第25話 巨神伝説と声①
バナーバルには計六本の主幹道路がある。数えで一番から六番まである主幹道路はそれぞれ内輪と称される中央区を通り、環状擁壁を越え外側にある商業地区や外輪地区にまで伸びていた。
六本あるうちの一本、三番線道路だけは他の道路とは毛色が違った。三番線道路の行きつく先は、現在のバナーバルにおける生命線、大隧道だ。
クエスタ本部を起点に三番線道路をひた走ると、高さ二百mあるクエスタ本部がすっぽり入るほど巨大なトンネル、通称『大隧道』が口を開けている。
三番道路の循環バスは、クエスタ本部から出発し、大隧道の中へ入ると、大隧道内部にある経済的拠点ノマドベースまでを往復していた。
エリエラはクエスタ本部で隊員登録を済ませ、三番線循環バスでノマドベースへ来ていた。
ノマドベース内の建物は、ほぼ白一色で統一されていた。大隧道内の巨大な空間に、簡易的な組み立て式の建築物が小さな白い街並みを形成している。
親切な車掌に『食事と情報が欲しいなら、炙り酒だよ。大鷲が目印だ』という助言を得て、大衆酒場『炙り酒』の店前までたどり着いた所だ。
歩道のど真ん中に立つ立派な石柱の天辺に、羽根を畳んだ大鷲の石像が立っていた。猛禽類特有の眼光で全方位に睨みをきかせ、石柱に食い込ませた大きなかぎ爪は今にも動き出しそうだった。
エリエラは石柱と大鷲の場違いな立派さに見とれる。
白いブラウスに、原色豊かな色鮮やかなスカートを履いたどこか異国を思わせる彼女の姿は、はたから見ると石像と相まってどこか調和して見えた。
ゆったりとした柔らかな声で彼女は言う。
「なんて荘厳な大鷲でしょう。本当に大きいんですね」
石柱の太さはドラム缶ほどもあり、高さは大鷲を入れて五m以上もあった。
通路のど真ん中にある大鷲の石柱には、植物のツタに似た装飾がほどこされ、神殿の柱を思わせる威厳がありつつ、どこか瀟洒な印象もあった。
石柱の前から右手を見れば、無骨な店構えの大衆酒場『炙り酒』があった。吊るされた干し肉のカーテンに、入口に建てられた松明のかがり火。パチパチと薪の爆ぜる音と、火に揺れた干し肉の姿に彼女は二の足を踏む。
「少し怖いですね。……どうしましょう」
大鷲の石像をちらりと見上げるエリエラ。艶やかな長い黒髪に編み込まれたジュエルチェーンが揺れ、シャラシャラと小気味いい音を立てる。
「……こんなことで立ち止まっていてはいけないわ、エリー。頑張りましょう。あの大鷲の力強さを見習って」
エリエラは柔らかな声で呟きうなずくと、スカートの上から太ももをパンパンと叩いて自らを奮起する。
意を決して、エリエラは干し肉カーテンの間をすり抜けて店内へ入った。
炙り酒の中は、中央に厨房があり、厨房を取り囲むようにカウンター席があった。長方形の敷地に一〇〇席ほどの収容数があるが、食事時間ではない今はまばらに客がいるだけ。
淡いオレンジ色の間接照明が照らす室内は、塩気と香辛料の効いた芳ばしいソースの焼ける匂いと、長年をかけて滲み込んだ肉の香りで充満していた。
「ん、なんて強い香りなんでしょう……」
馴染みのない強い刺激を鼻孔に感じ、エリエラは反射的に鼻を手で覆った。しかし、自身の行為が失礼にあたるかもしれないと考えてすぐに手を離す。
白髪で白い口髭を蓄えたマスターが、白いバンダナを頭に巻いてテーブルを拭いていた。彼はエリエラの姿に気が付くと、彼女の黒真珠のように美しい瞳が映えるその美貌と、たおやかなたち姿に一瞬見とれてしまった。
すぐに我に返ったマスターは、通常の客と同じようにエリエラに声をかけた。
「いらっしゃい。お嬢さん、お食事ですか? お好きな席にどうぞ」
「ありがとう。お食事と、こちらは初めてですので、お話を伺えたらと」
微笑み会釈するエリエラに、マスターも笑顔で会釈を返した。
彼は掃除の手を止め、バンダナを外しがてらカウンターの内側へ移動していった。白髪を後頭部で短く纏めると、手早く手を洗う。
エリエラはマスターのいるカウンター席へ腰を下ろした。
「メニューをどうぞ。初めてなら、まずはバナーチがおすすめですよ」
水の入ったグラスを置いたマスターに、会釈するエリエラ。
「バナーチというのはなんでしょう? 食べ物かしら」
「バナーチはバナーバルの名物だよ。あらびきソーセージと塩漬け肉のスライスを、豆にトマトとひき肉の辛~いソースをたっぷりつけて、甘みのある小麦と玉子の生地で巻いて食べる!」
マスターは棒状のものを掴んで、豪快に噛みちぎる仕草をして見せた。エリエラは彼の行動に、口元に手を当てて驚く。
「まあ、それは面白そう。辛いのは少し怖いですが……せっかくですので、一つお願いしますね」
「はい、かしこましました。勇気あるお嬢さんに、丹精込めたバナーチをお出ししましょう」
白い髭を蓄えた口元を綻ばせ、マスターは意気揚々と答える。
調理場に入りバナーチを作り始めるマスターを、エリエラは上機嫌で眺めた。
マスターはブラックコーヒーの入ったカップをエリエラの前へ置く。
「ありがどう。良い香り」
カップから立ち上る香りを楽しみ、食後のコーヒーを味わうとエリエラはほっと一息ついた。
「満足してもらえたようで何よりだよ。それで、エリエラさんは何か目的があってここへ来たのかな。いやなに、貴方のような品の良い方が現場仕事の多い隊員志望というのは珍しくて」
エリエラの襟元に光る銀のエンブレムを見て、マスターは物珍し気だ。
「もちろん、言いたくないことは言わなくて結構。皆それぞれ、事情はあるから。むしろ、私に聞きたいことがあればなんでも聞いておくれ」
コーヒーカップを両手で包み、エリエラはマスターの目をじっと見た。これから話す内容を信じて貰えるとは思えないが、彼女は自身に目覚めたばかりの力と、その意味をどうしても解き明かしたかった。
コーヒーカップから伝わる温もりを頼りに、エリエラは言葉を吐き出す。
「こんな話を……信じていただけるかはわかりませんが、わたくしは、人には聞こえない声が聞こえます。正体はわかりませんし、なぜわたくしに聞こえるのかもわかりません。大隧道の奥から聞こえる声に呼ばれて、わたくしここへ来ました」
柔らかな声で語る彼女の言葉から覚悟を感じ取り、また、マスターはエリエラの話す内容自体に惹かれて興味深く頷いた。
「うん……私も歳を食っているから、若い人らよりはいささか信心深い。……私が推理するに、それは、巨神伝説の類かな?」
「巨神伝説? それはなんでしょう?」
疑われるか馬鹿にされるか、好ましくない反応を予想していた彼女は、マスターの好意的な物言いに驚いた。
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