第8話 何らかの因縁

 突如響いた声に、組まれた手は緩み二人同時に顔をあげる。


 「すぐに彼から離れるんだ、レイ。」


声の方向に視線を向けると、そこには息を切らした父が立っていた。

「レイ、早くこっちに。」

 

その語気は、先日のキングスランドの一件で彼をまくしたてた時のものよりも一層強く感じられた。事態は理解できないまでも、父の表情からは一切のプラスの感情は消え失せていて、少なくとも父にとっては、現在の状況がいささかの緊急性を帯びた悪いものだということはひしひしと伝わってきた。

 

 ひとまず、ヘンダーソンと組んでいた手は完全にほどいて、テーブルから立ち上がって父の下に向かう。


 「これはこれは、久しぶりだね。ルーカス。しばらく見ないうちにずいぶんと皺が増えたんじゃないのか?

まぁ、それは私にも言えることだがね。」

ヘンダーソンが笑う。


 「君の立派に成長した息子を偶然見かけてね。少し力比べをしようと誘ったのさ。」


「どうして見え透いた嘘を言うか。わざわざ私の息子に会いに来たのだろう。そうでなければニューヨークにいるはずの貴様が、こんな田舎にまで来るはずがない。」

父の語気がさらに強くなる。気迫が漏れ始める。


 「左様。正直に言えば私はレイ君に会いに来た。ニューヨークからわざわざね。」

 それはレイ君に用事があったからだとヘンダーソンはさらに続ける。

「だから、確かに旧友である君と会いたいという思いもあったが、生憎、今は君の息子にしか用はない。急ぎの用がないなら、少しレイ君を貸してくれないだろうか。

それとも今すぐ帰って、二人でベースボールの試合でも見るなら、話は別だがね。」


 「レイ、先に家に帰りなさい。この男は今のお前が相手にするには危険すぎる。」

 

 、という言葉の意味が理解できなかった。確かにヘンダーソンは体格が良いが、私よりは明らかに年老いているし、武器を持っている様子もない。万一の場合は走って逃げることもできる。車はあるが、細い路地の多いこの一帯では、こちらに分があるだろう。


 「若者と遊ぶ貴重な機会を、そう簡単に邪魔しないでもらえるかな、ルーカス。」

ヘンダーソンがようやく立ち上がる。

父と並んでも明らかに体格が良いことが分かる。


「それに忘れていないだろうね。合衆国で生きる我々には、AW法があることを。」


 まさか—。


 AW法で私とのアームレスリングを強制しようとするのか。

いくら何でも異常だ。この場合は、『苦痛を伴わない時間および/または肉体の拘束に懸かるAW法』が適用されるはずだ。

アームレスリングを一試合するだけだから、時間こそ短いがアプライコストは1万ドルだ。


 「まて、イーサン。それはいくら何でも無茶苦茶だ。AW法の濫用は州法では禁止されている。」


 「たったの1度だけだ。濫用には当たらない。それに金はすぐに払う。」

 そう言ってイーサンはジャケットの胸ポケットから、100ドル札の束を私に向かって投げる。


 「君との勝負は久しぶりだな、ルーカス。まさかこの20年で、衰えてはいるまいな。」

 ヘンダーソンの目が、これまでになく鈍く光る。

 どうやら、勝負は本気らしい。


「コール:レイ・ハリスの時間的拘束10分。アプライ:1万ドル。」


「なんて男だ。レイ、ジャッジメントを頼む。

 リコール:5万ドル並びに今後一切のレイ・ハリスへの接触を禁止する。」

 

 もはや父の気迫は全く抑えられていない。少し感情が強く働きすぎている。

一度、父を落ち着かせたいと思ったが、ジャッジメントは公平でなければならない。


「セット。」


 正規のAW法のジャッジメントをするのはこれが初めてだった。

まさか自分を巡った試合のジャッジを自分で行うことになるとは、想像もしていなかったが。


 二人の腕が組まれる。

 

 父が大きく息を吐く。

 途端にあふれ出していた気迫が抑えられ、表情も消える。

 集中力が高い。


 ヘンダーソンは相変わらず歪んだ笑みを浮かべて、父を挑発しているようにも見える。


「レディ。」


 二人の手の甲に筋と血管が浮かぶ。

 二人とも顔の位置を低く下げる。

 腕の重心も下に移動する。


 ジャッジが押さえている手を伝って、ヘンダーソンの脈が急激に上がるのが感じられる。

 先ほど、私と組んだ時にはここまで急な脈拍の増加は感じられなかったが。


 しかしすぐに父の脈も高くなる。

 右腕の酸素濃度を高めているようだ。

 

 両者の顔を交互に見たが、二人とも完全に集中していて目が合わない。

 

 一呼吸。

 

 眼を閉じる。

 雨の音が聞こえる。いつの間にか降り出したようだ。


 もう一度息を口から吸う。



「ゴ。」


 刹那。


 二人の手の甲が一層硬化する。

 

 父は肩を入れて、内側に巻こうとしているように見えたが、

 ヘンダーソンがそれを嫌うように反対向きにトルクをかける。

 

 直上の位置でしばしの膠着。

 

 まるで穏やかな握手をしているかのように、静かに停止する。

 

 そのまま2秒。

 

 父が鼻で息を吸う。


 つかの間、薬指の緊張がゆるむ。

 静寂は一転、父の右手が大きく押される。

 ヘンダーソンの上腕二頭筋が大きく盛り上がるのが服の上からでも分かる。


 「くっ」

 父の苦い息が漏れる。

 

 床から3センチのところでわずかに持ちこたえるが、大勢は立て直せない。

 

 ヘンダーソンがさらに押し付ける。

 

 破裂音に近い音が響く。

 

 父の手の甲が眼前にテーブルに押し付けられた。

 テーブルの木目にヒビが走る。



「ジャッジメント:プロポーザル・アクセプティッド。

 勝者、イーサン・ヘンダーソン。」

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