41、差し出された生贄

 彼女が王都近くの屋敷へ引っ越してくるまで、実にあっという間であった。父親のクライン伯爵としては、ベルンハルトの気が変わらないうちに、と思ったのだろう。ユーディットは学校を辞めさせられ、身一つでブラウワー家へ嫁いできた。


 嫁入り道具や持参金もろくに持たせてやれないほど、彼女の家は逼迫していた。本来なら、貴族を名乗るのに相応しくないと爵位を返上するべきだったが、それをぎりぎりの所で成立させていたのはクライン伯爵の意地と、友人であるミュラー公爵の支援があったからこそだ。


 けれどしょせんは親同士の縁で、息子のアルフォンスが実権を握り始めると、あっけなく見放されてしまった。クライン家には男子もいるが、まだ幼く、頼りにできるのは、年頃のユーディットしかいなかった。


「ベルンハルトさま。我が家を救って下さって、ありがとうございます」


 祝いの席で、ユーディットはベルンハルトに微笑む。心から感謝していると、切実な響きを込めて。


「父も母も弟も、あなたのおかげで今までと変わらぬ生活が送れます」


 この子にとって自分は救世主でもあり、逆らえぬ相手でもある。不安を隠しきれない瞳にじっと見つめられ、奇妙な感情がベルンハルトの胸に込み上げてきた。


 オレンジの花の髪飾りに白いヴェール、そしてせっかくだからとベルンハルトが費用を出した純白の花嫁衣装。白く清らかで、純潔を意味する通り、それらに身を包むユーディットも汚れなく、何も知らない。無垢な乙女そのものだ。


 それが今、自分の目の前にある。どうぞと差し出されている。


「私もあなたのような女性と結ばれて、嬉しく思う」


 膝の上で固く握りしめられていた手にそっと触れると、彼女はびくりと身体を震わせた。――けれど、振り払うことはしなかった。


「……はい、ベルンハルトさま。わたしも、あなたのような方と結婚できて嬉しく思います」


 ただベルンハルトを真っすぐと見つめ、ユーディットは微笑んだ。


 家のために、自分の身を差し出す娘。内心不安や恐怖、嫌悪感でいっぱいだろうに、彼女は抵抗らしい抵抗もろくにせず、ベルンハルトを受け入れ、彼の好きにさせた。


(まるで神の怒りを鎮めるために捧げられた生贄だな……)


 ぎゅっと目を瞑り、時折堪えきれないように声をあげて縋りつく様はひどく哀れでもあり、ベルンハルトを年甲斐もなく興奮させた。この娘の命を握っているのは自分であり、彼女が頼れるのは自分しかいないという優越感。


「ベルンハルトさま……」

「なんだい」


 優しくしたい。けれど涙を浮かべて己を見上げる姿に、酷い言葉をぶつけて、もっと泣かせてみたい気もした。何も知らない無垢なこの娘に、すべてを教えてやりたい。他の誰でもなく、自分こそが。


 実際ベルンハルトは理性を抑えきれず、ユーディットが今まで聞いたこともないだろう言葉を囁き、彼女が味わったことのない世界へ引きずり込んでいった。もうやめてとお願いされても、それは彼からすれば閨での戯れであり、愛するがゆえの行為だった。


「きみは可愛い人だね、ユーディット」


 新婚夫婦らしく、ベルンハルトはユーディットに夢中になった。肉欲に溺れること。それは最初の妻の時も同じだった。若かったぶん、もっと激しかったかもしれない。


(今回はいつまで続くかな……)


 経験上、すぐに飽きるだろうと思っていた。彼女が本心では自分を愛していないことがわかっていたし、それが覆るまでの退屈しのぎ。ユーディットが自分を愛し、嫉妬を見せれば、これまでの女性たちのように情熱は消え失せる。


 そうして自分はまた夜会へと出かけて行き、同じように退屈を持て余している女性と甘い一夜を過ごすのだろう。夫に何か言いたくても、ユーディットは様々なしがらみから強く物申すことはできない。


 そう考えると彼女はまさに理想の妻であり、自分はよい再婚相手を見つけたものだと、ベルンハルトは笑った。



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