CLOSER クローザー

奏ちよこ

第1話「仮想幻夜」

 CLOSER


 事件No.1

「仮想幻夜」


   00


 激しく抵抗する手足が、床に打ちつけられた。

「大人しくしろ、これで終いだ」

 コンクリートに押さえつけられた彼女の噛んだ唇から、血が床に落ちた。

「紬リウ、逮捕だ」

 金属音が、冷たく響いた。



   01


 からりと乾いた風が、枝だけが空を突き刺す銀杏の根に留まっていた枯葉を揺らした。ビル群を遠くに見下ろす峠の幹線道路から脇に逸れた先、人気のない寂れた遊具が転がるだけの公園に赤城東弥がいた。入り口に停めた愛車のSUVから、控えめな音量ながら勝手に音楽を流してベンチに掛けているが、その目は景色ではなく手元のタブレットにある。

 再び風に枯れ葉が音をたてた。表示された通知に、赤城はスマホから通話をかけた。

「課長。さっきの確定です、うちの事件になりま」

 今から戻ります、と告げて通話を切り、思いきり背伸びをした。

「また始まる、っと」

 赤城の車が勢いよく走り抜ける峠の幹線道路は、錆びついたラブホテルの看板を境に木々が左右から覆う私有道路へと切り替わる。まだ夜の霜が残る風を抜けてエンジン音が止まったのは、鉄筋コンクリートと鉄扉をくぐった先の赤茶色の煉瓦が美しい三階建ての建物。駐車スペースはすでに3台の車らによって埋まっているが、あまり気にする様子もなく赤城は玄関前に停めて玄関へと向かう。

 重厚な扉は動かすだけで圧を感じさせる。躊躇なく中へと入る赤城の足取りは軽く絨毯じきの階段をかけ上がると、屋敷の中央にあたる扉へと向かう。セキュリティが静かに作動し、部屋に入ると目の前に赤いものがあったせいで思わずぶつかりそうになった。

「お、っとすんませ」

 反射的に謝りかけたが、よく見ると見知らぬ人物だった。誰だ、と疑問が浮かんだが

「おそい。隣の山まで散歩に行く必要がある?」

 口にするより前に鋭い声がかかった。声の主は、樫家沙保里。窓を背に腕を組む彼女は長く緩やかにカールした髪にスレンダーながら豊満な胸元が大人の色気を漂わせる美人だが、声のトーンは優しくない。

「すみません、課長。いやちょっと新鮮な空気を吸うのも脳にはいいかなーって」

 へらりと笑って誤魔化そうとしたら、樫家より壁に近いデスクに腰をかけていた男が鼻で笑う。

「ただの気まぐれだろ、いつもの」

 亜豆カイ、三十代半ばのスーツがよく似合う男だが、笑う時はだいたいが皮肉ってるだけだ。

「あのですね、今日のはちゃんと理由があ」

「まあまあまあまあまあ、まー、ほら。赤城君も亜豆君もさ、イチャイチャするのはまたあとでいいじゃない。とりあえずほら新人ちゃんの前だから、ねっ!」

 弁明の機会を強制終了したのは、時宗紫音。目が細すぎて常時笑顔にしか見えないおっさんだ。新人、の言葉に先ほどぶつかりそうになった赤いものに目を向けて、目を疑った。

 真っ赤な髪だ。絵の具の赤でしかない髪に、目の周りを黒く塗りたくったような化粧、全体的に黒い服。挙句、なんと眉毛がない。恐らく身体中にタトゥーがあってピアスが妙な場所について、腕に注射痕があってもなんの不思議も感じない。

 どう考えてもここじゃなく留置場がふさわしい。

「新人……?」

 やばい人いますけどまさか、と言いたげな赤城が課長の樫家に目を向けるが、樫家はその目線を見返しただけであっさりと無視した。

「今日から配属された新たなメンバーだ。疑問があるなら通知をもう一度読み返せ。事件ファ終わった後にしろ、今は目の前の事件が先だ。時宗、説明を」

「はいはい。えーとじゃあまずこれね」

 時宗がそう言って大きなモニターに映し出したのは、ロゴとCGの画面。

「VRゲームのShooters Heaven。ここで大掛かりな盗みが行われている」

 切り替わった画面には、描かれたキャラクターたちが精悍な表情で武器を手にしていた。


   02


 VRゲームはヘッドギアを装着して仮想空間をユーザーがリアルに近い体験をしながら遊べる。中でも人気が上昇し続けているのは、仮想空間でのシューティングRPGゲーム。シューターズ・ヘブンは、リアルよりもリアルと評される鮮明なグラフィックとA Iキャラとで世界規模でのユーザー数が最近特に増えつつあった。

「最初の通報者は横浜在住の大学生。仮想通貨からゲームマネーに課金チャージしたところ、記憶のないアイテム購入がされていた、というものなんだよね。通報者の勘違いの可能性を考えて所轄も話は聞いたらしいが、この時は通報者自身が勘違いしていたと申告、被害届は出さなかった。ところが数日後には埼玉県警、警視庁、神奈川県内でも似たような訴えがネット上に確認できるだけで12件、所轄へ通報が一件でた。この時点では警視庁のサイバー対策が動きはじめたんだが、首都圏に集中していたこともあり都内にある運営会社の日本支社が捜査対象になった。ところが東北、四国、九州、全国の各地で同様の被害が訴えられはじめた。SNSの投稿は事実確認が全て終わっていないが、分かっているだけで全国津々浦々47都道府県ほぼ全てで似たような被害が確認されているわけ」

 時宗のほのぼのした話し方と声が伝える事件に、亜豆が右の眉をあげた。

「広域捜査は」

「当然だよね、と言いたいところなんだけどまあ、この縦割りの組織な訳でしょ、混乱を極める要素しかないからね。先に動き出していたのが警視庁だけど、日本支社は捜査に協力的で被害届を出した埼玉のユーザーのデータを全て開示した。残念ながら解析したところ、不審な点が見つからない」

「ゲームマネーは見つかったの?」

 樫家の質問に、時宗は首を傾げた。

「それが、イベントのアイテムを購入した記録が見つかりまして、購入時のデータからも購入者はユーザー本人だと確認がとれちゃったんです。日本支社の話では、イベントアイテムは期間限定で消滅することは予めユーザーに告知しており、なんら違法性はないわけなんですね」

「ふうん。ただ本当にユーザーが忘れてただけ……にしては数が多いな」

 表示される被害や不信感をあらわす投稿を眺めながら、亜豆が腕を組んだ。

「うん、仮に被害を訴えている約700人のうち半分を勘違いだとしても、推定被害額は数千万になるんだよね。そこで警視庁のサイバーが更に別の被害者たちのデータも解析したんだけど、一部データが海外サーバーを経由してることがわかった。ただし追跡できたのはそこまで。そこから先はICPOだの問い合わせたけど、まだ返事も来ていない。現状、日本の警察組織は被害届が出されて動くけど、この件は被害があったかどうかも定かじゃない上に、被害を訴えてる中で被害届を出したのは埼玉で一件、東京都で一件のみ。この2件とも開示されたデータ状は不審な点がなく、本人たちに再度確認すると勘違いだった可能性を口にした。正直、これはもう今の警察じゃ事件にしようがないってわけ。これが今回の事件」

「本社どこだ?」

「スペイン、バルセロナ」

 亜豆の問いに短く答えた時宗が、赤城にチラリと視線をくれた。

「はいはい。えーっと、俺このゲームに最近ちょいハマってて。自分で使った感じだとまだ不審な点はないです。全然。グラフィックも結構いいし、海外のゲームにしては細部まで気合い入れてる感じがしますね。世界的に見ると上位5位には入らないまでも、ユーザー数もなんとなく増えてて勢いがある。逆になんで上位に入れないかって言うと、他の上位ゲームはファンタジー要素があるとか既に有名なアニメや映画を基盤にしてるんで、そもそもの人気コンテンツなんですよね。反対に、このシューターズ・ヘブンはタイトル通り基本はシューティング。世界観はほぼ現実世界だし、リアリティに関しては恐ろしいくらいリアルなんで、VRだってことを思わず忘れそうになるんですけど、イベント参加とか課金アイテムが割高なせいで、ユーザーの年齢層が高めですね。ただ潜るんなら俺のアカウントは使わないでやりたいんで、ダミー作らせてください。課の予算で課金もたっぷり」

 甘ったるいような喋り方の赤城が、に、と笑みで言い終えるのを樫家が見ていたが、視線を赤城の後ろへと移した。

「紬、お前が潜れ。赤城は紬のアシストを」

「えっ、」

 後ろを見れば、つむぎ、と呼ばれたのは赤いボブの頭。わずかに頷いただけで返事すらしない。課長、と二の句を赤城が発するより前に樫家は小豆と時宗に視線を移した。

「亜豆、紫音は金の流れを追え。私は海外で同様の被害状況を調べる。いつものことだが我々の捜査には境界は存在しない。可能な手段は全て使う、二の足は踏むな。いいな」

 よく通る樫家の声が、凛と響いた。


 03


 亜豆と時宗、ーおっさんだが課長である樫家は紫音と呼ぶーがVRゲーム運営会社ダミアヌの日本支社ダミアヌジャパンの財政管理や資産の線から当たる中、赤城と紬はゲーム内からのアプローチを試みるため広い屋敷内の一室にいた。ここへ来たのは初めてらしく新人だと言われた赤い髪の紬は、見た目の奇抜さからは意外なほどおとなしく赤城に従ってきた。いくら自己紹介しても無反応な点はある意味で予想どおりだ。

「で、どうする。とりあえずプレイしてみる? ダミーアカウントは作ったばっかだからビギナーステージから始めなきゃなんだけど」

 ヘッドギアを手に聞く。赤城がリクエストした通りにアカウントも予算付きで用意されたが、ゲームマネーが消える現象はかなり上のレベルで確認されている。潜るのは紬にと指示されたが、まずはそこまで既にプレイしている赤城が進めるべきだろう。

「……犯行が確認されたのは、レベル43付近でしょ」

 赤い頭が、しゃべった。自己紹介も完全スルーしておいて、見た目どおり失礼なやつだと思いかけたら紬は赤城が手渡そうとしたヘッドギアではなく端末に向かった。

「え、なに」

「ハックする」

 短く答えながら、紬の両手がキーボードを奏ではじめた。

「はっ?」

「ここはいかなる手段も行使して目的を達成する場所、そう聞いてる」

「え、いやまあ、そうなんだけど。……いきなりハッキングって」

 報告もせずに? と思ったが、その速さに言葉を忘れて見入ってしまった赤城は、聴き慣れた着信音で我に返った。

「あ、亜豆さん。え? えーっと……今は……」

 亜豆からの進捗を尋ねる連絡に、モニターへ向けた視線が泳いだ。無言でキーを叩く紬からは言葉は返ってこないが、やってることはわかる。

『新人、動いてるか』

「そうすね、いいんですか? 勝手にハッキング仕掛けてますけど」

『ほー。ま、やらせとけ。こっちは国内の金の流れはきれいすぎるほどクリーン。ただし、妙な点がいくつか。課金アイテムにしろ他のサービス料にしろ、ユーザーが入金した金は国内の口座に入るのが通常なんだ、が。なぜかイベント系の入金だけが別の口座に行くようになっている。妙だろ、思いっきり』

「あれ、それがもしかして例のICPOに問い合わせてまだ連絡がきてないっていう」

『そう。正規ルートならそこまでだ。普通に追跡してもおそらく幾つも海外のサーバーだのプロバイダーだのを経由して途中でロスト、まあ通常のパターンだ』

 言葉では無理だろうと言いながら、耳に聞こえる亜豆の声は明るい。

「なにか手があるんすね」

『勝てないゲームはしない主義だしな』

 進捗を待ってますと返して、赤城は自分の端末へと向かった。隣のブースでは赤い頭がダミーアカウントのレベルを42まで上昇させている。

「そこまで一気に上げたらバレるって」

「バレるような手は打たない。同じレベル42のユーザーとダミーを入れ替えた。乗っ取ったアカウントの所有者にはわからないように偽装してレベルも所持品も同じにしてある」

「えっ、乗っ取ったってそれ! 一般人のアカウント? まずいって! さすがに!」

「今さら言われても、手遅れ。レベル42到達、ターゲットレベル43はマニュアルに切り替える」

 止める声を上げる間に、赤い頭は端末から離れ赤城の手にあったヘッドギアを装着しガンコントローラーを手にした。

 GAME IS ON

 ギアの下で、紬が微笑んだ。


 04


 陽が傾くころ。大理石タイルで覆われた建物、その玄関を出てきたばかりの亜豆はコートのポケットに手を入れて動きをとめた。タバコがない。確かに入れたはずだった、と記憶を呼び起こそうとしたが禁煙の表示を目に入れてやめた。

「青空の下くらい好きにさせてよ」

 世知辛いね、と文句をいいながらスマホの表示にチラと目をやってから停めた車に乗り込んだ。赤城からやたらに「!」の多い短いメッセージが来ていたが、未読のままスルーして車載AIから通話をかけた。

『なにか出たか』

 ワンコールで樫家はでた。

「ダミアヌジャパンの代表、津野田ナサリオ。これまでの捜査でわかっているとおり表向き金の流れに関してはクリーンですね。日系アメリカ人の父親とスペイン人の母親を持つ人物で大戦時に現地で苦労した父方の影響が強いのか、戦争孤児や難民救済への寄付やチャリティー活動を行う団体を設立し自らの報酬から寄付を続けてるくらいです。妻と子供二人、39歳。どっから見ても完全なる善良な金持ちです」

『完全なる善良な金持ち、それは幸せの青い鳥だな。まず存在しない』

「同感です。で、例のイベント関連の金が入る別口座なんですが、外資銀行の線から探ったところ、まずシンガポールの系列企業。そこからマレーシアのコンサル会社にほぼ同じ合計金額が3回に分けて入金されています。その後さらに数社の法人を経由して最終的に振り込まれた先が」

『チャリティー団体か』

「はい。団体の海外口座に、寄付金として入金されています。いつからやってるかこれから追跡ですが、昨年1年間だけで億を軽く超えています」

『その海外法人について裏は取れるか』

「そこなんですが、少々厳しいかと。おそらく経営実態のないペーパーかシェルフカンパニーだと思うんですが、サモアなんです」

『タックスヘイブン、だがインターポールの加盟国だろう。であれば問い合わせに返事がない理由は限られる。わかった、その法人の情報を送れ。少し揺さぶってみよう。情報が出しだい送る』

「了解」

 車が滑り始めた。



 樫家からチームに共有された亜豆の調べは、ある意味で赤城も予想していたとおりだった。

 ゲーム内でイベントにかこつけて金を集め、幾つもの法人を介して追跡を振り切り、最終的に税金を逃れられるタックスヘイブンの口座に集める。

 集金の場がVRになっただけで、やり方の基本は従来の窃盗と脱税と同じ。

 なにも新しくはない。

 ただ、

「……なんなの、こいつ」

 モニターにはプレイ中の映像が映っている。倉庫街、武装した敵が暗がりの中に息を潜めている中を赤毛のプレイヤーが進んでいく。

 柱の影に何かが一瞬だけ動いた。次の瞬間には銃声、敵のヒットポイントを示す表示を横目にプレイヤーは進む。赤城もレベル30までは問題なく行けた。ゲーム歴はそこそこだけど、下手じゃない。40より上は本当に難易度が高くて、仮想空間なのに本気で息が上がった。

 一瞬でも気を抜くと、不意打ちをくらう。その理由が、シューターズ・ヘブンの売りでありユーザー数が最上位に届かない原因でもあるAIの存在だった。

 ドドドドドッ銃声と流れ弾がどこか金属に当たる音、割れる音。

 狙撃者は、倉庫裏の古びたトラックの荷台にいた。

 ーーーーそこだ! 声をかけようと口を開くより早く、弾の切れた赤毛がサブマシンガンを捨てハンドガンに持ち替え標的に向かう。

「危な……!」

 敵の放った銃弾がわずかに掠めたが、倒れたのは狙撃手の方だった。赤毛は、と見れば弾倉の追加課金をしている。

「なんなんだよ、ほんと」

 もしかして赤毛、紬は赤城が知らないだけで、有名なゲーマーとかだろうか。

「お前、すっごいな!」

 レベルアップーー45。表示と共にHPが回復した時だった。

 緊急ミッションの文字が仮想空間に浮かんだ。

『MISSION! アーケードに武装集団が出現。組織の拠点を追跡し、制圧せよ。制限時間48時間』

 イベントの開始が告げられた。ここからヤツらの盗みが始まる。赤城は先ほどまで紬が向かっていた端末の前に座り、ゲームコインからイベント用のめぼしいアイテムを購入完了した。

「赤いの! 全部買ったからな、やられるなよ!」

 探り出せ、このゲームに巣食う闇を。

 かけた声に、紬は片手を上げた。


 05


 ビルの間をすり抜けると瀟洒な商業ビルらの姿はまばらになり、道の脇には塗装の禿げかけた看板が混ざり始める。カーブの多い道を進んだ先、大黒猫飯店と書かれた中華料理屋の前で亜豆は車を停めた。元は何色だったのか今では判別不能にかすれた営業中の文字が書かれた札が斜めにかかっている。札を真っ直ぐになおしてから引き戸を開けると、湿り気のあるホコリっぽさと焦げたニンニクの匂いが鼻をついた。

「よう、まだ生きてるか」

 薄暗い店内のカウンター向こう、厨房に向かって声をかけると、古いラジオのダイヤルを回していた太った男が肩を揺らした。

「は、てめえより先に死ぬか。なんの用だ」

「飯屋だろ、ここ」

「うちよりうまい店がいっぱいあんだろ。なんなら隣のコンビニに行け、100倍マシだ。おれも3食コンビニだ」

 身長は高くないが、幅がでかい。白いシャツにエプロン、紺色のバンダナをしている50は超えただろう店の主人は、でっぷりとした背の肉をエプロンの紐の上でゆらした。

「昔は腕がよかったって話も聞いたことあんのにね」

 おまけにカウンターの左端に、昼間から泥酔しているのか汚い爺がいびきをかいている。飲食店として最低の有様だ。

「ジジイの武勇伝と書いてウザイって読むんだよ、知らねえのか。で、何しにきた」

 店主は周波数を合わせようとしているのか、ダイヤルを回してはアンテナの方向を変えたりするのだが、ザー、とも音が出ない。

「ちょっと探してるもんがあってさ」

「交番へ行け」

「お巡りさんに見つけられない種類のものなわけ」

「んじゃヤクザか探偵か弁護士、いや弁護士はだめだな、あいつらはダメだ。前にうちの前で事故りやがった車がいてよ、ぶつかった方の保険会社が連れてきた弁護士っつーのがどうにも使えねぇやつで」

 話を嬉しそうに逸らす店主のラジオを、カウンター越しに見やった。

「最近やたら羽振りのいい闇会計士、いないか」

 ダイヤルを回す店主の手が、止まった。

「会計士なぁ。連中は真っ当に商売しても儲かるからな、わざわざ面倒なことに首を突っ込みたがらないのが普通だ。あえて陽の当たらないところへ行くようなのは、よっぽど腐ってる」

「じゃ、その中で腐りきったやつ」

 大きな目玉がぐるりと亜豆を見返した。

「……最近よく名前を聞くのは何人かいる。政治屋と金融屋だな」

「慈善団体、とかは?」

「さあなぁ。利回りが悪いんじゃねぇか、その辺は」

 大黒猫のオヤジがない、と答えた。クセの強い店と人物だが、その情報網は確かだった。なにか聞いたら教えてくれ、と言って去ろうとした時、オヤジがあっ、と声を上げた。

「なに」

「そういや、コンサル系のやつがいるな。はっきり言ってなんでも屋だから、それぞれの専門(なわばり)を持ちたがる闇の連中の中ではあまりよく思われてない。関、とか言ったはずだ。ちょっと待ってろ」

 オヤジがよれた手帳を尻のポケットから取り出しめくる間、亜豆は店主がいじっていたラジオを手にした。アナログの、古いラジオだ。ダイヤルに触れると、ジリリと回る。「これだ。持ってけ」

 サラサラと店主が書きつけた紙を、受け取った。

「サンキュ」

 電源を入れたラジオと胸ポケットから出した封筒を、代わりにカウンターに置いた。

「たまには飯を食ってけ」

「コンビニ以外の飯ならな」

 パーソナリティーの声が聞こえ始めた店に引き戸を閉めると、雑多な街の空気が身を包む。その雑音を押しのけて耳に飛び込んだのは、時宗からの着信音だった。

「わかった、今から戻る。そろそろ仕上げだ」

 車のドアに手をかけた。


 06


 ぬめる床は、撒かれた油のせいだろう。

 赤毛が追う相手は、仲間の死体には目もくれずに倉庫街をさらに逃げていった。マップには元工場だった跡地がある。

 倒れたイベント用のキャラたちは、赤毛がシーンを移すごとに消えてゆく。

 勝てる。

 赤城はアイテムリストを開いたが、そこに見覚えのないものはない。ゲームコインにも変化はない。

 もしかして、ハズレかも。

 いくらイベントを仕掛けては荒稼ぎをしているとはいえ、すでに警視庁の調べが入ったあとだ。警戒して当然か。

「だとすると、今回は赤毛のプレイを見学ってことかぁ」

 そう思うと拍子抜けだが、気は楽だ。

 改めてモニターを見ると、赤毛は武装集団を追いかけて倉庫街を抜けた。元工場に入るところで監視をサイレンサーで黙らせた。

 やるじゃん。

 なるほど、このゲームのプレーヤーとしては赤城より上。課長の判断は正しかった。

 うち捨てられた灯りのない工場跡に、赤毛が入っていく。野犬の声が遠くで聞こえて、仮想空間なのに妙なリアル感がある。

 工場は鉄筋だが天井部分は剥がれて垂れ下がり、機器がそのまま残され蜘蛛の巣が覆っていた。ハンドガンから持ち替えた赤毛が慎重に足を進めていたが、機器の影に身を隠した時に、赤毛の腕に機械のレバーがかかった。

 コッ、と軽くぶつかる音がして赤毛も赤城も注意を引かれた瞬間だった。暗がりの中で銃声が光った。工場の製造機器に当たってはねる金属音が降り注ぐのを、やり過ごしながら撃ち返す赤毛だが、その一発が右肩に被弾した。

「うお、撃たれた」

 ここまでの良い動きからすると、意外な気がした。

 疲れてんのかな、あいつ。

 最初のハッキングを除いて、プレイ時間が連続5時間を超えている。途中でイベントをリタイヤはできないが、中断することはできる。

「おい、ちょっと休憩したほうがよくない?」

 赤毛が装備したヘッドギア越しに聞こえるよう、プレイ中の部屋に備え付けられたスピーカーから呼びかけた。

 だが、反応がない。

 反応する気がないのか。

 もしかして聞こえてないのか。

「おーい、聞こえてんのかってー」

 再度、スピーカーの設定を大きくしながら呼びかけたら、赤毛が監視カメラに顔を向けた。

『アイテムをみろ!』

「へ?」

 なんだ、と言われるままにモニターに戻った赤城は目つきを変えた。

 先ほどまでなかった、ロケットランチャーが追加されている。

『こいつを装備しようとしたら、操作に干渉が起きた!』

 赤毛がいうランチャーをリストから見ると、すでに使用済みをなっていた。

「……一度も使ってない高額アイテム、ご丁寧にちゃんと支払われてるよ。しかもグレーアウトって使うこともできないわけか……こいつ! このアイテムを追跡したら、奴らの尻尾を掴める。赤毛、頼むから少しでも長くプレイして時間を稼いでくれ!」

『言われなくてもやってる!』

 モニターでは銃撃戦の最中、ふんぞりかえっていた背もたれから体を起こして、赤城は端末に向かった。

 

 07


 闇で暗躍する会計士、関慎二の居所はさほど苦労せずに突き止められた。金融情報を追跡していた時宗と合流し、裏ぶれた雑居ビルで関に対面した。30代半ば、坊ちゃん狩りのような髪型の下に暗い顔色をくっつけた男だった。オフィスの第一印象は整頓されていると思ったが、湿った匂いが鼻につく。元は10人程度が働くスペースとデスクが並んでいるが、今は関自身の机に収まりきらない書類や書籍の置き場となっているようだった。

 大黒猫飯店のオヤジに闇の人間として認識されている男だ。叩けば、いくらでもホコリが出る。そう亜豆がふんだ通り、関は任意同行にあっさりと同意した。

 疲れ切ったようなどす黒い隈を抱えた関は素直に取調べに応じたが、それも話が津野田との関係に至るまでだった。

「……ダメだな、どうした」

 取調室を出ると、廊下には別室でモニターを見ていた樫家が苦い顔を見せていた。

「すみません、他の話はしゃべるんですが、ダミアヌジャパンがらみになると貝になっちゃうみたいで」

 時宗は笑顔と同じ細い目だが、眉が困っている。

「関は一流大卒、アメリカに留学してCPA(米国公認会計士)を取得して帰国後に日本国内でも公認会計士を取得、か。順風満帆に見えたキャリアが転けたのが、五年前。外資系企業のM&Aに絡んだ不正疑惑で、関の名前が捜査線上に浮上している」

「その通りです、課長。不起訴でしたが、その直後に離婚、会計事務所を解雇されている。その後、再起を図ろうと個人事務所を起こしたものの上手くはいかず、あとは面白いように転がり落ちています。生来のプライドの高さから、人脈を生かしきれなかったようですが」

 樫家は腕を組むと、関のいる取調室に目を向けた。

「時宗、関が関わった金の動きを全て話して聞かせろ。亜豆、プライドが高く承認欲求を拗らせたやつを揺さぶるんだ、考えて話せよ」

 了解、と返して二人は再び取調室に戻った。これは任意でしょう、とお決まりの問答を交わしてから丁寧な口調を崩さずに時宗が金の動きを説明した。

 プレイ中のユーザーがイベントに参加、その間に高額なアイテムを付与しておいて代金を奪う。その金はイベント専用の口座に入金されるが、金のからくりはそこから始まる。イベント専用の口座は海外口座をいくつも介し、最終的に非課税となるタックスヘイブンの口座、ペーパーカンパニーが名義人の口座にたどり着く。そのペーパーカンパニーはダミアヌジャパンの津野田ナサリオが偽名で保有し、ペーパーカンパニーから寄付として津野田自身が代表を勤める慈善団体に送金される。

「どうかな、こんな金の流れが見えてきてるんですがね」

 時宗が語る内容に、関は暗い顔に苛立ちを浮かべたように見えた。ちら、と時宗に視線を向けてから亜豆は世間話をするように話し出した。

「関さん。正直ね、ここまで考えて実行に移せるってのはなかなかできる人物だと思うんですよ、津野田さんて人は。すごいですよ実際。ペーパーカンパニーの設立から、手続きだって結構これ面倒な作業でしょ。関わってくるのが英語だけじゃないわけだし、内容が内容だけに翻訳事務所も使いにくい。法の隙間をぬってここまでバレずに数億円? いやもっとかな、一度のイベントで集めるのが2、3千万っていう試算なので億はいってるだろなと思ってるんです。どうです、せっかく任意で来ていただいてるわけです。会計士として津野田さんの指示を受けて動いたあなたとしても、やっぱり頭のキレる人は違うなと実感するでしょう?」

 心から感心する、と感嘆する亜豆を見返す関は、それまでのただ暗いだけの表情を冷ややかなものに変えた。

「……わかってませんよ、刑事さんは何も」

「そうですか? いやまあ当事者じゃないんで、全貌を隅まで知り尽くしてるわけじゃない。ただ既にわかってる金の流れを追うだけでも、これだけの細かい計算や作業や手続き、果ては現地の世情や法律まで関わってくることがわかる。これほど頭が良くてまあ方法はともかく、イベントで集めた金は最終的に慈善団体へ寄付なんだからきっと広く多くの人々を助けたいという」

「……津野田さんは、頭のいい人じゃない」

「意外ですね、そう思われるような場面でもありました? 一連の流れを見ているとどうにも……」

「あいつは、ただのゲーマーあがりの、金を持っただけの、運だけが良い人間ですよ」

「ほう。運だけが良い人間、ですか。だけど運も才能のうちと言うでしょう」

「言いますね、僕なんかもよく言われます」

 関の目が、亜豆と時宗を焦ったように交互に見返す。

「う、運しかない人間に、こんなことができるわけないでしょう! 知識がいるんです、技術も、頭脳だって必要だ! 津野田には、あいつにはそんなものはない!」

 ばん、と机を両掌でたたきながら言った関の顔は紅潮していた。

「だったら」

 組んでいた腕を解いた亜豆が関の、その目の奥に問いかけた。

「あなたならできるんですか?」

 

 08


 タイピングが生き物のように流れ、別のモニターには仮想空間で赤毛が銃撃戦を仕掛けようとしていた。

「くっそ、いくつゲートを仕掛けてるんだよ」 

 ゲーム内のイベント、そこで犯人によって盗まれる課金マネーもまたゲーム上ではデータのひとつ。赤城が追うのは、仕掛けた端末の情報だった。理論的には、どんな痕跡も追跡ができる。ただしそこには国の境界があり、また別のゲートウェイなどを介すことで追跡は阻まれる。

 この事件では既に、警察が可能な限り追跡を試みているが国外のサーバーまで到達したところでロスト、追跡ができなかった。それ以上を求めるには、インターポールを通じて相手国の捜査協力を得るしかないのだが、その返答すら届かない。

 つまり。

 警察が持つ正規のルートでは、もはや追うことができない。

 だから、こうして追うことすら叶わない事件は闇へとまぎれていた。

 ーーーーこれまでは。

『おい、まだ追跡できないのか!』

「うるさいな、こっちだって必死なんだ!」

 敵のグループに、応援が加わったとモニターに表示された。多勢に無勢、さすがに赤毛でも集団を相手に持久戦は無理だろう。

 そんなことはわかってる。

 シャツを肘までクシャリと上げた時だった。赤城のスマホが着信を知らせた。

 腕のウォッチには、樫家の名前がある。

「課長、赤城です! 今テンパってます!」

『そのままで聞け。時宗と亜豆が、ダミアヌジャパンの金の流れを知る関という会計士を取り調べた。まだ取り調べの最中だが、自分が金の偽装工作を担ったことを匂わせている。こいつはいくらでも余罪がある。逮捕状の前にこいつが関わった犯行を把握したい。関が頻繁に連絡した相手、ネット上での動きを並行して捜査しろ』

「ど、同時っすか! えっと、いやー……それは……」

 正直にいって、無理だ。

 指があと十本あっても多分ムリ。

『お前にもできないか、赤城』

 ただ。

「~~~~ッ、できます! やりゃいいんでしょ、やりますって! いいからさっさとそいつの情報を送ってください!」

 不可能だ、と言いたくなかった。半ばやけになりながら、そう返すと通話の向こうで樫家が笑ったような気がした、

『頼むぞ』

 通話が切れた耳には、赤毛が応戦するゲームのバトル音がながれこんできた。先程よりも加速していく赤城の元に、関の情報がとどいた。

「こいつ、やらかしてんなぁ」

 ゲームイベントを追跡する隣の端末から、関のアカウントと接触している他のアカウントとユーザー情報を調べていると、耳に入る銃撃戦がふと止んだ。

「え、勝った?」

 モニターに視線を移すが、WINやMISSION COMPLETEの文字はない。

 代わりに映し出されていたのはーーーー

「……赤毛?」

 被弾して倒れこむ紬の姿だった。


 □


 関の目が、亜豆を見返した。

 ーーーーあなたならできるんですか?

 その問いから数秒が過ぎても、死んだような色の関の瞳には何も浮かばない。

「……技術的には、僕には可能だとお答えします」

「そう、関さん。アメリカに留学して修士をとり、公認会計士資格まで取得した優秀なあなたにならできるでしょう、国外での法人手続きも問題なく。ただし大きな盲点がある」

「へえ」

「あなたには、違法になる可能性のギリギリを攻めてまで面倒な手続きや作業を行うだけのメリットがない。作業量とリスクに対して、得られる利益が少なすぎる。金を集めて慈善団体、結局は津野田のものというわけだ。優秀で頭のいいあなたが、こんな底の浅い犯行を行うわけがない。おそらくこの一連の犯行を描いたのは津野田、税金をのがれたやすく自由になる大金を私物化できるわけだ。だが、そうなるとこの緻密で知識と技術が必要な全ての大仕事を津野田がやったということになる。その点がね、どうにも解せないんですよ」

 言い切った亜豆を見返す関の顔には、大きな変化はない。

 ただじわり、滲むように頬の筋肉がゆっくりとあがっていくのを亜豆と時宗は静かに見ていた。

「刑事さんも人が悪いですね、まるで飲み屋のママだ。そうやって同調して持ち上げて喋らそうってつもりでしょうが。僕は認めませんよ、僕がやったともやらないとも。任意の調べで何もかもわかると思わないでください。そんな簡単じゃないんですよ、仕事っていうのは。ただ……」

「ただ?」

「ひとつだけ、教えてあげましょう」

 次の言葉のあとで、関が笑みを浮かべた。


 □


 倒れ込んだのは、モニターの中。仮想現実のゲーム世界のことだったが、一瞬それは現実のことのように思えた。

「おい、返事しろよ! 赤いの!」

 スピーカー越しにかける声には反応がなく、ゲームでは柚木のライフにカウントダウンが始まっていた。プレイを続けるには、残り20秒で回復するか起き上がる必要がある。

 残り18秒。ゲームのアイテムリストから回復のアイテムを使うが、効果が見られない。作業中の端末から離れられない赤城は、一瞬だけ迷って紬がプレイしている隣室へ足を向けた。

 そこは元マシンルームの別室、サーバーなどが並ぶ部屋だったが以前の事件で必要に迫られ仮想空間で稼働しやすいように改造した部屋だった。

 防音ドアを開くと、モニターで見ていたのとはちがう無機質な灰色の部屋にヘッドギアをつけた紬が横たわっていた。

 駆け寄ったが、外見には異常はない。

「どうしたっつん……」

「端末をちょうだい。このゲームにつながってるやつ」

「はあ?」

「敵側に動きのおかしいキャラがいた。あれが真犯人かもしれない」

 そう言いながら紬は起き上がった。

「真犯人って……津野田がゲームに参加してるってこと? まさか! ……わかった、待ってろ!」

 残り数秒。隣の部屋からラップトップを紬の手になんとか渡した。自身の作業に戻った赤城の視界に、起き上がった紬がゲーム内に見えていた。

 再び銃撃戦がはじまった。そして赤城がデータソースの追跡を続ける視界の隅、モニターの中では紬が敵組織のアジトへと侵入しようとしていた。

 工場跡の奥に、暗い階段がある。銃を構えて慎重に足を進める紬の前に、地下通路が姿を現した。

『出てきな、遊びたいんでしょ』

 どこか楽しげに、紬が言った。


 09


 樫家がその通話を終えたとき、見つめる画面には部屋を出る関がいた。表情から読めるのは、少々の苦情を時宗と亜豆にいっていること、どこか満足げな顔なことだ。

 美しい顔に険しい色をのぞかせて、樫家は画面から目を移すと廊下へとでた。

 自力で帰るので見送りはいらない、と断る関の声がエレベーターへと移動して消えたところで、時宗と亜豆は樫家と顔を合わせた。

「どう読む、あれを」

 開口一番に尋ねる樫家に、時宗は首を傾げた。

「ブラフじゃないですかね。関が盗んだ金についてのお膳立てをしたことは間違いないです。今課長経由でサモアに照会を掛けてますが、実際に口座の開設を行ったのが関かやつに近い人物である証拠が出れば」

「あの男に誰かを信用して任せる余裕が残っているとは思えないがな。まあいい、裏付けが出たら動く。ーー亜豆、お前はどうだ」

「時宗と同じくデマカセだろと言いたいんですが……」

「何か引っかかってるな」

「はい。課長の言うとおり、関にはあとがない。一流の学歴と職歴を持ちながら、真っ当なキャリアを諦め、日陰の世界に身を投じた。両親は認知症を患った数年後に他界、別れた元妻とも娘とも連絡をとっている形跡もありません。住んでいるのは、あのカビ臭い事務所の一部屋。築いた全てを失い、かろうじて残っているのは小っぽけなプライドだけです。自分の優れた頭脳だけが、関という人間を保っている最後の砦だ。嘘をつくという行為は保身にしろ自分の利益のためにする。あそこで嘘をつくことで関が得られる利益がないんです」

 少なくとも、俺には思いつかない。そう言った亜豆に、樫家が浅くうなずく。

「私の感触も亜豆に近い。いずれにしろ、津野田ナサリオから話を聞く時だろう。金の導線を手配したのは関、だがやつの発言も気になる。今、赤城が関とネット上で接点のある人物らを洗い出している。そこからも裏付けができる。すぐに津野田の自宅へ向かえ。今から3分前に自宅のパソコンにログインしたと赤城が確認した」

「了解」

 返事をして足を向けた一瞬、亜豆が振り返った。

「あの新人、まだ潜ってるんですか」

「深海までな」

 頷いて二人はエレベーターに向かった。その背中が扉の向こうに消える中、入ってきた着信に樫家は眉を寄せた。

「出国手続き? 津野田ナサリオに間違いありませんか」

 その言葉に、亜豆が閉じかけた扉を押さえた。

「課長」

「すぐに成田へ向かえ。今はまだ空港で足止めできる正式な令状がない!」

 了解、の返事を残して二人は扉の向こうに消えた。

  

 10


 灯りのない、コンクリートが崩れたところから鉄筋が剥き出した壁、どこから滴り落ちてくるのか澱んだ水滴が床を打つ。靴裏がザリザリと床を擦る感触が妙にリアルで、赤毛の顔に笑みが浮かんだ。

 ビュッ、と風を切る音と破裂音、紬は壁に身を隠したが、相手は会話をする気がないらしいとわかる。

 張り詰める空気の中を、紬は銃を構え直して壁の向こうを見やる。黒いバイザー、暗闇に溶け込むような装備に身を包んだ紬よりも背の高いキャラが闇の中にいた。

 通路にある割れた電球から差し込む、唯一の灯りが全てだった。

『おい、赤毛って!』

 ヘッドセットに、直接コントロール室にいる赤城の声が入ってきて紬は舌打ちをした。それどころじゃない、なんで空気を読まないんだ。

 初見からして苦手なタイプだと思った印象のそのまま、赤城はお構いなしに話しかけてくる。

「なに」

 あまりの煩さに返事をすれば、『お、なんだ聞こえてんじゃん! そいつ、今撃ち合ってるそいつが津野田かもって話だよな?』即答で返ってきた。

 それがどうした。

 頭のうちで返しながら、紬は壁から身を離した。

『それがさ、妙なんだわ。さっき課長が津野田が空港に現れるとかなんとかって言ってきたんだけど、いや確かに自宅でログインしてんだよ』

 お前がキャパオーバーしてミスったんじゃないのか。いいから黙れ。集中させろ。

 コントロール室からの音声を解除したいのだが、紬の側からはできない仕様らしい。

 相手が撃ってきた。当たりはしないが、こちらが撃つ弾も当たった気配がない。

 ドビュッ、破壊音が続いて背後の壁がバラバラと崩れ落ちた。このひとり残った相手がゲームのモブキャラでないことは、対峙した時にわかった。CGのアバターはモブとさほど変わらないが、首を傾げる、音に反応する、その動きが人間だった。

 誰かがこのキャラを動かしている。

「津野田のログインとこいつ、連携してるのか」

『時間的には、可能。このキャラのプレイ中に、津野田の自宅PCにログインしてる。同一人物でもおかしくはないけど、PC操作する間はVRを抜ける必要があるよな。このキャラのログイン履歴をハックしてみる』

 頼む、と言い返そうとした時だった。

 やつの黒影がフッと通路の奥を横切って、追いかけようと駆け出した紬は、カチリと金属音を耳にした。ボン、と爆発が起きた時、紬は咄嗟に通路の反対側に見えていた小さな部屋へと転がりこんだ。

『……』

 リアルのように、耳鳴りがした。音がわからない、視界も定まらない。赤城の声も届かず、ただ近づいてくる黒い影だけが現実だった。ジリリ、と壁に背を押し付けて体を押し上げる紬は、まだぼやける世界で銃を向けた。

「君に会いたかったよ」

 黒い影は唐突に、そう言った。


 11


 亜豆と時宗が車を空港まで飛ばすころ、樫家は津野田の出国についての情報を集めた。本社があるスペインで行われるグループ企業の代表らが集まる年に一度の総会が目的と確認が取れ、実際に他の支社からも代表らがスペインに向かって出発したこと、さらには現地では常宿にしているホテルへの予約も確認がとれた。

「ここまできて、完全に白? んなバカな。関が任意同行されたことを気づいての出国だろ。それに赤城はまだ自宅PCにログインした津野田が、津野田本人か確認できてないのか?」

 樫家からの情報に、落胆をにじませる亜豆の運転は上手い方なのだが荒い。覆面車両はパトライトを光らせながら高速を進み、助手席の時宗は端末を見ながら額を指先で押さえた。

「うーん、まだみたいだね……しかし赤城くん、よっぽど追い詰められてるよ。いつもだったら収集した情報をちゃんとアイウエオかABC順に並べてリストするのにな、まあしょうがないか。こりゃもう追い詰められすぎて喋り倒してるレベルかな。ただこのスペイン行きについては課長から送ってきた予約の控えなんかを見る限り、どこにも不自然な点はないね」

「金の導線を作った関が警察にマークされたこのタイミングで、国外に行くのが自然か?」

「そう、そこだけが……どうした? 猫?」

 時宗が訝しんだのは、通り過ぎた道路を驚愕を浮かべて見つめている亜豆の視線だった。

「いや、ぬいぐるみ、かな」

 落とし物のようだ、と答えながらターミナルに乗りつけた。かけ降りた二人が、出発ロビーへと向かうと、そこには同行する秘書と談笑しながらゆったり歩く津野田の姿があった。

「津野田ナサリオさんですね」

 声をかけたのは、時宗。高価なスーツの背中がゆっくりと振り返る、どの表情も漏らさずに見ていた。

「はい?」

「警察です。少しお話を伺いたいんですが」

 提示した警察手帳と二人を見比べる津野田には、驚きの表情は浮かばなかった。

「なんの話でしょうか。もうすぐ手続きに向かうところなんですが」

「え、まあ手短に」にこやかに細い目をさらに細くした時宗に、津野田は小さくため息を漏らした。「時間に余裕のない非効率なことはしたくないんですよ。できればアポを取っていただきたいんだが」

「あなたが代表を務めるダミアヌジャパンに不正な資金の流れがあるとの情報がありまして」

「その話か。それは以前にも、警視庁からも話を聞きにこられた時に、全て説明しましたし渡せる情報は全てそちらに出しましたけどね。まだ何かあるんですか」

「ええ、伺いたい事がいくつかあるんです。まず、資金の流れについてなんですけれども……」

 時宗が説明を始める中、亜豆はちらりと津野田の横にいる同行者に目を走らせた。

 20台後半の女秘書、上質な服とアクセサリーを身につけた美人だが化粧も服も控えめで、派手さはない。だがーーーー

「だからそれは、もう説明したはずでしょう。いずれにしろ、出発前のこの時間のない時にしっかりとした話なんてできようもない。我々が帰国してから改めたほうがいいんじゃな……」話を切り上げようとする津野田だったが、

「そうですかね、ダミアヌジャパンには、帳簿に乗らない資金力がふんだんにあるようですけど。それ、ショーメのハイジュエリーラインの新作、ざっと200万くらい、じゃなかったかな」

「なっ」

 弾かれたように秘書の首元を見た津野田が、眉を寄せた。

「えっ、これは……」

 秘書が何が言おうとする前に、津野田が割って入った。

「彼女は副業をしているんですよ刑事さん。私としては本業に専念して欲しいところですが、まあ好きでやってることを止めるのもかわいそうでしょう。それじゃあまりに優しくない。ということで、彼女がこちらの業務に差し支えない範囲でという約束でやってもらっています。私が社長ですから、まあ内々ですが公認という形になります。それが何か、法に触れますか?」

 よどみなく津野田がそう言い、では失礼とだけ言い残して秘書を伴って搭乗手続きへと去っていった。

「課長、なにかありませんか。奴は黒ですよ」

 通話の向こうには、会話を聞いていた樫家がいた。

『赤城も探り続けている。他の線も当たっているが、今のところ津野田の身柄を押さえられるだけのものはない』

 そして、無常にもゲートは閉じられた。


 12


『君に会いたかったよ』

 明かりの乏しい地下室で、そいつが言ったのを赤城は確かに聞いた。

 モニターを並べて同時にデータ元の追跡と津野田の接触先の調査を行なうせいで、神経は研ぎ澄まされて鋭敏になり、コードを追う視線が少しの狂いも見逃さない。

 張り詰めた感覚の耳に、確かにそいつの声が聞こえた。

 そのどこか不穏な音に、耳がざわついた。

「……赤毛?」

 ゲーム内を映すモニターには、先程の爆破で生じた煙が引いていく様子と、角のドラム缶が転がっていた。

 壁際まで吹き飛んだ紬は体を起こしながら銃を向け、見下ろすそいつはー体型から男のようだーゆっくりと紬へと近づいていた。

 だが、紬の声は聞こえない。

「……大丈夫か、あいつ」

 男は銃を構えて紬に近づいてゆく。

 紬からの発信はない。声をかけようと口を開いた時だった。

 モニター上に、発信源が特定された。

「課長! このイベントの発信源、特に課金に関係するジョブを特定しました。なんっか海外サーバーだのプロバイダーだの噛ませまくってますけど、びっくりです。国内、甲信越、詳しい住所は今送りました!」

 樫家に通話をかけ、発信源の情報を伝える赤城はモニターから視線を外し、成田から亜豆たちが応援と共に向かうことを聞いた。

 だが……

『新人はどうした。なにか探れたか』

 答えようとモニタを振り向いた赤城は、答えるべき言葉をなくした。

 モニターは、ゲーム内は、闇に包まれていた。

「……おい、なんだよこれ」

 モニターの電源はOnのままだ。状況を理解しようとする頭が、現実に追いつかない。モニターは点いている、と気づいた赤城はスピーカーから呼びかけた。

「赤毛! 返事しろ! なにがあったんだって!」

 爆破の影響か? いやあれは仮想現実の中で起きただけだ、本物の爆破じゃない。

 モニターのケーブル、物理的な問題が起きた可能性は? いやーーーー

『赤城、発信源は住宅だと言ったな。居住者の情報を取り寄せるのに正規のチャンネルは時間がかかりすぎる。引っ張れるか』

「あっ、はい! やります。やるんですけど、課長、あいつ、赤毛がいるゲームの画面が……真っ暗になってるんですけど……」

 嫌な感覚が、頭の中でアラートを鳴らしていた。

 黄色、いやレッドカードだ。

『ゲームは進行中か?』

「た、多分。データ上はログが増え続けているので、ゲーム自体は続行中です。でも、応答がなんにも……」

 短い間があって、樫家が言葉を続けた。

『気になるな、だが今は時間との争いをしている。調査の方を優先しろ』

「え……はい、了解」

 真っ暗なモニターと音もしない隣室に目をやってから、椅子に座り直した。


 □


 警察車両がマンションの手前で停止したのは、午後六時をすぎる頃だった。2台の車両から捜査官が灯りの付いたばかりの部屋を注視する中、静かに遅れてもう一台が到着した。

「すみませんね、ヘリがちと混んでて」

「冗談は顔だけにしてくれ、ったくおたくらに絡むとロクなことがない。んで令状は」

 時宗の細い目が、頷いた。

 まだ日はそう長くない春の夕暮れ。ぼんやりとした色合いが濃さを増すころ、彼らは動き出した。一階のセキュリティーは管理会社から解除させ、静かに目的の部屋へと向かう。エレベーターと階段の二手に分かれ向かった部屋の扉前、一人が振り返った。

「メーター回ってます、いますね」

「よし、行こう」

 呼び鈴2回、返事はない。3回、4回……ようやく中から物音が聞こえた。出てきた男は二十代半ば、もっさりとした髪型はおそらく寝癖のまま、スウェットの上下にメガネ、無精髭の格好で現れた刑事たちをじろりと睨み返すと、ドアを素早い速さで閉じようとした。だが閉じられる前に肩を入れていた先頭の捜査員がすかさず捜査差押令状と逮捕状を提示すると、ドアから半歩下がった。まさかベランダ側から逃げるのでは、とマンション裏に待機する捜査員に連絡をしかけたが、男はそのまま壁に寄りかかった。

「刑事さん」

 やる気のなさそうな男は室内へと足を踏み入れる捜査員たちをよそに、天井を見上げて言った。

「俺? なに、もう話してくれんのかな?」

「話すも何も、なにもできないっしょ、警察は」

 世の中を見下すような嘲笑を浮かべて、薄く開いた瞼の間から男は亜豆を見返した。

「なんで何もできないってわかるのよ」

 さも意外だ、と首を傾げると男は楽しそうに笑った。

「俺はなにもしてない。だから、何も立証できない。俺を逮捕するメリットが、警察にはないんだよ」

 嘲笑う男を見返す亜豆は、一息だけ吐き出すと手錠を手にした。

「谷恭弥、不正アクセス禁止法違反および窃盗罪で午後6時17分逮捕する」

 手錠がはめられた男をドアへと促した亜豆を、クロックスを足に引っ掛けた男がチラリと振り返った。

「死ぬよ、あんたの仲間」

 弓形に細く楽しげに歪んだ目尻に、下卑た笑みを浮かべて谷はそう囁いた。


 13


 谷恭弥、23歳。地元の高校を卒業後は上京して大学に進学するが三年の時に中途退学。その後は地元にもどり逮捕時と同じマンションに一人暮らし、現在の職業は不明ーーーー

 逮捕された男の身上を調べ送信する赤城の耳に、樫家の声が届く。

『資産状況は』

「三井住友、地銀とゆうちょに口座を持っていますが、三井と地銀はほぼ残高がありません。ゆうちょにタニシンヤ名義の口座から毎月20万円の振込、これがやつの収入源と思われます。親、か親族? 今こいつのネットとオンラインゲームでの稼働ログから全アカウントと目立った動きを洗い出してますが、その前に逮捕歴があります。三年前、こいつが20歳のときに大麻所持で挙げられてます。それ以前、高校時代からネット上で売人と思わしき相手とのやりとりがありますけど、今回のイベント部分の構成から谷が作ったとすると、ハッカーレベルのプログラマーなんですよ。でも仮に谷がそうだとすると、わかる範囲の経歴からプログラマーになる要素が見えません。谷自身の携帯やパソコンからの発信は見たところネットゲームを除けばSNSのやり取りくらいで。今、データで送りました」

『ありがとう、届いた。タニシンヤの身元と被疑者との関係、それから谷のオフラインでの交友関係を調べてくれ。津野田との関係がどこかにないか。谷の携帯番号から引っ張れるな』

「了解」

 シューターズヘブンのイベントに関する部分だけを別で管理していたとすると、谷は津野田から依頼を受けてゲームマネーの窃盗ジョブを保守管理していたとも考えられる。

 そう考えると話は繋がるが、だがいくら調べてもSNSや携帯のメッセージログには津野田とつながるものは出ない。それに仕事で行うなら何らかの報酬を得て当然だが、谷の口座にはタニシンヤからの毎月20万円以外の入金が見当たらない。

 行き詰まりかと思われた時、銀行データソースから出たタニシンヤの情報が目に留まった。

「タニシンヤ……谷の父。現在70歳? えらい歳が離れた……あ、養子縁組をしてるのか、それで。えーっと養父は谷真也、養母は谷徳香……しかし70歳になっても引きこもりニートの息子に毎月20万も仕送りし続けるって、甘やかしてるか怖くていいなりか。しかも大麻で逮捕歴。一応こいつの実の親も調べておくか」

 樫家は探れるところまで行って情報を取ってこい、と常から言う。さらに時間が切迫した今は、スピードも大事だと判断して進める。

 同時進行で行う携帯番号からの通信ログの解析には、通話履歴があるがいずれも養父であるタニシンヤ名義の番号のみだった。赤城は養子縁組データベースへのアクセスを試みるが、さらに上の階級からの承認がないとアクセスできない、と表示された。

「……なんで特権が使えないんだよ、こんな時に!……あ、課長! すみません、谷の養子縁組データベースにアクセスしたいんですが」

『許可する。今から送るIDとパスワードで入れ』

「ありがとうございます!」

『なにか出たか?』

「えーっと、はい。通話記録やなんやからタニシンヤはやつの養父、で今のところ津野田との関係は出てないんですが、今もらったIDで養子縁組のデータ……あっ!」

 言いかけたときだった。

 実母、と書かれた当時17歳の少女の名前に紐づかれた、当時16歳少年の名前ーーーー

「津野田ナサリオ! こいつ、津野田が高校んときに当時交際していた少女に産ませた子供です!」


 □


 通話の向こうで、樫家が頷くような気配があった。

『わかった、繋がったな。養子縁組のデータに合わせて谷の幼少期の情報も送ってくれ。それから現在の津野田と谷の連絡状況は』

「それが、谷が頻繁に連絡してんのは養父のタニシンヤくらいで……電話恐怖症なのか、メッセージやLINEのやりとりがほとんどで、津野田名義の携帯番号もそれらしいSNSもやり取りにはありません」

『だがそうなると、谷真也名義の携帯を津野田が所持している可能性は? 毎月20万の仕送りが問題なくできる収入が谷真也にあるのか、それから谷真也の番号から、携帯端末の位置情報と利用履歴を追跡できるか』

「やります!」

『急かすようだが、確認する。津野田の自宅PCへのログインについては何かわかったか』

 別のモニターに視線を移した。

「えーっと、それなんですが、津野田のPCを持ってきて解析しないとはっきりとは言えないんですが、これ遠隔操作された可能性があります」

『遠隔、ハッキング』

「はい。現物を見てないんで確証はありませんが、津野田は海外との取引やスペイン本社とのやりとりを自宅でも行っていた、だったらリモートデスクトップを利用可能な状態にしてたんじゃないですかね。だとすると割と簡単に遠隔でも乗っ取られます」

『わかった。そうなると誰がハッキングを仕掛けたのか。ーー津野田のパソコンを持ってくるには、いずれにせよ差押捜査令状を取る必要があるな。津野田のログインで不正が行われていた履歴は出てないか』

「ないです。確かにゲームへのログイン履歴はあるんですが、怪しいものは特に」

『となると、亜豆たちの事情聴取が頼みになるな。谷の端末を押収した。そちらに今持っていかせている。マルチタスクだが引き続き頼む』

「了解です」

 課長との通話を終えながら、ちら、とモニターに目をやったがそこは真っ暗なままだった。


 14


 取調室はどう明るくしても暗さがにじむ。それが灰色に近くなる壁色のせいなのか、そこに渦巻くさまざまな思惑のせいか。

 谷恭弥は、パイプ椅子に腰掛けて自分の膝に置いた爪先をいじるのみだった。髪は伸ばしているのかとも思ったが、あまり清潔感はない。どちらかと言えばホームレスの方が近い。

「結構、家賃も高いんじゃないの、谷さんのマンション」

 亜豆の言葉に、片眉を歪めたが返事はない。

「さっき見てもらったけど谷さんの差し押さえた端末とかさ、結構いいスペックのものらしいよね。好きなの? パソコンとか、プログラミング?」

 谷は答えずに、親指のささくれを爪の先で弾いて遊んでいる。

「実のお父さんからお小遣いをもらって買って、随分と楽しそうだ、とも思うんだけど。仕事は手伝ってるんだよね? シューターズヘブン、やっぱ面白いよなぁ。人気が出るのがわかるよ」

 笑顔で話しかける亜豆だが、谷は顔をあげない。

 横に時宗もいるのだが、無言の谷にむける細目が険しい。

「いいかな、今回の件について俺の理解はこう。谷さんは、実のお父さんである津野田ナサリオからゲームイベントの課金管理ジョブを不正に津野田の指定する口座へ入金させるものへと変えさせられた。その代わりに現金もしくは暗号資産で報酬を受け取った。課金管理ジョブが稼働するのを保守するのが、君の仕事。だけど情報で俺たちは考えてる。谷さんは主犯である津野田に言われて”仕方なく”やった。君は、養子だ。いつ両親が実の親ではないと知った? 少年の頃? それとも、最近かな。津野田さんは立派な成功者だ。妻に子供二人、都内に豪奢な家を建て慈善団体には多額の寄付をする人格者で、尊敬されるべき人だ。ーーでも、だからこそ君は自分のことを知ったとき、見捨てられた気持ちになった。なぜ、そんな素晴らしい人が、見ず知らずの人々には温かい手を差し伸べる人物がなぜ、なぜ実の息子の自分を捨てたのか」

 谷が亜豆を見返した。暗い目だった。

「……下手くそな同情」

「”お父さんどうして、僕だけを見捨てたの” 君は四年前、SNSにこう書いて削除した。それが君の本音だろう。だけどそんなお父さんが、君の方を振り向いてくれた。しかも仕事を手伝って欲しい、という。谷さん、君はうれしかった。とても嬉しかった。やっと認めてもらえたと思った。それから、君はお父さんの仕事を手伝ってきた。だから」

「だから、罪を認めろって? 言ったよね、俺は何もしていないって。まあ、でも。父さんが主犯、それはそうだね」

 降参、といいたげに谷が両手を挙げた。

「喋ってくれるの」

「だってしつこいよ刑事さん。それに、俺が何もやってないって、証明しないと出られないんでしょここから」

「そのとおり」

 逮捕時に亜豆が抱いた印象とはかけ離れた調子で、そこから谷は驚くほど饒舌に話した。津野田ナサリオの計画は亜豆たち考えたものとほぼ同じく、VRゲームのイベント内でユーザーが知らぬ間に強制的に高額アイテムを購入させ、その課金分を別の口座へ入金させて、マネーロンダリングで最終的に金を手にしていた。

「システム内でイベント関連の部分だけが独立してたのは、ゲームマネー窃盗のため、で合ってるな」

「そう。本社にバレたらアウトだから。これは完全にあの男の私利私欲どこまで貯められるかゲームなわけ。ま、ゲームなんかに夢中になって金取られてるのに気付かない方がおかしいんだけど」

「でも本気になってたら気付かないだろう、そういうこともあるとは思わないか」

「さあ。俺にはわからないね。何もしてないから」

 ニヤリ、と谷が笑みを浮かべて取り調べは続いた。細かい箇所まで全ての質問に答えた谷の事情聴取が終わり、留置場に戻される谷を見送った後で亜豆は時宗を振り返った。

「どう思う」

「よく喋ってくれたよね、本当に」

「しゃべりすぎだ」

 何かがおかしい。

「亜豆君は細かいところが気になる人だよね、見かけによらず」

「大雑把そうで悪かったな。何か気付かなかったか」

 手元にある今作成したばかりの調書に目を落として、もう一度会話を反芻する亜豆に時宗は首をかしげた。

「気になることねぇ、うーん。あるとしたら、あれだ。2回言ったよね同じ言葉を。 ”何もしていない” なんでそう繰り返す必要があるのか。主犯である津野田の罪を認めたら、つまり共犯になるわけだし、何もしてないことにはならないのに、なんでベラベラ喋しゃべりながら2回も」

 時宗の言葉を聞きながら、亜豆の脳裏に逮捕時の光景がよみがえった。

 ーー話すも何も、なにもできないっしょ、警察は

 ーー俺はなにもしてない。だから、何も立証できない

 手錠をかけられながら嘲笑う谷は、そうだ。

 ーー死ぬよ、あんたの仲間

 確かに谷は、誰かが死ぬと言った。だが今現時点で被疑者に対峙しているような捜査員は亜豆と時宗のみ、それも警察の管理下にいる。

 他に被疑者に接触しているものはーーーー

「そういえば新人、あいつ……戻ってきたのか?」

 ふと頭をよぎったのは、赤い頭の新人だった。

「あー。紬ちゃんだっけ。確か課長の指示でVRゲームに潜って情報収集してたはずだけど、もう谷も逮捕されたし主犯の津野田もスペイン行きの飛行機の中でしょ、あとは現地警察と連携して逮捕するのみ。誰もゲーム内に被疑者はいないから危険はないんじゃ」

 ーー俺は何もしていないーー

 ーーおれ、は

「……もし、もう一人の実行犯がいたら」

 ザワザワと血管の内側が波立つような感覚を覚える。

 思わず目を合わせた時宗の目が、大きくなった。取り出した携帯から樫家につなぐ。

『調書は取れたか』

「それどころじゃありません、あの新人はまだゲーム内にいますか」

『ゲームの状況がモニターに映らなくなったと赤城が言っているが、それがどうした』

「課長、今すぐに新人をVRゲームからログアウトさせてください、危険です!」

 ーー死ぬよ、あんたの仲間

 嫌な感覚が、肌の上まで這い出してきた。


 15


 紬が向かい会った男は、一言でいえば不気味だった。白すぎる肌に、黒で統一された服に装備、アバターを作るとき大抵はリアルな自分の理想を盛り込むから美形になるか、悪役に徹した姿になるのだが、このキャラは無味乾燥すぎて個性が見当たらない。

 目鼻はあるのだがデフォルトのままで、のっぺらぼうのようだった。

「ゲーム内でのナンパはご遠慮くださいって書いてなかったっけ?」

 声を張った紬に反応するように、白い男が数メートル先の壁際で動いた。

「ルールを守るタイプではないだろう?」

「破るタイプでもないけどね」

 へえ、と心から感心したように頷いた白い男は、楽しそうな表情を一瞬浮かべて元の無表情に戻った。

 紬がいる部屋は地下通路を進んだ先の、元は倉庫だったらしい暗い部屋だった。ドラム缶や何かの器具が古びたまま転がっているが、部屋自体が既に爆撃と銃撃戦のあとで崩壊寸前の有様だった。

 なんだ、こいつ。

 爆破のあとで親しげに近寄ってきた、と思ったら撃ち合いに突入した。ここのゲームはここまで反政府組織やギャング集団を追いかける形で進んできた。大勢をプレイヤーが襲撃する形が多いのに、このキャラはなぜか追いかけてくる。

 追われる身となった紬は、応戦しながら相手の反応を見ていた。何度かヒットしたとき、この男は嬉しそうに声をあげていた。

 まるで獲物を捕らえた野生動物のように。

 チャッ、と男が聞こえた。白い男が、再び撃ってくる。

「やられっぱなしじゃ面白くない」

 銃を構えた紬が、柱の影から姿を表した。

 銃撃戦が再び、始まった。


 □


 ドンドン、と扉をたたく音がコントロールルームに響いていた。

 インカムをつけたままの赤城が扉を開けようと試みているのだが、中から鍵をかけたらしくびくともしない。

「おい、赤毛! なんでロックかけるんだって!」

 連絡を受けてすぐにドアへ向かい呼びかけたが、全く反応がない。内側からカメラをオフにしたのか、コントロルルームの安全策として設置された緊急時用のカメラもオフラインになっていた。

 ゲーム内にもう一人、共犯者いると樫家から連絡を受けた。そのせいで紬が危険な状態にあるかもしれない、とも。

『聞こえるか、赤城。今すぐにパネルからロック解除してコントロールルームを開放しろ、亜豆の勘が当たっているとしたら、ゲーム内にアクセスしているもう一人の共犯者こそがゲームマネー窃盗の実行犯だ、上級ハッカーなことは間違いないが、』

「わかってます! ロック解除したいんですけど、上級職の承認が必要って出るんです! しかもこれ虹彩認証ですよ、課長今どこにいるんですか!」

『都内だ、急いでも二時間はかかる。アナログだが、災害発生時用の緊急ロックがある。これを解除すれば開くはずだ』

 赤城の苛立ちと焦りはピークだったが、樫家に言い返しても仕方ない。緊急ロックの解除方法を聞きながら、扉の横に膝をついた。白い壁の一部に、突起がある。押すと普段は目立たず存在すら知らなかったレバーが飛び出し、赤城はすぐに回し始めた。

 だが手が腕が痛いくらいに回すのに、扉はびくともしない。

「課長! どんだけ回すんですかこれ! この、なんかレバーみたいなやつ!」

『一定数回すと、内側のロックシステムが解除される仕組みだが……』

「わっかりました、とにかく回します!」

 答えながらちら、と見たモニターの表示は、刻々と過ぎる時間を知らせていた。


 □


 ドォン、と轟音が響いて、再び自分のライフが減ったのに気づいた。この白い男は何がしたいのか、さっぱりわからない。

 出現した状況から、最初はゲームキャラの一人かと思ったが、他のキャラとは全く連想しない。となると、生身の人間が動かしているのだろうが、だとしたら目的はなんだ。なぜ、標的を定めたように狙ってきた。

 そしてなぜ、

「なんでとどめを刺さない……? こんなジワジワ削るようなやり方しなくても、今のであと少しずらしていたら残り少ない私のライフなんて消えてた」

 立ち上がりながら言えば、煙の向こうにいた白い男が大袈裟なくらいに首を傾げた。

「どうして? どうして終わらせなきゃいけない? 僕は君と会いたかったんだよ、本当に。せっかく会えたのに、会える時間を短くするのはイヤだから」

「は、物好きな、私のストーカー?」

「ストーキングしているつもりはないよ。失礼だな、追跡だよこれは」

「……追跡ね。ま、いい。じゃ質問を変える。なんで私に会いたかった?」

「質問が多いね、とても。僕から聞きたいことがたくさんあるのに」

「だったら、どうぞ。答えられることなら答えてあげるかもしれない」

「ifが多いよとても。不確定な話し方だ、少し僕が思っていた君とは違う」

「あ、じゃあ人違いじゃない? あんまり私に会いたい人っていないはずだし」

「ううん、やっぱり君だ。君なんだよ、君じゃなきゃ。実際に会ってみたら少し想像と違っていることはよくあることだし、それは僕も想定していたことだから」

 白い男が優しげにニッコリと微笑んだ。だがその数秒後、この男は無表情に戻った。

 妙な男だ。

 だがなぜだろう。

 この男と話すのは、いやじゃない。

「で、質問はなに。この調子で撃ち合ってたらそろそろゲームオーバーなんだけど。それとも名刺交換したいの? 私キライだから持ってないけど」

「ああ、うん。そうだね。僕も名刺には意味を見出せない。今は一番聞きたい質問をしなければいけないね」

 白い男は、微かに笑みを浮かべて丁寧に言葉を並べた。

「君は、          」

 破壊音の響きが、その瞬間を奪った。


 16

 

 回すほどに重くなるレバーは、何十回、何百回と回してもなんの反応もないまま時間だけがすぎた。

「……なんなんだよ、これ……!」

 堅牢な造りの建物に、さらに防音や防弾の処理をしたせいか、壁も厚くドアも重い部屋だがそれがこの状況では裏目に出てしまった。赤城が懸命にレバーを回しながら中からの反応を伺っているが、何も聞こえず焦りだけが高まっていた。

 いくらリアルな作りとはいえ、所詮は仮想現実のゲームだ。

 ヘッドギアさえ外して仕舞えば、ヴァーチャルな世界は消え失せる。

 そんなことは知っている。

 だが、赤城の頭をよぎるのは以前遭遇した事件、その苦い記憶だった。

 ーー捜査員を発見しました! 外傷は見当たりません! ただ……

 記憶の底から、痛みすら感じるあの日の瞬間がよみがえる。

 項垂れ椅子にかけた後ろ姿、細い首、見慣れた背中がそこにいた。

 けれどーーーー

「待ってろよ、絶対に助けるからな!」

 回すレバーは次第に回すのすら難しいほどに重みを増し、堪えきれなくなった頃に手応えがあった。ギギ、と扉がゆっくりと開きかけたが、わずか3センチほど開いたところで、レバーが回らなくなった。

「な、んで、動かないんだっ」

『赤城、どうした』

「課長、レバーが何かに干渉を受けて止まりました、調べたいんですけど、手を離すとこいつ、ジリジリ戻るんですよ……!」

 レバーの機構に不具合が生じた、調べればいいのだが手を離すとドアが戻ってしまう。八方塞がりだった。

 ーー外傷は見つかりません! ただ……、意識が……!

 苦しい記憶が、むくりと頭をもたげてくる。

 なんとか扉を開けなければーーーー

「頭をふせろ、赤城!」

 勢いよく開いた背後のドアと声に、赤城は振り返ると銃を手にした亜豆が駆け込んできていた。

「亜豆さ、何するつ……」

 言いかけた言葉は、亜豆が続けざまに撃った銃声にかき消えた。レバーを手放さまいと掴んだ格好の赤城が響く破裂音の中から体を起こせば、わずかしか空いていなかったドアが、ゆっくりと開くのが見えた。

「赤毛!」

 扉を開いて、赤城と亜豆が駆け込んだコントロールルームには、紬が立ち尽くしていた。

 ガンコントローラーも持たず、ヘッドギアをつけたままの紬は力なくそこにた。

「紬、大丈夫か。返事はできるか」

 亜豆の問いかけにも、反応しない。赤城の顔が苦悶を浮かべながら、紬がゲーム中に落としたらしい端末を床から拾い上げた。ゲームオーバーと表示されたそこから、紬のIDをログアウトさせた。

「赤毛、おい、返事しろよ」

 返事のない紬の、ヘッドギアに手をかけた。ゆっくりと外すと目を見開いたままの紬が現れ、赤城はその顔を見て苦しげに目を瞑った。

「新人、俺たちが見えるか」

 至近距離からそう亜豆が尋ねたとき、ようやくゆっくりと紬の瞼が瞬きをした。

「大丈夫、私はそう簡単にハックされない」

 紬はそう、答えた。

 もうそこにはないはずの、暗い部屋を見つめながら。


 □


 BCN、バルセロナ国際空港ーーーー

 到着ロビーは、先ほどゲートを通過してきたばかりの人々で賑わっていた。多民族がそれぞれの目的のために訪れる空港では、カートに荷物を積み込む旅行客、子供を宥める親子の姿、またゆったりと旅の計画を話し合う老夫婦の姿もある。この先の旅行、仕事や久しぶりの再会を語らう楽しげな顔には長旅の疲れも入り混じっていた。

 その中を長身の男性と、彼に寄り添うように歩く女性がいる。

「車の到着が5分遅れるらしい」

「めずらしいですね」

「いつものドライバーが怪我をしたとかで、新しいドライバーになったというが。だめだな、質が落ちてるよ。どう、少し時間があるならホテルに行く前にバールでもいいが」

「お好きなように。お任せします」

 にっこりと淑やかに微笑む女性は、控えめながら美しい。

「そうだな、この間本社のやつが言っていた……」

 最近流行りの店、その店名を語られる前に、男の顔は曇った。彼女の頭越しに向けた視線の先には、黒っぽい服に身を包んだ男がこちらへ向かっていていた。

「ミスター津野田。日本の警察から国際警察経由で逮捕状が執行されています。なんのことかわかりますね。せっかく到着したところ申し訳ないが、このまま日本に強制退去してもらいますよ」

「なっ、なんだって……!」

 令状を掲げた男たちは、津野田の両脇から抱えるようにして拘束した。ひとり残される女性を、津野田がすがるような目で振り返ったが、もうひとりの捜査員が女性の方へと近づいた。

「本橋由香さん、ですね。ダミアヌジャパンCEO津野田ナサリオの専属秘書をしている」

「え、はい」

 本橋は笑顔を薄く浮かべてやり過ごそうと足を出口へと向けかけたが、捜査員がその手首をつかんだ。

「あなたの本国から通信が入っています」

「え?」

 捜査員はタブレットを取り出して開いた。

『昨日は空港でどうも。日本の警察の、時宗です。あなたに逮捕状がでています』

「………」

 本橋は、わずかに頬を引き攣らせた。

『さすがです、慌てる素振りもありませんね。単刀直入に申し上げると、ゲームのイベント課金を不正に流用することを思いついた津野田は、あなたを利用した。関や谷恭弥、つまり津野田の息子をうまく踊らせて盗んだ売上を見事に私物化した。最初はわからなかったー、このからくりが。だけどヒントを掴んだら解くことができました。少なくとも、過去3年間に渡ってあなた方は同じ手口で経由する銀行とネットワークを変更しながら概算で10億の金を盗んだ。ここまでは、津野田さんもご存知のとおり、さらに言えば主犯なわけですがーーーー問題は、その中身』

 時宗の目が、さらに細くなる。

『津野田は犯行の青写真を描いただけで、実態はあなたに丸投げだった。よくある”妻と別れて結婚する”絵に描いた餅な約束でもされましたかね、だが一向に約束は満たされない。どころか、津野田の妻は第三子を妊娠中だ。あなたは実質の犯行を一手に握っていた、津野田は内容を確認することもしない。あなたは最初それを無垢な愛ゆえだと信じていた、でもそれは、ただの都合のいい甘えだと気づいた。そんなところでしょうか? だから津野田を裏切った。入金されるべき一部の金を別の口座へと流しはじめた。全ては、関慎二と谷恭弥の発言からわかったことです。あなた自身がそうであるように、他人の心はわかりませんねぇ。本橋由香さん、もう逃げられませんよ』

「……おい! どういうことだ! 由香!」

 津野田はいきりたつが、本橋は目も合わせない。

『おおっと、津野田さんまだそこにいたんですねぇ、さぞびっくりしたことでしょう。これから津野田さんと一緒に帰国してもらいますが、どんな旅路になるでしょうね』

 あとで伺いたいものです。

 そう笑顔で時宗は通信を切り、本橋は天井を仰いだ。


 17


 煉瓦造りの外壁には、そろそろ蔦が絡まりはじめる。冬の終わりから春へと向かういつもの変化に、赤城はほっと息をついた。空が薄い青を広げていて、この時期特有の冷たい風が吹いている。気が付かない間に鳥たちの羽ばたきか虫たちの目覚めか、館を囲む森には多くの音が生まれていた。

 屋内へ入ると外の明るさとの差に一瞬だけ目が眩む。階段をあがりいつものデスクが並ぶ部屋へと行きかけて、反対のテラスへと足を向けた。

 喫煙者しか来ない、南側のテラスにはアンティーク風のガーデンチェアが並ぶ。赤城は手すりにもたれて、目の前の木々とその向こうに小さく見える街へと視線を向けた。

「暗いじゃん」

「おわっ! 亜豆さん! いたんですか!」

 突然かけられた声に振り返れば、チェアには亜豆の姿があった。まだ日のついないタバコを咥えている。

「いたよ、このオーラばっちりなイケメンにも気づかないほどボケーっとしてどうしたの」

「自分で言うか。タバコの匂いがしないから気づかなかっただけですけど。ま、いいです。元気そうですね、亜豆さんは」

「あーま、普通。天気はいいしそろそろあったかくなるし、とりあえず出動要請がないし今日の俺デスクはここでいいかなぁ。で、どうした」

 咥えていたタバコに火をつけながら、亜豆が立ち上がった。

「……いや、大したことじゃないんすけど。あいつ、なんなんですか」

「あいつ?」

「赤いのです」

「あー、紬か」

 はあ、とため息を吐き出して赤城が続けた。

「あの後、赤毛が追跡したログを見たんです。ゲーム上に参加していた第三者が本橋由香だっていう亜豆さんの推理の裏付けを探して。確かにログインIDは本橋で間違いありませんでした。でも、あの時プレイしてたのは別人です」

「まあ、本橋は飛行機に乗ってたし、持ってた端末からもログインした履歴はなかった」

「そうです。本橋のアカウントをハックした誰かがいたとしか説明がつかないんです。でも、あの絶妙なタイミングで? おかしくないですか、そんな都合が良すぎます。それにもっと妙なのはアクセス元を追跡しても、何もでていない。どこからもアクセスしたデータがないんです」

「それって、なに。透明人間的な話?」

「多分、それに近いです。もしくはもっと高度な技術をつかって全ての履歴をあの短時間で全て消し去った……とか考えてると、もう頭が重いんですよ。なにより嫌なのは、あのレベルでバトルしながら追跡を続行してた赤毛ですよ。新人に遅れをとったんですよ、なんかもう、事件は解決したってのに、まだまだ上があるって」

 組んだ腕と頭を手すりにもたれる赤城の隣でタバコをふかす亜豆が吐き出した白煙が、ふわりと風に流れた。

「諦めない奴には、勝てない。昔の野球選手の言葉だったっけ。まだ磨ける目指せる場所があるうちは、あきらめんな。ってこと。お前はお前でよくやってるよ、ほんと」

 ちら、と顔をあげた赤城が亜豆を横目で見た。

「その野球選手、誰だか覚えてます?」

「俺に聞かないで」

「いいかげんだなぁもう」

 ぷかりと煙の輪が浮かんで、風に消えていった。

 

 □


 内装の一部が煉瓦そのまま剥き出しの部屋、部屋の中央には大仰な造りの古いデスクが鎮座していた。全てが重厚な木材で作られたデスクとチェアは、磨かれ美しく輝いている。

「なんですか、話って」

 呼び出された紬は、代わり映えない黒い服に身を包んでいた。樫家は肘掛けにゆったりと置いた手をどうぞ、と向かい合う椅子に勧めたが紬は片手でそれを辞した。

「いくつか今回の事件のことで質問がある。コントロール室のロックだが、なぜ内側からかけた? 更に通信もブロックしたな?」

「赤城がうるさかったからです。あんなに話しかけられちゃ、集中できない」

「そう、か。なるほどね。では本橋由香のIDを使っていた正体不明のハッカーと思わしき白い男が報告書にあったが、本当に追跡は途中でロストしたのか?」

「……報告書のとおりです。ゲームオーバーになる直前に捉えた、でもイベント終了と同時にロストした」

「そしてその男が会いたかった、と言った。これは赤城の報告書にあったが、その他にどんな会話があった?」

「さあ。覚えてません」

 樫家はアイラインの美しい目で紬を見つめて、ふっと笑みを浮かべた。

「そう、か。なるほどね。どう、うちのチームは」

「くさいです。人間くさい。苦手です、正直」

「留置場より?」

「脅しですか、心配いりませんよ。指示は守りますから」

 彩られた赤い口紅も艶やかに、樫家は微笑んだ。

「ただの確認よ。あなたが自分の立場をわかっていることのね、紬リウ」

 ーー紬リウ、逮捕だ

「ご心配なく」

 冷たい手錠の感覚が、紬の手首に蘇った。


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