第4話 最初の戦い

 「Mr. キングスランド、あなたはステラに婚姻を申し込みに来たということでしたが、娘はあなたとの面会を拒否しています。あなたをおびえて、気持ち悪く思っていると。」


 ダイニングテーブルに座ったキングスランドに対して、父は持ち得る限りの威厳を漂わせながら、まっすぐに言った。

 息子ながらこの時の父からは上級将校以上のオーラを感じ取れた。結果的にキングスランドは玄関先で私と対峙していた時よりもさらに鼓動が早くなってしまい、もはや可哀想なほどであった。

 

 それでも、よほどの覚悟を決めてきたのだろう。

 震える唇に鞭を打つように、無理やりに彼は言葉を紡ぐ。

「それでも、私はステラを愛しています。ずっと彼女のことを思っています。

毎日、毎日、自分でも狂気を感じる時もありますが、もはや私は彼女の側にいなくては生きていけない。」


 声が震えている。


 「今、ステラの母が彼女の側に寄り添っていますが、あなたはステラのかつてのクラスメイト、ただそれだけの関係だそうですね。恋人であったことさえない。つまり娘はあなたを男として相手にしたことなど一度だってない。そういうことです。」


 夜中に家に押しかけて、娘を怯えさせる男に、父も怒っているのだろう。かなり残酷な言い方だった。彼は下を向いて押し黙ってしまうと、父がさらに続ける。


「はっきり言って君がやっていることは性犯罪者の一歩手前だ。狂っている。単純に君は男として、娘と恋仲になるには不足していた。

 それは君がそういう努力をしてこなかったからだ。どうせその金だって君が自分で稼いだ金ではないのだろう。

 AW法を使うならすればいいが、私たちは君に相応の見返りを求めることになる。仮にAW法を使わないというなら今すぐ出ていきなさい。そして二度と戻るな。さもなくば、今すぐに君を殴って警察を呼ぶ。さあ、どうするか言え。」


 もはや勝負はあったようなものだ。キングスランドの精神は完全に正常を保持できなくなっている。それでも、驚いたことに彼は言った。


「それでは…、それでは、AW法に基づき決闘を宣言します。」


 何が彼をそこまで駆り立てるのだろう。勝つ自信はあるのだろうか。

 自分の金でないとしても、婚姻を申込む場合の決闘費用は50万ドルで、勝敗に関わらず決闘を受ける側へと支払わなくてはならない。さらに敗北時の見返りをも求められることになる。


 要するに彼は今日のために鍛えてきたのだろう。鍛錬の程度が十分でないことは、服の上から彼の体格と姿勢を見ただけでも明らかだが、きっと世間を十分に知らないが故にそれに気づいていない。

 自分の中だけで努力したと認めれば、それはつまり世間に通用できる実力を伴うはずだと、自分勝手な解釈で勘違いしている質の人間なのだろう。


 戦場にいると、人間の本質を見せつけられることが幾度とあったから、特にこの手の浅はかな人間の思考はすぐに分かる。



 「本当にやるんですね、多くを失いますよ。」私は彼に向って言う。わざとゆっくりと話した。「私がステラの代理人となります。」


 婚姻にかかるAW法では、申し込む人間は本人に限定される一方で、申込まれた側は任意で代理人を立てることができる。


 「僕も覚悟はできています。ステラを愛するためなら、何を犠牲にしても構いません。元々、彼女には全てを捧げるつもりでした。よろしくお願いします。」


 キングスランドが大きく深呼吸する。久しぶりに目が合った。

息をゆっくりと吐きだした。


 もう一度深呼吸。今度はまっすぐに父をみた。恐怖をかき消そうとしているらしい。

 

 瞳のブレが幾分収まった。けれど緊張していることは未だ十分に分かる。

二度目に彼が息を吐く音が嫌に大きく響いた。自分の脈と呼吸を制御できていない証だ。


「コール:ステラとの婚姻。アプライ:50万ドル。」

 

 キングスランドがゆっくりとする。

 

 私は、わざと2拍おいてから、じらすように深呼吸を3回。

 つかの間の静寂。

キングスランドの瞳のブレが再度大きくなる。やはり緊張を抑え込めていないようだ。


 「リコール:ステラおよびその家族・友人と今後一切接触しない。並びに100万ドル。」

 

 声は低く響かせる。

 

 キングスランドは一度目を閉じる。

 言葉の意味を理解しているらしい。

 

 婚姻にかかるAW法の決闘では、申込者はリコールの内容を拒否できない。

 AWのジャッジメントは父が行う。


 「セット。」


 右腕を構える。キングスランドの色の白い手が、私の右手に組まれる。手の皮膚が柔らかい。本当に世間知らずな人間なのだろう。

 少し自分が辛いと感じるトレーニングをしたところで、5年従軍した人間に勝てるはずはないのに。

 あるいは、私や父が代理人となることを考えていなかったのだろうか。


 「レディ」

 

 肘関節ちゅうかんせつに重心をおく。親指以外の指を曲げ、相手の手を軽く固定する。

 キングスランドは荒削りの握力で私の手を強く握り返す。

 橈側手根屈筋とうそくしゅこんくっきんに力を入れ、伸筋支帯しんきんしたいに意識を集中させる。


 「ゴ!」


 合図の直後、でたらめな力が手のひらを押してくる。

 重心を下げたまま力を迎え入れてから、再び伸筋支帯を緊張させる。

 

 0.6秒後に相手の力が一度緩む。

 そこを捉えるのは事前の想定通り。

 

 上腕三頭筋を硬化させ、モーメントを内側に8度ずらす。

 さらに相手の力がブレる。

 

 橈側手根屈筋で一気に押す。


 組んだ腕が倒れ始める。


 力を入れていた伸筋支帯を柔らかくして、連続的に力の方向を変化させる。

 

 一度大きく傾くと、もはや反駁する力は迫ってこない。

 やみくもに相手の握力だけが強くなる。

 そのまま押し切る。

 

 

 鈍い音がした。

 キングスランドの手の甲がテーブルの木板にぶつかる。

 完全勝利だ。


 「ジャッジメント:プロポーザル・ディナイド。勝者、レイ・ハリス。

 Mr. キングスランドはステラおよびその家族・友人と今後一切接触しないこと。並びに100万ドルをステラに対して支払うこと。以上は合衆国の定めるアームレスリング法に基づき速やかに適応される。」

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