第9話 錯綜

 「ジャッジメント:プロポーザル・アクセプティッド。勝者、イーサン・ヘンダーソン。」

 声が震えた。


 自分の口から出た声だと判るまでに時間がかかる。

 目の前で行われた決闘の迫力。父が負けたという事実。

 呑み込めずにいる不確かな状況。

 

 いずれもが私の頭の中を目まぐるしく回る。

 

 けれども、恐怖。

 すなわち、私の感情を圧倒的に支配し、思考も感覚もすべてが停止してしまう。

 怖い。この人は何者だ?


 父がアームレスリングをする所は初めて見た。

 正確には、私とステラが幼いころに遊びで父と力比べをしたことはあっただろう。

 けれども、当時はただの子供の遊びでしかなかった。


 今しがた目の前で行われたのは、紛れもなく大人の男としての信念を賭けたそれであった。

 それであったはずなのに、父の力は、きっと全力だったにもかかわらずあっけなく打ち砕かれた。



 イーサン・ヘンダーソン。


 それは、この瞬間において、父の拳をアイオワの郊外にある小さなカフェのテラス席にあるテーブルに打ち沈めた男の名であり、後に、私と、世界の運命を大きく変える男の名前である。



「さて、余興は終わりだ、ルーカス。おとなしく息子を貸してもらう。」

 そう言って、ヘンダーソンは手首を振り、関節を鳴らす。


「ルーカス、まさかたったの1%でも私に勝てる気でいたのではないだろう。貴様はフィラデルフィアの1件以来、第一線を退いた。それから何年になる?」

 

フィラデルフィア?なんの話だ。


「あの日、私たちは明確に決別した。結果として今のこの合衆国社会があり、大きなうねりは間もなく世界中を巻き込むだろう。そうだ、全てはあの日にさかのぼる。」

 

 ヘンダーソンは何を言っている?

 あの日?世界を巻き込む?


「あの日、私が敗れて、貴様も敗れた。だからあの男を止められなかった。全ては、裏切った貴様の・・・」


 父はただの公務員だ。アームレスリングを本気でやったのなんて、今日が初めてじゃないか。


「黙れ!」

 父が叫ぶ。目には涙が滲んでいる。

 敗れた悔しさか、あるいは腕の痛みのためか、それとも—。


「それ以上言うな。それにすべてにおいて息子は無関係だ。」

 声がかすれている。腕が痛むのだろう。


「無関係だと?」ヘンダーソンの表情が曇る。


「ルーカス、貴様本気でそんなことをいっているのか?貴様の息子は・・・」


「黙れと言っただろ!少なくとも、それはお前の口から言える話ではないはずだ。レイとアームレスリングをしたいのであれば、もはや邪魔はしない。けれどもレイに勝ったからと言って何になる。レイは、あの男とは違う。」


「レイは、ただの、、ただの、私の息子だ。」

 

 父はいったい何を知っている?

 私は何を知らない?

 ヘンダーソンと父はどんな関係なんだ?

 あの男とは誰だ?

 何より、どうして私の息子だ、と自分に言い聞かせるのか。


 次々と浮かぶ疑問は、思考の整理を追い越していく。

 気付けば、私の知らない父と、背の高い男のそばで一人取り残されている。

 私が、二人の会話の渦中にいるはずなのに、それが自分自身と重ならない。


 レイ。息子。私。自分自身。あの男—。


 何を質問するべきなのだろう。

 私は何を知りたくて、何を知らなければならないのだろう。


 錯綜する。

 思考も、感情も。

 整理できない。

 

 ヘンダーソンが私に話しかける。

 聞き取れない。

 

 父の顔を見た。まだ腕が痛むのだろうか。

 表情を読み取ろうにも、焦点が合わない。

 

 涙が流れた気がする。

 鼓動の音が響く。うるさいと思った。

 

 「レイ—。」

 父の声だろうか?ヘンダーソンの声?

 区別できない。

 

 鼓動がうるさい。

 光がかすむ。

 瞼を開けていられないようだ。


 「レイ。」

 今度は高い声。

 女性の声。

 母か?ステラ?

 

 「レイ—。」

 記憶を辿る。


 聴こえない。

 心音が大きすぎる。

 

 自分の鼓動だと判った。


 瞼が完全に閉じた。

 

 四肢の力が抜ける。


 「レイ!」

 父の声だと、今度は判った。

 

 大きな物が落ちた音がした。

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