39、身勝手な人
ユーディットは嘘だと思った。
「そんなの、信じられません」
「本当だよ、ユーディット」
「だって……それならスヴェンと会わせたりしないはずです」
妻の想い人と再会させるなんて、しかもあの部屋には大きな寝台があり、そういうことを仮定していた。ベルンハルトはそれも込めて、許したということになる。あり得ない。
「そうだな。普通じゃない。けれど……それでもいいと思ったんだ」
ベルンハルトの言っていることがわからず、ユーディットは眉根を寄せた。彼は抱きしめたまま、自身の気持ちを明かす。
「私は最初きみがアルフォンスのことをまだ愛していると思っていた。でも、ビアンカにそうではないと言われ、スヴェン・シュナイダーのことを教えられた。同じ学園に通っていた同級生……調べてみれば家庭環境も複雑で、きみと似ていると思った」
そう。似ているのだ。似ているから、あの日声をかけてしまった。放っておけなかった。
「アルフォンスよりもずっと近い存在。結婚してからも、ずっと忘れられない相手。それが……きみの好きな男なんだろう?」
だから、と彼は感情を押し殺した声で続ける。
「一度だけ……たった一度だけ、きみたちの関係を見過ごそうと思った」
「どうして?」
ビアンカを愛していないとベルンハルトは言った。自分を愛していると。それでも、未だ彼女には理解できなかった。
「きみは家の都合で無理矢理私と結婚する羽目になった。それまでろくに話したことのない二十も上の男に。しかも相手には子どもまでいて、いきなり母親役を任された……本当なら、年の近い男のもとへ嫁ぐ予定だった。けれどそれも一方的に取り消され、今の状況だ」
もし、ベルンハルトと結婚していなかったら……
「きみの父親がしっかりしていれば、きみはまだ学生でいられた。青春を謳歌できて、アルフォンスよりもずっと魅力的な男性と結婚することが叶ったかもしれない。もしかしたら……スヴェンとの道も、あり得たかもしれないんだ」
「そんなの……」
「私がきみの未来を奪った」
違う、とユーディットは弱々しく首を振った。だって、彼は別に奪おうとして奪ったわけではない。気紛れに断って、別の人間が代わりにユーディットを娶っても、同じ結末になったはずだ。
「きみは優しいから。私のことも、エアハルトのことも、受け入れようとしてくれた。そんなきみの優しさに、私たちは救われたんだ……だから、だからせめて好きな男と添い遂げさせてやろうと思った。ビアンカの見え透いた魂胆にも乗ってやろうと、決めたんだ」
「でもあなたは……迎えに来てくれた」
息急き切って、駆けつけてきた。扉を壊す勢いで、開けようとしていた。自分とスヴェンの衣服が乱れていないとわかると、露骨に安堵の表情を見せていた。ユーディット、と泣きそうな声で抱きしめてくれた。それは――
「ああ、そうだ。私は結局、許せなかった」
きみを、と彼がユーディットをきつく抱きしめる。
「渡したくなかった。他の男に触れさせたくなかった。きみが望んでも、許さないと連れて帰ろうとした。きみが……」
好きなんだ。
「どうしようもなく好きなんだ」
なんて勝手な人だろう。勝手に自分の身辺を調べて、しかも自分ではない別の女性の言葉を信じて、妻である自分には何も言ってくれなかったし、確かめようともしなかった。一度は他の男に譲ろうとして、直前になってやっぱりだめだなんて……勝手すぎて、呆れる。
(でも……)
「ベルンハルトさま」
苦しいから離してくれとユーディットが頼むと、恐る恐るベルンハルトは解放する。彼の顔は、いつもの自信に満ち溢れた表情ではなく、傷つくのを恐れる少年の顔をしていた。その頬を両手で包み込み、ユーディットはそっと自身の唇を彼のに押し当てた。
「――あなたを、愛します」
初めてユーディットから贈る口づけに、ベルンハルトの目はこれ以上なく開かれていた。その目を見つめながら、彼女は誓う。
身勝手で、不器用だけれど、彼はスヴェンと同じことを考えてくれていた。ユーディットの失ってしまったものを、ずっと代わりに覚えていてくれた。だから、許そうとユーディットは思った。
「ユーディット……」
離れてしまった身体を再度引き戻され、荒々しく口づけされた。ユーディットも拒みはしなかった。頬を撫でる大きな掌。自分を求める青い瞳。掠れて、愛おしいと告げる声。
わたしを愛してくれる人。わたしの愛する人だとユーディットは微笑んだ。
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