Ⅳ、新たな縁

 シルヴェスターたちがクランカスラーン魔法学校に入学してから三回目の夏季休暇、お泊り会にはいつもの五人に新しくラルフが加わった。学校の最終日に分かれてから時間が経ち、今日から一週間泊まりに来る予定となっている。薬草たちの世話のために一日の始まりが早いシルヴェスターは、そわそわとしながら空き部屋を急遽整えてつくった客室の様子を確認したり、何となく蛇になって薬草畑を見回ってみたりしている。その様子を見ていた彼の祖母がくすくすと笑った。


「少し落ち着いたら?ほら、いつものカモミールティー淹れたわよ」

「あ、ああ…ありがとう」

「あの子たちはいつ来るのかしら、ひとり会ったことが無い子がいるわね?」

「あーラルフのことか…皆昼食を持ってお昼に来るそうだ」

「あらそうなの?お昼にグラタン作ろうかと思っていたけれど、それならいらないかしら」

「いや、何だかんだ皆食べると思う」


祖母に言われて大人しくテーブルに着いたシルヴェスターは、ガラス製のティーカップを一度持ち上げたが、すぐソーサーに下ろして少し先にある窓を眺めた。今は11時。きっとそんなにしないうちに来るだろうと思った矢先に、来訪を告げるベルが鳴った。慌てて立ち上がり、玄関へと駆け寄ってすぐに扉を開いた。溢れんばかりの夏の陽光を背に五人が勢揃いしているのを見て、彼は思わず口許を緩める。


「いらっしゃい」

「やあスライ。素敵な家だな、手前の畑は全て薬草なのか」

「ああ、よく分かったな」

「久しぶりねスライ!元気にしてた?」

「ね、スライ何だか背が伸びた?」

「さあ…そうかもしれない、ほら入れ」


ドミニクの言葉に続けてアスターとリリアも矢継ぎ早に話を振り始め、これは放っておくと長くなりそうだと踏んだシルヴェスターは玄関の扉を大きく開けた。入りやすいよう一歩引いた彼に促されるままに、五人は家の中へ入る。後ろの方で大人しくしていたシャーリーとラルフもそれぞれシルヴェスターに言葉を投げ掛け、彼も律儀にそれに返した。あかりが点いておらず薄暗い廊下の先へ、シルヴェスターを先頭に、子どもたちは静かに歩いていく。明るい様子でありながら、どこか畏怖の念を駆られるような雰囲気に、来訪者の五人は気圧けおされたようだ。

 開け放たれたリビングへの扉をくぐり抜ければ、ガラス窓の多い広い部屋に入る。今日は天気が良いため陽光がさんさんと降り注ぎ、明かりの類は何も点けていないと言うのにとても明るい。そこかしこの天井から下げられた薬草の束が吹き抜ける風に揺れ、さわさわと静かな音を立てる。その音や少し苦いような草の香りはさながら、部屋にいるのに草原が広がっている様だった。シルヴェスターの家に来訪するのが完全に初めてなドミニク、シャーリー、ラルフの三人は物珍しそうに天井辺りを見上げている。エドワーズ姉妹は遥か前に来たことがある時と変わらない、と楽しそうに薬草の束をつついて揺らす。そんな彼らに優しそうな声がかかり、五人ははっとしてその方向を向いた。


「あ、こんにちは!」

「こんにちは、キャロルさん」

「こんにちは、アスターとリリアは久しぶりね。他の子たちは初めてだわ」

「ああ…皆、こちら僕の祖母だ」

「初めまして、魔法使いの卵たち。私はカロライン・グリフィス。リリアみたいに、どうぞ気軽にキャロルと呼んで頂戴」


そう名乗った彼女に、少し緊張した子供たちの挨拶が返された。エドワーズ姉妹は跳ねるように彼女に近付き、挨拶のハグを交わした。よかったら自己紹介を、と言ったカロラインに応え、はじめにドミニクが一歩歩み出た。こういった場に良く慣れている彼は優雅に胸に手を当てて頭を下げる。


「初めましてスライのおばあ様、それでは遠慮なくキャロルさんと呼ばせていただきますね。僕はドミニク・モーガン、皆にはドムとよく呼ばれています」

「ああ、あなたがモーガンのお坊ちゃんね。お母さまはお元気かしら?」

「はい、お陰様で一日に一回の散歩を何事もなく過ごせています」

「それはよかったわ、ご両親によろしくね」

「ええ、ありがとうございます」


貴族然とした立ち振る舞いにカロラインは納得した様に頷き、彼女の顧客であるモーガン夫妻を気に掛けた。それに対し少しはにかみながら答えたドミニクの表情は、大人びた様子が鳴りを潜めて年齢相応に見えた。またその表情にもカロラインは満足そうに頷く。続いて一歩出たのは、ドミニクに肩を叩かれたラルフだった。


「は、初めまして…ラルフ、る、いす、です…」

「ああ、ルイス家の子ね?スライからおおよそ話は聞いてるわ。此処では安心して過ごしていいのよ、ゆっくりしていって頂戴ね」

「あ、ありがとうございます…!」


非常に緊張した面持ちのラルフの挨拶に、カロラインは柔らかく答えてやった。パッと明るい笑顔になったラルフは、首が千切れんばかりに頷いた。最後に、シャーリーが視線に促されるまま一歩カロラインに近付いた。


「ごきげんよう、シャーリー・ナイトレイと申します」

「あなたがシャーリーね。変身術が得意と聞いてるわ、あのティターニア寮に二百年ぶりに入寮生が入ったって聞いたけど、一人じゃなくてよかったわね。うちの子とも仲良くしてくれて嬉しいわ」

「恐れ入ります…」


とても優雅に挨拶をしたシャーリーに、カロラインは感心したとばかりに大きく頷きながら返した。


「ああ!そういえばキャロルさん、二年生になる時に頂いたお守りのブレスレット、ありがとうございます」

「そうだったわ!今も皆着けてるわよね」

「あるー!とっても綺麗で、大切にしてるよ」


そう言ったドミニクに反応するように、以前ブレスレットを貰っていたドミニク、アスター、リリア、そしてシャーリーはそれぞれの手首を見せるように差し出した。それぞれの髪色に準えた紐と瞳の色に準えた宝石で作られたブレスレットは、気付けば貰ったのは二年前だった。持っていないラルフはそれを羨望の眼差しで見つめている。それを、カロラインは見逃さなかった。


「貴方にはまだ作ってなかったわね、リー。よかったら作らせてもらえるかしら?」

「そんな作らせてほしいだなんて…!むしろありがとうございます、光栄です!」

「よかったわ!ちょうど貴方の髪色の紐も貴方の宝石もあるの、帰る頃には出来上がるわ」

「お願いします!」


有頂天になってはしゃぐラルフに、お揃いが増えることがうれしい双子が一緒になって喜んだ。他の三人もその様子を楽しそうに見守り、それを見ていたカロラインは素敵なご友人たちね、とシルヴェスターに囁いた。




 お昼時、六人の子供たちは外で昼食を取ることにした様で、それぞれランチを入れたバスケット、冷たいレモンティーを入れた水筒、座るための大きな布などをもって出て来ていた。グリフィス邸近くで丁度良さそうな原っぱを見つけ、そこに布を広げればあっという間にご飯を食べる準備が出来る。思い思いに座った彼らはサンドイッチや果物を食べながらお喋りに興じた。


「皆、アレ、持ってきた?」

「ああ、ちゃんと開封は我慢してきた」

「いよいよ結果発表ね…!ドキドキするわ」


昼食もそこそこに、六人は皆揃いの封筒を取り出した。真っ白な封筒に『クランカスラーン魔法学校』と青い煌めくインクで書かれており、開封部分には校章が浮かび上がる青緑の封蝋が施されている。それぞれの手元へ約一週間ほど前に届いたこれは、三年生が受けた学年末試験の結果を知らせるものだった。一年と二年の時も成績表が同様に届いたが、これは各生徒に向けて学力による得意分野などの傾向分析が載った特別仕様だ。全員が目配せをし、一斉に封を切った。中から綺麗に畳まれた紙を取り出し、期待に満ちた目で、あるいは緊張して震える視線でその中を見た。


「…やった、呪文学と変身術と飛行術、三つも最高評価だ!」

「あらお揃いね!私は天文学と魔法薬学とラテン語だったわ」


はじめに飛び上がったのはアスターだ。彼女らしい教科のラインナップに当人も満足している様で、くるくると回りながら魔法で花を溢している。リリアも同様に彼女らしい教科で、彼女もまたその結果に満足していた。一頻り踊ったアスターはすぐに五人の座っている傍にすとんと腰を下ろし、わくわくしながら他のメンバーの結果を聞いた。それにすぐ答えたのはラルフだ。


「僕最高評価二つだ、思ってたよりもずっといいよ、よかった!あー…でも天文学は落第だ…勉強したのになあ」

「仕方ないよ、先生も言ってたじゃん向き不向きを見るテストだって。天文学は特にセンスいる科目だしね、あたしも魔法薬学ギリギリで微妙って評価されてるもん」


しかし落第の教科があった事によるダメージが大きいようでしょぼくれた彼に、アスターがフォローを入れた。アスターはそもそも座学の教科が苦手な傾向にあり、魔法薬学ほどでないにしろ他の座学教科もあまり芳しい結果ではない。その紙を半ば強引に見せられたラルフは少しだけだが、自分だけじゃないと元気を取り戻したようだ。


「僕は落第なしだな、最高評価も五個だ」

「うわすごいなあ…流石ドムだね」


ドミニクは全ての科目が平均以上だった様で、落とした科目が無いことに胸を張っていた。しかし素直に褒めるアスターのキラキラとした視線を受け、視線が彷徨い始める。逃げ道として、ドミニクはシルヴェスターの方を向いた。


「あー…スライはどうだった?」

「魔法薬学と薬草学と呪文学、あと天文学だから、僕は四つだ」

「流石というかなんというか、気を悪くさせたらすまないがやっぱりグリフィスなんだな」

「別に、自分でもやっぱりって感じだ …はは、魔法薬学と薬草学は教科ごとに見れば一位だ」

「それはそれは…ああ、僕はどっちも二位だな、負けた」


シルヴェスターの結果はそれなりに良好だった様で、彼は胸を撫で下ろしながらそう言った。負けたと言ったドミニクは、それでも落ち込むことなく笑いながら友人の好成績を褒めたたえた。


「ただ一個だけ、魔法生物学は落としたな…どうもアレは苦手だ」

「動物が苦手なの?」

「いや、それだったら皆の変身術後の姿に近付かないだろう。魔法生物についても、別に苦手意識は無いつもりなんだが…」

「まあそういう事もあるよね」


うんうん、と頷くアスターは覚えがある様で、その表情はとても真剣だ。分かってくれる仲間がいた事で少しほっとしたのか、シルヴェスターは気を取り直してまだ結果発表をしていないシャーリーに顔を向けた。


「シャーリーは?」

「…六個」

「えっ六個!?最高評価が!?」


驚いて大声を出すアスターにこっくりと頷いたシャーリーは、それが賞賛の意味を含む事を汲み取って少し赤くながらはにかんだ。すごいすごい、とはしゃぐアスターの隣で、リリアも尊敬したようにきらきらとした目を向けた。男子三人も反応はそれぞれながら、驚きと共に褒め讃える言葉を投げかけた。


「私達のなかで一番ね!何が最高評価だったの?」

「えっと…飛行術、呪文学、魔法生物学、魔法薬学、魔法史、変身術」

「魔法史入ってるのすごいな」


ドミニクが感心したように言う。魔法史はどの生徒も苦手意識だったりつまらない教科という評価をしていたりと、あまりいい成績が出ない教科で有名だ。覚えるだけでいいとは言えども、その範囲はとてつもなく広い。魔法使いや魔術師が現れたのは千年以上も前であり、その間に起きた出来事や出来ていった魔法等を纏めればとんでもない分厚さの教科書が出来上がる。学年ごとに範囲が分けられているとはいえ、事細かに習うため範囲は膨大であるのもまた難しい教科な点である。


「あぁ、でも一個だけ全然出来なかった」

「何々?」

「国際魔法学」

「ああ…あれはしょうがない」

「あれは僕もてこずった」

「むしろ投げ出してた」

「ダメじゃないか」


シャーリーが肩を落として挙げた教科は国際魔法学で、この教科では外国で扱われる独自の魔法なんかを取り扱っている。国の違いによる魔法の発動条件などは大きく変わり、それなりに適性が求められるものでは全く出来ないという生徒も珍しくない。よって、成績の度合は二分化するのがこの教科の特徴だ。ああだこうだと教科ごとの評価について話していた彼らは、様々な表情を見せながら試験を振り返った。


「…っていうか、ドム総合評価学年一位じゃん」

「あっこら、勝手に見るな」

「もう見ちゃったもーん」

「ここに四位がいることを報告するよ」

「ちょっと、リー…!」

「あら、それならここに五位もいるわよ」

「…リリア」


ひょい、と勝手に隣に座っていたドミニクの成績表を覗き込んだアスターは、その優良すぎる成績に思わず見たまま言葉にした。それに続いてラルフがシャーリーの、リリアがシルヴェスターの順位も発表した。勝手に発表された三人は誉め言葉に照れるやら恥ずかしいやらでもごもごと口ごもった。ちなみにアスターとリリアも学年の上位に食い込んでおり、ラルフも上位半数のうちには入っている。


「見えるように持ってるのが悪いわね!じゃあ二位と三位は誰かしら」

「どうせあの二人だろう」

「…嫌なのを思い出したわ」


出てきた候補にリリアが行儀悪く、べ、と舌を出して嫌そうに顔を顰めた。未だ彼らの中で少し前に起きた事件は不快なこととして根深く残っており、次々に他の五人も表情を曇らせたり空を仰いだりと意識を飛ばした。しかしそのままでいる訳にもいかない、と元気よくアスターが挙手した。突然の元気な声に、あっという間に他のメンバーの意識が戻ってくる。


「はいっ、学年上位取った記念でさ、パーティーしない?」

「いつものお茶会を豪華にする感じかしらね」

「いいね、お菓子たくさん作ろうか!僕も手伝うし」

「えーありがとう~」


そして瞬く間に元気を取り戻したアスター、リリア、ラルフの三人はきゃいきゃいとはしゃぎながらパーティーの企画を練っていく。それがあまりにも勢いがあり、また楽しそうで、取り残された三人はそっと身を寄せ合ってその様子を眺めることにした。


「…楽しそうだな、当人たちを置いて。というかここ僕の家だが、自由だな」

「あいつ等らしい」

「まあ、楽しそうだからいいんじゃない」

「それはそうだな」

「同感だ」


こくり、と互いに顔を合わせて頷く。お菓子作りが好きなアスター、お茶会が好きなアスター、甘いものが好きなラルフと揃えば、いとも簡単にお茶会の内容は豪華になっていく。遂にテーブル周りの装飾についても考え始めた三人をいい加減なだめようかとストッパー係のシルヴェスターたちが動きかけた時、近寄る足音が聞こえてきた。顔を上げればカロラインがすぐそばまでやってきていた。その手には薬草を摘むときに使うかごがあり、どうやら薬草の収穫に出て来ていたらしい。


「あら、成績が出たの?」

「あっキャロルさん!」

「ええ、今ちょうど皆で見てたところなんです」


そう言いながら隙間を開けて座るよう促す子供たちに、にこにことしながら彼女は輪に加わった。自分で持って来ていたらしい冷たいハーブティーを啜りながら、楽しそうに話すアスターたちにたずねた。


「そう!その様子だと皆悪くないようね?」

「聞いてキャロルさん、なんとドムが総合で学年一位取ったのよ!シャーリーも四位でスライも五位なの」

「そうなの!素晴らしいわ、何かお祝いしなきゃねえ、お夕飯を豪華にしちゃおうかしら」

「きゃー!」


カロラインの提案に、エドワーズ姉妹が両手を挙げて喜んだ。その反応から、彼女の手料理はとても美味しいらしいと察した初来訪組も徐々に顔が綻び、良く知っているシルヴェスターもあまり出てこない豪華な夕食と言う言葉に目を輝かせた。




 その日の夜はカロラインの言葉通りとても豪華な夕食だった。とろりと煮込まれたビーフシチューとスライスしこんがり焼かれたパン、野菜のうま味が良く出た熱々のスープにフレッシュなサラダ、そしてデザートには庭の柑橘が閉じ込められた透き通ったゼリー。一口食べた時点でその美味しさに感動した子供たちは、味わいながらもペロリと全て平らげた。あまりの良い食べっぷりに感動したカロラインが、育ち盛りにおまけ、とミントで作った小さくて爽やかなゼリーを出していた位である。その後はそれぞれが当てられた部屋でごろごろとしながら、あっという間に就寝となった。

 そして翌朝の六時、いつもハーブの世話を一部任されているシルヴェスターは一番にベッドを抜け出した。自分の部屋で寝ているドミニクとラルフを起こさないように気を付けながら着替え、忍び足で外へやってきて漸く体をぐっと伸ばした。夏も終盤に差し掛かり朝日が昇ってくる頃の時間帯で、遠くには微かにもやが見える。さて、と一息ついた彼は早速じょうろに水を入れ、ハーブ畑を見回りながら水を掛けてやった。この時期は雨がほとんど降らないこの地域では、水やりをさぼればあっという間に枯れてしまう。ゆえに丁寧な世話が必要だった。

 もうすぐ半分を見終えるだろうかと言う頃、家の玄関が開く音に彼は振り返った。出てきたのはカロラインで、互いにおはようと言って隣に並ぶ。彼女は朝に摘まねばならないハーブを取りに来たようで、昨日と同様、かごを持って来ていた。暫く無言で作業をしていた二人だったが、その沈黙を破ったのは珍しくもシルヴェスターだった。


「聞いてくれグランマ、魔法薬学と薬草学がそれぞれ教科ごとで一位だったんだ」

「そう、よく頑張ったわ!やっぱり得意なのかしら、グリフィス家の人間らしいわ」


嬉しそうにそう言ったカロラインは、しかしながら複雑な顔でシルヴェスターを

見た。それに疑問を抱いた彼は言外にその先を促すと、彼女は口を開いた。


「でもスライ、あまり家柄にとらわれなくてもいいのよ。貴方の人生、好きな様に生きるべきだわ」

「…グランマ」

「あら、意外かしら」

「…正直、この二つの成績が悪かったらなんて言われるだろうか、とは思ってた」


シルヴェスターの本音は、とても珍しいものである。もとより寡黙な性格をしている彼がこうして自分から話を振る事がそもそも滅多にない事で、少し違和感を感じていたカロラインはそういう事かと納得した。


「僕としては、もし『魔女のグリフィス』にふさわしい人物だったならそれはそれで嬉しいんだ」


続いた言葉は芯が通った声で紡がれ、本心であることが容易に分かる。表情も殊更真剣なシルヴェスターに、カロラインは成長を感じていた。彼も、いつかは大人になっていくのだ、と頭の片隅で感じていた。しかし、反応のないカロラインに不安になったのか少し眉を下げる彼はまだ子供で、彼女はそれがおかしくて少し笑った。特に何もないのだと弁明すれば、あからさまにほっとしたい顔が表れる。それを見て作業に戻ろうと腰を屈めたとき、再びシルヴェスターから声がかかった。


「…その、父さん?母さん?はどうだったんだ」


ひゅ、と息を飲む音。あまり歓迎されない質問だったらしく彼は間違ったかと訂正をしようとしたが、それよりも先に彼女が返事をした。


「そうねえ…貴方のお父さんがグリフィス家だったけれど、どちらも魔法薬学が飛び抜けて得意な子達だったわ」


遠くを見ながら哀愁漂う表情でそう答えたカロラインは、どこか疲れていた。それを見たシルヴェスターは何となく事の次第を察していた。だが、兼ねてから知りたかった両親の事。今まで何回か両親の事を尋ねられてそれに応えられなかったのも、少しばかり心に引っかかっていた。


「そういえば、父さんたちはどうしたんだ…?」

「…話してなかったわね」

「その、今までこの話題は避けている様だったから」

「そう、敏い子ね。二人は残念な事に亡くなってるわ、貴方がまだまだ話せない位小さいときに」


やっぱり。シルヴェスターが抱いた感想だった。正直悲しいというような感情よりも、納得の方が強かった。物心つく頃には既に広いこの家で祖母と二人きりだった記憶しかない分、両親はいることは知っているがそれに感慨があるかと言われると無いといった方が正しかった。


「やっぱりそうなのか…何故、と聞いてもいいか」

「…いつか、話してあげるわ。もう少しだけ待ってちょうだい」

「ああ、いつでもいいんだ」


それでも、カロラインは恐らくに居合わせていたらしいと読み取れるくらいには彼女の覇気が無くなる。それを無理に聞こうとはせず、彼はその事実だけを嚙み締めておくだけに留めることにした。シルヴェスターの言葉に、今度はカロラインの方がほっとした表情を見せた。そして、別の話題に切り替わる。


「他はどうだったの?苦手教科はあったのかしら」

「ああ…魔法生物学がどうにもダメで」

「そうなのね、誰にでも苦手なものはあるわ。私も飛行術はてんでダメだったの」

「なんか、意外だ」


苦手教科のことについて話しながら、止まっていた畑仕事を再開する。そして、その様子を玄関の陰から見ていた者が五人、そっと家の中に戻っていった。三人は朝食を用意するためにキッチンへ、二人は庭から戻ってくるシルヴェスターとカロラインを労わるために癒しの空間を提供しようとテーブル上のメイキングに取り掛かった。




 入学式を無事終えた翌日、四年生たちは初日のガイダンスのために指定された教室に集まっていた。皆そわそわとどこか落ち着かない様子なのは、この後に始まる『組み分け』に大小様々な感情を抱いているからだろう。例の六人も例外なく、声量を落としながらも興奮気味に顔を突き合わせていた。


「ついに四年生だ…緊張するね」

「ああ、どちらに組み分けられるやら」

「どっちになってもお茶会はやりましょ」

「もちろん」


いつかの入学式の時によく似た言葉に、当時の二倍の肯定が返ってくる。さわさわとさざめくような話し声の中、がらりと開けられた扉に生徒たちは一斉に口を噤んだ。今年の学年主任はティターニア寮を受け持つエリオットだったようで、あっという間に静かになった生徒たちにビックリしつつも壇上へ上がった。


「さて四年生諸君、進級おめでとう。無事に皆揃っている様で何よりだよ。君たちが何に期待を抱いているのかは知ってるけど、まずは四学年での履修の注意についてだ。さあ今から配る紙を見て…」


彼の落ち着いた声に、生徒たちは大人しく従ってふわりと目の前に落ちてきた紙を眺める。天文学の教授であるエリオットは、分け隔てない性格から生徒たちからの信頼が厚い。問題児たちも揃って大人しくしている様子を見ていた他の教授たちはやれやれと苦笑いである。壇上の彼は三年次での試験結果から履修できる科目をよく見ておくこと、時間割が重ならないように注意する事、必要な教科書類がない場合は速やかに購買へ行って申請する事をつらつらと説明していく。そして全て話し終わった後、一呼吸おいてエリオットは口を開いた。


「さあ、皆お待ちかねだ。これから魔法使いコースと魔術師コースに分ける『組み分け』を行う。会場へ移動するから、皆僕についてきて、騒いじゃダメだよ」




 エリオットに引率され、四年生たちは一度も見た事のない講堂のような場所へ踏み込んだ。天井がとても高く、雨雲にも見える何かが渦巻いている。丸い形が基本となっているその場所の中央には檀が置かれ、その周囲を囲む様にベンチが幾重にも置かれている。最も檀に近い席には、既にほとんど全ての教員が並んで座っており、物々しい雰囲気に何人かは生唾を飲み込んだ。教授たちに促されるまま、四年生たちは大人しくベンチに腰掛けていった。

 やがて四年生たちに続き、他の学年の生徒が同じように教授に引率されて入って来た。背格好を見るに上級生だが、今まで上級生と関わることがあまりなかった彼らは、物珍しさから背後をちらちらと見やった。全員が入ったところで一人残らず着席すると、校長がすっと立ち上がった。ぴり、と緊張感が場内にはしる。


「さてさて、今年もこの日がやって来たのう。六年生諸君は懐かしかろう、君らには二年前の事じゃ。君らの師たちも卒業してしまって少々寂しいかもしれんが、そうも言ってられんぞ」


笑顔でそう話す校長は随分楽しげで、校長曰く六年生らしい上級生たちはちらほらと小さく笑っている。何をするのか知らされておらず、緊張でそれどころではない四年生たちはまっすぐと前を見詰めたままだ。


「それでは、早速始めよう。まずは『組み分け』からじゃ、名を呼ばれた生徒諸君は順番に前に出てくるように。安心しなさい、特に何かしてもらうわけではないぞ」


こうして、遂に『組み分け』が始まった。入学式と同じように最初に呼ばれた少女は、おっかなびっくり壇上へ向かった。傍に控えていたエリオットに促されて壇上に上がると、ひとかけらの水晶のような鉱石を渡された。


「よいか?それを掌においてじっと見詰めるのじゃ…」


校長の言葉のまま、彼女は両手で鉱石を持ち、じっと見つめる。やがてそう時間のかからないうちに、その鉱石がぐにゃりと姿形を変え始めた。暫くぐねぐねと動いたそれは、やがて突然上空へ飛び上がった。鉱石は花火の様に弾け、パラパラと雨の様に降り注いで消えた。


「おお、君の適正は魔術師じゃな!随分典型的じゃった…さあ、椅子へ戻りなさい」


そう告げられた少女は、なんだかほっとした表情をして椅子へ戻っていった。立て続けに生徒の名が呼ばれ、次々と壇上に上がっては適性を告げられていく。途中サイモンが魔法使いと告げられていたが、それ以外は皆魔術師だと告げられていく。そうしていく中、例の六人の中で一番最初にアスターが呼ばれた。小さく、行ってくるね、と囁いた彼女は跳ねるように壇上へ上がっていく。そして持たされた鉱石を見詰めれば、やがてそれは蝶の形に変わって飛んでいった。


「君は魔法使いじゃ!アスター・エドワーズ」


ぱっと明るい笑顔になった彼女は、続いて呼ばれたリリアとハイタッチをしながら席に戻った。それをくすくすと笑いながら壇上に上がったリリアも、鉱石が大きな蝶になって飛んでいくのを嬉しそうに見上げていた。彼女も判定は魔法使い。アスターと同じコースになれた喜びからか、彼女の足取りはとても軽かった。

 やがて、シルヴェスターの番がやってきた。周りが口々に大丈夫だと言いながら強張った顔つきの彼を送り出し、少しふらつきながら壇上へたどり着いた。他の生徒と同じように鉱石が渡され、若干震える手でそれを受け取る。じっとそれを見詰めていると、形を変えた鉱石は分裂して何匹もの蝶になり、手元に残った鉱石の一部はざわりと音を立てながら様々な植物の形へと変貌していく。今までの生徒の中であまりにも規模の大きなそれに驚きながら見ていると、校長がシルヴェスターに拍手を送った。


「なんと、なんと!素晴らしいのうグリフィス、君は魔法使いじゃが、その中でも少ない魔女の適性の持ち主じゃ!これほど見事な変化はそうそう無い、あったとしても木の葉がぱらぱらと舞うくらいなんじゃが…いや、とにかく素晴らしい」


そう言って送り出された彼の手元には、未だ成長を続ける蔦がわさわさと絡みついている。それを何とか解いて、大注目を浴びる中急いでベンチに戻った。ドミニクが分かっていたと言いたげに肩を叩きいい笑顔で出迎え、アスターとリリア、ラルフは尊敬の眼差しでシルヴェスターを見上げた。シャーリーも柔らかく微笑んで音なく拍手し、シルヴェスターは大いに照れてむっつりとした顔つきになった。

 続いて六人の中で呼ばれたのは、シャーリーである。いつも通り淡々とした様子で壇上に上がった彼女は、鉱石を受け取ると、するりとその表面を撫でた。その瞬間に鉱石はその体積をあっという間に増し、弾けると共に破片が全て美しい翅を持つものに変化した。ピクシーの様にも見えるそれらは彼女の周りを囲む様に飛び回り、柔らかな風と共に天井の渦の中へ飛び込んでいった。


「ほう…見事じゃ、実に見事。わしは既に六十年ほどこの学校に教員側としておるが、このような変化は初めて見たわい。いや非常に美しい、素晴らしいものをみせてもらったのう。これは言うまでもなく、君の適性は魔法使いじゃ」


そう言って静かに拍手する校長に、彼女ははにかんで答えた。ベンチに戻る道すがら、同級生たちに口々に綺麗だった、と言われている辺りシャーリーは認められているのだろう。この数年、ほとんどいつもの五人としか話さない彼女にこの事は意外だったようで、驚きながらも律儀にありがとうと答えながら戻っていった。

 名簿も半分が過ぎた頃、ドミニクが呼ばれた。毅然とした態度で出て行った彼が鉱石を持つと、大きな翅を持った蝶が優雅に天井の方へと飛んでいった。適性としては言うまでもなく魔法使いで、本人もその結果に満足そうな顔をして戻って来た。元々魔法使いになるという確信があったのだろう。

 六人の中では最後、全体の中でも最後の方に呼ばれたラルフはかなり緊張していて、一度段差に躓きながら前へと出た。顔を真っ赤にしながら受け取った鉱石は、三匹の子ぶりながら綺麗な翅を持った蝶が舞い上がった。それをきらきらとした目で見つめ、勢いよくシルヴェスターたちのいる方向を振り向いた彼に、五人は満面の笑みで頷き返した。




 四年生全員の『組み分け』が終わり、少しだけ休憩を挟んでからもう一度生徒たちは集合した。再び壇上近くへと出てきた校長が手を挙げれば、ざわめいていた講堂はあっという間に静まり返る。それに満足そうに頷きながら、彼は口を開いた。


「四年生諸君、『組み分け』の儀式お疲れ様じゃった。それぞれ思い通りだった、思っていたのとは違う結果だった、色々あるじゃろう。じゃが、この『組み分け』ばかりはどうにもならんのでな、どうか納得してくれると良いがの」


そう言いながら、彼は近くに控えていた数人の教授に何かを指で指示している。一体これから何が始まるのか、知っている六年生は静かなままだが、四年生は興味深げに首を伸ばす。その様子を見ながら、校長は続けた。


「さて、これから行うのは『師弟』の振り分けじゃ。四年生諸君はちらっと聞いた程度であろうから、少し詳しく説明しようかのう」


そう言って、校長は持っていたロッドを大きく振った。空中に光る文字が現れ、四年生から七年生までの学年が書かれている。校長曰く、『師弟』とは一学年飛ばした学年の先輩と後輩が二年間ペアとなり、上級生が下級生の勉学をサポートする制度である。この制度によって感覚を掴むのが重要な魔法や調合について細かく指導があることで、より学力を伸ばすのが目的であるという。『師弟』で組む相手はその者の特性と似通った者とし、魔法使いと魔術師での分類は絶対である。


「…とまあ、つらつらと言ったが言葉で聞いても分からんじゃろうから、師が決まった時に先達に聞いてみると良いじゃろう。今年度は魔法使いが多くての、魔法使いについては数人を受け持つ六年生ばかりじゃがよろしく頼むぞ。では発表しよう」


先に発表されたのは魔術師の適性を持った生徒たちで、かなりの人数がここで呼ばれていく。それを見ていたシルヴェスターたちは、途中で暇そうにひそひそ話に興じた。四年生は五十人程度とはいえ、そのうち四十人くらい呼ばれるのを待つのは流石に退屈である。


「六人全員魔法使いだったね」

「ああ、スライは魔女の適性が完全にあると証明されたな」

「そんなのも見れると思わなかった…」

「魔女って、魔女認定試験があるんでしょう?きっとスライならすぐに合格するわね」


発表の邪魔にならないようにひっそりと話し続けていると、いつの間にか魔術師側の発表は終わったようだ。魔法使い側の発表を始めるという号令に、六人も慌てて背筋を伸ばした。この学年の魔法使いは全員で十人、それに対して六年生の魔法使いはなんと四人しかいないという。あっという間に終わるであろう発表は、はじめに一人の六年生が歩み出た。真っ赤に燃えるような赤毛が特徴の彼には、弟子としてジェフリーとサイモンが選ばれたようだ。揃っているのが嬉しくて仕方ない様子の二人は、ハイタッチをしながら六年生のもとへ駆け寄っていった。

 次に歩み出たのはブロンドの髪が美しい青年で、彼のもとに呼ばれたのはアスターとリリア、ラルフだった。エリオットに呼び出されて三人が駆け寄ると、その青年はにっこりと微笑んだ。


「よろしくね可愛い後輩たち。ボクの名前はヴァージル・サリンジャー、寮はウンディーネだよ」

「よろしくお願いします!あたしはアスター・エドワーズです!」

「私はリリア・エドワーズです、アスターとは双子なんです」

「僕はラルフ・ルイスって言います、ここ三人は揃ってサラマンダー寮です」


挨拶を終えた四人が一度ベンチの方へはけていくと、空いた壇上には艶やかな黒髪が特徴的な青年が現れた。彼のもとへ呼ばれたのは、シルヴェスターとドミニクだった。


「初めまして、ドミニク・モーガンと申します。よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします、シルヴェスター・グリフィスです」

「ああ。グリフィス、僕も魔女の適性が現れたんだ、きっと力になるだろう。勿論モーガンも、君の家の事は良く知っている。僕はメルヴィン・ドラモンド。これから仲良く頼むぞ」


そして六年生の魔法使いの中で最後、青みがかった癖っ毛の青年が上がった。呼ばれた四年生は、シャーリーを入れて三人。彼だけ負担が大きそうだな、とぼんやり考えながら彼女は壇上の彼の元へ急いだ。席が近かったらしい他の二人は既にその場に立っており、後からその輪に加わった。


「三人揃っタネ。二人の子は初めまシテ、シャロンはこの間ぶりダネ。僕はイアン・シンフィールド、ウンディーネ寮生ダヨ」

「うむ、では私から。ウンディーネ寮のシャロン・ニーヴェア・シンクレアだ、実はここの三人とは誰とも顔見知り以上だからな、お久しぶりと言っておく」

「えっそうなの?」

「ああ」


青年が話すと、りんと語尾が鳴り響くような響きがあり、不思議な聞こえ方をした。とても耳なじみが良く、近くにいた生徒は思わず聞き耳を立てる程度には特徴的な声色である。続いて自己紹介をしたのは、いつかに話題に上ったシンクレア家の娘だった。久しぶり、という言葉に、シャーリーも頷き返す。ほら、と自己紹介を促されたたっぷりとした真っ直ぐな黒髪の少女は、慌てて佇まいをなおした。


「そうでした、じゃあえっと、シンフィールド先輩と貴女は初めましてですね。私はヨランダ・ガーランドって言います、グノーム寮です」

「では、シャーリー・ナイトレイと申します。ティターニア寮ですが、基本はウンディーネ寮の皆と動いているので、探すときはそこ等辺を探していただければ」

「ああ、君が何百年単位で久しぶりのティターニア寮生だったんだ」


自己紹介をし終えた様子を見届けたエリオットが、四人にベンチへはける様に言う。揃って着席すれば、これにて『組み分け』は終了とするという号令と共に解散と相成った。

 解散後、それぞれ師弟の相手とぞろぞろと帰っていく中、シルヴェスターたちは一度互いに駆け寄った。その後ろから六年生と二人の四年生もやって来る。六年生たちも互いに親しい中であるようで、寄り集まってシルヴェスターたちの様子を見守るように立っていた。


「何というか、今年って魔法使いの人数多かったんだね?十人ってなった時に少ないなあって思ったんだけど」

「そうね、半分ずつ位だと思ってたわ…」

「シャーリーとリーたちのところは弟子は三人か、多いな」

「うん…そうだ、せっかくだからお話でもどうだろう、先輩方もご一緒に」


シャーリーの提案に、五人は異議なしとばかりに頷いた。シャーリーが後ろを振り返り、ひとかたまりになっている六年生三人と四年生二人に向かって手招きをすると、全員が近づいてきてくれた。さらに彼らに親睦会的にお茶会をこれから開こうと思うがどうだろうか、と打診したところ、全員が快く是非にと参加の意向を示してくれた。それが嬉しかったのかふんわりと笑うシャーリーに、やったねえ、とアスターが背中を優しく撫でた。




 所変わってティターニア寮前、彼らはシャーリーの案内に従ってぞろぞろとやってきていた。本来おいそれと他寮生を寮に招き入れるのは禁止されているのだが、内緒ね、と悪戯っぽくシャーリーが言ったので隠密行動である。寮監がエリオットであるというのも大いにあるだろう。彼は何だかんだと唯一の寮生であるシャーリーに甘い所があり、それに漬け込むような行動を見せる彼女はこれが初めてである。この時は珍しくすっごい生き生きしてた、とはリリアの言葉である。以前と同様の招き入れ方に初めての六年生たちと二人の四年生は大層驚き、はしゃいだ様子を見せた。分かると言いたげに普段見ないような笑みを見せたドミニクは、実はこの開閉方法が気に入っていたりする。中に通され、談話室にて彼らはようやくソファにくつろいだ。


「ありがとうね、ボクたちまで」

「いえ、友人たちの師となればぜひこちらとしてもお話してみたいので」


礼を述べたヴァージルに、いつも通りの淡々とした表情に戻ったシャーリーが丁寧に返す。妖精の魔法で紅茶を人数分淹れ、元より今日お茶会の予定をしていたアスターが作ってきていたクッキーたちを並べれば、優雅なお茶会の開催である。


「君たち六人はずっと一緒に過ごしてルノ?」

「はい、リー…ラルフは三年生からですが長い間一緒にいますよ」


興味深々といった様に聞いてくるイアンに、ドミニクが笑顔で答える。へえ、と感心しながらクッキーを摘まむ彼はどこか浮世離れした見た目で、少しだけ四年生からの注目を集めた。その視線に気が付いた彼は目を少し見開いて、すぐにはにかみながらその視線に応えた。


「あ、改めて自己紹介した方がいイネ?えっと、イアン・シンフィールドって言いマス。出来れば下の名前で呼んでくれると嬉しイナ」

「シンフィールド…ウィル・オ・ウィプスの…?」

「良く知ってルネ」

「あ、失礼を…僕はドミニク・モーガンと言います」

「ああ、モーガン!」


改めて名乗ったイアンに、ドミニクが驚きの表情で声を掛けた。いつかの時に彼がシルヴェスターたちに教えた魔法界の貴族の中でも、特殊な家として紹介していたシンフィールド家の者がいるとは思わなかったようだ。慌ててドミニクも名乗ると、そこは矢張り有名な家であるからか、イアンはすぐに納得したように表情を綻ばせた。とんだ失礼を、と謝るドミニクを柔らかく制する辺り、彼はそれほど家の事情に縛られるつもりが無いらしい。


「ああそウダ、そこに座ってる子…シャロンは僕の許嫁だから手、出しちゃ駄目ダヨ?」

「えっ許嫁!?」

「あっイアン…まあ、いいか…流れで名乗らせてもらおう、私はシャロン・ニーヴェア・シンクレアだ。まあ、魔法使いクラスはそれ程いないようだし、同級生の皆は今後ともよろしく」

「は、まさかシンクレア家の嫡女様で…?」


イアンの爆弾発言にその場のほとんどが驚く中、流れで名乗ったシャロンのラストネームにまたもドミニクが反応した。貴族とは忙しいものである。困ったような顔で同級生なのだしそんなにかしこまらないで欲しい、と言うシャロンに、ドミニクは渋々ながらも頷いてよろしく、と言うだけに収めた。一方で一般家庭の出であるエドワーズ姉妹は驚きのままイアンとシャロンを交互に凝視し続けていたので、シャーリーが苦笑しながらその目を片手ずつで覆って収めた。


「ご、ごめんなさい」

「いい、普通の家の者には身近ではなかろうしな」


仕方なしと笑いながら言うシャロンに、パッと視界を解放されたリリアとアスターはほっとした顔をした。その流れのまま二人も挨拶を済ませると、今度はシャロンの隣に座っていた少女、ヨランダが手を挙げた。動きに合わせて揺れる黒髪は艶々で、地域柄黒髪の少ないここでは良く目立つ


「じゃあ次私が行きます、ヨランダ・ガーランドです。ここで唯一のグノーム寮です。私もそこの人、メルヴィンの婚約者なんだ」

「ふふ、では流れに乗らせてもらおうか。僕はメルヴィン・ドラモンド。三大妖精国の一つ『炎の丘』の第一王子だ、人間たちの勉強のためにここに入学している」

「な、なんだかすごい人たちばっかり…」

「良いのかしら私たち…」

「なに、気にすることは無い。本来この学校は人間族の方が多いのだからな、偶然この場に集まってしまっただけの事」


悠々としたメルヴィンの受け答えに、彼女らは若干気後れしながらもゆるゆる頷いた。まだ何となく居心地が悪いのかもぞもぞとし始めたアスターとリリアに、一人の言葉が飛んできた。


「そうそう、そんなに気にしちゃダメだよ。ボクは至って普通の家庭に生まれてる。あ、名前はヴァージル・サリンジャー。ぜひ仲良くしてね」

「二人とも!確かに私の婚約者は王子サマだけど、私も普通の家生まれだからね。仲間はいるよ~」


そう言ったヴァージルと、援護射撃の様に言葉を繋げたヨランダはにっこりと二人を見る。うんうんと便乗して頷く貴族のメンバーたちはともかく、二人のその話に双子はあからさまにほっとした表情を浮かべた。その近くで、二人以上に顔を強張らせているのが一人。それを見た何人かは苦笑して、すぐ隣に座っていたシルヴェスターはその肩を軽く叩いてやった。


「フフ、そりゃあ貴族の子供からしてみればこの空間は恐怖でしかないよネエ、ちょっと紅茶飲んで肩の力抜いテヨ」

「ふむ、では気にならなくなるか分からないが、ドミニクと呼ぶことにしようか。その代わり僕の事もメルヴィンと呼んでもらって構わない」

「僕モネ」

「私の事もシャロンと呼んでくれ、そも同級生だろう」


見かねたイアンが楽にするように勧め、それに便乗するようにメルヴィンが名を呼ぶようにと言う。さらにそこにシャロンも乗っかって来たので、ようやく緊張がいくらかマシになってきたようだ。カップを取り上げて傾け、口を離した時にはドミニクの顔色もかなり回復し、滑らかに話し出した。


「すみません…お気遣いありがとうございます、メルヴィン先輩、イアン先輩、シャロンも」

「あら、私もヨランダって呼んでよー」

「ボクも是非仲間に入れて欲しいな」


ドミニクの言葉にヨランダとヴァージルも乗り、それに対して皆が一度ずつ彼らの名前を復唱した。その不思議な光景に少しの沈黙が訪れ、次の瞬間可笑しさのあまり笑いが爆発した。






 急げ急げ、とアスターがリリアとラルフを急かし、廊下を小走りに駆けていく。二人も何とかアスターに続き、彼女らは一つの教室の扉を開けた。少し小さなその教室は普通の教室ながら机の並びだけが特殊で、その手前の方には既に他の七人が座っていた。こちらに一番に気が付いたのはシャーリーで、軽く手を振る彼女の近くへさっと移動した。丁度その時にチャイムが鳴り、ガラリと扉を開く音に驚いた三人は慌ててシャーリーたちの後ろへ回る。


「さあさあ皆さん座って、魔法使いコースの十人で合ってる?」


入って来たのは、毎度の帰省や登校時に見る門番の一人だった。癖のある青みがかった髪、青い唇、青い瞳と青尽くし。それに加えて困り眉とあの露出が高い青の衣装が非常に印象深い。そんな彼女に言われて慌てた三人は、急いでドミニクの隣へ滑り込む。それを見て満足そうに頷いた女性は高いヒールの編み上げたサンダルを鳴らして教壇に立った。


「初めまして、アタシはクレイス、妖精魔法学を担当してる臨時教員だよ。ここの正式な職員って訳じゃないんだけどね。皆アタシの事は入学式とか休暇前後とかで見てるよね。本当はアタシだけじゃなくて、もう一人双子の姉も担当してるよ。普段はどちらかが別の仕事…本業をしてるから基本一人だけ。来週は姉が来るからよろしくね」


クレイス、と名乗った彼女はやはりあの門番で間違いないようだ。一部生徒側は思いがけない人物に面食らっていたが、ようやくここいらで正気を取り戻したようでいそいそと姿勢を正す。


「さて、今年度君たちには妖精魔法学とはどういったものかを学んでもらう。そして来年度からは実践だ。五年生の担当はアタシ、六年生の担当は姉が、七年生ではもう一度二人が担当する予定だよ。あまり油断してはいけない教科だけど座学でも気を付けてね、妖精ってのは気難しいから。誰か、どうして妖精魔法が難しいか理由を知っている?」


クレイスの問いかけに対し、さっと手を挙げたのはドミニクだった。名指しされて起立した彼が妖精との契約を伴うからと答えると、彼女は満足そうに頷いた。ゆっくりと檀上を行き来しながら、彼女は解説していく。


「お、流石だねモーガン。そう、さっきぽろって言っちゃったけど、妖精を相手にした契約が伴うけど、その上で彼らは気分屋。報酬によっては応えてくれないこともある」


そう言いながら、大きな黒板に必要事項を書き記していく。それを追いかけて板書する生徒たちを見ながら、クレイスは続けた。その表情は決して穏やかでなく、生徒たちもつられて緊張感に包まれる。


「魔法使いコースの皆には、基本妖精との契約に耐え得る素質が備わっている。けれど、何度だって言うよ、妖精との契約はあまり甘く見ない方がいい…さて、妖精の話になったけど、妖精の国は三つある。誰か、応えられる者は?」


クレイスの二度目の問いかけに、今度はサイモンが挙手した。


「『北の島』、『蟻塚』、『炎の丘』です」

「やるね、その通りだ。君たちの師にあたる学年に『炎の丘』の王子がいることはかなり有名かな。彼はお忍びで人間との交流を図るために来てる…んだけど、ほとんどお忍びじゃないね、この知られようだと」


くす、とクレイスは苦笑した。彼女の特徴的な青い唇の端が吊り上がり、何だか不思議な光景に思えた生徒はその様を凝視した。彼女がくるんと指を回すと、青白い光と共に何らかの書籍が教卓上に表れた。それをさもつまらなそうに開いて、目的のページらしい場所で止まるとすぐに顔を上げた。同時に浮かび上がった書籍は生徒たちに向けて浮かび、そこには妖精の国について書かれた項目が読んでとれた。


「彼も含めた妖精の王族も、確かに契約対象となり得る。けれど対価が凄まじいものだし、気分屋とはいえ国のトップだからそれなりに意味のある内容じゃないと動いてはくれないかな」


その後、授業は粛々と進み、気付けば終わりの鐘が鳴る頃になっていた。手を止めたクレイスが最後に、と質問を募集したところ、ジェフリーが手を挙げた。名指しされた彼が尋ねたのは、彼女が妖精なのかどうかという事だった。それに対し、彼女はこう答えただけだった。


「アタシ?妖精じゃないよ、人間ともちょっと違うけど、ね。さあ帰った帰った」


そう言ったクレイスにあっという間に教室を追い出され、丁度これがこの日の最後の授業だった彼らはまとまってその場を後にした。




 途中でサイモンとジェフリーが気まずそうにそそくさと別れ、他の魔法使い組は再びティターニア寮へとやってきていた。例の談話室に集まったのは八人。随分な人数に壮観だ、とシャーリーが呟き、隣に立っていたシルヴェスターも頷いた。今回はヨランダが飲み物を淹れると言い、出てきたのは緑色の独特な香りがするもの。温かく湯気が立ち昇るそれを不思議そうに見る者が多い中、ドミニクがあっと声を上げた。


「これはもしや…緑茶か、東方で良く飲まれてるんだったか…」

「お、ドミニクせいかーい。私のお母さんがそっち生まれだからね、新しく友達が出来たって話したら送ってくれたの、良かったら皆どうぞ」


にこやかにそういうヨランダに、最初に口をつけたのはリリアだ。初めての飲み物に少し身構えながら口に含むと、ふわっと広がる香りと微かな苦みに目を輝かせた。その様子を注意深く見ていた他の者も恐る恐る口をつけていく。


「これ美味しいわね!何だかこう、なんていうかしら…」

「何か、旨味?美味しいねこれ」

「そう、それが言いたかったのよ!」

「うん、なんだろう…優しい甘さのお菓子が合いそう」


リリアに続けてアスターやラルフも美味しいと感動し、シルヴェスター、ドミニクも賛同するように小さく頷いた。シャーリーとシャロンは元々味を知っている様で、何の躊躇ためらいもなく飲んでいる。その様子を見ていたヨランダはほっとしたようにソファに座りなおした。


「そういえばさ、シャロンとヨランダって変身術出来る人?」

「ああ」

「出来るよー」

「それはすごいな、ぜひ見てみたい」


話を振られた二人は少し驚きながらも、快く返事をした。おもむろに立ち上がり談話室の端にある少し広い空間に歩み出ると、シャロンは腰元から赤い刀身の剣を抜き、ヨランダは懐から扇を取り出した。そして思い思いにそれらを振ると、シャロンは黒い霧に包まれて、ヨランダはポンっという軽い音と共に白い霧に姿を隠す。白と黒の霧が晴れた頃、扇を咥えた狐と、剣を掴んだ大烏おおがらすが表れた。


「うわ、すごい!」

「ヨランダはキツネか、シャロンはカラス…だけど大きい…?」

「ほんとすごいなあ…」

「扇と剣だなんて、すごく印象深いわね」


かあ、とひと鳴きした大烏に心得たシャーリーがすっと腕を差し伸べる。剣をどこやらへ消してすぐにそこへ留まった大烏は、頭から尾の先だけでも優に通常のカラスの二倍はあり、翼を広げれば驚くほど大きい姿をしていた。一方で軽い足取りでアスターの脚に鼻先を押し付けに行った狐は少し赤っぽい毛並みで、ふわふわとした大きな尻尾が揺れるたびに他の皆の視線を奪っていった。一頻りお披露目会が終わり、狐と大烏はくるりと一回転して元の二人の姿に戻った。


「変身術も見事だが、シャロンの魔力媒体がすごいな…赤黒い刀身自体も珍しい」

「ああこれか、どうやら素材としてはスピネルらしい」

「ヨランダのもすごいよね!エキゾチック~」

「ふふ、これいいでしょ。硬くて重そうに見えるけど軽いんだ」

「ふむ、せっかくなら君たちの姿も見てみたいのだが」


シャロンとヨランダの見慣れない魔力媒体に興味津々で詰め寄る六人に、シャロンがにやりと笑ってそう言った。動物の姿は変身者の深層部を表しているとも言われており、そんな秘められているにも等しい部分を見せたからには相応の対価を、と言いたいのだろう。ヨランダも無邪気に頷いて、見学の姿勢に入った。そんな二人に六人は顔を合わせると、くすりと笑いあってそれに応えた。始めに変身したのはアスターとドミニクで、体躯の大きな山猫の背に少し尾羽が長いふくろうが留まった。それに感激したヨランダが可愛いと繰り返しながら猫と梟の頭を撫でる。


「ふうん、山猫と梟とはいい組み合わせだな」

「あら貴方もそう思う?私もよ」


シャロンも満足げにそう言い、それにリリアが賛同した。なおん、と太めの声で山猫のアスターが返事をし、梟のドミニクはバサバサと羽ばたいて時折ヨランダの顔をはたいた。二人が一度元に戻り、今度はリリアとシルヴェスターが同時に姿を変えた。少し小さな体躯の美しい赤毛の馬と黒光りする鱗の大きな蛇に、またしてもヨランダが駆け寄る。どうも彼女は動物が好きなようで、少し戸惑った蛇が若干後ずさりしたのも気にせずに手を伸ばしている。アスターもそこに加わり、馬と蛇は暫く構い倒された。これには他のメンバーもくすくすと笑って、少し便乗しに行ったりもした。


「馬可愛いなあ、蛇もかっこいいし」

「スライどうして逃げるの、結構早いし!」

「あっはは!スキンシップが苦手だったか、これはすまないなシルヴェスター。随分這うのが上手いことだ!」

「蛇の姿で移動は、確かに難しそうだ」


やがて元の姿に戻った二人は、リリアは楽しかったのか満面の笑みだが、シルヴェスターはやや疲れたような照れた顔をして部屋の隅から戻って来た。最終的に鎌首をもたげてしゅーっ、と威嚇していた彼だったが、それが恥ずかしがっていると分かっているアスターには効かずにあっさりと撫でられていたのだから無理もない。そうして最後とばかりに注目を集めたラルフとシャーリーだったが、ラルフは少し寂しそうな顔で首を振った。


「僕は残念ながらまだできないんだ」

「そうだったか、いや、本来この術はこの学年でやる事でもないから気落ちするな」

「うん…」


しゅん、と項垂れてしまったラルフにシャロンがそう声を掛けるものの、あまり効果は無いようだ。益々へこんだように見える彼に、アスターがこう提案した。


「一回やってみたら?ほら、物は試しって言うし」

「ええ、いいよ…できないよ」

「いいからいいから、ほらあたしも一緒にやるから」

「はあ、強引だなアスター…仕方ない、僕もやってやるから肩の力を抜け」


その提案にドミニクがのり、一緒にシルヴェスターものり、どんどん手が上がって終いには全員が一斉に呪文を唱えることに落ち着いた。魔法でソファやローテーブルをずらして十分な空間を取ったところで、彼らは円状に並んでそれぞれの魔力媒体を取り出して構える。アスターがせーの、と言ったところで八人分の声が重なる。


「〈心を示せ、女神の下に〉!」


寮内に響き渡ったその詠唱の中、彼らは次々に変身していく。霧に包まれたりぐにゃりと体の輪郭を変えながら動物ばかりになっていく中、全員が何らか姿を変えたところで静けさが訪れた。そう、全員が変身したのである。ラルフの両隣りにいた山猫のアスターと梟のドミニクがさっと隣を見て、アスターがすぐに変身を解いた。


「ウサギだー!できたじゃんリー!」


そう言うが早いか、すぐにモフモフと撫でられたラルフは鳴けないながら驚いている様で、撫でられるがままころりと横に転がった。否、彼自身が変身した事だけに驚いたわけでは無いようだ。彼が何かをじっと見つめているのに気が付いたアスターはその視線を辿ると、その先にはホワイトブロンドの毛並みが眩しいグリフォンが佇んでいた。そうして納得したのだ。


「そういや、リーはまだ見たことなかったね?シャーリーの変身姿」

「ああ…そりゃあ固まるのも無理はないな」

「リー?大丈夫かしら?見たまま全く動かないわ」


後から変身を解いたドミニクとリリアもその異変の原因に気が付いて苦笑する。確かに本来幻獣とされるグリフォンが突如として目の前に表れれば、絶句するだけならまだいい方なものである。大烏がグリフォンに戯れに行く様子は何とも非現実的で、つい凝視してしまう。背に留まった大烏を特に気にすることも無く、グリフォンは隣でゆらゆらと蠢いていた蛇を嘴の先で転がしている。慌てた様子の蛇は体制を整えると反撃とばかりに足元に巻き付いて登り始めた。それがくすぐったいのか、くうーと鳴きながら震えたり翼を羽ばたかせたりして耐えている。決して振りほどかないのは彼女なりの優しさなのだろう。羽ばたきの振動で揺れる大烏は、それでも落ち着いていた。その様子を暫く眺めていた三人と一羽は、やがて一人が言葉を溢した。


「…楽しそうね?」

「スライが反撃に行くとは」

「確かに、滅多にない貴重なシーンだよ」

「いやそもそもグリフォンと大烏と真っ黒な蛇ってとんでもない組合わせじゃん」


いつの間にかもとに戻っていたラルフが早口で宣い、もう一度、確かにと三人は頷いた。狐の姿のまま四人の傍に来ていたヨランダは首を傾げるばかりだが、やがてアスターの撫でまくり攻撃に遭うのだった。




 そろそろ授業に慣れてきた頃のある夜、消灯時間もギリギリの頃にシャーリーは廊下を歩いていた。その先はティターニア寮ではなく妖精魔法学の教室がある方で、彼女の足取りはきびきびと忙しい。その手には何やら一通の手紙があった。メッセージ部分がむき出しになり、そこにはこう書いてあった。


『21時半に、初級妖精魔法学教室で待つ S.B.』


シャーリーはこの差出人に心当たりがあった。心底行きたくない、と小さくつぶやいたが、呼ばれたからには出向く必要がある。理由も気になるし、と無理やりやる気を出して寮を出てきた彼女の顔つきは険しい。

 やがて少しもしないうちに目的地に付き、暗い教室に躊躇なく入った。その奥、月月明りが差し込む窓際で行儀悪く机に座っている男子生徒がいた。彼はすぐにシャーリーに気が付いて、机から降りて仁王立ちした。黒い髪が明かりを反射する。


「…本当に来たのかお前」

「来いと言ったのはそっちの方だろう」

「まあそうだけど」


暗がりの中彼女を待っていた手紙の主は、サイモンだった。その表情は深刻そうだが、まずは軽い挨拶のつもりなのか軽口を叩いた。それに対し文句を言うように返したシャーリーの言葉にあっさりと頷き、どうやら余程余裕が無い案件らしいと悟る。


「で、わざわざこんな所に呼び出して、用件は?」

「…お前、首に掛けた指輪をどこで手に入れた」

「指輪…これの事か」


サイモンに尋ねられたシャーリーは、首から少しだけ見えている華奢な鎖をシャツの内側から取り出した。そこに掛けられているのは一つの指輪で、彼女が付けるにしてはかなり大きい。金色のアームが美しいそれには明るい緑の石が嵌め込まれており、高価なもののようだ。それを改めて見たらしいサイモンは深く頷いた。


「ああ、最初見たときは目を疑ったぜ」

「いつ気付いたんだ、基本ずっと服の中に入れているから、知っているのはほとんどいないはずだが」

「いつだっていいだろ、聞きたいのはこっちなんだ」


珍しく顔を崩して、げ、と言いたげな顔をしたシャーリーに、しかしサイモンも怯みはしない。指輪を凝視しながらも強い口調で先を急かす物言いに、相変わらずなことでと思った彼女は思わず大きくため息を吐いた。


「はあ…これは母に預けられた大切なものだ」

「それだけじゃねえだろ、知ってるはずだ、それを持つことが何を意味するのかを」


そう言われて、シャーリーは口を噤んだ。代わりに睨み返すようにサイモンを見る。発言するつもりがないと早々に察したサイモンは苦々しげに舌打ちを打つ。それでも何も言わない彼女に、彼が先手を打ってきた。


「だんまりか。いいぜ、オレが言ってやるよ。…その指輪はベネット家の男子が持たされる、持つヤツの瞳と同じ色の宝石が嵌め込まれた特別な代物だ」


荒々しい物言いと共に、サイモンは何かを目の前に掲げた。暗いその教室の中でもシャーリーにははっきりと見えた。それも指輪の様で、シャーリーの物と同様大きな宝石が埋め込まれている。その色は黒く、確かにサイモンの黒い瞳が元になっているのだろうと分かる代物だった。シャーリーはまだ何も言わないで黙り続けている。サイモンは歪んだ笑みを浮かべてシャーリーに迫った。


「初めから変だ変だと思ってたが、お前、──だろう」

「…答えられない」

「はっ、だろうな!──は嘘を付けないもんなあ、付いたらその─が燃やされるんだっけか、今は見えねえけどよ」


図星だとばかりに狼狽えるシャーリー。周囲を警戒してか顰められていたサイモンの声は、興奮からか徐々に大きく、言葉も大胆になっていく。それとは対照的に警戒心をむき出しにしたシャーリーは、どこか寂しそうな色が声に帯びていた。


「…なぜ、そう思ったんだ」

「思い返しゃあ簡単だったぜ。そもそも嘘を付くことが出来ないってのは最大のポイントだろ。んでお前の選ばれた寮も、元々は200年前だったか?その位ぇに───と───の間でいざこざがあって、───が来なくなっちまったから適正があるやつがいなくなったってわけだ。それが急に復活するだなんて怪しいと思わない方が馬鹿だぜ」


サイモンの言う言葉に、シャーリーはもはや何も答えない。サイモンをただ見つめる彼女の薄い赤の瞳が不思議なほど闇の中に光り、サイモンは浮かべていた笑みを一気にそぎ落とした。一転した静かで暗い空気の中、先に言葉を発したのはサイモンだった。


「…なあ、叔父上をどこへ隠した?」

「…隠してなどいない」

「嘘つけ、ならなんで今まで戻って来ない」

「君が知りたかったのは、君の叔父上の行方か?」

「ああそうだ。親父がずっと探してるんだ、必死にな。ずっと親父は叔父上と仲違いしたことを悔いている」


苦しげに絞りだすサイモンの声は、本当に体を何かが蝕んでいるかのようで喉につっかえている。いつの間にか感情らしい感情すら無くしたシャーリーの冷え冷えとした真顔は一向に動かず、彼女の口からは表情同様冷え切っている。それは何かを隠したがっている者の顔だったが、残念ながらサイモンにはそれが読み取れるほどの察しの良さを持ち合わせていなかった。


「それは、それは、殊勝なことだな君の父上は。だけれど、どうして君が探し求める必要がある?」

「仲違いで悔いているなら、引き合わせてやりたいと思うだろうが」

「…そうか。君に無駄足をこれ以上踏ませないために言っておこう、君の叔父上は、遥か手の届かぬ遠くへ行ってしまわれた」

「は…は?遠く、って…」


冷めたシャーリーが放った言葉に、今度はサイモンが狼狽える番だった。比喩の言葉は正しく届いたようで、彼の握りしめた手はぶるぶると大きく戦慄わなないている。俯き気味だった彼は勢いよく顔を上げ、シャーリーに噛みつく勢いで激昂し叫びを浴びせた。


「この…人殺しが!これだからお前らは信じられねえんだよ…!」

「…勘違いも傲り高ぶるのも好きにしたらいい。だがこれだけは言っておこう、一つの面しか物事を見ることが出来なければ、いつか痛い目にあうだろう。これ以上は互いに時間の無駄だ、夜も更けていることだし早く部屋へ戻った方が身の為だ」

「ああそうするとも!これ以上お前といたらいつ殺されるか分かったもんじゃねえ」


呼び出した側であるはずのサイモンはなりふり構わず教室を飛び出していき、それを見届けたシャーリーは深くため息を吐いた。何とも言えない表情でサイモンが出て行った先を見詰めて少しした頃、急に彼女の視界が何物かに覆われた。思い切り肩を跳ねさせた彼女だったが、すぐにそれが誰の手なのか分かり息をつく。


「多少、バラバラに見えた物事を集め繋ぐ事が出来るようになってきたようだ。かの王子殿は」

「…ああ、急に出てくるとビックリする。一人?」


パッと視界が解放され、後ろを振り向けばクレイスと揃いの赤い服の女性、ピュライがいた。彼女がクレイスの双子の姉本人であり、今日はピュライが授業の担当だった。そのままここに残っていたのだろう。最初に入って来たサイモンに注意しない辺り、この展開を読んでいたようだ。


「向こうはまだ門の施錠に手間取っている。何でも今日は戻りが多かったらしい」

「ふうん。サマインでもヴァルプルギスでも、クリスマスとかでもないのに」

「時駆ける国にいる者たちが何やら騒がしい、皆嫌な予感がすると帰ってきている」

「…それほどの規模ね、それが近いうちでない事を祈るばかりだ」


彼女の言う向こう、とはクレイスの事だろう。何やらもう一つの仕事とやらが忙しいらしい。ピュライの言う不穏な言葉に、シャーリーも眉を顰めながら重々しく頷く。さあ寮へ戻れ、というピュライに従い、就寝の挨拶をした彼女は急いで寮へと戻っていく。その胸には、恐らくシャツの中にしまい忘れた明るい緑の石が美しい指輪が、走る彼女に合わせて大きく揺れていた。

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