第9話 バナーバル市街 マギーの店①

 グエンを導くように歩くオライオンは、商業地区にある生鮮市場まで進んでいく。彼の小さな体は溢れかえる人の波をものともせず、スイスイとかき分けていくので人の足ではついて行くのが一苦労だ。


(随分急ぐな。腹ペコで肉屋にでも向かってるのか?)


 そういえば朝食がまだだったなと、グエンが鳴り始めた腹を撫でた時にちょうどオライオンの足が止まった。彼は鼻をひくつかせて周囲を見渡すと、果物屋の方へ走り、木製の柱をつたって屋根の上に飛び乗ってしまった。


(まさかのデザート……な訳がないか。例のヤツを嗅ぎ取ったな)


 相棒が飛び乗った露店の看板には『マギーの店』とある。緑色に塗装された木製の屋根に立ち、オライオンは鼻をひくつかせて何かを探している。


「遠いのか、臭いが弱いのか。しばらく様子を見るか」


 通行人を避けながら呟くグエンがマギーの店にたどり着く。露店の前に立った彼は店先に並ぶ果物の鮮やかさに目を奪われた。

 プラムやパイン、マンゴーにキウイなどの果物が織りなす極彩色。

 店先を埋め尽くした芳醇な宝石の中から、グエンは真紅の果物を見つけ思わず声を漏らす。


「綺麗なリンゴだ」


 恰幅の良い中年女性、店主のマーガレットが豪快な笑顔で迎える。


「おや、目が肥えてるねえ。上物さ! お兄さんの髪みたいに綺麗な赤だろ? けどね! 見た目はリンゴそっくりだけどさ、別物さ!」

「ははは、ありがとう。しかし、リンゴそっくりだ」

「こいつはランカっていってバナーバルだけの特産品だよ。生り方が面白くてねえ。葡萄みたいに房で生るんだよ。房だからさ、お互いに傷つけずに育てるのは手間が掛かるんだよ」


 傷一つない真紅のランカを取って見せるマーガレット。グエンは彼女の持つ果実をまじまじと見つめる。


「へえ、これが房で? 見た目はリンゴそっくりだが、見事なもんだね。確かによく見るとリンゴよりも赤が深い。まるでルビーだ」

「あははは! ランカを口説き落としてるのかい? なら連れてっておあげよ。これはね、切ってみるとアッと驚くよ!」


 顎に手を当ててほおっと声を漏らすグエン、胸ポケットから小銭入れを取りだす。


「このランカ、おいくら?」

「三八〇ギンのとこをおまけして三〇〇ギンでいいよ!」

「おお、こんなに上物をいいのかい?」

「うちの商品を褒められるとさ、アタシも嬉しいのさ!」


 ニカっと笑うマーガレットにグエンは笑顔で小銭を渡す。


「すぐ食べるのかい?」

「小腹が空いたから食べながら歩こうかと思ってね」

「OK! ならお任せよ!」


 豪快な笑顔で答えると、マーガレットはランカをまな板の上に乗せた。彼女は金属製の薄い筒をランカの上部へ垂直にあてがうと掌で筒を思いきり叩く。

 ドカッとランカを貫通する筒。

 マーガレットは中央の芯がくり貫かれたランカの実を手に取る。


「こいつはおまけ! 食べやすいようにね!」

「へえ、綺麗に芯が抜けるもんだ」


 ぽっかり穴の開いたランカを受け取るグエン。空洞になった実を覗いて驚く。


「おおお! 中まで真っ赤! しかも……リンゴよりも柔らかな香りだ」

「あははは! そうそう! いい驚きっぷりだよ!」

「中身もルビーみたいだとはねえ」

「ランカはね、爛々と輝く果実ってね。世界樹の女神ダナートニア様がくだされた果実だってお話があるんだよ」

「へえ、さすが守護山脈の麓だ。香りも見た目も良い」

「香り良し、見た目良し。しかも味まで良しで最高さ。三拍子そろってあたしみたいだね! あはははは!」


 爽やかに微笑むグエン。


「女神様の恵みに感謝して早速」


 口をめいっぱい広げてランカの実にかぶりつく。


「うお、思ってたよりも甘い! ほんとに美味いな!」

「あっはははは! そうでしょ! 内輪地区クロス果樹園産だからね! 噛むと甘い蜜が口いっぱい広がってやみつきさ! 他にもオススメのフルーツが盛りだくさんだよ!」


 上機嫌のマーガレットは、多彩な果実の中で両手を広げ胸を張る。得意げな主人の姿にグエンは感心しながら頷く。


「バナーバルに来て早々、良い店を見つけたよ。あ、内輪地区ってのは?」

「おや、ほんとに来たばっかりなんだねえ」

「今朝来たばっかりだよ」

「そうかいそうかい。実はね、アタシもよそから越してきた口でね」


 ランカの果汁で濡れたまな板を布巾で拭いながらマーガレットは言う。


「この町は景気がいいけどさ、その分きな臭い話も多いからお気をつけよ」

「重銀の産出地となると事情も複雑になりそうだ」


 マーガレットは目を細め周囲を用心深く見渡してから言う。


「あたしらもさ、恩恵に預かってるからあんま悪くは言えないんだよ? でもさ、重銀産出地の大隧道、この利権ってのがミソでね」

「大隧道ってのは坑道か何かかな?」

「そうそう。でっかいトンネルがね、守護山脈の山肌にぽっかり開いてるんだよ。その持ち主が内輪地区、いわば特権階級さ。大隧道と重銀で沸きあがる前からの住民でね~」

「あ、なるほど。で、内輪の外は後から移住して来た人か」

「そ! けどね、アタシらみたいな商売人や職人はマシさ。最初に単純労働者として移住してきた人達らは悲惨でね。既得権益ってのが絡むとどうもねえ」

「悲惨? 何かされているのか?」

「まあ……扱いが悪くてね。外輪地区ってのがあるんだけど、そっちはかわいそうなもんよ。時代が悪かったてのもあるんだろうけどさ」


 ランカを食べながらグエンはうなずく。




 マギーの店、屋根の上ではオライオンが座り込んでいた。

 時計台のある公園をじっと見つめ、しきりに鼻をひくつかせてはいるが微動だにしない。

 ランカの果汁から立ち上る甘い芳香が鼻をくすぐるも彼の集中力を乱すものではなかった。

 時計台の足元に黒髪の若い女性が姿を見せる。

 立ち上がり彼女の姿をじっと見つめるオライオン。

 女性は息を切らせて走り何度も後ろを振り返っていた。

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