4、穏やかな昼下がり
ユーディットは社交界があまり好きではなかった。アルフォンスの件があってからは特に行きたくなくなった。
そんな妻の心情を慮ってか、あるいは幼い妻では見栄えが悪いからか、ベルンハルトは積極的にユーディットを夜の宴へ連れ出すことはしなかった。
「きみはこの家で、のびのびと暮らせばいいさ」
夫の言葉は、今のユーディットにはありがたかった。
(少しだけ、ゆっくりと休みたい)
伯爵の家はユーディットの屋敷よりたくさん部屋があって、その一つ一つが立派な家具や調度品で埋め尽くされていた。
ユーディットが特に出入りするのは、図書室と、自分用に宛がわれた部屋、それとあとは庭ぐらいだった。どうも自分の家という感じがせず、未だ慣れない。
夜も、あまり眠れなかった。ベルンハルトの腕や足が絡みついて、じっと観察するような目が息苦しさを与えるのだ。
(伯爵はいつわたしに飽きるかしら……)
素直に従っているつもりだが、それでもユーディットより永く生きてきた彼には演じているユーディットがわかるのかもしれない。
(早く、早く飽きてくれるといい……)
暖かな昼下がり。うとうとと、クッションの敷かれた長椅子で彼女はいつしか微睡んでいた。
「――うえ、母上」
はっと目を覚ます。肩を揺さぶっていた青い瞳が、じっと自分を見下ろしていた。
「風邪ひきますよ」
「ご、ごめんなさい」
慌てて彼女は身を起こして、ほつれた髪をさっと手でなおした。
(恥ずかしいわ。こんな小さな子の前で居眠りしてしまうなんて……)
「謝る必要はありません」
エアハルトはおもむろに自分の上着を脱ぎ、ユーディットの膝にかけた。小さなひざ掛けに、ユーディットは目を瞬く。
「女性は身体を冷やしてはいけないと、父上がよくおっしゃっていましたから」
「……そうね。ありがとう。エアハルト」
どういたしまして、と彼は答え、そのままユーディットの隣に腰を下ろし、持っていた本を読み始めた。てっきり立ち去ると思っていたユーディットは、幼い少年の行動に内心驚く。
彼女の視線に気づき、エアハルトがじっと見つめ返してきた。
「ここにいてはお邪魔ですか?」
(……ひょっとして寂しいのかしら)
大人びた態度をとっていても、彼はまだ十歳だ。
「母上?」
エアハルトの問いかける声には、何の感情も籠っていないようで、わずかな不安が滲んでいた。ユーディットはなぜか実家の弟を思い出した。姉上、と涙でぐしゃぐしゃになった顔で見送っていたあの子に。
(この子と、そう年齢は変わらない)
そう思うと、今までよそよそしい態度をとっていたことが、ずいぶん酷いことのように思えた。本当の母として接することはできずとも、彼のことを心配したり、思いやることはできるはずだ。
「いいえ。ぜひ隣にいてちょうだい」
「……はい」
エアハルトは、また本へと視線を落とした。ユーディットはその横顔を日が暮れるまで優しく見つめていた。
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