6、断れない夜会

「ユーディット。今度私と一緒に夜会に出席してくれ」


 突然の申し出に驚いて、ユーディットはまじまじと夫を見つめた。何か不服かい? というように彼は鏡越しに微笑んでいる。


「ずっと一人だけで参加しているから、本当に私が再婚したか怪しまれてね。きみのことを紹介しろと、主催の夫人に脅されたんだよ」


 そう言われては、ユーディットとしても断れない。


「……わかりました。参加しますわ」

「心配せずとも、アルフォンス・ミュラーは来ないよ」


 だから安心しなさい。


 ――うそつき。


 ユーディットはそう心の中でベルンハルトを罵った。


「おや、驚いたね。彼は招待されても参加しないと思っていたんだが」


 気が変わったのかな? と彼はユーディットの顔を見て言った。


「ベルンハルトさま。わたし……」

「大丈夫。毅然とした態度を貫いていれば、誰も気にしない」


 気にするに決まっている。今だって、突き刺すような視線が注がれているのだ。ベルンハルトの再婚相手というだけでも注目を浴びるのに、元婚約者であるアルフォンスまでいるなんて……幸い向こうはこちらに気づいていないようだったが、それでもユーディットはすでに心が挫けそうになった。


「まぁ、ベルンハルト。そちらが新しい奥様?」


 呆然とするユーディットの前に、赤いドレスを身にまとった華やかな女性が現れる。今回ユーディットたちを招待してくれた夫人だ。


「まぁまぁ、可愛らしい方」


 上から下まで舐めるように見られ、ユーディットは思わず夫の腕に添えていた手をぎゅっと握りしめた。


 言葉とは反対の感情が向けられている。


「侯爵夫人。今夜はお招きいただき、どうもありがとうございます」


 宥めるようにベルンハルトが手をそっと撫でた。その様子を見ていた夫人は、意味ありげにベルンハルトに微笑む。


「あら、いつものようにビアンカ、とは呼んでくれないの?」


 伯爵は一体何のことで? というように微笑んだ。彼女の言ったことが真実だとしたら、少しも動揺しないのが彼の大した所だ。ビアンカも冷淡な伯爵の態度にほんの少し眉をひそめたが、すぐに微笑でかき消している。


「まぁ、いいわ。それよりあなたの大切な奥さんなんだもの。招待するのは当然でしょう? 私もよく存じておきたいわ」


 そう言って、ちらりとユーディットを見るビアンカ。


「エアハルトのお坊ちゃまも、新しいお母様ができてさぞ嬉しいでしょうね。とてもお若いんだもの。親子というより、姉弟に見えるのではなくて? ベルンハルト」


 甘ったるい香水のにおいは、いつかどこかで嗅いだことがあるもの。彼女の媚を売るような声も、女であるユーディットには宣戦布告のように、そしてベルンハルトを絡めとるように聞こえた。


(この方はきっとベルンハルトさまのことが好きなんだわ)


 そして、二人がそういう関係であるということもユーディットにはわかってしまった。


「夫人。父親である私からも見ても、ユーディットは本当に母親のようで、エアハルトは母を慕う息子のようです。決して姉弟のようには見えませんよ」


 優しい口調ながらも否定したベルンハルトにビアンカは鼻白んだようだった。ユーディットも内心驚く。彼のことだから、冗談として受け取ると思っていた。


「あら、そう?」

「ええ、そうですとも」


 でも、と彼女は口を開きかけ、請うようにベルンハルトを見つめたが、彼が応じないと悟ると、代わりにユーディットを見て「今日はどうか楽しんで行って下さいな」と唇を吊り上げた。


「……ええ、そうさせてもらいます」


 ふん、と言いたげに去っていく夫人の後ろ姿。


 まるで欲しい物を買ってもらえなかった子どもみたい、とユーディットは正直呆れてしまった。彼女は自分よりもうんと大人の女性に見えたのに……


(それとも恋をするとみんな彼女のようになってしまうのかしら)


 夫をちらりと見上げれば、彼はやれやれというように肩を竦めた。


「普段はもう少し、落ち着いたご夫人なんだがね」

「……」

「それよりユーディット。せっかくだ。一緒に踊ろう」


 そう言って彼は尻込みするユーディットを無理矢理ホールの中央へと連れて行った。目立ちたくないと思っているのに、どうして彼はこんなことするのだろう。そっとしておいてくれればいいのに、と思いながらユーディットは足を動かす。


「上手だね、ユーディット」

「練習、しましたから」


 アルフォンスに恥をかかせてはいけないと、家の使用人を相手に何度も練習した。実際に彼と踊ることは数えるほどしかなかったのに。


「私は別にきみに足を踏んでもらっても、怒りはしないよ」


 彼の顔を見れば、青い目が細められる。


「アルフォンスが、きみを見ている」


 えっ、と思ったけれど、隠すようにベルンハルトはくるりと回った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る