第4話 挑戦する


 客が途切れたところで棚から減った商品を補充していたら、時刻は昼になっていた。


「昼食にするか」




 今日はパン。


 パンといっても厚切りのハムとレタス、そして日々改良を加えている特製ソースをぬっている。




 カウンターの椅子に腰掛けての昼食。勤務中の楽しみといえばこれだ。




 カランカラン、と鈴が鳴った。




 来客か。ゆっくり食べたかったが。




「ウィルっ。来たわよ? あらー、おいしそうなものを食べているじゃない。一口いい?」


 つばの広い帽子に、胸元がざっくりと開いたタイトなドレス。真っ赤な口紅にメリハリのある身体に、思わず見とれてしまう。




 この人っていくつだっけ。ずっと若いままだよな。


 また露出の高い服を着ているけれど、もしかして誘惑とか魅惑系のスキルを常時発動しているのかな。


 ドラゴンにはでかい胸とか尻とか見せたところで意味ないか。




「いらっしゃいませ、マカレナさん。食べかけでよければ、どうぞ」


 そのぷるぷるの唇をよごさないように、俺が噛んだところを器用に食べた。




 なぜ同じところを?




 S級冒険者『魅惑』マカレナさんは、大手クランに属する有名人だ。光と闇の両属性で二十という異例の数値を誇っている。あとは、水属性もそれなりとか言っていたっけ。


 別世界の人間だ。




「ん、おいし。もうまんぞくかも。じゃああたし、帰るわね。そうそう、おつかいも頼まれていたんだったわ。ウィル、鈍足のポーションと付加:酩酊のスクロールをいただけるかしら?」 




 ぽとりとカウンターに金貨が入った袋が置かれた。おつかいとも言っていたから、おそらくはクランのお金なのだろう。


「おつりはとっておいて」




 俺は注文通りに扉の横にある棚の下段から、緑色の小瓶とスクロールを手に取る。




「十セットでいいんですよね?」


「んん」




 聞き取りにくかったが、たぶん肯定した。それにしてもなにかを食べながらしゃべった時にような声だったが。あれ、もしかして俺のパン、食っている?




「はい、これで全部です」


「ありがと。あたしのウィル。ん? なにか悩み事でもあるの? 悪い子が集まっているわ」


 そう言って、俺の頭の周りを手で払うマカレナさん。なにか見えているのか? 常連客だが謎多い女の人だ。




「あの、最近劇的な変化がありまして。戸惑っているのかもしれません」




「ふふ。いくつになっても可愛いわね。ねえウィル? 最近靴が合わなくなっているみたいなの。ちょっとみてくれない?」




 差し出された右足の元にひざまずいて、靴を確認するも、これといった問題はなかった。紐もしっかり結ばれ、ちぎれそうな箇所もないし、靴底もまだまだすり減ってはいない。


「んー、特に直す必要はないですね、マカレナさ……!?」




 見上げるとそこは、絶景だった。




 いや、語弊があるな。絶妙に足と足の間が開かれているというだけだ。これこそ彼女の二つ名『魅惑』の真骨頂かもしれない。いつの間にスキルを発動したというのか。




「あの、マカレナさん? み、みえ、見た感じ靴に異常ないようですけど」


「ためらわないで飛び込みなさい」


「え!?」




 なんだって?




「その新しい世界は、ウィルが望んだ世界なのでしょ? あなたにはその資格がある。報われていいの。だから、飛び込みなさい」




 もう少し見上げると、真剣な顔でこちらを見つめるマカレナさんがいた。


 冗談で言ったのかと思った。


 いつもからかってくるお人だから、今回もそうなのだと思ったけれど、どうやら違う。




 胸を刺すようなその言葉に、ほてった身体も勝手に落ち着いた。




「そうだ、今日はこれをもらおうかしら。追加で、十枚で足りる? ふふ、いいの。これもクランのお金だから」




 マカレナさんは手近なところにあった魔導書を抱えた。難解すぎて誰も買わないやつだが、この人なら読めるのだろう。ペラペラとページをめくるその様子は、初々しい少女のよう。




 記載されたスキル内容はたしか、『凍てつく嵐』だったか。




 最後にいつもの熱い抱擁を要求した。俺が素直に抱きつくと、マカレナさんは恥ずかしがる様を見て楽しんでいる。


 妖艶というのか、いい匂いがする。




「ウィル、またくるわね」


 俺のほほから鎖骨、そしてへそのあたりまでをなでるように触れてから、マカレナは扉に手をかけ、投げキッスの要領でハート型の冷気を吹いてから店を出た。




 本当に面白い人だ。




 扉が閉まるまで彼女の背を見つめていた。俺は、あの有名人に背を押されたのだ。もしかしたら俺の現状に気づいて? は、ないか。


 感知系のスキルを習得するには、各属性値が五十は必要であり、自分の数値より高い者の数値は測定することが出来ない。




「あの人は水属性のスキルも使えるんだよな、ん? 習得スキルに『氷撃』もあったっけ」




 俺の『吸収』で手にしたスキルは、誰から得たのかわからない。




 売れた商品を棚に補充して、一息つく。




 椅子に腰掛けてぼーっとしていると、頭によぎるのは冒険者になった自分。




「でも、悩む必要もないよな」




 鑑定の儀は神の恩寵によりもたらされた道具を用いて行われる。誤った数値が出ることはない。




 俺はその日、店を閉じた後に本店へ向かった。店主のバレリーはそこにいるはずだ。




 本店は、王都の中央にある大広場に面している。


 収穫祭や罪人の絞首など、あらゆる集会がここで行われる。教会や冒険者ギルドもこの広場に面しているため、平時でも人が行き交っている。




「ふー。さすがに緊張してきた。落ち着け俺。もうやめるって決めたんだから」


 歴史を感じさせる扉を押して入り、まっすぐ従業員用の出入り口からその部屋にノックして入り、簡潔に申し出た。




「そうか。理由は何だ? 無属性のお前のことだから、冒険者になるってことはないんだろうが、念のため荷物は確認させてもらうからな。転売目的で商品を盗む者も多いのはお前も知っているだろう? 最近は本店の雑損が妙に高い。よりにもよって自社商品ばかり、瓶の厚みをケチりやがったのか? ……だとしたらあの細工師、ゆるさねえ」




 盗難や破損によって販売できなくなった損害が本店では多いと聞くが、雇っている人間をまず疑うのはまさにバレリーだが、意外にあっさりしている。もっとぐちぐち言うのかと思っていたけれど。




「い、一身上の都合で」


「ふん。まあいい。今すぐやめるというなら今月分はある程度覚悟しておけ。代わりを用意するのも大変なんだ。あとで店に顔を出すから」




 盗まれるのが怖くて、お前がびびり倒しているだけだろ。任せられる人材に恵まれない。ってのがこいつの口癖の一つだ。




「そうですか。それでは失礼します」


 まあ冒険者として活躍できれば数日で稼げる額だ。もめずにすむならそれに越したことはないか。




「よっ、ウィル。やめるって本当か? 無属性なのにこれからどうすんだよ?」


「だよな。おれたちみたいにスキルの訓練をしたって意味ないんだろ? 剣術でなんとかなると思ってんのか?」




 でたよ、サラバン兄弟。




 目の下のくまがひどい細身の男たちは、双子の兄弟で、俺の同期だ。




 おれたちなら余裕と言って、大手のクランに絞って加入試験を受けていたが全敗。スキルがたまたま足りなかっただけという理由で、数年ここで世話になり続けている。五年ぐらいになるか。


 いまだにランクの低いスキルしか覚えられていなかったはずだが、俺には常に強気でくるからうっとうしい。


 風属性値が十五だったはず。




「まあね。俺も挑戦してみようかなって」


「なに!?」


「冒険者に? おいおいうそだろ。無属性が生身で魔物に挑むのか? 剣術だってスキルあってのもんだろ。あの壁のおっさんは教えてくれなかったか?」




 あの人は俺を傷つけないようにそこには触れなかっただけだ。




「ちょっと理由があってね。それじゃ、急ぐから」




 こいつらの相手をしていてもなにも始まらない。一緒にいても生産的でない人間だ。




 俺はなんとか笑顔を作って、さっさと店を出た。




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