7、悪意
「少し、休憩したいです」
「踊りすぎたかな?」
ベルンハルトはずっとユーディットを離さなかった。おかげで彼女の足はくたくただ。熱い湯に浸かりたいとは言わないから、少しの間椅子に座っていたいと思った。
ベルンハルトは踊りの輪から外れ、ユーディットをふかふかのソファに座らせた。ほっと息を吐く彼女を見下ろしながら、おくれ毛を耳にかけてやり、耳元ですまないと謝った。
「楽しくて、ついはしゃいでしまった」
「……わたしも、久しぶりにあんなに踊ってスッキリしましたわ」
ユーディットの言葉をどう受け取ったのか、ベルンハルトは困ったように微笑み、飲み物をもらってくるよと言った。離れようとする彼の腕を、思わずユーディットは掴む。
――お願い。一人にしないで。
ここで頼れるのは、ベルンハルトしかいない。彼がいなくなったとたん、自分はあっという間に食べられてしまいそうで怖かった。
「大丈夫。すぐ戻るさ」
それなのにベルンハルトはユーディットの手を振りほどき、行ってしまった。ひどい、と思いながらも、仕方がないとすぐに諦める。彼はきっと、どこか他の女性のもとへ会いに行くのだろう。ビアンカ夫人のご機嫌伺いか、あるいはユーディットが知らない可憐な女性のもとへ。
(だからあんなにたくさん踊らされたのかも)
一人になったユーディットもとへ、待っていたとばかりに人が集まってくる。みな、きれいな女性で、ベルンハルトの知り合いだと名乗った。
「ミュラー公爵のこと、残念でしたわね」
「ほんと、不誠実なお人。でもブラウワー伯爵は優しいから大丈夫よ」
「ええ、容姿も何もかも素晴らしい方だもの」
「この間の夜のエスコートも完璧でしたわ」
何気ない会話が、すべて下品に聞こえてきて、ユーディットは耳を塞ぎたくなった。
「あの、すみません。わたし、ちょっと主人を探して参りますわ……」
どうにかそう言って、ユーディットは彼女たちから逃げ出した。人気のない廊下に出て、ほっと溜息をつく。そうして、これからどうしようと思った。夫を探すべきだろうが、逢引の最中に出くわしては自分があまりにも滑稽だ。
(どうしよう……)
「あら、どうなさったの」
女性の声にぴくりと肩を震わせた。まだ諦めずに追いかけてきたのか。――けれど、それはユーディットの思い過ごしだった。自分と同い年くらいの女性は本当に、ユーディットの顔色の悪さを心配しているようだった。
「ねぇ、大丈夫? 少し部屋で休んだらいかがかしら」
ほっそりとした腕が、ユーディットを逃がさないように絡めとった。
「あの、わたし……」
「いいのよ。気にしないで」
女性は小柄だった。けれど、逆らえない力があって、ユーディットは空き部屋と連れ込まれた。そしてくっついたまま椅子に座らされる。
「ここでしばらくゆっくり休んでいるといいわ」
「あの、ご親切にどうも」
「どうか気にしないで。とても具合が悪そうだもの」
何か飲む? と気遣われ、ユーディットは涙が零れそうになった。何気ない優しさがこんなにも身に沁みる。目を赤くするユーディットを優しく見つめながら、女性はおっとりとした口調でたずねた。
「あなた、おいくつ?」
「十六です」
「まぁ、そうなの。お若いのね」
「いいえ、そんな。あなたこそ……」
同じくらいの年齢に見えた。
「あら、嬉しいこと。でもわたくしはこう見えて、もう二十歳すぎているのよ」
そう言っておもむろに彼女は左手の手袋を外した。きらりと輝くダイヤの指輪が薬指にはめられており、ユーディットはなぜか吸い寄せられるように見てしまう。
「結婚、なさっているのですね」
「ええ。主人がくれたんですの」
右手の指で、愛おしそうにリングをなぞる。ユーディットはなぜか鼓動が早まり、顔を上げた。ちょうど、相手の女性と視線がぶつかる。唇の端がゆっくりと吊り上がって、指輪をはめた手がお腹へと添えられる。
「もうすぐ、子どもも生まれるの」
ユーディットは立ち上がった。入口へ逃げようとする彼女の腕がするりと捕まえられ、悲鳴をあげそうになった所で、扉が開いた。
相手の男性が目を大きく見開いて、ユーディットも固まる。
「あら、主人もやってきましたわ」
「ユーディット……」
アルフォンスの呆然とした表情を、ユーディットは初めて見たかもしれなかった。
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