16、檻の中、箱の中
ベルンハルトはそれからユーディットとエアハルトを誘い、頻繁に出かけるようになった。百貨店、博物館、美術館、動物園……とにかく目新しく、面白そうなものがある所へ、次々と伯爵は二人を連れて行った。
「ユーディット。記念に何か買ったらどうだい」
そうして出かけるたび、彼は土産を買うよう勧めた。ユーディットとしては、自分よりも息子のエアハルトに言って欲しかった。微妙な顔をする彼女に、伯爵はそうだったというように息子にも声をかける。
「エアハルト。おまえにもなにか買ってあげるから、好きに選んできなさい」
「はい、父上」
父の言葉が嬉しかったのか、エアハルトは熱心に陳列棚を見始めた。本日訪れたのは動物園で、園の目玉となっている「カバ」という動物をモチーフにしたグッズがたくさん並べられている。
「ユーディットはどれにする?」
「わたしは特に……もう十分楽しめましたわ」
「きみは無欲だね」
ふむ、とベルンハルトは考え込み、陶磁器の置物を指差したりして、あれはどうかとたずねたりした。どうと言われても、特に欲しいとも思わず、困ってしまう。
「ベルンハルトさま。本当に、お気持ちだけで十分ですわ」
「そうかい? じゃあ、これを買おうか」
カバの置物を手に取って、ベルンハルトはにっこり微笑んだ。ユーディットは話を聞いていたのかと眉を寄せる。
「楽しんだんだろう? なら土産の一つくらい買ってこそ、この施設への恩返しになる」
「それは、そうですけど……」
「なら細かいことはいいじゃないか。それにこの置物を見るたびに、今日のことを思い出すだろう?」
父上! というエアハルトの珍しくはしゃいだ声。カバのぬいぐるみを大事そうに抱き抱えており、そんな彼を見たユーディットも確かに、と伯爵の手からカバの置物を受け取った。
「今度アクアリウムという施設もできるらしいから、その時にまた来よう」
「アクアリウム?」
「うん。フィッシュハウス。何でも箱の中に魚を入れて、鑑賞するらしいよ」
楽しみだね、と息子に笑いかけ、エアハルトも目を輝かせた。ユーディットは魚を? と想像できない。彼女にとって魚は、すでに息絶えた、皿の上に出されるものしか知らない。
「それは、生きていますの?」
「もちろんだよ」
ベルンハルトは笑って答えた。
「生きたまま泳ぐ姿を見られるんだ。きっと綺麗だろうね」
そうだろうか、とユーディットは思った。せっかく広い水の中で生きていたのに、わざわざ狭い水槽に入れられて人間にじろじろ見られるなんて……なんだか可哀想な気がする。
(今日見た動物もすごく迫力があって楽しかったけれど、檻に入れられているのはちょっと……)
もちろん安全のためだとわかっている。けれど異国の地から珍しさゆえに持ち帰り、見世物として扱われる動物たちに対して、なぜかひどく同情心がわいた。
(狭い檻の中で一生、生きることになるのよね……)
逃げ出そうとすれば、人間を脅かす存在として攻撃される。檻の中でしか、生きることは許されない。十分な餌を食わされ、住み心地のよい寝床を与えられようが、もう二度と手に入らない自由がある。
(幸せなのかしら……)
「ユーディットは、百貨店とかの方がよかったかな?」
帰りの馬車で、ぼうっと外の景色を眺めていたユーディットにベルンハルトがそうたずねた。エアハルトは疲れたのか、ユーディットの膝の上に頭を乗せて寝ている。彼を起さぬよう、彼女はいいえと答えた。
「きっと連れてきてもらわなければ、一生見ることも叶いませんでしたから」
それに、と彼女はエアハルトの目にかかった髪をそっと払いのけた。
「この子も、とても楽しそうでしたから」
この日のことを忘れてしまっても、楽しかったという思いだけがエアハルトの中で残っていけばいい。
「私たちに付き合ってくれるのも、今だけだろうからね。思う存分、思い出を作ってあげよう」
「そう、ですね……」
いずれは彼もユーディットがかつて通っていた学園に通うようになるだろう。親元を離れ、独り立ちする。その時自分はベルンハルトと二人きりになるのだと、彼女は息苦しさを覚えた。
「次は、どこに行こうか」
どこにも行きたくない。このまま立ち止まっていたいと思った。
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