陳さんの日本

@zukkokenji

陳さんの日本

四月になり大学四年になって、それぞれ僕たちは各講座に配属されました。僕が配属された講座には陳さん、王さん、劉さんの三人の中国からの留学生がいて研究に励んでいました。


陳さんは三十五歳ぐらいで、中国に奥さん子供がいるということでした。言葉の違う国から来て、違う国の言葉で勉強をしているわけで、しかも、家族を残してということですから何か目指すものがあってのことでしょうし、留学生ってつくづく偉いなという印象をもちました。


最初の自己紹介と、その後挨拶程度は交わすことはあったのですが、つい僕も同級生同士で行動を共にしていてなかなか直に触れ合う機会はありませんでした。


初夏の頃のある日、朝十時ごろ、いつものように研究室に来たところ、陳さんがカップラーメンを作っているところに出くわしました。陳さん以外誰もいない様子だったので、部屋全体に対する漠然とした挨拶ではなく、陳さん一人に対して挨拶をしました。


「こんにちは。」


陳さんは答えてくれました。


「こんにちは。あ、まだラーメンあるけど、食べませんか?」


ちょうどお腹もすいていて、学校に着いてから学生食堂で食べようと思っていたのですが、一人で食堂に行くのはもともと気が進まなかったこともあったし、せっかくの好意だし、何よりも部屋に充満していたラーメンの匂いが美味しそうで食べたくなったこともあり、ありがたくお言葉に甘えることにしました。


「あ、いいんですか?頂きます。」

「はい、どうぞ。あ、お湯、ポットにまだたくさんありますよ。」

「すみません。」


なんとなく会話はありませんでした。何を話していいか分かりませんでした。留学生だからすぐ中国の話というのもなんだか安易で、本人にとっては訊かれ飽きているだろうし、暑くなってきましたねとか天気の話は無難だけどそれはそれ以上に発展しないし、いろいろ考えてみたもののいい話題が思い付きませんでした。本来そこまで気負う必要はないのでしょうが、中国からの留学生に接する立場にある自分は日本人の代表として相手にいい印象を与えるようにしないといけない、そう考えている僕がいました。でも実際今は何もできていませんでした。話し掛けすらできませんでした。


カップラーメンの蓋を剥がす音や、お湯を注ぐ音が部屋の静けさを逆に引き立てていました。陳さんのラーメンが先に出来上がり、陳さんがラーメンをすすりはじめました。ラーメンをすする音に救われたような感じでした。僕のラーメンもできたので、食べ始めました。食べてしまいました。


まだ、誰も部屋には現れませんでした。また二人きりの沈黙になりかけたところ、陳さんが僕に話し掛けてきました。


「あなたは、女の子好きですか?」


陳さんも静けさを気にして気を使ってくれているんだなと感謝しつつも、でも、この質問に対して返事をしたらどういう展開になるんだろうかとドキドキしながら、照れながら不自然に普通に答えました。


「え?あ、はい、好きですけど。」


陳さんがさらに話題をかぶせてきました。


「おっぱい大きい女の子好きですか?」


前の質問のときに、自分が女の子を好きだと答えただけで終わってしまい、陳さんに質問を返して会話のキャッチボールを成り立たせる努力を怠ってしまったなと反省していたところに次のびっくりするような内容の質問が来て、その質問の内容に驚いたのと前の反省がごっちゃになったまま思わず、まずは答えと、続いて反省に基づいた投げ掛けを返すことを忠実にしてしまいました。


「あ、はい。好きですよ。陳さんはどうですか?」


変な会話になろうとしている、と焦った僕と対照的に、陳さんは冷静に投げ掛けに対する答えとさらに突っ込んだ次の話題をかぶせてきました。


「私も好きですよ。では、ニュウリン、大きいの好きですか?」

「ニュウリン?」

「はい、乳輪です。どうですか?好きですか?」


陳さんは両手の人差し指で自分の胸を指差してそれぞれ輪を描いて乳輪を動作で示しました。ニュウリンを最初は中国語かと思っていた自分も理解しました。なるほど日本語の乳輪かと納得したあともちろん少し恥ずかしくなりました。ますます変な会話になっている、しかもあんな静けさからたった三往復の会話でこんな絞った題材に辿り着いているのは一体何なんだろうと思いました。しかし、何を話すかを迷って何もできなかった自分が会話を変に切って次の話題に移ったりするより、この話題に乗るしかないなと思い、かといってこんな普段考えもしなかったことに対して、機知に富んだ気の利いた返事も思い付かないまま、会話の流れを止めないテンポでもうやけくそ気味で答えてしまいました。


「あーあ、乳輪ですね。どうでしょう、うーん。まあ、なんでも大きいのが好きですから、乳輪も大きければ大きいほど好きですかね、僕は。はい。」 


陳さんが日本での数年の生活の中でこれまでも同じ質問を日本人にしていたのだとすれば、今までの日本人はある程度の限度のある大小で答えていたのでしょうか、上限のない僕の答えに意表を突かれたらしく、陳さんは大笑いしました。


「あはははははははは!あなたは面白い!本当に面白い!すごい面白いよ!」


さっきの答えはそんなに面白かったかだろうかとこっちこそ意表を突かれた展開ではありましたが、喜ばれているしよかったと思い、今回もキャッチボールの原則に基づいて訊き返しました。


「陳さんはどっちが好きですか?」

「あははははははははは!どっちじゃないよ!ちょうどいいのが好きだよ!」


ならばなぜ僕には訊くのか、と思ったのですが、それはそれ、会話は温まってきました。 そのあと、陳さんはのりにのってきていろんなスケベな話を仕掛けてきました。僕は日中友好は果たしてこれでいいのかという戸惑いを隠しながら、陳さんは単語や表現の方法をたくさん知っているなあと思いながら、その刺激の強い話に相槌打ったり、笑ったり、答えたりということをしていました。こういうときに限って部屋にはなかなか誰も来ませんでした。陳さんは話しては大笑い、話しては大笑いを繰り返していました。


かれこれ三十分ぐらい、ひととおり盛り上がったあと、陳さんはニコニコしながら満足げに言いました。陳さんの放った衝撃的一方的断定的事実に僕はびっくりしました。


「あははははは!あの、私はいつも思います。日本人はスケベな話するとすぐ仲良くなれます。」

「え・・・・?ああ。」


陳さん・・・それは違うよ・・・僕たちは日本を背負ったつもりで・・・。日中両国のより深い相互理解のためにも、ちゃんと陳さんがスケベなだけだと説明しようかと思ったのですが、話もややこしくなるし、とりあえずはせっかく打ち解けたのでやっぱり打ち解けたのはなしにしてとか言うのもなんですし、まあいいかと思って、僕も陳さんの持論の中の日本に組み込まれました。

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