れた。そして橘には見覚えのある顔でもあった。


「おう古河だ。別件が早く片付いて――あれお前は」

「お昼の定食屋にいた客!?」

「知り合いだったのあなた達?」

 

 チラッとバレないように様子をうかがった途端鋭い眼光を向けてきたあのオッサンがまさか警官だったとは。納得である。警官は橘の方をチラリと見て心底安心したような顔つきで、


「何だ葵にもようやく良い人が出来たのか」

 

 そう告げた。だが如月は心底嫌そうな顔で弁明を図る。


「これだからオッサンは嫌なのよ。コイツはただの助手でそれ以上でも以下でもないわ」

「そうか、挨拶がまだだったな兄ちゃん。俺は古河浩一。こう見えても刑事をやっている。よろしくな」


 こう見えても、と言われてもどこからどう見ても刑事の風貌なので笑うところなのか、と橘は思ったがここは踏みとどまる事にした。


「初めまして橘伊織と申します。ここでは如月の助手をやってます」

「助手、ね」

 

 何とも言えない表情で橘を観察する古河と名乗る刑事。刑事とはいえジロジロ見られるのはあまり気分が良いものでは無かったがどうしようも出来ずにいると如月が助け舟を出してくれた。


「古河、人を観察する癖やめてさっさと依頼の詳細を教えなさい」

「ああ悪いな橘。仕事柄つい、な」

 

 そうして厳ついオッサンの視線から解放された橘は如月に心の中で感謝を告げた。


(如月サンクス! というかこの怖いオッサン相手にいつも通り振る舞えるの凄いな)

 

 何となく格好良さで負けていると感じる橘。いつの日か自分もこの怖いオッサン相手にフレンドリーに接することができる日が来るのだろうか、橘はそう思いながら座布団に座り話を聞く体制に入った。


「葵に依頼したいのはとある殺人事件捜査の力添えだ」

「前みたいに被害者の霊に犯人を語らせるの?」

 

 被害者の霊から捜査の手がかりが得られるなんてありなのかと橘は驚愕したが下手に話に入って邪魔者扱いされたくないので今は大人しく黙っていることにする。


「あとは証拠だな。この事件証拠が一切無いんだ。被害者が何か知っているのでは、と言う話に警察ではなっている」

「どういう事件なの?」

 

 如月が事件の概要を尋ねると古河は一瞬橘の方を見て逡巡したようだが結局話し始めた。やはりまだ橘をそれほど信用できていない感があるようだ。それでも話すという事は逆にそれだけ如月の事を信用しているのだろう。


「事件があったのは一月前。隣町で暮らす25歳の会社員女性が自宅で亡くなっているのをアパートの大家に発見された。部屋は争った形跡も無く死因は睡眠薬を大量に摂取したものと思われた」

「それだけ聞くと事件性は無さそうですけど」

 

 橘が首を傾げながら訪ねると古河は頷いて答える。


「ああ俺も聞いたとき最初そう思った。だが被害者の薬指が一本無くてな」

「え……?」

「この情報が無ければ完全に自殺として片付けられていたんだが」


 意味が分からない。せっかく操作をかく乱出来そうだったのに何故わざわざそんな真似を。それにあるはずのモノが無いというのは何だか既視感のある情報だった。橘と如月が顔を見合わせていると古河が口を開く。


「ああ、この前の廃屋事件にも関わっていたんだったな、俺も後から現場見に行った。確かに似ているところはある――まさか橘もいたのか?」

 

 信じられないと言った顔つきで橘に問いかける古河。何か不味いことをしたのだろうか、橘は怯えながらも正直に話すことにした。

 

「ええ、いましたけど……」

「奥のアレ、見たのか」

「はい」

 

 ますます顔を強張らせる古河に対して怖れの感情しか抱けないでいると古河はフッと頬を緩めた。


「アレ見てまだ助手なんてやっているって事はただの怖いもの見たさに物見やぐらに登る奴じゃねえな。お前をちょっと誤解していたかもしれない、すまなかった。」

「え、あ、あの?」

「いや悪い。ふふ、中々度胸あるじゃねえか」

 

 そう言って肩に手を置かれる橘。ただ好奇心がぶっ飛んでいるだけなのだがどうやら良い方向に誤解してくれているようだ。わざわざ正直に話すことでも無いので橘は黙っておく事にした。


「だが一応精神科医で見てもらった方が良いぞ。うちの若いのも何人か心に傷を負っちまってな……」

 

 そう言って肩を落とす古河。確かにあれは凄惨な光景だった。出来れば思い出したくはないものではあるが今はその情報が必要だ。


「あの事件もあるはずの腕が無くなってて逆に足が付いていたりしました。今回の事件と多少似ている所はあるのでは?」

「薬指が無い、という点か。それは警察でも意見が出たんだが代わりのモノが付いていなかったからな」

 

 古河曰くあの廃屋事件にあった死体には体のどこかに本来のモノとは異なるモノが付いていた。それも一体や二体ではなくあの場にあった十七体全ての死体に、である。同一犯だとしたらたった一体、それも指という非常に小さいモノの代わりを付けないという事はあり得ないだろうとの事のようだ。

 

「じゃあ別人なんですか?」

「何かしら関わりがあるかもしれんがな、真実は闇の中だ」

 

 そう言ってお手上げのポーズをとる古河。何か刑事っぽいシーンだと橘が感動しているとさっきまで黙っていた如月が口を開く。


「被害者の霊を探すのはいつ?」

「せっかくの週末に悪いが明日早速動こうと思う。朝10時にここを出発、それでいいか?」

「問題ないわ」

 

 そう言って席を立ち帰ろうとする古河だったが同時にお茶の準備が出来た千代がやってくる。


「お待たせしてすみません浩一様。お茶の準備が……」

「……いや必要ない、悪いな」

「いえ、私が用意が遅れたのが悪かったので……お気になさらないでください」

 

 千代はそう言うがどこか悲しそうである。何となく気まずい空気が流れるが古河もお茶を飲む時間は無いようだ。ふとポケットから飴を取り出し千代に渡す。


「すまん嬢ちゃん。これやるから」

 

 そう言って如月霊能事務所を後にする古河。それを受けてなんだか千代は不機嫌顔だ。


「以前から思っているのですが、浩一様は私を子供だと思っているのでしょうか」

 

 少々納得いっていない様子だった。だが美味しそうに飴を頬張るその表情はどこからどう見ても年相応の少女でしかなかった。

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