8、意味のない対話
「クリスティーナ。これはどういうことだ」
「あら、わたくしはただこの方がご婦人方にいじめられて、ひどい顔をなさっていたから、介抱してあげただけよ」
ねぇ、ユーディット。
甘く、ねっとりした声に、ユーディットは耐え切れず手を振り払った。そのまま、部屋を飛び出す。
「ユーディット!」
一体どこへ逃げるのが正解なのか。ユーディットはわからなかったけれど、人混みに紛れ、中庭へと駆け込んだ。
「ユーディット!」
アルフォンスが追いつき、ユーディットの腕を乱暴に掴んだ。彼女はそれを振り払おうとして、やめた。
「離して下さい、アルフォンスさま。もう、逃げませんから」
諦めた口調で言えば、彼はゆっくりと手を放す。ユーディット、ともう一度名を呼ばれ、彼女は一度目を瞑り、深く息を吸って吐いた。ここで取り乱しても、何の得にもならない。
(いつかは顔を合わせる時がくると、わかっていたはずよ)
それが予定よりずっと早かっただけ。あんな形で引き合わされるとは思っていなかっただけ。
「先ほどの女性は、アルフォンスさまの奥様ですか」
振り返って、ユーディットは彼を見上げた。ベルンハルトよりも色素の薄い瞳は、わずかに動揺していた。彼はこんな人だったろうか、とふと思う。
だって最後に交わした会話はとても一方的で、ユーディットがどう思おうが気にしない冷たいものだった。なのに今の彼はひどく焦って、慎重に言葉を選んでいる。
「……ああ、そうだ」
「そうですか」
可愛らしい方だった。アルフォンスはああいう女性が好きだったのだ。年も彼と近いから、もしかすると王宮で働いているうちに親しくなったのかもしれない。
ユーディットは何も知らなかった。アルフォンスも、教えてくれなかった。
「すまなかった」
それは何に対しての謝罪だろうか。クリスティーナがユーディットを心配する振りをして、わざと自分の夫を紹介したこと? 別れるきっかけになったお腹の子を妻の口から言わせたこと?
それとも彼女を愛して、自分を裏切ったこと?
(今さら、何を謝るの?)
ユーディットはきつく自分の手を握りしめながら、精いっぱい何でもないという振りをした。
「いいんです。驚きはしましたけど、気にしていませんわ」
他人事だと思って言えば、アルフォンスの切れ長の目が見開かれる。彼は責めて欲しかったのだろうか。そうすれば、罪悪感が消えて無くなるとでも思っているのだろうか。
それなりの付き合いだというのに、ユーディットは彼の考えていることが何一つわからなかった。
(今さら知ったって、何の意味もないわ)
「さようなら、アルフォンスさま」
それじゃあ、とユーディットは中へ戻ろうとした。こんなところを誰かに見られてしまえば、あっという間に噂になるだろう。
だから今は急いで戻ることだけを考えればいい。
「ユーディット。きみは今、幸せなのか」
彼に気づかれぬくらい小さく息をのむ。足を止め、振り返らないままたずねた。
「アルフォンスさまには、どう見えますの」
「……伯爵は、誠実とは言い難い男だ」
「そうですね」
でもそれはあなたもだ。
(それに……)
「たとえあの方と結婚していなくても、わたしは別の相手に嫁がされました。そしてそれはきっと、同じような人たちだったでしょう」
そしてそうさせたのは、あなたのせいだ。
「だから、本当にいいんです」
後悔しても、同情されても、何の意味もない。なら、すべてを飲み込んでお淑やかに微笑んでいる方がずっといいだろう。
「どうか、奥様とお子様を大切にして下さい」
そう言って今度こそ、ユーディットはアルフォンスに別れを告げた。
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