21、幕が上がる

 アルフォンスとの婚約が破談となり、ベルンハルトのもとへ嫁ぐと決まって、友人がみな何と声をかけていいか迷っている中で、真っ先にスヴェンが声をかけてきたのは、ユーディットにとってひどく納得できるものであった。


 あれは恋だったのだろうか、と思う。彼を好きだったのだろうか。今でも、好きだと思っているのか。


 ユーディットは知りたかった。知ってしまえば、きっと何かを失ってしまうと思っても、彼に会いたいと思った。


「ユーディット。きれいだよ」


 ベルンハルトがユーディットのドレス姿に目を細め、恭しく手の甲に口づけする。まるでお伽話に出てくる王子様のようで、後ろに控えて居る侍女たちは感嘆の息を漏らし、エアハルトも目を真ん丸として二人の様を見ていた。


「このまま、どこか遠い所へ連れ去ってしまいたいね」


 馬車の中で、ベルンハルトはそう言った。ユーディットはちょっと微笑し、それは無理ですと答える。


「侯爵夫人の誘いは断れませんわ」


 ビアンカは、ベルンハルトに恋している。だから今回断っても、また何かと理由をつけて会おうとするだろう。


「……まぁ、何にせよ、挨拶して少し踊ったら、すぐ帰ろう」


 彼は前日までこの夜会に参加することを渋り、今もまた帰りたそうな雰囲気を隠さない。そんなに嫌なのだろうか、とユーディットは不思議に思う。


「以前は熱心に参加なさっていたではありませんか」

「……きみと結婚する前はね」


 今はきみといる方が楽しい。


 暗闇に染まってゆく景色に目をやりながら、ややぶっきらぼうに彼は答えた。


「楽しい、のですか」

「うん」


 どうして、と彼女は思った。


「伯爵は……変わっていますわ」

「そんなことはないと思うが……」


 向かいに座るユーディットの手を取って、白い手袋をはめた彼女の指を意味もなくなぞったり、折り曲げたりする。


「きみは素敵な人だよ」


 ぽつりと呟いた言葉は、ユーディットの胸を通り過ぎてゆくようだった。


「――ようこそ、いらっしゃいました」


 屋敷に到着するやいなや、ビアンカが一番に出迎え、挨拶してきた。今日の彼女は一際美しく、ユーディットは雰囲気だけで圧倒される。


「ベルンハルト。会いたかったわ」


 彼女はユーディットの存在など目に入っていないようで、ベルンハルトに熱い視線を送った。彼は少し面食らったようだったが、すぐに来客用の顔で応じる。


「ええ。妻が可愛らしくて、ついこちらに出向くことが疎かになってしまいました」


 さりげなく、けれど見せつけるように彼はユーディットの腰を引き寄せる。


(また挑発するようなことを……)


 とユーディットは思ったけれど、この場合はこれが正しい応答なのだろうか。


 ビアンカは案の定腹を立てた様子で、けれどそれをそのまま表に出すのはあまりにも品がないので、今日はどうか楽しんで行って下さいとなんとか抑えた調子で言うと、さっさと他の客を相手に行ってしまった。


「やれやれ。先が思いやられるな……」


 それはこちらの台詞である。


「まぁ、ユーディット。それに伯爵も。おそろいで」


 息つく暇もなく次に現れたのは、ヴェルナー夫人である。ユーディットは見知った顔と出会え、いくぶん緊張が解ける気がした。夫人は夫を紹介した後、朗らかに今日の宴の様子を話す。


「ビアンカさまは美しいものがお好きなようね。あちこちに花が飾られてあって、踊っていたらついそちらの方を見てしまいそうだわ」

「美しいものだけではなく、美しい人もお好きなんでしょう。お招きされている方を見ているとわかる」


 伯爵の言葉に、まぁと夫人は笑った。


「それではあなたとユーディットも含まれますわね」

「ええ。私の妻が一番美しいですから」

「ベルンハルトさま!」


 ユーディットは恥ずかしくなって、ついはしたなく声をあげてしまった。夫人や周りにいた客人も、二人の会話を見て笑う。


「ほんとうに、仲の良いこと」


 夫人がそう言ってくれた時、玄関ホールから騒めき声が聞こえてくる。


「誰のご到着かしら」


 背の高いベルンハルトがいち早く顔を確認し、目をスッと細めた。


「公爵様のご到着だ」


 ユーディットの腰に回された手が、いっそう強く引き寄せられた。


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