第10話 バナーバル市街 マギーの店②

 赤いランカをかじりながらもグエンは周囲への警戒を怠らなかった。だが通行人の流れにいくら目を凝らしても、オライオンが探しているであろうものは見つからない。

 そんな彼の様子を見たマーガレットは、暇を持て余しているのかと考えた。彼女は恰幅の良い腹を景気よく叩きグエンに話題を振る。


「そうだ! あんた、腰に剣なんてぶら下げているんだ。腕に覚えはあるんだろ? よく見ると強そうだし」

「これで食っていこうかなと思う程度には、ね」


 黒拵えの刀を叩いて笑うグエン。マーガレットは陽気に言う。


「ならさあ! あんたクエスタにお行きよ!」

「クエスタ? って、治安維持がどうのって入口で聞いたやつかな。イオルだかってやつにも誘われたっけ」

「ほらあ! そうだろう? あたしの目も大したもんだねえ! 絶対にクエスタに入るべきだよ! そうしなよ!」


 豪快な笑顔で勧誘していたマーガレットだが、急に肩をすくめて言葉を止める。通行人たちを横目で数度確認すると、彼女はグエンに小さく手招きする。

 何事かと思いながらも応じるグエンにマーガレットが小声で耳打ちした。


「ここだけの話だけどさ、エンブラ帝国の連中が攻めてくるって噂があるんだよ」


 エンブラという単語に、ランカを食べていたグエンの動きがぴたりと止まった。すっと細められた赤い瞳に鋭さが光る。

 グエンの様子には気づかずにマーガレットは話を続ける。


「あの無法者ども街中でやりたい放題なのにさ、お国同士で話し合ってる最中だからとか? 治安維持部隊だって大して取り締まりもできないんだよ」


 マーガレットは耳打ちをやめて大きく深呼吸する。


「ったくさ、思い出すだけでも腹が立つよ。あたしらの事をさ、下国の民とかなんとかはなっから見下してさあ。おまけに代金だって踏み倒す始末さ」

「……そりゃ、気に入らない連中だ」

「だろお? ま、戦争好きの大帝国様が相手だから慎重になるのはわかるけどさ、もうちょっと取り締まってほしいもんさ」

「……確かにな」

「って、あらやだ、あたしったら。つまんない話してすまないねえ」


 口数の減ったグエンに気付いて慌てるマーガレット。


「クエスタはさ治安維持のほかにも、大隧道の中で重銀採掘したり、化け物退治したりとそりゃ色々仕事があるんだよ。エンブラの話を抜きにしてもこれで食っていける場所だよ!」


 マーガレットは果物ナイフを両手で握ってチャンバラの仕草をして見せる。


「クエスタか……。いい話を聞けたよ。大隧道も気になっていたし」

 笑顔を見せ、最後のひとかけらになったランカを口に放り込むグエン。マーガレットは果物ナイフを置いて、濡れおしぼりを彼に差し出した。

「ほら、手が汚れたろ。拭いちまいな」

「ありがとう」


 グエンは微笑むと濡れおしぼりを受け取った。


「ウォン! ウォンウォンウォン!」


 屋根の上でオライオンが吠えた。グエンは彼が吠える方向を見る。相棒はグエンが歩いてきたのとは逆、時計台を向いていた。

 グエン達よりも時計台に近い場所で通行人の男が声をあげる。


「エンブラ兵だ! またあいつらだ!」


一人の声をきっかけにして、通行人の波に動揺が走った。マーガレットは騒めく人々を不安げに見つめる。


「噂をすれば影ってやつだよ。……あんた、どうしたの」


 狼狽えるマーガレット。通行人たちから視線を戻すと、いままで気さくな話し相手だった青年はまるで別人のような鋭い眼光で立っていた。


「……いや、なんでもないよ。おしぼり、ありがとう」

「そ、そうかい?」


 グエンから返された濡れおしぼりを受け取るマーガレット。

 穏やかな声のまま、グエンは騒ぎの方向を射貫くような目で見る。


「ゴミってのは、見つけたらすぐに片付けないとな」


 おもむろに時計台に向かって歩き出すグエン。

グエンの行き先を察したマーガレットは、慌てて露店から通路へ飛び出すと彼の背に叫んだ。果物がひしめく中、狭い通路を強引に通ったので彼女の大きな体でいくつかのランカが地面に転がり落ちる。


「あんた! 一人で無茶するもんじゃないよ! 危ないからね! あいつらはいつも徒党を組んでるんだからさ!」


 威勢の良い助言に、グエンは振り向かず軽く手を挙げる。


「ありがとう。俺にも相棒がいるから大丈夫だよ」

「ウォン!」


 マギーの店、屋根上からオライオンが飛び降りた。しなやか身のこなしで音も無く着地すると、相棒の後ろにぴたりとついて歩く。


「そのちっちゃいのが相棒かい? ケガしないといいけどねえ……」


 不安げな表情を浮かべたマーガレットは、地面に落ちたランカを拾い上げて溜息をつくと、もう一度グエンと小さな相棒の背中を見送った。

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