17、特別
「まぁ、動物園に? 羨ましいわ」
ヴェルナー夫人とは、あの茶会以来、よく屋敷へ誘われるようになった。陽気な人柄で、ひどいことは決して言わない。おかげでユーディットも、彼女と話す時はそれほど怖くない。
「うちの主人はどこかへ出かけるのが億劫で、家にばかり居たがるの。伯爵は家族思いね」
「エアハルトがいずれは学校へ通うので、今のうちにできるだけいろんな思い出を作らせておきたいのだと思います」
ユーディットがそう答えれば、夫人は柔和な表情をよりいっそう和らげた。
「それもあるでしょうけど、一番はあなたと仲良くなりたいからじゃないかしら」
「それは……」
いや、きっとそうだと思った。エアハルトよりも、ユーディットの機嫌を気にしている。
だからこそ、素直に認めたくない気持ちがあった。だって自分の息子をだしにしているだけじゃないか。
「わたくし、あなたと会って感心してしまったわ。先妻の子をあんなにも気にかけているんですもの」
「……弟がいて、ちょうどエアハルトと同じくらいなんです。それで何かと気にかけてしまうんです」
あるいは自分よりも弱い存在が不当に扱われている姿が、自分を見ているようで嫌なのかもしれない。
「何にせよ、立派だわ。あの方が変わるはずよ」
「変わる……?」
誰が?
「ベルンハルト様よ。あの方、以前はしょっちゅう夜会に出かけては女性を口説いていたのだけれど、あなたと結婚したあたりから、そんな姿もとんと見かけなくなったの」
気づいていらした? と夫人は微笑んだけれど、ユーディットはどうでしょうと曖昧に誤魔化した。彼はとても役者で、そう演じているだけかもしれない。
(それにそれって、当たり前のことではないの?)
結婚した相手のことを尊重し、大事にするのは、常識ではないのか。それともベルンハルトだからか。ユーディットにはわからず、夫人も気にせず、熱心に話し続ける。
「夜会も今は参加なさっていないようだし、外で見かける時は、いつもあなたと一緒にいらっしゃるから、本当にあなたのこと、特別に想っているんだわ」
「きっと、今だけですわ……」
思わず出てしまった本音に、ユーディットはしまったと思う。慌てて夫人を見ると、彼女は目を丸くして、ちょっと悲しそうな、憐れむような目でユーディットを見つめた。
「ユーディット。どうか、悲観なさらないで。伯爵はきっとあなたのこと、愛していらっしゃるわ」
(――わたしは愛していない)
彼がどんなに変わろうと、愛することはない。わたしも彼を愛しているなんて思わないで。そんなふうに、妻が夫を愛して当然のように言わないで。
ユーディットは心の中でそう答えたけれど、夫人に対してはわかっていますわと物わかりよく頷いた。そんなユーディットに夫人はまだ何か言いたげな表情をしたけれど、それ以上言うことはしなかった。代わりに良いことを思いついたと手を合わせる。
「ねぇ、ユーディット。今度わたくしのお友達をあなたに紹介させてちょうだい」
ね、と親しげにユーディットの手を握ってくる。
「いいんですか?」
もちろんよ、と彼女は笑った。
「みんなとっても良い人ばかりなのよ。きっといろいろ相談にも乗ってくれるわ」
同い年の友人はまだ学園に通っており、すでに結婚したという友人があまりいないユーディットには有り難い話だった。
「ありがとうございます」
「ふふ。いいえ。伯爵に頼まれたの。ぜひ相談にのって欲しいって。普通は順序が逆よね。もっと早く頼むべきだったのに。あなたのこと、可愛がるのに夢中だったみたい」
「……わたしが珍しかっただけですわ」
戻ってしまった話題に、やや苛立ちが募る。伯爵の話は、もういいじゃないか。
そう思うのに、夫人は構わず、しみじみとした口調で続ける。
「殿方の愛は捻くれているものよ。ブラウワー伯爵はそんなことないと思っていたけれど……あなたは特別なのね」
その特別はいつか終わりが来るかもしれない。怯えながら待つことを、ユーディットはたぶんしないだろうと思った。
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