(八)
これ以上、若者に誤解を与えるような真似は慎まなければならない。快尚は、逃げるように話を変えた。
「お主は志士を名乗っているが、刀の扱いにさえ慣れてはおらぬようであったな。失礼だが、まことに武家の生まれなのか」
「代々、武士の家柄ではあります。しかし、俸禄だけでは食べていけませんので、笠や籠を作って売り、空腹をしのぐ日々でした。いつも山菜や木の実を採ってきては、食いつないでいました」
食事の際、善四郎が木々や草花から食せるものを難なく集めてこられたのには、そうした事情があったわけだ。
「武士の端くれとして、剣術の稽古場には通っていましたが、竹刀と真剣では心持ちがまるで違いますね。恥ずかしながら、捕り手と向かい合ったときには腰が抜けるかと思いました。ただ、負け惜しみではなく、私は、刀を振るうのが志士の本分ではないと心得ております」
「そうか。では聞くが、お主は国を出て、何をしたいのだ。お主の本分とは何だ」
「実は、それが分からないのです」
この返事には、快尚も唖然とした。
「お主は、分からぬもののために命を懸けるというのか。故もなく、身内や友を窮地に陥れるかもしれぬ行いに走ったのか」
「無論、勢いのままに出奔したわけではありません。自身の行いが何をもたらすのか、考えた上でのことです」
「お主、兄弟は?」
「兄と姉が、一人ずつおります」
この若者の国脱けによって、兄は終生、栄達への道を閉ざされることだろう。また姉は、もし嫁いでいるならば、直ちに離縁されるのは必定だ。独り身であれば、嫁ぎ先を見つけられないまま、不遇の余生を送ることとなるのが目に見えている。
「親兄弟とは、上手くいっていなかったのか」
「いえ、そのようなことはありません。恨めしい家にでも生まれていれば、国を脱けるにあたって余計な気を揉まずとも済んだのですが。いっそのことみなし子ならば、失うものなど考えずとも良く、心を痛めることもなかったでしょう。せめてもの救いは、すでに母が他界していたことくらいです」
「では、貧しさを憎んでおったのか」
「そのようなわけでもないと思います。貧しくはありましたが、日々の暮らしには細やかな幸せを感じていました」
「その幸せを棒に振ってまで国を脱けねばならぬ所以が、自分でも分からぬとは、奇妙な話だ」
善四郎は、しばらく地面に目を落としていたが、やがておもむろに語り出した。
「確かに、国を脱ける揺るぎのない所以はありません。まことにこれで良かったのか、分かりません。これからその答えが見つかるのかも、定かではない。しかし快尚様、事を起こすのに、何となく、という所以では不足なのでしょうか」
この問いに、快尚は戸惑った。そのような曖昧な考えで命を賭した者の話など聞いたことがなかったからだ。答えあぐねているうちに、善四郎は続けた。
「私は少し前から、国に留まっていては、閉ざされた闇の中で一生を終えることになると感じていました。そうなるのは嫌だった。強いて言えば、それが国を脱けた所以です。ただ、周りの皆が、遂げるべき志を堂々と説き、その成就に向けて動いている一方、私には確たる志がない。そのような者は、軽率に歩を進めてはならないのでしょうか。悶々としながらも、闇の中で耐え忍ばねばならないのですか」
志とは、生きるにあたり定まっていなければならないものなのか。それが、善四郎が最も問いたいことのようである。その中には、深い意味もなく歩んだ先にふと志が現れることはないのか、という問いも含まれているように思えた。
「お主の言わんとしていることが、ようやく掴めた気がする。何となく、だがな」
このまま国に居続けて、道は拓けるのか。一度しかない生を全うできるのか。この若者は、幾度となく自問自答を繰り返したに違いない。その上で、ただ変わらずに座しているよりも、国を飛び出すことを選んだのだ。たとえそれが、ひどくおぼろげな望みに裏打ちされた選択であろうとも。
「善四郎、お主の問いへの答えは、ほかの者から与えられる類の代物ではなかろう。そのことは、お主が一番よく分かっているのではないか」
「どういうことでしょうか」
「お主は、国を脱けることを自ら決めた。ならば、その決断を正しいものにできるのは己しかおらぬ。だからこそ、ときに這い、ときに転がりながらも、道なき道をただひた走ってきたのではないのか。お主は、自身では気付いておらずとも、自分が何をすべきか心の内では知っていたのだ」
眉間にしわを寄せて思案する善四郎の横顔を見て、快尚は再び、若い頃の自分を思い起こしていた。
「お主は、私の来世の姿なのかもしれんな」
「何を言っているのですか。快尚様は、まだ生きておられるではありませんか」
「いや、私は出家したときに死んだのだ。対して、お主は未だ生を受けておらぬ。全てを捨てたと言いながら、私がこの国脱けに手を貸しているのも、お主を救わんがためではなく、生まれさせるためなのやもしれぬ」
「おっしゃっている意味が、よく分かりませぬが」
困ったような顔をする善四郎に構わず、快尚はからからと笑った。
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