29、エアハルトの疑問

 ビアンカに、何か言われたのだろうか。


 ユーディットは庭の椅子に揺すられながら、そう思った。


 以前から何かとユーディットのことを気にかけてくれていたが、この頃はさらに顕著になったと思う。何よりふとした瞬間に、彼の視線を感じる。何か言いたげで、でも聞くのを躊躇っている目だ。


 どうしましたと思い切ってたずねてみても、何でもないと上手くはぐらかされてしまうので、いまだ彼の考えはわからない。


(この前のこと、怒っているのかしら)


 ベルンハルト以外と結婚していたら……という話をした時、彼は不機嫌そうな顔をした。あれはユーディットも言い方が悪かったと反省している。


 伝えたかったことは、ベルンハルトは悪い人ではないということ、ユーディットにとって良いことは何か、十分考えようとしてくれていること。だから、気にしないで欲しいということをたぶん言いたかったのだ。自分は。


 けれど何だか話しているうちにだんだん拗れてきてしまって、結局彼の言い方を酷いと責めてしまった。それは心のどこかでユーディットがベルンハルトのことを許せず、受け入れたくないと思っているからか……


「母上」


 あれこれ考えていると、エアハルトが声をかけてきた。


「あら、エアハルト。また本を読みにきたの?」

「……今日は、母上に聞きたいことがあって」

「何かしら」


 ユーディットは背筋を伸ばし、隣に座るようエアハルトを勧めた。彼は行儀よく腰かけると、やや緊張した面持ちでこちらを見上げてくる。


「以前家に訪れた男性が、母上の元婚約者だったというのは本当ですか」


 思わぬ質問に、ユーディットは目を見開く。一体誰から聞いたのだろう。


「メイドたちが話しているのを、うっかり聞いてしまったんです」


 ベルンハルトではないが、舌打ちしたくなる気分だった。子どももいるのだからもう少し、会話には気をつけて欲しい。


「……ええ。ミュラー公爵はわたしの婚約者でした。でもいろいろと事情があって、あなたのお父様と結婚することになったの」


 ユーディットはどう言おうか迷い、結局ありのままに話した。もちろんいろいろな事情、という箇所の詳細は伏せて。聡いエアハルトならば、詳しくたずねることはしないだろうと思っていたが、今回に限っては彼は実に年相応であった。


「いろいろ、とは具体的にはどういうことですか」

「それは……」


 ユーディットはしばし口を閉ざす。メイドはどんなふうにおしゃべりしたのだろう。まさかアルフォンスの子どものことまで話してしまったか……まさかね、と思いながら慎重に言葉を選ぶ。


「お互いにね、それぞれ好きな人ができてしまったの。だから話し合って、お別れした。そういう事情よ」

「……それは、母上が父上のことを好きになってしまったということですか」


 そうよ、とユーディットは頷いた。けれど、父親によく似た目つきで、エアハルトは嘘だと言った。


「父上は母上のことを愛しているように見えますが、母上はそうは見えません」


 きっぱりとした口調に、ユーディットは驚き、動揺してしまった。まるでエアハルトの意見を認めてしまったかのようで、すぐに違うわと言った。


「わたしも、ベルンハルトさまのこと愛しているわ」

「違います。僕が言いたいのは――」

「エアハルト、大きな声を出してどうしたんだい」


 二人ではっとそちらを見れば、ベルンハルトが笑みを浮かべて立っており、ゆっくりとこちらへ歩み寄って来る。


「紳士がそのように女性を問いただしてはいけない」

「でも、父上」

「ユーディットを困らせるな」


 命令するような強い口調に、エアハルトも、ユーディットもびくりと肩を震わせた。こんなふうに彼が息子に怒ったのを、初めて聞いた気がする。


「ごめんなさい……」

「事情があると言っただろう? ならばそれを信じてやることも、必要なことだ。相手が大切であればあるほどね」


 わかったら今日はもう部屋へ戻りなさいと言えば、彼ははいと頷く。


「母上。不快な思いをさせてしまってごめんなさい」

「いいのよ、エアハルト。わたしも……」


 ユーディット、とベルンハルトに止められ、気にしないでと彼女は言い直した。エアハルトは頷き、とぼとぼ部屋へ帰っていく後ろ姿は、ユーディットをも深く傷つけたのだった。


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