(五)
「善四郎、怪我はないか」
気の高ぶりによって乱れた息を整えながら、快尚が見ると、善四郎は左腕を押さえて悶えている。その下には、血だまりができていた。
斬られたのは、左腕であった。ちょうど肘の上あたりから、血が溢れ出してくる。大男は、善四郎の斬撃をいなした後、そのまま右へと薙ぎ払ったのであろう。ほとんど同時に快尚の殴打を受けたため、最後まで力が入らず、刀の切っ先だけが善四郎に届いたものと思われる。
「少し痛むと思うが、我慢しろよ」
快尚は、自身の手拭いを善四郎の傷口に巻き付けると、固く縛った。善四郎は顔を歪めながらも、うめき声などは上げず、じっと耐えていた。幸い、命に関わるような傷ではない。
「よし、しばらくは傷口を上から強く押さえておれ。血はじきに止まる。黒い着物で良かったな。血の染みがさほど目立たない」
善四郎の手当てはこれで十分として、考えねばならないのは捕り手たちの処遇であった。この者たちは今のところ気を失っているが、遠からず息を吹き返すだろう。その後にすぐ追われたのでは、たまったものではない。
息の根を止めるというのも一つの手ではあった。しかし快尚は、僧籍に入っている身として、いかなる所以があろうと人を殺めるのは避けたかった。何より、若き善四郎に修羅の道を歩ませたくはなかった。
そこで快尚は、倒れている男たちから十手と大小の刀を取り上げると、各々が持っていた縄で手足と体を縛り、猿ぐつわをした。
三人目の
「手伝いなら無用だ。少し休んでおれ」
その声が聞こえなかったのか、善四郎は快尚の前まで来ると、腕の傷を押さえながら、地に額をこすりつけてうずくまった。
「快尚様、この命をお救いいただき、ありがとうございます。これまでの非礼をお許しください」
「なんだ、そんなことか」
この場に居合わせたからには、国脱けの手助けをしているものと疑われるのは分かりきったこと。申し開きが通じる相手とも思えない。いずれにしても、こうするしかなかっただろう。快尚は、これも宿命だと感じていた。
「あなたまで罪を負うことになってしまい、申し訳ありません」
「私は元より前科者ゆえ、大したことはない。人を殺めたわけでもなく、取り返しのつかぬことは何もしておらぬ。構わぬから、顔を上げてくれ」
気付けば、善四郎は目にいっぱいの涙を浮かべていた。これには、快尚もいささか驚いた。
「あなたはおそらく、奴らに姿を見られていない。すぐ寺にお戻りください。私はもう、大事ありません」
大事ないわけがあるまい。たった一人で、この窮地をどのように脱するというのか。
「空元気も良いが、これからどうするつもりだ」
「今度こそ、長田殿を待って――」
「お主、この期に及んで事の次第が分かっておらぬのか」
「どういうことです?」
この若者は真っ直ぐなところが取り柄のようだが、察しは悪いとみえる。
「長田という者のことは、諦めろ。すでに捕らえられ、お主のことを吐いたに違いない。たとえ生きていても、どこかの獄につながれておるだろう。ここに捕り手が来たのが何よりの証しだ」
「長田殿に限って、そのようなことは……」
「では、その男を除いて、お主がここに来ることを知っていた者はおるのか」
快尚は、善四郎の考えを惑わせているのは、頭の鈍さではなく、仲間を信じる気持ちの強さなのだと思い直した。
「それは……おりませぬ」
「その者が吐いてしまったからには、お主の素性は割れておるということだ。これが何を意味しておるか、分かるな?」
善四郎は、微かに頷いた。
もはや、この若者が生き延びるには、捕り手をまいて国を脱けるしか道はない。そして国を出れば、故郷の地を踏むことは二度と叶わないのである。
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