14、感謝

 その後数日間、ユーディットはエアハルトの朗読に耳を傾け、たまにベルンハルトが交代して、それにも飽きてしまうと、本の感想を互いに言い合って、穏やかな時間を過ごした。


 家族らしい団欒、ともいえた。


「あの子とあんなに話したのは、初めてかもしれない」


 夜の寝室で、ぽつりとベルンハルトがつぶやいた。彼の方を向いてうとうと微睡んでいたユーディットはふふと笑った。


「エアハルトも、きっと喜んでいますわ」

「だといいんだが……」


 頭の後ろで腕を組んで仰向けになっていた彼は、ごろりと向きを変える。そうして向き合う形で、ユーディットの柔らかな髪を指に絡ませ、じっと目を見つめてきた。


「そういうところ、そっくりだわ」

「うん?」

「じっと見てくるところ」


 似ていないと思っても、やっぱり似ている。


「きみはよく見ているね」

「そばにいれば、自然とわかりますわ」

「そうか……私はあまり一緒にいなかったから、気づかなかった」


 後悔、しているのだろうか。だったら、と思う。


「これから気づいていけばいいわ」


 彼は目を丸くした後、くしゃりと笑った。普段の気障な笑みより、ずっといいなと思う。


「きみには幻滅されそうだが、ルイーゼが亡くなってから私はあの子とどう向き合えばいいかわからなかった」

「奥様の死が悲しかったから?」


 いや……と彼は当時を思い出すように言った。


「妻とは家同士の関係で一緒になって、結婚した時は私が二十四、彼女が十八の時だったかな。たぶん、互いに好きな相手は別にいた。でも確かめることもしなかった。子どもだけは作らなくてはと、義務的に愛し合って、私は彼女のことをよく知りもせず、身ごもらせた。生まれた子は乳母の手で育てられて、たまに近くで見ながら、この子は私の血を引いているのだなと他人事のように思った」


 腹を痛めて産んだルイーゼも同じだったのだろうか。


「ルイーゼは、私よりかは子にいくらか関心があったようだけれど、それだけだった。貴族の妻らしく、人の手によって世話されて、また美しくなって、そろそろ夜会に参加したいと言い始めた頃、病気に罹って、あっけなく死んでしまった」


 どこまでも淡々とした口調だった。妻を懐かしむ気持ちも、先に死なれた悲しさも、今でも愛しいと思う恋しさや未練も、何も感じられなかった。


「あなたは奥様のこと、嫌いだったの?」

「嫌いではなかったよ。愛しいと思う時も、もちろんあった。でも……どうだろうか。今思えば、彼女のことをもっと知っておけば、悲しんで、残されたあの子とも、もっと向き合おうとしていたかもしれない」


 ユーディットは言うかどうか迷ったが、ベルンハルトの表情を見てやっぱり言ってしまった。


「あなたが思うよりずっと、エアハルトはあなたと向き合おうとしているわ」


 だから諦めないで、これから向き合えばいい。どうもベルンハルトは我が子に対して積極性がない。歯痒く思うユーディットに気づいたのか、ベルンハルトは苦笑いする。


「きみはご両親に愛情持って育てられたんだろうね」

「それは……」


 そうかもしれない。同じ貴族といっても、ユーディットの両親はまだ自分たちの子どもに関心があった。そしてそんな自分の育った環境で、ユーディットは彼の子育てを測っていた。


「ごめんなさい。あなたには、あなたのやり方があるのに……」

「いや、責めているわけじゃなくて……嬉しいんだ。血も繋がっていないのに、あの子のことをすごく気にかけてくれて」


 頬をくすぐる手は、優しかった。


「きみがこの家に来てくれて、よかったと思っている。ありがとう、ユーディット」


 心から報いるようなお礼を言われ、ユーディットは大いに動揺する。ベルンハルトにそんなこと言われては調子が狂う。


「わたしも、エアハルトのような子と家族になれて、嬉しいですから……」


 彼がいなければ、きっとユーディットはもっと苦しんでいた。


「うん。私もきみとこんなことを話しはしなかっただろうね」


 ベルンハルトがユーディットの腰を引き寄せ、近づいた距離に一瞬どきりとするけれど、彼は何もせず、ただ互いの温もりを感じ合うだけだった。


「好きだよ、ユーディット」


 目を見開くユーディットを、ベルンハルトは眠りにつくまで愛おしげに見つめていた。


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