(四)

 二人は、身を低くして戸口から抜け出すと、小屋の裏手に回り、茂みに身を隠した。林の中を逃げる手も考えたが、きっと音で気付かれてしまう。それに、月明かりが木々の間から地を照らしている。ここで動くのは、見つけてくれと言うようなものだ。

「善四郎、お主はその木の陰にかがんでじっとしていろ。月明かりに当たらぬよう、気を付けるのだぞ」

 快尚はそう言うと、自身もとりわけ背の高い草の中に潜んだ。

 暗闇に溶け込んでいる限り、探されなければ見つかることはない。これに対し、相手は松明を掲げているため、居場所はすぐに分かった。

 幸いにも、捕り手は三人だけのようだ。おそらく、相手が善四郎一人と考えての人数だろう。このまま退散してくれれば、それが一番である。時を稼ぐことができれば、山に分け入って追手をかわせるからだ。

 前を進んできた二人があばら屋に入り、誰もいないのを確かめて出てくると、そのうちの一人が最後尾の男に声をかけた。

「橋本様、奴はおりませんでした」

「ちっ、勘づいて逃げおったか」

 橋本と呼ばれた男が、悔しそうな声を上げながら小屋に入っていくと、すぐに叫んだ。

「おい、床のこのあたり、温かいぞ! 不逞の輩はまだ近くにおる!」

 これを聞いた二人は、慌てて周囲の茂みを検分し始めた。

 快尚が善四郎の様子をうかがうと、木の幹に背中を押し当てながら、震えで歯をガチガチ言わせている。この若者が人を斬ったことがないのは分かっていたが、もしかすると真剣を抜いたことすらないのかもしれない。

 戦慄を抑えようとしたのか、善四郎が体を丸めたそのとき、動かした足が枝を踏み折り、乾いた音が鳴った。

「今、何か聞こえなかったか」

 捕り手が、相方に声をかける。

「いや、分からぬ」

「獣かな。こちらの方から、物音がしたように思ったのだが」

 男はそう言うと、松明をかざしながら茂みに分け入ってきた。一歩進むごとに、炎が善四郎の輪郭を捉えていく。それでも若者は、体を強張らせ、ただ腰の刀を握りしめるばかりであった。このままでは、むざむざ捕らわれるのが目に見えている。

 まったく、世話の焼ける志士だ。

 捕り手が善四郎の気配を感じ、そちらへと松明を振り向けた刹那、快尚は音もなく立ち上がり、男の首を後ろから締め上げた。そして、崩れ落ちる体躯を支えつつ、仰向けに倒れた。

「鏑木殿?」

 異変に気付いたもう一人の捕り手が、地に落ちたまま燃え盛る仲間の松明を目がけて林へと踏み込んでくる。快尚が金剛杖を手に取ったとき、男はすでに善四郎の真横まで来ていた。加勢には間に合わない。

 万事休すかと思われたが、今度は善四郎が動いた。刀を鞘ごと帯から引き抜くと、それで思い切り男の脛を払ったのである。

「うおっ!」

 勢いに任せて前へと躓いたのが、運の尽きであった。立ち上がろうとした捕り手の頭に、快尚が杖で一撃を見舞うと、男は地面に突っ伏して、動かなくなった。

 そこへ、あばら屋の方から大音声が響いた。

「見つけたぞ! 神妙にお縄につけ!」

 いつのまにか、善四郎は月明かりの下に姿を晒していた。二人目の男を転がした際、恐怖からか、動転のあまりか、とっさに飛び退って、木陰から出てしまったようだ。

 最後の捕り手は、身の丈が六尺はある大男であった。覚悟を決めたのか、善四郎は刀を抜き、正眼に構えた。それに合わせて男も松明を捨て、刀を抜き放つ。

 勝負にならない、と快尚は思った。善四郎の腕はぶるぶると震え、腰は引けている。一方、相手はなかなかの手練れとみえた。快尚が面と向かってやり合ったとて、敵うかどうか怪しい。

 善四郎も、勝ち目がないことは承知の上なのだろう。それでもなお、この若者は自らを奮い立たせるかのように雄叫びを上げた。

「キェー!」

 大きく踏み込み、真上から刀を振り下ろす。その斬撃は難なくかわされたが、善四郎は続けざまに左から右へと胴を薙ぐ二の太刀を浴びせた。

 鉄と鉄がぶつかり合う、鋭い音。次の瞬間、善四郎は地に這いつくばっていた。おそらく、力を受け流されたのだろう。そのまま斬り返されていたら、命はなかったかもしれない。相手にとって、今のは小手調べといったところか。あえて十手を使わないあたり、手向かえば討ち果たすように命じられてきたとみえる。

 善四郎は素早く起き上がると、刀を持ち直し、ふぅと一つ息をついた。初めよりは落ち着いているようだが、やはり構えは見苦しいと言わざるを得ない。二人の位置は入れ替わり、捕り手は快尚に背を向ける形となった。

 次の一合で、勝敗は決する。

「ヤァー!」

 善四郎が再び吠えるや、快尚は茂みから飛び出し、跳躍した。もう一度、鉄の音が響く。

 一方からの攻めを受けている者が相手であれば、後ろから一打を加えるのは難しくなかった。鈍い音がした後、男はその場にどうと倒れた。

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