第26話 巨神伝説と声②

「巨神伝説? それはなんでしょう?」

 疑われるか馬鹿にされるか、好ましくない反応を予想していた彼女は、マスターの好意的な物言いに驚いた。


「おお、知らないなら、本当にそうかもしれない」


 嬉しそうに笑ったマスターは、コーヒーポットを持ち上げて見せた。エリエラがカップから手を離すと、彼女のカップにコーヒーを注ぎ足す。


「ここバナーバルは見ての通り、スクアミナ禁足地の守護山脈に穴を掘って、鉱石を取り生計を立てる町だ。バナーバルというのは、もとは守護山脈を形成する峰の一つを指す名前でね、我々の町は、いわばバナーバル山の麓なんだ」

「バナーバルとはそういう由来だったんですね」

「ああ。私が小さかった頃にはね、鉱山夫たちから摩訶不思議な逸話を聞かされたもんだ。当時、兄のように慕っていた鉱山夫の若者がいたんだが、彼がよく話してくれたんだ。バナーバル山に住む黄色の巨神伝説を」

「黄色の? 黄色い、とても大きな人がいたのでしょうか?」

「彼が言うには、守護山脈は聖域を囲むようにあって、とても分厚くて強大。どれくらいかと言えば普通の山がいくつも入るくらい厚くて、人間ではとても掘り抜くことはできないんだそうだ」

「守護山脈というほどですものね。人智を越えているのでしょう」

「けれど、彼が教えてくれた話では、山脈の中、山の内部には人間にはわからない境界がある。それより先へ掘り進む禁を置かすと、大きな地震が起きるんだと。何事かと山をみると、そこには巨神がバナーバル山に手を掛けて人間たちを睨みつけ、警告に来ているそうだ」

「山に手を? 山よりも大きいのですか? なんてことでしょう……」

「しかもだ、彼はその巨神をその目で見たと言う! 大きな地震が起きた日、バナーバル山の頂にそれはいた! その巨神は宝石のように輝いていて、巨神の背にあるはずの太陽の光が透けて見えた! 巨神は巨大な宝石でできた怪物! その正体は女神ダナートニアの守護者の一人!」


 マスターはいつのまにかおしぼりを力いっぱい握りしめていた。はっと我に返り、彼は照れ笑いを浮かべ、握っていたおしぼりで自分の手を拭う。

 聞いていたエリエラも同じように、両手でおしぼりを握っていた。


「はっはっは。いやあ、つい力が入ってしまった。子供だった私は、この話が大好きだったんだ。懐かしい」

「ふふふ、わたくしも思わず力が入ってしまいました。……実は、わたしくが聞こえた声は、地鳴りのような、すごく低くて大きなものでした」

「ほうほう、ますますもって巨神の」


 マスターが言いかけたその時、店内の食器がカタカタと音を立てて揺れ始めた。ほどなくして、地鳴りと共に縦揺れの地震にかわる。


「きゃあ!」

「なんと!」


 突き上げるような振動に見舞われ、二人はそれぞれカウンターにしがみついた。揺れは激しかったがほんの数秒で収まり、あたりは静まり返る。

 心配そうに天井を見上げるマスターとエリエラ。ノマドベース内は大隧道の中にあるため、天井が崩壊すれば中にいる人間などひとたまりもない。

 身をかがめて警戒していたマスターは安堵のため息を付く。


「ケガはなかったかい?」

「はい、わたくしはなんともありません」


 彼女の無事を確認したマスターは、店内にいる食事客のもとへ駆けて行った。

 炙り酒の中をせわしなく動くマスターを目で追いながら、エリエラは両手を強く握りしめる。


「……鍵が訪れた? 鍵とはなんのことでしょう……?」


 得体の知れない自分の力と異変を伴う声にエリエラは動揺した。気を落ち着かせようとコーヒーカップに伸ばした手が震えている。

マスターは数人の客と、厨房にいたスタッフ達を見て回りエリエラの座るカウンターへ戻った。


「いやいや、何事もなくて良かった。地震なんて滅多にないから驚いたよ。……エリエラさん、気分でも悪いのかい」


 一安心して緩んだ表情のマスターとは対照的に、エリエラは張り詰めた顔していた。手の震えで揺れるコーヒーの水面を見たマスターは、別のカップに温かい紅茶を注ぎ、砂糖とミルクをたっぷり入れて彼女に差し出す。


「これはサービス。ミルクティーで気分転換でも」

「あ、ありがとう。……少し驚いてしまって」

「まったくだ。ここらはで地震なんてめったに起きない。あ、せっかくならバナーバル山の山頂を確かめて起きたかったよ。巨神が見られたかもしれない」


 楽し気に話すマスターだったが、対するエリエラは目を伏せ、ミルクティーの入ったカップを掴んだままで笑顔はない。それどころか、彼女の震えが伝わり、ミルクティーの表面を小刻みに揺らしていた。


「地震は大丈夫。ここだって、ただ天然のトンネルを再利用しているわけじゃない。落盤対策もばっちりだ」

「そう……そうですね」


 エリエラは声が聞こえたことを口にできなかった。ミルクティーを一口飲み、甘さを噛みしめる。染み入る紅茶の美味しさに集中できなかったが、マスターの気遣いが有難かった。


「ありがとう、少し落ち着きました……」


 エリエラの口調は終始穏やかで柔らかかったが、歯切れの悪さが徐々に際立ってきていた。客商売が長く、感情の機微に敏感な彼は助け船をだした。


「それは良かった。エリエラさん、最初に声をかけた際、食事とお話を、と言っていたね。知りたいことはわかったかい?」

「いえ、まだです。……あの、ひとつ、教えていただきたいのです。大隧道の一番奥、スクアミナ禁足地に最も近い地点には、ここからどう行けば良いのでしょう? わたくしはそこへ行くためにバナーバルへ来たのだと思います」


 マスターは空いたグラスを手に取って曇りを確かめる。


「……何やら事情がありそうだ。わかることは答えよう。禁足地に一番近い地点となると、大隧道をただ辿って進んでも辿り着けない。辿った先は、大隧道に掘削地点で壁があるだけ。エリエラさん、店の表に置いてある大鷲の石柱は見たかな」

「はい、とても立派なものでしたので。まるで神殿の一部のように荘厳で」

「それは言いえて妙。あの石柱は、大隧道の中で見つかった遺跡から出土したものなんだ。あれは当時の捜索隊が置いて行ってそのまま放置されたものなんだけど、私の推理ではおそらく神殿跡地だと睨んでいて……」


 マスターはついつい遺跡の内容について語りそうになった。エリエラの真剣な眼差しに気が付くと、彼は咳払いを一つして話題を戻す。


「おっほん……失礼。大隧道を道なりに進むと、途中で壁に大きな亀裂がある。入口に簡易的だがゲートがあって、クエスタ隊員が門番をしているから、行けばすぐにわかる。その亀裂の最奥が禁足地に繋がっているんだ」

「それは大隧道を歩いて行けば良いのですか?」

「ノマドベースから十km弱あるから、できればモービルか車がいい。あそこまではさすがにバスも電車もないよ」

「モービルも車もわたくしにはありません。どこか手配できる場所はありますか? お金なら多少は持ちあわせがあります」

「乗り物は心当たりある。けど……これは失礼にあたるかもしれないけど、エリエラさん、あなたのような女性が一人でいくのは危険だ。入口までならいいが、とても奥までは」

「どうしても行かなければならないのです。そこにわたくしを知る手がかりがあるはずですから」

「いや、でもね」

「おかげさまで、行き方はわかりました。わたくしには二本の足がありますから、歩いて亀裂を目指します」

「亀裂の中は危険だ。リクセンという鉱石の化け物はいるし、崩落の危険もあれば、調査の進んでいない横穴だらけで迷いやすい。男一人だって危ないんだ。エリエラさん一人で奥の遺跡に行くなんてとても」


 心配するマスターの言葉に、エリエラは微笑んだ。


「ありがとう。わたくしは大丈夫です。とても美味しい食事でした。お会計をお願いしますね」


 ミルクティーを飲み干して彼女は立ち上がる。カップを置き口元を拭く所作は品があり、柔和な彼女だったが、同時に頑なさも併せ持っていた。

 言っても聞きそうにないと諦めたマスターは、最後に一言助言をする。


「お会計は、無事に帰ってきたときに貰うよ。ぜひもう一度寄っておくれ。それと、亀裂の中には本部からの依頼を受けた隊員がたくさんいる。本当ならおすすめはできないけど、依頼内容と金額の折り合いがつけば、現地で腕が立ちそうな隊員を雇うと言う手もある」

「お心遣い感謝します。うまくいくかわかりませんが、交渉してみます。ダメでしたら、一人でもなんとかいたしますので」

「やれやれ、頑固な方だ。……うん、そうだ」


 ため息交じりに笑うと、マスターは壁掛け時計をみる。時刻は14時半を過ぎたところだった。


「夕食の弁当を届ける時刻には少し早いけどね。うちの配達の車に乗れるよう話を通しておくよ。うちで亀裂のとこにいる隊員に弁当を作ってやってるんだ。少し席で待っていなさい」

「何から何まで、感謝いたします」


 エリエラは深々と頭を下げた。艶やかな黒髪に編み込まれ、垂れ下がったジュエルチェーンがシャラリと軽い音を立てる。

 彼女の礼に笑顔で頷いたマスターは、足早に厨房へ入って行った。

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