24、押しつけた理想
二人は庭まで足を運ぶと、互いに向き直った。ユーディットの方から、声が聞こえない程度の距離間でこちらを見ている使用人の姿が目に入った。何かあった時のためのお目付け役だ。
「すまなかった」
アルフォンスがそう切り出した。いつかの夜会の時と同じだ。
「どうしてあなたが謝るのですか。あなたは頬を殴られた、被害者でしょう?」
「だが伯爵を怒らせるような真似をしてしまったのは、俺のせいだ」
私という一人称ではないことに、ユーディットはふと懐かしさを覚えた。彼は昔から真面目で、自分に非があるとわかれば、素直に認め、謝ることができる。酌量の余地があっても、その態度は頑なで、いっそ頑固ともいえた。
「……あなたは殴り返さなかった」
「殴る暇がなかったからだ」
「いいえ。あなたはわざとベルンハルトさまに殴られたのです」
あやまちを犯した自分に罰を欲していた。
ユーディットが確信に満ちた声で言えば、アルフォンスは黙り込む。次に何を言うべきか、必死で探している顔だ。
「アルフォンスさまはクリスティーナさまのことを愛していらっしゃいますか」
ユーディットからの質問に、彼は戸惑ったようだ。薄い青の目を数度瞬いた。
「なぜ……そんなことを聞く」
「以前、聞けなかったからです」
だまし討ちのような形でクリスティーナと引き合わされ、子がいることを告げられ、ユーディットはとにかく逃げ出したかった。アルフォンスと話すことなど何もないと思っていた。
「クリスティーナさまは王女殿下にお仕えしていた侍女だとお聞きしました。それから親しくなられたのですか?」
「……ああ。彼女の方から声をかけてきて、自然と惹かれあった」
彼の目線はユーディットとあわず、罪悪感を抱いているのだろうかと彼女は考えた。
「最初から子どもを作るつもりで、行為に及んだのですか」
「ユーディット」
突っ込んだ話に、アルフォンスは眉根を寄せた。またユーディットがこんなことを聞いてくるとは思いもしなかったという困惑も感じられた。
ユーディットも、こんなことたずねたくない。でも、たずねずにはいられなかった。どうしてだろうか。
「幼い頃から、あなたはわたしの目に眩しく映っていました」
たぶん、だけれどアルフォンスはそんな人間ではないと思っていたから。自信が持てないユーディットと違い、彼は何をやっても上手くいくという面持ちで常に先を歩いていた。
難しそうな本を難なく読んで、大人相手にも物怖じせず意見できて、褒められて奢ることもせず努力を続ける。そんなアルフォンスを、ユーディットは尊敬していた。すごいと憧れていた。
「わたしも隣に立って恥ずかしくないよう、必死で努力していました。けれどいくら頑張っても……怖かった」
本当にわたしなんかでいいのかと。
初めて明かされる元婚約者の胸の内に、アルフォンスは目を瞠っている。
「だから……あなたに他の女性が好きだと告げられて、驚きはしましたが、心のどこかで納得してしまったんです」
彼は自分を相応しくないと判断した。心のどこかでずっと予想していたことが、ただ実現しただけだ。
「ユーディット。俺は……いや、本当にすまなかった」
「謝る必要はありませんわ」
真摯に頭を下げようとする彼から逃れ、ユーディットは庭の花を眺めた。
「ベルンハルトさまが、わたしの傷ついたぶんまで、代わりにあなたにぶつけてくれましたから」
いや、それも違う。
「あなたがおっしゃったように、わたしの傷は大したものではないのでしょう」
「それは……」
「あなたを知る前に、わたしたちは終わってしまった」
不安で仕方なかった。本当に上手くやっていけるのかと。
でも、結婚したら、すべてを捧げようと思っていた。
「わたしの実家を支えてくれて、公爵夫人として相応しいようにと学校にまで通わせてもらえた。その恩を、あなたの妻として返していくのだと、ずっと思っていました」
しかしアルフォンスは、その道を選ばなかった。それも仕方がないだろうと、ユーディットは納得するしかなかった。
「けれど、それならそうと、正直に話してほしかった」
すべてを片付けたうえで、クリスティーナと結ばれてほしかった。子どもなど、婚約している状態で作ってほしくなった。もしユーディットの父親が弱みもなく、対等で、反対できる立場であったら、その子どもは生まれてきてはいけない子となっただろう。
アルフォンスはそれをわかった上でクリスティーナを抱いたのだと思うと、今までの彼に対して抱いていた感情がすべて壊れてゆくようで、悲しかった。
「高潔なあなたに、そんな道を選んでほしくなかった。わたしがもっとあなたと対等な関係であれば、もっと違った未来があったのではないか、今はそう思うのです」
「……俺はきみのことを、もっと子どもだと思っていた」
「子どもですわ。だからこそ、何もできなかった」
理路整然とした意見は思いつかず、ベルンハルトのような皮肉で相手を責めることも、彼女にはできなかった。自分が思っていることを、ただ相手に真っ直ぐぶつけるだけ。
「今もこうして、あなたに言いたいことが何なのか、よくわからないのです」
アルフォンスを愛していれば、ユーディットは彼に憎しみをぶつけることができたかもしれない。けれどそれもなく、子どもの頃からずっと思っていたことをまとまりなく伝えることしかできなかった。
尊敬できる存在でいて欲しかったという言葉も、結局はユーディットの我儘で、理想を勝手に押しつけているにすぎない。
(やり直すこともできないくせに、なにを願っているのかしら)
意味のないことだと、アルフォンスを見つめる。彼も今度は逸らさず、ユーディットの目を見つめ返してきた。探るように、焼きつけるように。なぜかベルンハルトを連想させ、ふっと彼女は視線を落とした。
「そろそろ、お帰りになられた方がよろしいですわ」
背を向けて退出を促すも、彼が動く気配はなく、やがてユーディット、と背中に呼びかけられた。
「きみは伯爵を愛しているか」
――愛している。
そう答えてやれば、アルフォンスはすべてに諦めがつくだろう。それなのにユーディットは答えることができなかった。夫の代わりに浮かんだ顔は、アルフォンスも知らない相手だった。
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