25、上へ這い上がる

 六つ下の女の子がお前の婚約者だと紹介された時、アルフォンスはすでに立派な自我を持っていた。自分が何を好み、厭うか。白黒はっきりした己の性格から、彼はユーディットが婚約者であることを、どこかで認められずにいた。


「父上。なぜクライン家と婚約を結んだのですか」

「アルフォンス。そう言うな。私にもいろいろと事情があるんだよ」


 それとなく苦言を呈した息子を、父はそう言って宥めたけれど、彼は納得できなかった。


「事情というのは、父上とユーディットの父親が友人だからでしょう?」


 幼い頃から共に育ってきた彼らは、息子と娘にもそうであれと関係を強いた。そして、父が事業で失敗したクライン伯爵をなんとか助けてやりたいという正義感に溢れた感情を持っていることも、アルフォンスからすれば実にくだらないものであった。


(クライン伯爵と付き合っていても、何の得にもならない)


 結局は、そこに尽きた。爵位こそ賜っているものの、領地を治める才能も、投資の才能も、中途半端なものしか持っていない。そんな相手に金を渡すだけ渡して、一体何の得になろうか。


 結婚するのならば、もっと自身の地位を確立するような家がいい。利害関係を意識して、有利になる駒の一つとして、活用する。陰謀渦巻く貴族社会で、己がどこまで這い上がれるか、アルフォンスは試してみたかった。


「――アルフォンス。おまえ、クリスティーナをどう思っている?」


 胸に抱いた野望を実現するため、アルフォンスは学園で王太子と意気投合し、互いに切磋琢磨しあう関係を築き、やがて側近としての地位を獲得した。お前は俺の親友だ、と言いながらも、王太子はアルフォンスより上の身分であり、そう思っているのは彼だけだろうと内心思っていた。


「王女殿下の侍女、と記憶しておりますが」

「それはそうだが……そうではなく、異性としていかがなものかと聞いている」


 どうもこうも……まともに話したのは、数えるほどで、何とも思っていないのが正直な感想であった。だが王太子の顔は、何かを期待していた。それを、アルフォンスは無視するわけにはいかなかった。


「可憐な方だと思いました」

「! そうか!」


 アルフォンスの返した言葉は正しく、王太子を喜ばせた。


「実はな、相手の方もお前のことを憎からず思っているらしい」


 どうだ、と言われ、アルフォンスはしばし思い悩む振りをして、諦めたように、静かに首を振った。


「私には婚約者がおりますので……」

「愛しているのか?」


 ――ユーディットを愛しているか。


『アルフォンスさま』


 会う度に、いつもおどおどした様子で接してきた少女を思い浮かべる。彼女は泣くだろうか。傷つくだろうか。それなりの付き合いがあるというのに、アルフォンスはユーディットが考えていることがいまだよくわからなかった。わからないことは彼にとって看過できぬことであったが、彼女に対してはそれでもいいかと思っていた。


 つまり興味がなかったのだ。


「親の都合で決められた婚約者ですので、何とも思っておりません」

「そうか。なら、責任をとらねばならぬ身にしてしまえばよい」


 こちらで機会は用意しようと、王太子は王女殿下と手順を整え、アルフォンスとクリスティーナを二人きりにさせた。まるで最初からそうなるよう準備していたように、物事は進んでいく。


「ずっとお慕いしておりましたわ、アルフォンスさま」


 そうして何度目かの逢瀬の時、クリスティーナはうっとりした表情で、アルフォンスに身を寄せてきた。彼女のつむじを見下ろしながら、この女は自分に何をもたらすだろうかと彼は思う。


『クリスティーナと妹は幼い頃から本当の姉妹のように仲良くしていた。俺も、彼女をもう一人の妹のように思っている』


 王太子はもしかすると、クリスティーナを愛しているのかもしれない。けれど身分的に許されず、せめて彼女の想いだけは叶えてやろうという純真な思いか。あるいは、従順なアルフォンスと結婚だけさせて、その後で、自身の想いを叶えるつもりか。


「アルフォンス様。あなたには約束されたお相手がいることはわかっています。けれど、どうか、一度だけでいいのです。わたくしのことを、愛して下さい」


 いずれは将来を担っていく王家との繋がり。王太子のお願いは、命令と同じく、断ればせっかく今まで築き上げてきたものがすべて無駄になる。


 アルフォンスが選ぶ道は、一つしかなかった。


「――私も、あなたのことを愛おしく思っていた」


 細い腰回りを引き寄せ、口づけを落とせば、彼女の白い頬はたちまち赤く染まった。その様を、アルフォンスは冷めた眼差しでじっと見つめた。恋に浮かれたクリスティーナからすれば、自分と同じ熱を持っていると勘違いしてくれたらしい。


「うれしい。アルフォンス様……」


 柔らかな裸体がアルフォンスに縋りつく。彼は彼女の望むままに演じてやった。


『アルフォンスさまのように、わたしも頑張ります』


 抱いている間、幼い少女の顔が浮かんだけれど、クリスティーナの甘い声と伸ばされた手に夢中になり、そしてこれからのことを考えて、いつの間にか消えてしまった。


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