Ⅱ、魔法界の貴族たち


 そうして過ごした一年生はあっという間に過ぎ去り、年度末の試験も無事に終えた彼らは夏季休業へ入った。シルヴェスターが住むのはとある鬱蒼とした森が広がる場所の一角で、祖母と二人で暮らしている。帰って来たシルヴェスターを温かく迎えた祖母は何かにつけては学校での生活について尋ね、彼も年相応にはしゃいだ様子で答えた。

 彼らが住む家には、あらゆる薬草が育てられている庭があった。彼の祖母は毎朝薬草のうちから必要な分を摘み取り、水をやって、収穫した薬草を使って魔法薬を作り上げては彼女の持つ梟に頼みどこかへ送っていた。学校に入っていくらかの知識を得たシルヴェスターもそれを一部分手伝っていたが、それがどこに送られているのかは正しくは知らなかった。一度尋ねてみたことはあったが、魔法界の病院とか、お得意さんだというような曖昧な答え方しか返してもらわなかった。だが高度な調合を必要とする魔法薬の注文もいくつも入っていたところ、彼女の腕は相当なものであるらしいということだけが、彼が分かる正確な情報だった。

 以前指摘された通り、彼の祖母の姓はグリフィスであり一般に『魔女』と称される人物であることは知っていた。しかし、シルヴェスターは祖母のことは確かに『魔女』だと思っていたが、一族がそういった家系であること、また『魔女』が一体何を指すのかはきちんと知らされていなかった。何かと秘密が多そうな祖母の事だったが、こればかりは非常に気になる事だった。彼の両親はとうに死んでおり、この優しい祖母とともにこの家で育ったシルヴェスターは特に自分の生まれを気にすることも無かったのだが、中途半端に情報が開示されれば気になるものである。


「なあグランマ、学校の友人からあのグリフィスかって聞かれたんだ」

「まあ、そうなの?」

「ああ。『魔女』の家系として有名だって」

「そうなのね。ええ、もう貴方も大きくなったわ。知ってもいい頃ね。私は、そしてシルヴェスター、貴方は魔法薬の調合に秀でた家系『魔女のグリフィス』の血筋よ。本家のね」

「…本当だったのか」

「ええそうよ。貴方もきっと『魔女』の資格があるわ、だって魔法薬学の成績は主席だったのでしょう」

「…『魔女』って、何なんだ?」


純粋に疑問に思い、それが口を突いて出た事に彼は慌てた。だが彼の祖母は気にする素振りもなく、むしろ興味を持ってもらえて嬉しいのかにっこりと微笑んでシルヴェスターを見た。調合中の魔法薬は煮込みの段階に入ったらしく、音が鳴る砂時計をひっくり返してから腰を落ち着けた。


「教えてあげるわ、さあお座り。…魔法使いの中でも魔法薬の調合に秀でた者は『魔女』と呼ばれるのはいいわね?グリフィス家はそういった者を多く輩出してきた家で、だから『魔女のグリフィス』なんて呼ばれるようになったわ。でも『魔女』と呼ばれる者は、単純に魔法薬の調合の腕がいいだけじゃない。全員ではないけれど、呪術にも秀でた者が多いのよ」

「呪術…」

「そう。いつか他の呪文と呪術と呼ばれるものの違いも勉強することになるわ。呪術を扱うのが上手な人、呪術に対して耐性が飛びぬけている人、関わり方は人それぞれだけど、多くの『魔女』は呪術に何らかの関りがある」

「グランマも?」

「私もよ。私はお守りを作るのが得意なの。あれはとても繊細な力の込め方をしないと、お守りとして上手く働かないわ。もしかしたらスライも、何か得意なものがあるかもしれないわね」

「ふうん…」


しゃらしゃら、と軽い音が鳴り響いて砂時計の砂がすべて落ち切ったことを知らせる。あら丁度ねと言いながら、彼女が愛用する、魔法薬を調合する用の鍋を見に立ち上がった。なんだかあっけなく話を聞けてしまったことに拍子抜けしたシルヴェスターは、何か後ろめたい事のある家ではないのかもしれないと少し疑っていた認識を改めた。調合はうまい具合にいっているらしく、上機嫌な彼女がそうだと言いながら振り向いた。


「ねえスライ、せっかくだからお守り、作ってあげましょうか」

「えっ」

「ふふ、聞かせてくれた四人のご友人の分も作ってあげるわ。どんな外見なのか聞かせて頂戴、石を選ばなくてはね。久しぶりに作るから楽しみだわ、やっぱりこういうのは誰かにあげるものでないと気が張らないもの」


うきうきとした口調で話し始める彼女は年を感じさせない程楽しそうだ。それに少し笑い、容姿について紙に纏めるべくシルヴェスターは席を立った。




「…というわけで、僕からというよりは僕の祖母から、お近づきの印にだそうだ」

「わあ、すごくきれいね!みんなでお揃いなのが嬉しいわ」

「ああ、流石グリフィス家のお方だ。こういったことに長けている方が多いとは聞いていたが…」

「早速みんなでつけよう!ね、スライ、どれが誰の?」

「ああ…皆の髪と瞳の色に準えたと言っていたから、それ通りだ」

「やった、着けて着けて!」

「自分でつけられないのか不器用さんめ」

「えへへ~」


新学年になる初日、例の船着き場に集まっていた彼らは無事再開を果たし、久しぶりと口々に言い合った。今は徐にシルヴェスターが取り出した彼の祖母お手製のお守りに五人揃って嬉しそうにはしゃいでいる最中である。彼が袋から取り出して見せたのは紐と石でできたブレスレット状のお守りであり、それぞれの髪と瞳の色に準えた代物だ。シルヴェスターは黒い紐とシルバーに輝くシラーが特徴のオブシディアン、ドミニクはアイボリーの紐とサンタマリア・アクアマリン、アスターは濃い茶色の紐と鮮やかなジェイド、リリアは赤茶の紐とエメラルド、シャーリーは銀がかった白い紐と煌めくサンストーン。結ぶために延ばされた紐の先端には、それぞれが属する寮の色のビーズが付けられている。エドワーズ姉妹はそれを光に翳しながらうっとりと眺め、シャーリーも優しい手つきで左の手首に巻いたそれを撫でた。その様子が眩しく感じられたシルヴェスターは隣に立っているドミニクを見ると、彼もまた嬉しそうで口元が緩み、珍しく白い頬が色づいていた。




 学校について暫く、シルヴェスターは、そういえば自分の両親については聞き損ねたなと思い返していた。わざとか偶然か、家の話をする時も彼の祖母はシルヴェスターの両親について触れることは無かった。その話の運びがあまりにも自然だったため気付くことなく今日まで至ったのだろう。しかしそれについて思い至ったのがタイミング悪く授業の最中だったため、この時受けていた変身術の時間内の課題である、一枚の羽根を砂時計に変えるところを失敗した。出来上がったのは確かに砂時計だったが、中身が砂でなく土になってしまったのを見て教授からやり直しを命じられた。溜息を吐くシルヴェスターに、先に術を成功させていたドミニクが声をかけた。


「なんだ、優秀なスライが失敗って珍しいな」

「やめろその言い方…皮肉にしか聞こえん」

「これは失礼、お前が優秀だといったのは本心だがな。で?」

「いや…少し考え事に気を取られただけだ」

「考え事?」

「今は授業中だ、後で話す」

「あの三人も?」


くい、と彼が顎で指した先を見ると、中々羽根を完璧な砂時計に変えられないリリアに分かりやすいアドバイスを絞り出すアスターとシャーリーがいる。シャーリーはすでに綺麗な装飾付きの豪華な砂時計に変えられたようで、実技的な呪文が得意であるアスターに至っては何を思ったか砂を七色に光らせている。その光は随分強く、大真面目な三人を色とりどりに照らしている様子に二人は揃ってふきだした。


「な…なんだってアイツは…っ」

「遊び心…満載なことだっ…くふふっ」

「は、だめだ、お腹痛い」

「あれそのまま持ってきてほしいな」

「どこに飾るつもりだ」

「僕たちの部屋」

「っ、やめろ想像しただろ…っ」

「あれにテンポの良い曲をかけたら最高だと思うんだ」

「やめろ…!」




 あの後教授に指摘されないように堪えながら笑い転げた二人は揃って腹筋あたりを痛め、ややぐったりとしていた。もちろん何があったのかを知らない女子三人は首を傾げるばかりだが、それを見てまた笑いをぶり返した。

 この日の授業後、五人は中庭へやってきていた。特に課題もなく終わったためゆっくりできると喜んだリリアが、軽い散歩でもどうだと言って他を引っ張り出したのだ。芝生で天然の絨毯の様になっている場所に腰を下ろし、他愛もない会話に花を咲かせていた。


「…ああ、そういえばスライ、今日の変身術の時のアレ、何だったんだ?」

「何々?何の話?」

「考え事してたスライが砂時計の中身を土にしたんだ」

「おお…時間は計れそうに無いね…」

「んで、何考えてたんだって話だ」

「なるほど、確かにいつもすぐに課題をこなすスライにしては珍しい」


好奇心をそのまま形にしたようなアスターが食いつく。他の二人も何か始まるのかと口を閉じ、シルヴェスターに注目する。四対の視線の圧に若干押されながら、特に隠すことでもないだろうと彼は話を切り出した。


「僕の姓はグリフィスだろう?それを前にドムに指摘されて、改めてうちの祖母に聞いてみたら実際に『魔女のグリフィス』だったんだ」

「おお、やっぱりそうなのか」

「ああ。で、僕は両親を亡くして祖母に育てられたんだが、あの二人の事は全く触れないからなぜだろう…と思ってな。そう考えてたら気が逸れた」

「なるほどな」

「あのさ、『魔女のグリフィス』って何?」


アスターが挙手しながらそう尋ねた。一緒になってリリアも挙手をし、答えを待つ姿勢になっている。


「二人はスライの幼馴染だろう、知らないのか?」

「だってあたしたちは別に貴族じゃないし、スライとは外で会ってたからお家も良く知らないし」

「住んでいるところも、スライは分かるだろうけど結構な辺境なのよ」

「僕も貴族については良く知らない。というか、グリフィス家は貴族なのか」

「ふむ…」


ドミニクは顎に指を置き、考える素振りを見せた。シャーリーは相変わらずシルヴェスターの隣で大人しく四人の会話を聞いている。


「じゃあ、簡単にだが魔法界の貴族について話そうか」

「おっ、ドミニク先生だ」

「何だよそれ…まあいい、じゃあこれを見ながら聞いてくれ」


そう言うと、ドミニクは紙を出して杖を立て、何やらぼそぼそと呟きながら紙の上を見つめた。見る見るうちに何かがいくつかの題名とともに箇条書きで現れ、それらは紙いっぱいに埋め尽くされた。その中、一番上に表れた一つの項目を指し示す。


「これは魔法界のトップ、ベネット家だ。皆知っての通りアイツ…サイモン・ベネットがいるな。れっきとした王様ってわけじゃないが、魔法界の貴族の中で一番力をもっている家で、いつしか王族とまで呼ばれるようになったんだ」

「へえ~…そこのご子息はどうも王様の器じゃなさそうだけどね!」

「ああ、それは同感だ。続けるぞ…ベネット家から線が引かれているだろう?これは分家を表すんだが、中でもベネット家についでカーニー家は大きな家系だな」

「分家ありすぎじゃない?」

「まあ…歴代の当主にならなかった弟やら何やらが入り婿とかで新たに地位を築いていった結果だな」


ドミニクが指し示すのに呼応して文字が光り、次いでとばかりに分家の姓も浮かび上がるためかなりの数が分家として存在することが一目でわかる。先ほどサイモンの名前が出たことで苦虫を嚙み潰したような顔をしていたアスターは、ここらで漸く顔を緩ませる。


「さて。魔法界の貴族はそれぞれ何かしらの分野に秀でた結果、知名度が上がったり大きな富を築いたりして貴族になった経緯をもつ家が多い。例えば僕の家はここに書いたが、モーガン家は新しい魔法を編み出す者が多く、『魔力編みのモーガン』という呼ばれ方をすることもある」

「へえ!グリフィス家はさっき聞いたとき『魔女のグリフィス』だったけど、他の家もあるんだ」

「えっと、話を切るようで悪いのだけど『魔女』の括りがいまいちなのよね」

「『魔女』は何も、僕らグリフィスだけの呼び方じゃない。僕たちも四年生になれば魔術師クラスと魔法使いクラスに分かれるだろう、その魔法使いクラスに分類される人のうち、魔法薬に精通した人のことを言うんだ」

「へえ、じゃあ誰でもなれるの?」

「誰でもではないな。魔法薬には一部センスを問われる調合があるが、それが出来ないと『魔女』という認識はされない」

「今学期の初めにスライがおばあさまからだと言ってこのお守りをくれただろう?こういった物を作れるのも実は大体が『魔女』なんだ。偶に規格外がいるがそれは置いといて」


ほええ、と気の抜ける声を挙げながらアスターが相槌を打つ。改めて聞くとどうも常人離れした性質のようだが、今いる四人の様子を見ているシルヴェスターには特に不安はなかった。こんなにも無邪気に、他の人が出来ないことが出来るという事実を受け入れてくれる友人は、実はおいそれと見つかるものでもないが、彼は運が良かった。


「あとはそうだな、ここにあるレイモンド家は慰者…治癒魔法に優れた才能を持つ家だ。あと貴族の括りにはないが、商家として名を馳せているエイジャー家とか…君たちの前でいうのは何とも心苦しいものがあるが、昔からある古い名家として、フィリップス家はある意味ベネット家と肩を並べるくらい力が強い家だ」

「ああ…あのちっとも話を聞いてくれない人のお家ね」

「あんな奴ばっかりの家ではないからな、一応言っておくが」

「わかってるわ」


口ではそう言うものの、気分が良くない絡み方をしてくるジェフリーにはほとほと愛想が尽きたとリリアが吐き捨てる。気の毒にと言いながらシルヴェスターは丸まってしまったその背を撫でた。


「ねえドム先生、ここに纏まってるのは?」

「ああ、そこにあるのはとても特殊な家だ。一応魔法界の貴族としての扱いだが、何せ境遇が特殊な家ばかりで、普通の貴族とは一線を画すから別枠として記してある」

「へえ…例えば?」

「そうだな…」


そう言いながらドミニクは紙を軽く指先で叩いた。すると幾つかの家名が浮かび上がり、それぞれに何やらエフェクトがついた。そのうち真っ黒な翼が羽ばたくものを指さす。


「例えばここ、シンクレア家。ここはその周りにある五つの家と並べて『神族六家』と呼ばれている」

「シンゾクロッケ?」

「神の一族、その六つの家だ」

「えっ、神様なの!?」

「僕も詳しいことは知らない、何せ閉ざされた家なんだ」


アスターの当然ともいえるような発言に、流石のドミニクも口ごもってしまう。リリアやシルヴェスターも紙の上に浮かぶ家の名前とエフェクトをまじまじと見るが、何も分からずに顔を見合わせて首を振るだけである。


「…『神族六家』のうち、シンクレア家は黒の女神、または死の女神と形容される女神様を先祖に持つ家なんだ。あと他は大地の女神と、炎の神とか、動物の女神、光の神、風の神だったはず」


しかし、それまで一言も発さなかったシャーリーが突然説明を始めた。エフェクトがその説明と合っていることもあり、嘘とは思えないその説明に四人は目をぱちくりさせる。


「…シャーリー、君良く知ってるな」

「ちょっと、ね。そうだ、シンクレア家については皆も近いと思う」

「どういう事…?」

「この学年にシンクレア家の嫡女さまがいる。気づかなかった?何ならドミニク、シルヴェスター、君たちと同じウンディーネ寮にいる」

「…気づかなかった、寮分けで聞き逃したのか」

「そんなことあるか…?一人ひとり静かな中で、大声で呼ばれたんだぞ」


シルヴェスターが一年前の入学式を思い返しながらそう言うのに、アスターも頷く。シンクレアであれば呼ばれる順番もかなり遅い分、印象に残りやすいはずだが、彼らの記憶には全く残っていない。それどころかシンクレアというファミリーネームの存在も知らなかったシルヴェスターとエドワーズ姉妹はなおの事あり得ない、と首を振った。それに顎に指をおいて考えるような姿勢のシャーリーが答えた。


「これは私の予想だけど…さっき、ドミニクが閉じられた家系だって言っただろう。秘匿性が高い家の、しかも跡継ぎ。騒ぎになるのを恐れたか、認識阻害の魔法を使っているんじゃないかと思ってる。ここまで彼女の姿もまともに見ていない」

「…一理あるな」

「一理どころか十理はあるぞ」

「うっそ、じゃあ私たち大げさに言ってしまえば女神さまと同学年なの?」

「だいぶ大げさだが、そうなるな…うわあ、そう考えるとなんて年に入学したんだ」

「まあ、向こうからのコンタクトはほぼないだろうから」


一瞬にしてその場が混乱の大騒ぎだ。しれっと話しているシャーリーが豪胆なのか、それとも何か理由があるのか、そんなことを考えられる余裕がある者は今この場にはいなかった。はあ、と大きな息をついてドミニクが手を後ろにつき空を仰ぐ。シャーリーはそれをクスクスと笑いながら見ている。


「…よし、『神族六家』の話は終わりだ。何も先祖が神様の家だけじゃない、妖精もいるんだ」


ドミニクがもう一度指先で紙を叩くと、先程まで浮かび上がっていた六つの名前は光を失い、代わりに二つの家名が浮かび上がった。一つは名前の傍にジャック・オー・ランタンが跳ね、もう一つは青い炎が名前の周囲で揺らめいている。


「こっち、レディントン家は妖精というと…なんだか違う気もするが、ジャック・オー・ランタンの元となるジャックが生まれた家だ。それ以来この家自体妖精側に引き込まれた、悪くいえば呪われたらしい。で、似たような感じだがこっちのシンフィールド家はウィル・オ・ウィスプ…青い悪霊の火は知っているか?それの元になったウィルの生家だ。こちらも端的に言えば呪われた結果妖精族に近しくなった」

「なんだか色々あるね…覚えられないや」

「覚える必要ははっきり言ってそんなに無いが、君たちが何か野心を持って上り詰めたいというのならばすべて覚えることを勧める」

「普通でいいわ…疲れちゃいそう」

「慣れればそうでもない」

「それは生まれながらお坊ちゃんの君だから言えることだ、僕たちは一般家庭だぞ」

「スライはどちらかと言えばこっちだろう」


やいやいと言葉の応酬を繰り返す男子二人を、三人は微笑ましげに見詰める。そこではたと気が付いたアスターは勢いよくシャーリーの方へ振り向いた。突然の事に肩を跳ねさせた彼女は、いったい何を言われるのだろうかとアスターの口元に集中した。


「シャーリーってさ、ここには姓が載ってないから普通の家庭だよね?」

「…普通、とは少し違うが…まあ、魔法界の貴族ではない」

「どうして『神族六家』を知ってたの?この紙を見る感じモーガン家は相当力の強い家のはずなのに、ドムは知らなかった」

「…何と答えたものかな、ちょっとした伝手というか、彼らと交流する機会が数年に一度あるものだから詳細を知っているんだ」

「…ほんとに?」

「嘘は言ってない。誓ってもいい」

「…嘘ついてなさそう、じゃあ本当にそういうことなんだね」


歯切れ悪く答えたシャーリーをアスターは一瞬訝しんだものの、それが何かを偽っている者の態度ではないと判断した。この様な時のアスターは基本的に「勘」を頼りにし、それがそれほど外れたことは無いことによる判断だった。疑いを掛けられていたシャーリーはほっとしたように姿勢を崩し、いつもの静かな表情に戻る。一部始終を見ていたリリアは何かが引っかかるような気がしたが、気のせいかと楽観的に捉えて未だにシルヴェスターが貴族であるないの話で盛り上がる二人の傍へ寄った。時計はまもなく六時丁度を指すところで、つまりは夕食の時間が差し迫っていたので二人を現実に引き戻すために。




白にも見えるホワイトブロンドの髪を揺らしながら、シャーリーは姿勢よく歩いていく。今日のこの時はいつもの五人ではなく、なぜかと言えば彼女の寮を監督する教授に呼び出されたからだった。一人で来いと書かれていた手紙はやけに新しく、普段裏紙も使うような物持ちが良い(悪く言えばケチな)教授が珍しいことだと考えながらそれに了承の手紙を送った。待ち合わせは中庭で、人がほとんどいなくなる昼食の時間直前という指定に、何があるのだろうかとのんびり考えながら中庭を目指した。

着いたはいいものの、少しシャーリーの到着が早かったらしくその場に人影はない。仕方ないと彼女は傍にあった木に寄りかかり、空を見上げる。途端、その視線の先に違和感を感じた彼女は瞬時にその場を飛びのいた。立っていたあたりにかなりの大きさの石が落下してきて、ずん、とその重さがありありと伝わる音がした。体に当たっても骨折などの大怪我、運悪く頭に直撃すれば死んでしまうことすらあり得るような重量に、ぞくりと背筋を凍らせたシャーリーは油断なく辺りを見回す。


「あーあ、避けられちゃった」


間の抜けたような、ちっとも悪びれない声が背後から聞こえる。振り返れば、そこに立っていたのは悪い意味でよく見知った二人の男子生徒だった。瞬時に嵌められたのだと悟ったシャーリーは二人を警戒し睨みつける。


「おいジェフ、逃がしてんなよ。コイツには聞かなきゃいけねえことがあるんだからな」

「わーかってるってシム。僕は彼女を確かめただけさ」

「いいからさっさと捕まえるぞ、コイツは得体の知れねえ、ここに居ちゃいけねえヤツの可能性だってあるんだからな」

「はいはい、じゃあちゃっちゃとやりますか」


癖のある濃い茶色の髪を持った少年、ジェフリーは悦に浸った顔でじりじりとシャーリーに詰め寄ってくる。後ろからはうねった黒髪の少年、サイモンが待ち構えており、彼の鷲の装飾がついた豪奢なセプターを構えている。横には木が聳え、狭い隙間を抜けようにも、片方に捕まる可能性は極めて高い。囲まれた緊張感に彼女の背を冷汗が伝い落ちる感覚が走る。


「GO!」


ジェフリーが一言吠えると、サイモンが一気に距離を詰めた。上から覆いかぶさるように腕が伸びてきたのを回避すべくシャーリーがしゃがむと、勢い余った彼はそのまま彼女の横に倒れこんだ。しめた、とシャーリーはジェフリーがいるのとは反対の方向へ走り出す。


「あっ、待て!」

「逃げんじゃねえ要注意人物!」


こっちの台詞だ、と頭に浮かんだものの、それを口に出す余裕もなくだだっ広い中庭を走り抜ける。もう少しで城の中だ、と思ったとき、急に足元を何かが掬い上げだ。勢いを失うことなく宙に体が放り投げられたシャーリーは、目の前にあった柱に背中を強かに打ち付けて蹲った。一瞬止まった呼吸に、ひくりと肩が跳ねる。


「はあっ、もうっ、手間かけさせないでよね…っ」

「なんでっそんな、はっ、すばしっこいんだテメエ…」


全速力で追いかけてきたらしい二人は息を切らして悪態をつく。比較的すぐに息が整ったのはサイモンで、持っていたセプターを痛みに唸るシャーリーの頭に突き付けた。強い風にマントがぶわりと翻り、その様はさながら傲慢な王である。


「もう逃さねえ、今からする俺たちの質問に答えろ」

「…っ、」

「おっと立とうったってそうはいかねえぞ。〈悪徒を縛れ、裁きの茨〉!」


サイモンが唱えると同時に地面から鋭い棘がついた茨が生え、シャーリーの細い足首を左右纏めて縛り上げていく。擦れる音が鳴りそうなほどきつく縛り上げた茨は肌を切り裂き、無数に切り傷と刺し傷を作っていく。少しすると茨自体は消滅したが、見えない縄に縛られているかのように両足がくっつき、流れる血はそのまま残っている。一年の初期に同じ相手から同じ魔法をかけられた彼女は、目に涙を一杯に溜めて見開いた。


「さて、と…哀れなお嬢さん、君は一体誰なんだ?」

「…どういう、こと」

「とぼけないでおくれよ?サイモンの家の情報網を使っても魔法界に今君の姓、ナイトレイをもつ一族は居ないんだ。貴族平民関係なくね」

「調査漏れかも、いっ、知れない」

「いいや、俺は全部見れるんだ。でもどこにもお前の名前はない。姓はおろか名前すらもだ」

「これはどういうことかって、君は何かのスパイか何かなんじゃないかっていうのが僕たちの考えさ。偽名を使っていると考えたら戸籍がどこにもないのは納得できるだろ?そこでだ。君がこの学校の中で何かを仕出かす前に、この僕が!ベネット家の長男が!やっつけてやろうってわけだ。素晴らしいだろう?」


彼が滔々と語ったのは、随分突飛な推理とそれに対し強引な解決を施行してやろうという傲慢な考え。これにはシャーリーも開いた口が塞がらず、一瞬背中と足の痛みすら忘れて恍惚としながら語るジェフリーを凝視した。しかし、これだけではなくまだあるようで、彼は再び口を開く。


「おかしいと思ったんだよ。急にあの、グリフィスだっけ?に連れられて、僕の麗しいリリアがいるあの中へ入って、一体何を企んでいる?」

「…本気で言っているのか」

「ああ本気さ!僕が話しているのは事実だ。きっと間違いない。それに君が危険因子と分かった以上リリアの傍にいて欲しくないからね、今彼女は僕への気持ちに戸惑っている最中なんだ。かわいい子だろう?そんな僕のエメラルドに傷をつけられちゃ堪らない」


ああ、これは何を言っても通じない。シャーリーは最早同じ空間にいるのすらを疑い始めた。サイモンも彼の大演説に茶々を入れては楽しそうに囃し立て、エンターテインメントのようにしかこの場を見ていないようだった。このままでは埒が明かない。そう感じたシャーリーは、どうにかしてこの場からか慣れる方法を模索した。この恋に盲目、狂信者とも呼ぶべき者の傍にはいたくない、この一心だった。


「…ベネット、フィリップス。私はあなたたちの問に答えることは出来ない」

「いいや、答えてもらうよ。僕のリリア、ひいてはこの学校全体の安全がかかってるんだ」

「それでも、答えられない」

「はあ?どういうことだ。答えたら殺されたりでもするのか?まあ本物のスパイなら裏切者は殺されて当然だろうがな」

「それも、答えられない」

「いい加減にしなよ!その言い方、嘘すらつけないとでも言いたそうだけど、何、嘘をついたらいけない呪いでもかかってるのかい?まっ、嘘を吐いたところでこの僕らにはすべてばれるんだけどね?」

「…ああ、嘘をつくことが出来ない。呪いみたいなものだ」


ここまでのシャーリーの返答に、二人は上手く事態が運ばないことに焦りはじめたのか、顔を顰めた。彼女の言うことが本当であれば、ここから先何か言うごとにそれが真実、またはそれに即していると証明できるような言葉である。しかし口を簡単には割らないつもりのシャーリーに、気が短いらしいサイモンがいらいらと足をそわつかせた。


「まだ口答えする気かい?いい加減答えないと、次は足を縛るだけじゃすまないよ…?」

「何をしたって、答えるつもりはない。諦めてくれ」

「だーっ、もうめんどくせえな!」


ついに怒りの沸点に到達し、サイモンのセプターが空を切った。その先に集まり始めた風の渦に、彼女はいよいよ不味いことになったと顔をさらに青くした。鷲の飾りが振り上げられる。足からじわじわと出血していたせいですっかり体温が奪われていたシャーリーは、その寒気とすぐそこに迫りくる恐怖に震えながら瞼を強く閉じた。ごう、と風が唸る。


「そこまでだ」


突如として風の音が止む。現れたその人物たちにサイモンとジェフリーは酷く驚き、後ずさった。真っ直ぐな黒髪と癖のある黒髪、質の違う長いそれを靡かせながらシャーリーの前に立ちはだかったのは、年の節目に数度だけ見かけた門番の二人だった。肌の露出が多い異国を思わせる衣装に、流石の二人も狼狽えて口を閉ざす。門番の二人のうち、赤い衣装と瞳が特徴の女性が前に出てジェフリーとサイモンを睨みつけた。


「悪戯の範疇を超えている、教授に報告しておくから処遇がどうなるか待っていろ」

「なっ、なんであんた達がいるんだよ!?」

「普段こそただの門番だが、今日は校長に呼ばれたのでな。それに多少なりともこの学び舎に関わる身、生徒の安全を守るのは当然のことだ。…早くいけ、ベネット、フィリップス。お前たちに必要なのはここでのお喋りではない。既に知らせは出しているのでな、今頃君たちの寮監が血眼で探しているだろう」


手で追い払うような仕草と共に言われた言葉に、流石の二人も顔を青くして走り去った。去り際に悪態をついた二人はただの悪役のようで、女性は小さく滑稽だと呟く。その後ろ、もう一人の青い衣装と瞳が特徴の女性はシャーリーの手当てをしていた。あれだけ酷かった足の傷はいつの間にかきれいに消え去り、彼女の顔色もいくらかましになっていた。


「大丈夫か」

「大丈夫…ありがとう二人とも」

「大丈夫じゃないでしょ、血だらけだったのに」

「不覚だった…もう少し気を付けよう」

「そうしてくれ。いくら私たちがこの場を監視できるとはいえ、君たちは嘘が許されない。詰問されれば不利なのはシャーリーだからな」


シャーリーがよろめくことなく立てた事を見届け、赤と青の二人はその場を去っていった。言葉なく見送った彼女は急いでその場を後にする。先ほど聞こえてきたのは予鈴、もう十分すれば授業が始まる時間だった。




 もう間もなく二年生が終わる頃、シルヴェスターは今年は随分平和な学校生活だったなと振り返っていた。おそらくジェフリーとサイモンがリリアに接近禁止令を出されているのを良いことに、ほとんど常に五人で行動していたからだろう。果たして接近禁止がいつまでなのか分からないが、願わくはこのままずっとであって欲しいと願うシルヴェスターは漸く授業中であることを思い出して顔を上げた。今は変身術であり、二年生最後の授業は座学でとにかく退屈だったのだ。だが、漸く話が進展しそうだというのもあって彼は座りなおす。


「さて皆さん、今ここに書き出したものは皆さんが今年に習得できたであろう変身術の内容です。今日は新しいものには入りませんが、残りの時間は将来的なお話を致しましょう」


変身術の教授は傍らにいた鳥を鏡に変え、更に自分自身をカラスにして見せた。教室中から歓声が上がる。くるりと教室を一周したカラスは教卓の前に戻ると、ひと鳴きして教授の姿に戻った。


「今年度まで、皆さんは命のない道具等を別の命ない道具へ変えることを学んできました。ですが三年生では先程見せた様に生き物を道具に変えることを学びます。その反対は四年生以降、そして変身術の最骨頂と言えば今見せた通り自分自身を別の動物に変える術。生まれつき動物の姿を持っている人もいますが、この術は一歩間違えれば自分自身のパーツが分からなくなったり精神が不安定になったりと危険を伴うものですので、上級生が主に習得の許可対象とされています。とはいえ、あなた方のような年齢の生徒が習得することは、何も絶対に禁止というわけではありません」


生徒の顔を順に見ながら、教授は勿体ぶった身振りや言葉遣いで話していく。これを期待いっぱいの眼差しで聞いていたのはアスターだ。


「今年の自由課題は変身術からです。四人以上、最大六人までのグループを作り、自分自身を他の動物に変える変身術について調べてまとめるように。その過程でもしも習得することが出来たなら、加点を差し上げます。ですが、練習するのであれば保護者様の目が届く場所でやること。グループ内の構成は性別、寮を問いません。では今日は以上、速やかに退出なさい」


教授がそう言うと同時に終業のチャイムが鳴り、生徒たちは一斉に立ち上がる。早速グループのメンバーを募る者もいて、教室内は俄かに騒がしくなった。シルヴェスターが机に広げた教科書やペンなどをしまっているところへ、大声で呼びかけたのはアスターだった。ずっと呼ばれていることに気づかなかった彼は、四人分の視線を集めていることに驚き肩を跳ねさせた。


「ねえスライ!自由課題一緒にやろう」

「あ、ああその話か。もちろんだ」

「やったわね!メンバーはいつもの五人よ!」

「よろしくなスライ、君がいれば習得も夢じゃないと思わないか」

「買い被りすぎじゃないか」

「いーや、買い被りじゃないね!いっつも最初か二番目に変身術を成功させるじゃん、得意以外の何ものでもないって」

「そうよ!それに学校以外でこの五人で集まれるのはとても楽しみだわ」


アスターとリリアの言葉にドミニクとシャーリーも頷き、全肯定されてしまったシルヴェスターは曖昧に笑うしかなかった。一先ず授業で使った道具をすべて抱え、教室を後にする。道すがらいつにしようか、などの計画を立てていると、ドミニクが声を上げた。


「そうだ、課題をやる期間は僕の家に泊まりに来たらいいんじゃないか」

「えっ、いいの?一週間くらいとか話してたけど」

「多分大丈夫だ。客室ならたくさんあるし、父上も母上も、実は君たちに興味津々なんだ。むしろ歓迎されると思うね」

「ドムが大丈夫というのならぜひ行きたいけれど…ちょっとドキドキするわね。貴族のお家にお邪魔するなんて」

「そこは気楽に友人の家と考えてくれ。な、スライもシャーリーも来るだろう?」

「…そうだな、いいのなら行ってみたい」

「私は…、いや、皆がいるなら行きたい」

「決まりだな。父上と相談してみるが、期間はさっきのあたりで?」

「大丈夫!」


あっという間に計画が立ち、一同は揃って表情を緩ませる。まずは、一週間の勉強週間を経てやってくる試験期間に備えて勉強するのが先だと、その先に来るであろうお楽しみをご褒美としてやる気を奮い立たせた。今年度の授業がすべて終わるまで、あと二日である。




 そうしてやって来た夏休み。テストの返却も済み、各自帰省をしてから翌日、シルヴェスターは早速課題に取り掛かっていた。宿題は出来る限り初めに終わらせるタイプの彼は、夏休み一日目で順調に一つ目の課題を終わらせた。今日やっていたのは薬草学で、自分の杖に使われている木、もしくは身の周りの人の杖に使われている木について調べろという課題だったのだが、シルヴェスターのワンドは黒塗りされており一見なんだか分からなかった。しかし祖母に見てもらった結果杉であることが分かり、杉の生態や木材としての特徴を調べることですぐに終わった。杉だと分かったときに祖母は楽しそうに何かを言いたげだったが、結局何も言われず分からないままだった。

 夕食時、二人で向き合いながら食事を頬張る。今日は白身魚のムニエルで、祖母自ら育てたハーブがふんだんに使われたそれは香り高く食欲をそそった。半分くらい食べ終えて、ふと変身術の課題の約束について思い出したシルヴェスターはおずおずと言葉を切り出した。


「なあグランマ」

「なあに、シルヴェスター」

「今年の自由課題で、変身術から自分の姿を他の動物に変える術について調べろって出たんだ」

「あらそうなの、面白そうじゃない」

「そうなんだ。それで、グループで調べるように言われて、例の四人とグループを組んだんだけど、調べ物をする間泊りに来ないかって言われたんだ」

「そう、スライは行きたいの?」

「…うん。行きたい。行ってきてもいいか」

「もちろんよ。ダメなわけないじゃない、楽しんでおいで。誰のお家に行くのかしら」

「ドム…ドミニク・モーガン」

「ああモーガンの子の。そう、じゃあお土産用意しないとね」

「ありがと、グランマ」

「いいのよ、貴方がお友達と楽しく過ごせているのが私はとっても幸せよ」


そういって顔に深い皺を刻みながら微笑んだ彼女に、シルヴェスターも柔らかく微笑んだ。続きは後で聞くから、とまずは夕食を片づけるように言われ、慌てて残り半分ほどに手を付ける。いつも大人しく、あまり感情を表に大きく出さないシルヴェスターの珍しい話に、祖母は心の底から楽しそうな表情で彼を見詰めていた。

 課題をこなし、時々魔法薬の調合や薬草の収穫を手伝いながら過ごしていると、あっという間に約束の日がやってきた。午前十一時の待ち合わせに間に合うように荷物を纏め、祖母からお土産にと持たせてもらった自家製のハーブティーを確認してそれも鞄に入れる。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい。最後の日にみんなでここへ寄ってもいいのよって伝えて頂戴」

「ああ、言っておくよ」


玄関を出た先でハグと頬にキスを貰い、祖母に見送られながら出発した。今回は少し歩いた場所にある魔法族のみが使える馬車で移動する予定だ。森の近くであるため周りはほとんど民家がなく、一面に芝生が生えた景色が広がる。一本道を進んでいくと、途中でシルヴェスターを呼ぶ声が聞こえてきた。少し先、馬車が停まる場所で手を振る赤毛と濃い茶髪の二人に、思わず彼は顔を緩める。


「やあスライ!二週間ぶり?」

「そうだな、元気だったか二人とも」

「ええ!私たちはもちろん元気よ」

「よし、スライも来たからもう呼べるね、リリアは水晶玉と、スライはワンド準備してー」


アスターの指示に従い、二人は各自水晶玉とワンドを手に持った。道端、無造作に転がっているようにも見える大きめの石にそれらを差し出し、アスターは拳銃を突き付けるような手の形でそれを指さした。すると石が光り始め、次の瞬間馬が嘶く声と重たいものが地面に降りる音が三人の背後から聞こえた。二頭の馬は真っ黒で翼が生え、御者台には一人の異様に背が低い男が座っていた。


「やあお嬢さん方とお坊ちゃん。ナイトメア便をご利用いただきありがとう、三人で合ってるかい?行先はどちらへ?」

「こんにちは。あたしたち三人で合ってる、モーガン家のお屋敷の門の前までお願いしたいんだけど」

「ああ、モーガン家ね!お安い御用だ、さあ乗りな。荷物も忘れるなよ」


その言葉と共に後ろの扉が開く。重たい荷物をどうにか乗せながら乗り込み、扉を閉めるとすぐに馬車が浮き上がる感覚がした。窓から覗けば、先程まで三人が立っていた場所はあっという間に小さくなっている。三人で揃って歓声を上げ、その事にクスクスと笑いあう。


「すごいわね!馬車には初めて乗ったけれど楽しいわ」

「ね!列車でも行けるけどさ、これに乗ってみたかったんだ。あ、スライはお金気にしなくていいよ。あたしたちのお母さんがこれで行きなさいって馬車のお代分をくれたんだ」

「そうだったのか。お礼を言わなければな」




馬車に揺られること三十分、三人はアスターの作ったクッキーをつまみ食いしたり、夏休みの課題について進捗を報告したりしていた。シルヴェスターとリリアは終わらせていたが、アスターは苦手科目の魔法史だけ手を付けられておらず、しゅんと項垂れた。そんなアスターにシルヴェスターとリリアで課題のアドバイスをしていると、突然馬車は霧に包まれ、一瞬吹き込んだ冷気に一斉に震えた。何だなんだと外を見てみると、どうやら人間世界でなく魔法族の多くが暮らす魔法界へとやって来たようだ。シルヴェスターたちが暮らしているのは魔力を使わない人間の暮らす世界で、その辺境に認識阻害の魔法を掛けることで見つからないように暮らしている。魔法界はそうした世界とは少し位相のずれた場所にあり、大掛かりな呪文によってその空間が隔離されている。魔法界は昼が存在せず、月が二つあるというおかしな場所である。眼下に広がるランタンの明かりが連なる景色は幻想的で、三人はしばらくそれに見入っていた。

やがて馬車が減速し、地面が近づいてくる。始め見た時よりもずっと柔らかく降り立ったのに少し安心していると、自動で扉が開いた。先にアスターが飛び降り、残った二人で荷物を運び出す。


「ありがとうございました、お代はこれで足りる?」

「ああ、ぴったしだ。また使っておくれよ」

「初めて乗ったけど、とても楽しかったわ!」

「そりゃ何よりだ。っといけねえ、次があるんだ。それじゃ、またなおチビさんたち!」


ナイトメアが嘶き、その場から一瞬にしていなくなるのを見届けた三人は、後ろからやってくる足音に気が付いて振り返った。歩いてきたのは上品な洋服に身を包んだドミニクと、見慣れない形の衣装を着ているシャーリーだった。


「やあ三人とも」

「あらドム!シャーリーは先に着いてたのね」

「ついさっき着いたばかりだ。そこに馬車が来たから君たちだろうと思って」

「そうだったの。シャーリー服いいわね、すごく綺麗」


目ざとくリリアが衣装を褒めると、はにかみながらありがとうと呟いた。シャーリー曰く衣装は実家のものであり、住んでいる所が遠いため独特に見えるのだろうとのことだった。そう言う彼女をアスターは可愛いと繰り返しながら、手をとってくるりとターンさせる。シャーリーが綺麗にその場で回るのに合わせて、薄い布で出来ているドレープたっぷりのスカートがひらりと舞うのにリリアが歓声を上げた。はしゃぐ女子たちを見ながら、彼女らに置いて行かれた大きな荷物たちにドミニクが苦笑する。


「大荷物だな、まあ一週間分って言ったらそうなるか。家の者に運ばせよう」

「えっそんな、悪いよ」

「彼らはそういうのが仕事だからな、遠慮はしなくていい。むしろ彼らの仕事を取り上げないでやってくれ」

「そういうものか…まあ、お願いしよう」

「そうね、重たいしお願いするわ」


荷物から必要なものだけ先に出すように言われて、三人は一先ずはと自分の杖や水晶玉とお土産の類を取り出す。いつの間にか来ていた使用人にドミニクが移動を頼むと、あっという間に荷物はその場から消え去った。使用人の手には本が開かれ、その頁が一枚光っていたので彼の魔法だろう。行こう、というドミニクに連れられて、四人は初めてのお屋敷にやや緊張しながらついていった。

 門を潜れば、すぐに見えるのは広大な庭だ。綺麗に整えられている植物たちが浮いているランタンによって柔らかい橙色に照らされ、普段人間界で暮らすアスター、リリア、シルヴェスターは興奮しながら辺りを見回した。シャーリーも物珍しげに庭の至る場所にあるランタンを眺め、照らされている花を撫でている。そんな四人の反応に嬉しそうなドミニクは、一刻も早く屋敷を案内したかったのか早く来るように急かした。慌てて着いていくシルヴェスターたちは、玄関口に二人の人が立っているのに気が付く。


「僕の父上と母上だ」

「ごきげんよう、ようこそモーガン家へ」

「来てくださって嬉しいわ。ドミニクも今日を心待ちにしていましたのよ」

「あ、はっ初めまして!」


その悠然とした出で立ちに思わず気圧された四人は、おっかなびっくり傍へと近づいた。だが思いの外気さくな挨拶を寄越したモーガン家当主とその奥方に、比較的怖いもの知らずなアスターが勢いよく挨拶をした。そのまま名前を名乗りながら、当主と奥方と握手を交わす。最後に名乗ったシルヴェスターに、当主はおや、と顔を一層綻ばせた。


「君がグリフィスの子だったか。君のおばあさまにはお世話になっているよ」

「そうなんですか?じゃあ、祖母の言ってたお得意さんって」

「きっと、私がその一人だろうね。正しくは、私の妻は肺が弱くて、君のおばあさまの魔法薬が一番よく効いたからいつも調合してもらっているんだ」

「そうなのよ。あの魔女様の魔法薬は本当に素晴らしいわ、いつも苦しいのがすうっとらくになるのよ」

「そう、でしたか」


シルヴェスターはまさかここで祖母の話が出るとは思わず、間の抜けた返事を返した。にこにこと穏やかな笑みを浮かべるモーガン夫人の肌は確かに異様な白さで、あまり健康的とは言えない。それでも祖母の薬が目の前の女性を支えているという事実に、シルヴェスターは胸のあたりが温かくなるのを感じた。


「ふふ、ぜひ帰ったら魔女様にお礼をお願いしますね」

「ありがとうございます。ああそうだ、祖母から自家製のハーブティーをと」

「あっ、それならあたしたちからも!自分で作った紅茶のクッキーなんですが、自信あるのでよかったらお供にしてください」

「あの、私もこれ…木苺がたくさん摂れる場所で、ジャムにしたものなんですがよろしければ…」

「まあまあ、ありがとうございますね。では後で皆さんと揃って頂きましょう」


シルヴェスターを皮切りに次々と差し出された手土産を、奥方はとても嬉しそうに受け取った。さあ中へと当主が促すのに倣ってドミニクが進み、その後を鴨の雛のように四人が連れ立って歩く。やがて見えてきた屋敷の内装のなんと豪華なことか。天井から下がるクリスタル製のシャンデリアが蝋燭の明かりを乱反射して煌めき、重厚な暗い色を基調とした調度品が並ぶ様はさながら宮殿のようだと、アスターとリリアははしゃいだ。


「すごいすごい!外からもお城みたいだと思ってたけど、中もかっこいい!」

「ほんとね!舞踏会とか出来そうな広さだわ…」

「ああ、実際にパーティーのうちにはダンスを伴うものもあるぞ」

「「そうなの!?」」

「うわっ食い付きいいな」

「だって本物の舞踏会ってことでしょ?憧れよ!」

「あたしも…まあ、ドレスはそんなに興味ないけど、ダンスパーティーは楽しそうだ!」

「ああ…アスターらしいな…」


興奮気味で話すエドワーズ姉妹に押され、苦笑いをしながらも答えるドミニクは満更でもなさそうだ。その様子を微笑ましげに眺めていたモーガン夫妻は、はたと思いついたようでその場から当主が去っていった。すぐに気が付いたシルヴェスターがそれを見ていると、奥方の声が掛かる。


「ああ、あの方のことは気にしないで頂戴。きっと何か楽しいことを思いついたのだわ」


そう言った彼女に、シルヴェスターとその傍にいたシャーリーが揃って首を傾げる。それがあまりにも揃っていたので、可笑しそうにころころと笑った。いつの間にかすぐそばまで戻ってきていたアスターとリリアも不思議そうな表情を浮かべ、ドミニクは何か思い当たったのか母親に向けて肩を竦めて見せる。


「さあドミニク、可愛いお嬢さんとお坊ちゃんに案内して差し上げなさい。三十分後には昼食になるわ、誰かが呼びに行くと思うけど」

「分かりました母上、ではまた昼食の席で。お前たち、行くぞ」




その後一頻り屋敷を見て回ったが、あまりに広いので昼食に呼ばれる頃はまだ半分しか巡り終わっていなかったため昼食後も探検は続行した。残り半分も全て見終わった後、ドミニクのお気に入りだというガラスの温室で課題を開始した。まずは調べものからと変身術に関わるあらゆる文献を引っ張り出し、各自でそれぞれの文献から必要事項を取り出す作業を始めると、あっという間にメモをした紙の山が出来上がった。そこで一度モーガン夫人から呼ばれ、着いていけば何とも豪華で洒落たティーセットとお菓子たちが温かい光に照らし出された庭に用意されていた。双子はその非日常的な光景に歓声をあげ、シルヴェスターとシャーリーも目を輝かせながらその場に参加した。ドミニクはというと途中で放り投げてきた研究が気がかりなのか、時々魔法の扱いについてうわごとのように呟いていたが。

課題を纏めるところは順調で、何とその日の夕食後にはもう資料として出来上がってしまっていた。こうなればやることは一つしかないだろうと、五人は顔を合わせる。


「やるか、実践の変身魔法」

「まさか一日で纏まるとは思わなかったしね…あたしはやる気だよ」

「ドミニクのお母さまたちが監督してくだされば…忙しいかしら」

「大丈夫だ、もうすでに言ってあるから。得意な母上が見てくださる」

「ありがたい限りだ」


 そして翌日。約束は午後からのため、午前をのんびりと謳歌した五人はこれから始まる変身術の訓練に思いを馳せていた。口を開けば変身術の事で、その様子を垣間見たモーガン家の使用人が陰でこっそりくすくすと笑っていたが、そんなことを彼らは知る由もない。特に興奮気味に変身術の方法や機序について語っているのはやはりアスターで、ずっとそれを聞かされ続けたシルヴェスターが、きっと変身が成功した暁には芝生を転げまわる子犬になるんじゃないかと若干うんざりした様子で言ったくらいにははしゃいでいた。

 昼食を終えて、ついに変身術の訓練が開始された。五人とも資料をまとめてレポートを作成する段階で手順については完璧に近かったが、それと実技とはまた話が変わってくる。始めに手本として夫人が変身する様子を──彼女はとても優雅なカモメに変身して見せた──見せてもらった五人は、イメージが重要だという助言を受けてそれぞれの魔力出力媒体を持って構える。モーガン夫人は庭に用意されたカウチに座りながら、緊張感たっぷりの子供たちを見守っている。


「イメージ…どんな動物になるのか分からないから難しいなあ」

「うふふ、焦らないことですわみんな。貴方たちの奥底に眠っている本能が最も収まりの良い動物を導き出すまで、そうね、空想を続けると言ったらいいのかしら」

「空想?」

「そう。こんな天気が好き、こんな場所が好き…ってね」


そう言われ、あまり堅苦しく構えるのは止めにしようという誰かの声で五人は芝生に座り込んだ。好き好きに寝転がったり、脚を引き寄せて座ったりして、しかしながら一様に仮初の空を見上げる。暫く続いた沈黙を唐突に破ったのはアスターだった。


「ねえ、みんなの好きな場所ってどこ?」

「好きな場所、か…」

「そうね、私はやっぱり青空の下に広がる草むらかしら?穏やかな風が吹いてるときなんか最高に気持ちいいって思うわ」

「いいね、リリアらしいや。あたしはねー、こう、岩肌が出てる険しい山とかちょっと楽しそうだなって。ロッククライミングみたいなね!」

「ロッククライミング?」

「そ、魔法界じゃないかもしれないけど魔法が使えない人間界だと結構人気のスポーツ」

「へえ、初めて聞いた」

「いかにもよく跳ねまわってるアスターらしいな」


笑いながらそう言うシルヴェスターもドミニクも、軽口を叩くその顔つきはとても穏やかだ。アスターも少し口を尖らせたが、すぐに屈託のない笑顔を浮かべる。やがて視線だけで促されたドミニクが次に口を開いた。


「僕は…そうだな、今まで考えたことも無かったが、木の上で周りの景色を見渡してみたいと思ったことはある。遠くまで見通せる場所は、暗い魔法界にはほとんどないからな」

「なるほどね、真っ暗だと良く見えないもんね~。じゃあスライは?」

「僕、は…森だろうか、普段は暗いが木漏れ日が差す森の景色はとても綺麗だから。それに雨の日の森も悪くないんだ、雨音が心地いい」

「いいわね、素敵!」


ドミニクが目を閉じながら情景を言い、続いてシルヴェスターもどこか遠くを眺めながら思い浮かべていた景色を言葉にした。結構繊細な感性だな、とからかうような口調でドミニクに言われ、うるさいと適当にあしらう。それをその場にいるものはくすくすと笑いながら見ていた。さあ、と芝居がかった動きでアスターが手を広げてシャーリーを見るのにつられて、三人もシャーリーを見詰める。


「最後は君だけだよ、シャーリーはどう?」

「私は…私は、場所はどこも好きだな…ああでも、夜明けを見るのはすごく好き。どうしてか胸を締め付けられて、切なくて…でもそれが綺麗なんだ」

「素敵な感性だ」

「ほんとに!これでみんなの好きな景色が心の中にはっきりするんじゃないかな」

「ああ…想像、母上の言う空想がだいぶやりやすくなりそうだ」


満足げにそう言ったドミニクはごろりと芝生に寝転がって目を閉じた。アスター、リリア、シルヴェスターもそれに倣って頭を突き合わせる形で転がるとさざめく様に笑いながら各々目を閉じる。一人、シャーリーはそれを少し眺めて視線を後ろ、モーガン夫人のいる方向へ移した。丁度目が合うと、夫人は柔らかく微笑みながら頷いたので、シャーリーも何度か小さく頷いてから四人の輪に加わった。




 果たして、その空想の成果は早くもお泊り会四日目に表れ始めた。空想に飽きないように屋敷の至る所を転々としながら空想を続けて、一番最初にやはり感覚派のアスターが変化を見せた。四日目の午後に中庭に並んで座っていた時、ふとドミニクがやけに静かな隣を見たところ、そこにはなんと何やらネコ科とみられる動物が寝転がっていたのだ。先ほどまで確かに隣にいたアスターの影は跡形もなく、飼われるような猫にしてはかなり大きな体躯のそれに驚いた彼は声を上げて立ち上がった。声に驚いたそれは跳ね上がり、すぐにその姿を歪めたかと思うと見覚えのある少女──アスターに変化した。


「えっ…えっ?」

「…アスター、成功したのか!」

「えっほんとに?私見てないわ!」


混乱するアスターとドミニクの間に興味津々のリリアが割り込んで、静かだったその場はあっという間に大騒ぎとなった。残りの二人も何だなんだと寄ってきて、アスターはあっという間に囲まれる。この場に加わって来たのはモーガン夫人だ。満面の笑みでやってくる彼女に本当に成功したことを漸く実感してきたアスターは、困り顔に段々と笑みが広がってゆく。


「よくやったわねアスター、確かに貴方は変身術をものにしていましたよ」

「本当に?本当に出来たんだ、あたし?」

「ええ、一度変化すればその感覚は身に沁みつくものだから、きっともう一度できますよ」

「すごい!やって見せて、アスター」


リリアに急かされるように、今度は本来変身術の際必要な動きをしたアスターはしゅるりとその姿を変えた。しっかりとした体躯は灰褐色の毛並みに覆われ、三角の耳の先には飾りのように長い毛が伸び、尻尾は短め。ぐるる、と低い唸り声を上げた彼女は差し出されたリリアの手にすり寄ったため、鳴き声はこういうものらしい。


「ネコ科ってことはわかるが…」

「オオヤマネコじゃないか、シベリアオオヤマネコっていう少し大きな種類がいたはず」

「よくご存じねシルヴェスター。きっとシベリアオオヤマネコであたりですわ」

「あっ瞳はいつものアスターの色だわ」

「…ふふ、ふわふわだ」


リリアとシャーリーに良い様に撫でられ、機嫌がいいのかオオヤマネコ姿のアスターはあっさりと腹を見せて寝転がった。わっ、と歓声を上げた二人にさらに撫でられ続け、気高い見た目とは裏腹に子犬のような姿勢は健在のようだ。起き上がった彼女は、今度は少し後ろでその様子を見ていたドミニクとシルヴェスターのもとへ駆け寄って、まるで撫でてと言うようにその手に頭を擦り付けた。素直にその頭をわしわしと撫でたシルヴェスターとは反対に、動物が得意ではないのか中々手を出さないドミニクはついに痺れを切らしたアスターが飛びついたことで地面に一緒に転がる羽目になった。人間の姿に戻ったアスターは大層満足そうな顔をして、その状態でも暫くはしゃぎ回っていた。

 次に成功させたのはドミニクとリリアが同時で、五日目の午前中のことだった。その時は広い応接室に来ていて、中々成功しないと焦りを見せていたドミニクと、のんびりとその時を待っていたリリアが突然その場から姿を消した。否、ドミニクが座っていた椅子の背もたれ部分に鳥がとまっており、リリアが座っていた床には馬が細い脚を器用に畳んで座っていた。それを見た三人はぽかん、と口を開けて凝視し、暫くしてから二人に詰め寄った。


「わあ、ドミニクは鳥だ!何だろう、フクロウかな?」

「そうだろうな、多分オナガフクロウという種類だ。うちの近くの森にもいる。リリアは馬なんだな」

「ね、きれいな赤毛と緑の目だから間違いなくリリアだよ!おいでおいで~」

「ふふ、よくやりましたねドミニク、リリア。双子でも全く違うのは面白いところね」

「確かにそうですね、レポートに追加してもいいかも」


やや小柄な馬の姿をしたリリアは嬉しそうな足取りでアスターに歩いて寄り、その鼻面をアスターの後頭部に押し付けた。フクロウ姿のドミニクも、慣れない翼での飛行にばたばたしながらもなんとか差し出されたアスターの腕にとまったことで、彼女は動物たちに好かれる御伽噺の姫君のような格好となった。

 そして、六日目の夜。明日は帰宅する日だという事でモーガン氏からのサプライズがあった。女性陣が奥方に呼ばれて姿を消したかと思うと、シルヴェスターもドミニクにつられて衣裳部屋へとやって来た。そこには魔法使いらしい黒や濃い紫を基調としたローブが所狭しと並び、シルヴェスターが目を白黒させたのは言うまでもない。


「今夜の晩餐はドレスコードありだからな。僕の衣装たちだ、体格は似てるから着られると思うが…気に入ったものがあれば言ってくれ、それを貸そう」

「は…高そうなものばかりだ」

「気後れしてるのか?僕の何だからそんな必要はない、ほらレディたちが出てきてしまう」


急かされた彼が選んだのは布がたっぷりとした真っ黒なもので、少し調子よく歩けば裾が翻るような軽い素材のものだった。一方でドミニクは身体のラインが出るようなかっちりとしたものを選び、二人が並ぶと見事に対照的な印象となった。

 外に出て待っていると、まもなくモーガン夫人に連れられた三人がやって来た。アスターは濃い緑の斜めに切られた膝丈が特徴的なカクテルドレス、リリアはサーモンピンクが可愛らしいAラインの軽いドレス、シャーリーは暗い青にシルバーのようなレースが映えるAラインのドレスとそれぞれの印象が反映されたドレスに身を包んでいる。軽く化粧をしていることで普段は快活な少女たちも一気に大人びた。恥ずかしいのかはにかみながら少し俯いているアスターと、人生初のドレスにご満悦のリリアの手をドミニクがさっと掬い上げる。そのままあっという間にエスコートしながらホールへと入ってしまった三人をあっけにとられながら見ていると、隣にシャーリーが並んだ。そちらを振り向けば、目元が緩んだ彼女に頷いて返される。


「さあシルヴェスター、レディはエスコートして差し上げるものですよ」


モーガン夫人の言葉にはっとしたシルヴェスターが手を差し伸べると、ほっそりとした白い手が乗せられる。軽くそれを握ると、先に行った三人を追いかけるように足早に歩きだした。

 ホールには魔法で奏でられる楽器たちが並んで静かな曲を演奏しており、一足先に入っていた三人は既に後から入って来た二人を迎えるような出で立ちで立っていた。端にはいくつかのテーブルとそこに並べられた簡単な料理たちがあり、これがいわゆる立食パーティーと舞踏会を融合したような一風変わった晩餐会であることが見て取れる。まばらに立っている使用人たちが頭を垂れることに慣れないシルヴェスターはどぎまぎとしながら三人のもとへ寄った。そこへモーガン氏が奥方をつれてやって来た。


「やあ、素敵な夜だ。ここへの滞在では最後の夜だろう、ぜひ楽しんでくれ。ドミニクとエドワーズ姉妹は変身術を習得したようだね、その年齢での成功例は非常に少ないんだ。素晴らしいことだよ」

「ありがとうございます父上、この成功はこの五人でいなければ出来なかった」

「ありがとうございますドミニクのお父様!」

「うむ。さ、時間がもったいないね、まずは一曲どうかな」


モーガン氏が指を鳴らせば一度音楽は止まり、はっきりとリズムを持ったワルツの曲が始まった。ここでパートナーの組み合わせを考えていなかった五人は慌てて互いに顔を合わせる。


「しまった、何も考えてなかった」

「どうするんだ、そもそも僕はダンスなんてまだやったことないぞ」

「あたしもないや」

「私ほんの少しだけ母さんに教えてもらったけど、それしか…」

「リリアはどの程度?」

「すごく簡単なワルツだけよ。ほら、誰もが社交ダンスする一番最初にやるような…」

「じゃあ、ドミニクはアスターを連れていくといい。リリアは少し大変だろうが…スライの相手を」

「え、いやだから僕は」

「初めの挨拶はドミニクを見ればいい、リリアのいうステップは本当に難しくないからきっと君ならすぐ覚えられるよ」


さあ、とシャーリーが二組のペアをホール中央へ押し出す。そしてさっさと壁の花になりに行った彼女を四人はぽかんと見ていたが、すぐに動き出したドミニクにつられて三人も挨拶の姿勢を取った。既に先に踊り始めていたモーガン夫妻はその様子を微笑ましげに見ながらくるくると優雅に舞っている。ぎこちなく始まった子供たちのステップはやはりそれには程遠くて、全く踊ったことのないアスターは何度かドミニクの足先を踏み、リリアもドレスの裾に足を取られそうになってはシルヴェスターにしがみついた。アスター同様初心者であるはずのシルヴェスターはホールを一周するうちに早くもコツを掴んだのか、スムーズな足さばきでリリアをエスコートした。くるり、くるりとホールに三輪の花が咲いたような様子に、壁際のシャーリーはそっと微笑む。そしていつかのように、あの背丈を遥かに超える光り輝くようなセプターを出現させると、音なくそれを一振りした。


「…わっ、何?あっドミニクの胸ポケットにバラ挿さってるよ!」

「そうなのか…?アスターの頭には花冠が乗ってるぞ」

「そーなの?どこからだろう…?」


リリアの頭にもアスターと揃いの花冠が出現し、モーガン夫人の髪にも色とりどりの花が飾られた。シルヴェスターとモーガン氏の胸にも一輪ずつバラが挿され、六人が一様に不思議そうな表情を浮かべた。ふとシルヴェスターは壁に未だ立ったままのシャーリーを見たが、彼女はほんの少しだけ笑みを浮かべながら手を振るだけだった。




 晩餐会もとうに終わり、既に就寝時間として子供たちはベッドに入った時間。客間が並ぶ廊下の先にあるカウチには、一人シルヴェスターが座って空を眺めていた。その手には彼のつややかな黒いワンドが握られている。薄いナイトガウン一枚でどれほどいたのか、彼が少し肩を震わせて小さくくしゃみをした時だった。


「…スライ?」

「っ…、ああ、なんだシャーリーか」

「だいぶ遅い時間だけれど、何を?そのままでは体を冷やす、これを羽織った方がいい」

「ああ…ありがとう。君はどうしてここに」

「偶然、何となく廊下に出たらスライが見えたから」


そこに表れたのはシャーリーだった。スライよりは重ね着をしていて、その手には毛布が抱えられているところ薄着のシルヴェスターを見かねて来たらしかった。差し出されるまま受け取って肩から包まると、いくらか温かく体の力が抜けていく。徐に隣に座ったシャーリーは、どうやら部屋に帰る気はないようだ。


「何を、考えていたの」

「…その、変身術が習得できなかったのが心残りで」

「そっか」

「まあ、理論派の僕は習得し辛そうだと思っていたからいいんだが」

「ふうん?…君が動物になったら、何になるんだろう」

「分からないな、見当もつかない」

「それもそうだね、楽しみだ」


そう言いながら寄りかかってくるシャーリーに、シルヴェスターも寄りかかり返す。じんわりと温かい体温が移り、眠気が忍び寄ってくる。まだ起きていたいと思ったシルヴェスターは、衝動的に立ち上がった。それに驚いたシャーリーが珍しく薄い赤の瞳を見開いて見上げて来るが、それに構わずシルヴェスターは彼女の手を掬い上げる。


「どうしたの…?」

「踊ってくれないか、今日の復習」

「…いいよ」


肩から毛布を落とせば冷気が先ほどよりも冷たく感じられるが、それよりもダンスのステップに集中し始めた彼にはどうということも無かった。音が無い中、恭しく下げられた頭を上げて手をつなぎ、体を寄せ合えば正しいポジションへ落ち着いた。そのまま滑るようにステップを踏み出し始める。まだまだ稚拙な足取りではあったが、それでもこの日に初めて覚えたにしては上出来だったと言えよう。


「やっぱり」

「何が?」

「シャーリーは踊れると思っていた」

「ふふ、当たりだ」


衣擦れの音と絨毯を踏みしめる音だけがその場にあり、まるで切り離された空間のようにここだけが生きた世界のようだった。互いの息遣いや、鼓動さえも全て筒抜けになってしまいそうなほど痛い静寂の中で、二人きりの舞踏会は粛々と続いていく。ふとシャーリーと目が合ったシルヴェスターは、血の色がそのまま磨り硝子越しに透けたような赤の瞳が己の瞳を映し出していることに不思議な感覚を覚えた。あまりにも真っ直ぐ見つめてくる薄い赤はどこか人とはかけ離れたような存在を思わせた。しかし同時にとても綺麗だとも感じ、暫く目を離すことが出来なかった。


「スライ…シルヴェスター」

「…なんだ?」

「変身術の話、きっと君はもうその心を落とし込む器を知っている。自覚が出来ないだけで」

「自覚…」

「そう。みんな、誰もが本当は初めからその姿を知っている。ただ、見つけられていないだけ。さあ目を閉じて、君の好きな情景をイメージして、自分がその場にどんな姿でいたら納得できる…?」


言われるがまま、シルヴェスターは瞼を閉じて改めて情景を思い浮かべた。鬱蒼とした木々が多い森の中、それでも射し込む黄金色の木漏れ日、さざめく葉の音、清水の流れる様子、雨の日ならば葉たちが雨粒を弾く音、それをただ眺める自分────。


「…ほら、君は自分の姿を知っていた」


嬉しそうなシャーリーの声に、答えようとして発したはずの言葉はシュー、という音に変わる。同時に床についていた足の感覚が無く、その代わりに温かく柔らかい感覚が全身の触れる面にあることに彼は混乱した。その混乱をくみ取ってか、シャーリーは大丈夫といいながらダンスのステップを止めてカウチに座った。頭らしいところを撫でられ、下を見下ろした。そこには細く長いものがうねうねと伸びている。一部はシャーリーの腰に巻き付いて、さらにその先も細く伸びているのを見て声を上げた。勿論、シューという音になっただけだが。


「大丈夫、スライ。君は随分大きな蛇になったんだ、黒い体と少しシルバーっぽい目がとてもかっこいいし綺麗だよ」




翌朝、シルヴェスターは夜の出来事が信じられずに変身術を正しい手順で試したが、夢ではないことが証明されただけだった。大急ぎで先に集まっていたみんなのもとへ行き、変身して見せれば歓声とともに寄ってたかって体を撫でられた。これで残りはシャーリーだけだ、という言葉に、彼女は若干の苦笑いを浮かべた。


「…実はもう、できるようになったんだ」

「えっそうなの?何の動物だった?」

「あー、それが、普通の動物じゃなくて、見せるとビックリするかなと思うから…」

「ええ、見たいなあ…」

「私も見たいわ、ねえシャーリー、どうしてもだめなの?」


美人で可愛いと学校中で評判の双子にうるうるとした瞳で見上げるように見つめられては、誰の心も揺らぐものである。シャーリーは困り果てた顔で二人を見て、ドミニクとシルヴェスターを見て、最後に助けを求めるようにモーガン夫人を見た。夫人は事情を知っているようでくすりと笑いながら、皆で庭に出ることを提案した。それに疑問符を浮かべた四人だったが、シャーリーが諦めたような乾いた笑いを漏らしたのを見るところ、どうやら見せてもらえるようだった。

 中庭にでた一行はモーガン夫人に従って端の方でかたまり、シャーリーは中心へ歩いて行った。いったい何が現れるのだろうと期待に満ちた眼差しを送る姉妹とその傍にいたドミニクに少し微笑み、シルヴェスターには眉を下げた。何だか自信がなさそうな様子の彼女に、シルヴェスターは口だけで頑張れ、と言ってやると正しく伝わったようでこくりと頷いた。セプターを取り出したシャーリーが呪文を唱える。途端強いつむじ風に包まれ、白金の髪が靡くと、次の瞬間にはあっという間に体の大きさを変えた。風が止んで直視できるようになると、それまでシャーリーがいた場所には、鷲とライオンが融合したような生き物が悠然と立っていた。


「うわ…グリフォンか…!」

「えっ、あのグリフォン?幻獣ってやつ?」

「そうよ、シャーリーはグリフォン。こんな事は滅多にないのだけど…」

「うわあ、かっこいい…!近寄ってもいいかしら?」


リリアのその言葉が聞こえたのか、グリフォンの姿をしたシャーリーが一行に近寄ってきて前脚を折った。近くなる顔は鷲のもので、生えている翼はとても大きく立っている五人を纏めて覆うことができるほどである。リリアとアスターが恐る恐るその頭に手を乗せると、くう、という鳴き声と共にその目を閉じた。


「こうしてみると何だか可愛いわね」

「そりゃあだって、もとはあたしたちの友人シャーリーだよ?あの可愛い性格した子だよ?可愛くないわけないじゃん」

「それもそうね!二人も撫でさせてもらったら?すごくふわふわ」


そう促されて、ドミニクが一歩前に出ると元のシャーリーと同じ色の瞳がのぞいた。嘴を撫でられるとその瞳はまた瞼に隠れ、気持ちよさそうに大人しくしている。シルヴェスターも頭に手を乗せれば、まるで猫が甘えるときのように喉を鳴らし始めた。


「あら、ゴロゴロ言ってるわ」

「ほんとだ、スライ撫で上手だね~」

「そういう事なのか…?」


そう言いながらも満更でないシルヴェスターは暫く頭を撫で続け、シャーリーも大人しくその手を受け入れて芝生に座り込んでいた。途中からは他の四人も動物の姿に変わって寄り添い、昼寝をしているのを、いつの間にかモーガン夫人が写真に収めて満足そうに頷いていた。

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