23、誰のために

 ひどい醜聞沙汰となった。王太子の側近であり、公爵家の人間に怪我を負わせた。侯爵家にも迷惑をかけた。

 けれど伯爵は真っ先にユーディットへ謝罪した。


「すまない。こんなことになって」


 馬車の中で何度も言ってくれたことを、一日経ってまた彼は口にした。ユーディットは椅子に座った彼に近づき、頬へと手を伸ばす。寝不足で肌艶はあまりよろしくないが、怪我などは特になく、よかったと安心した。


「あなたらしくない、振る舞いでしたわね」

「ああ、ほんとうに、そうだ。怒りでどうかしていた」


 すまなかったとまた謝り、許しを請うようにユーディットを見上げた。彼女が手を放そうとすれば、掴んで、名を呼ばれる。仕方なしに、彼女は両手で彼の頬をそっと包んだ。


「もう、こんなことなさらないで」


 心配だから、と付け加えれば、ベルンハルトはユーディットの腰を引き寄せ、痛いほど抱きしめてきた。そうしてそのまま肩口に額を当て、後悔に滲んだ声でつぶやく。


「あなたをまた泣かせてしまった」

「……いいんです。あなたはわたしのために怒って下さったのですから」


 慰めるように背中を撫でれば、彼の抱擁はよりいっそう強くなり、ユーディットは苦しいと思った。けれど我慢して、彼にされるがまま、息を吐いた。


「――各方面にお詫びしに行ってくるよ」


 まず夜会の主催者であったビアンカのもとへ行ってくると、ベルンハルトは午後から出かけて行った。


 ユーディットも付き添いを願い出たが、一人でよいと断られ、代わりに遠方から足を運んでくれた客人、あの場でベルンハルトを止めようとした者たちへの謝罪の手紙を任された。これも大事な仕事だと集中して書き綴っていると、客人がやって来たと家令が告げに来たので、顔を上げぬまま誰かたずねる。


「アルフォンス・ミュラー様でございます」


 まぁ、と彼女は目を丸くする。怪我をしたばかりだというのに……けれど彼の性格を考えれば納得できると、彼女は客間へ通すよう言いつけた。


「よろしいのですか。来訪の予約もなしに、旦那様もご不在ですが」

「ええ、かまいません」


 どうせ用事が済めば、すぐに帰るはずだ。彼も長居はしたくないだろうから。


(それにかえって伯爵がいない方がいいかもしれない)


 そう思ってユーディットはアルフォンスを出迎えた。


 客間に、と言ったはずなのに彼は玄関ホールから一歩も動かずにいた。手短に済ませたい雰囲気が見ているだけで伝わってくる。


「お待たせいたしました、ミュラー公爵」


 階段から降りてくるユーディットに、アルフォンスはやや緊張した面持ちで出迎えた。


「ミュラー公爵。この度は主人が大変無礼な振る舞いをして申し訳ありませんでした」


 せっかくの整った顔が、右目のあたりは薄っすら紫色になっており、唇の左端は切れていた。痛ましく、ユーディットは深々と頭を下げる。ベルンハルトがまず謝るべきはアルフォンスであったが、彼は決して殴ったことを後悔していないだろう。


 だからユーディットが代わりに謝るしかなかった。


「ユーディット。謝るのはこちらだ。頭を上げてくれ」

「けれど……」

「子どもが見ている」


 彼の言葉にハッと振り返れば、階段の上からエアハルトがじっとこちらを見ていた。


「話がしたい。どこか、落ち着ける場所で……」

「では、庭の方へ行きましょう」


 わかったと、彼はエアハルトの視線から逃れるように背を向けた。


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