5番目の寮

こんききょう

本編

Ⅰ、忘れられた寮


 かの島国には誰にも知られていない秘境があった。その場所を支配するのは人ならざるものであり、只人ただびとは相容れない『隣人』が住まう場所だった。考えもなしに行ってしまえば最後、『隣人』の好きにされた果て、二度と戻ってくることは無かったと、人々の間では語り継がれていた。


さて、そこには何があるのか。




美しい光が差し込む森の奥には、荘厳な雰囲気を放つ大きな湖が広がっている。その畔の船着き場には、子供たちが集まってきていた。例外もいるが、ほとんどは見た目から年端のいかない幼い子供たちであることが容易に見て取れる。皆一様に全身を覆う黒いマントを風になびかせながら、どこか固い表情で湖の先を見詰めている。彼らが見る湖の先は薄い霧がかかり、はっきりと見ることは出来ない。

徐々に人数が増えてくる中、この辺りでは珍しい真っ黒な髪の少年が子供たちの群れの中に加わった。その隣には赤毛と焦げ茶の髪の二人の少女が並び、何やら親しげに話していた。


ついに始まるよ!スライ」

「うん、ようやっとだ」

「ふふっアスターったら大はしゃぎね!」

「そりゃそうだよリリア!こんなに楽しみにしてたんだもの!」


楽しみにしていたという少女の一人が跳ねるように進み、その後を少年は呆れたように、もう一人の少女は微笑みを浮かべながら追いかける。子供たちが少しずつ前進していくことで徐々に船着き場の先頭に近付き、およそ二十人乗りのゴンドラへ大人が人数を数えながら乗るように促してゆく。ちょうどあの三人が乗り込んだところで定員となったゴンドラは、大人が軽く押し出すと同時に湖面を滑るように進み始めた。

黒髪の少年がぐるりと見回すと、数人は既に親しくなったのかお喋りに興じている。そんな彼の巡る視線に気づいたのか、赤毛の少女の隣に座っていたくるくるとした茶髪が特徴の少年が話しかけてきた。それまでずっと話しかけられていたらしい少女が顔のこわばりを和らげて黒髪の少年と焦げ茶の髪の少女を見る。


「やあ、初めまして」

「…どうも」

「これはこれは、彼の隣に座っている子が君の双子のお姉さんかい?」

「ええそうよ、この二人はアスターとシルヴェスター、こちらジェフリーって言うんですって」

「へえ、初めまして。アスター・エドワーズって言います」

「お会いできて光栄だよアスター!僕はジェフリー・フィリップスっていうんだ、覚えてくれよ!シルヴェスター…は、どうも陰気臭いな、もっと明るく笑顔になったらどうだい?」

「初対面の相手に言う言葉じゃないなフィリップス、それと馴れ馴れしく名前を呼ぶな、グリフィスにしろ」

「ちょっとスライ!ジェフリーもそんなにズバッと言うことじゃないし陰気臭いなんて失礼よ」


どうも馬が合わないようで、二言目には黒髪の少年、もといシルヴェスターを貶めるような物言いをしたジェフリーは悪びれる様子もない。応戦したシルヴェスターはリリアに宥められて、彼は機嫌悪くそっぽを向いた。すぐに興味が失せたようでジェフリーはリリアにやけにべたべたと馴れ馴れしくくっつき、彼女は迷惑そうに肩に置かれた手を払った。それを見て苦笑いを浮かべるのはシルヴェスターの隣に座っていたアスターだ。


「はは…初っ端から何だか絡まれちゃったね」

「ふん、アイツから言われずとも僕だってあんなやついけ好かないし願い下げだ」

「機嫌直してスライ、学校ついて少ししたらまた皆でお茶会しよ、ね?」

「…仕方ないな、折れてやる」

「よかった」


アスターの提案で少し怒りを収めたシルヴェスターは前を向く。すると今度は、ジェフリーのリリアと反対隣に座っている黒髪の少年がじっと後ろの二人を見つめていた。随分整った顔立ちはどこかで見たことがあるような、とシルヴェスターは思い返そうとするが、それをやや乱暴な声が遮った。


「へえ、ほんとだ陰気臭ぇヤツ」

「何なんだお前らは、揃って失礼な事しか言わないで」

「今のはあたしもいただけないな、ちょっとは言葉遣いを考えたらどうなのかな?」

「うるせえ、俺に楯突いてどうなっても知らねえぞ」

「何それ、ていうか君誰なわけ?」

「サイモン・ベネット。覚えとけ」

「ベネット?」


サイモンの言葉にアスターが首を傾げる。それに信じられないとでも言いたげな表情でサイモンが目を見開いたが、すぐに得意げに胸を張った。


「ああ、僕達魔法族の中でも王族とされる家系だ」

「へえ…じゃあ立場的には王子様なわけ?そんな人がこんな言葉遣いでいいんだ。いや、そもそもお家が随分と野蛮な人達ってわけかな」

「そうなるな。こうも悪態ばかりよく回る口はそのお家柄と言えるかもしれん、初日の挨拶としての掴みは強烈だな、悪い意味で」

「ああ!?」


我慢ならないとばかりにサイモンが立ち上がり、その動きでゴンドラが横に揺れる。数人が驚いたり鬱陶しそうな顔つきでカレを見上げ、流石に決まりが悪くなったのか唸りながら座った。それでもイライラは収まらないらしく、ぎり、とシルヴェスターを睨みつけてから前を向いた。


「…アスター」

「なあに」

「お茶会、出来るならシナモンクッキーを頼む。僕がロイヤルミルクティーをいれてやるから。そのくらいの楽しみが無いと気が落ち着かない」

「おっいいね、リリアも?」

「もちろんだ、ダメなわけが無い」


目の前で未だジェフリーに絡まれているリリアを見ながら、当然と頷く。可哀想に、彼女は心底迷惑だという顔をしているのに、相手には汲み取って貰えないようで、一応気取られないようにしつつも二人揃って大げさにため息をついた。




 出発とは反対側の船着き場に到着すると、また別の大人たちに誘導されてゴンドラを降りてゆく。ここまでくるとさざめくように話していた子供たちも緊張からか口数は少なくなり、神妙な顔をして前の子供について行く。ジェフリーは相変わらずリリアに話しかけていたが、ついに我慢ならなくなった彼女に遠慮なく凄まれて仕方なしといった風に前を向いた。リリアが怒ると異様に怖いことを知っているシルヴェスターとアスターは顔を見合わせ、ざまあみろとひっそり笑った。

 小さな子供たちが並んで門を潜っていくところを、二人の門番が穏やかに見送る。彼女らの服装があまりにも大胆なデザインであったため男子も女子もぎょっとし、一部の男子は口笛を吹いてニヤニヤと品のない笑みを浮かべた。そういった失礼なものに対して、彼女らはしっしっと手を振り、早く前についていくように促すだけだった。

 一度城のような建物の入り口を入ったところで留まり、改めて整列しなおす。一人の威厳ある大人が指揮を執り、その否応なく従わせるような威圧感に数人は怯えた様に縮み上がった。例の三人も言われたとおりに並び、周りの様子を窺った。五十人ほど集まったところで前に立った女性が手を叩き、全員がそれに注目する。


「皆さん、ご入学おめでとうございます。ようこそクランカスラーン魔法学校へ。これから私が皆さんを大広間へ連れていきます。始めに寮の組み分けがありますので、呼ばれたものは順に私の元へ出てくるように。ではまいりますよ、遅れないようにしっかりついてきてください」


そういって歩き始めた彼女に続き、一番前の生徒から歩き出す。きびきびと歩く彼女の速度はかなり早く、特に背が低い子供はかなり急ぎ歩きだ。シルヴェスターも置いて行かれないように歩きながら、隣を行くアスターとリリアと目を合わせた。


「私たち、寮が違ってもずっと一緒よね?」

「ああ、もちろんだ」

「当たり前でしょ!」


少し不安げに聞いてきたリリアは、二人のその返答を聞いてほっとしたように笑った。




 大きな扉の前で一行は立ち止まる。静まったその場には壁にかかった松明の燃える音がよく響き、またその柔らかい明かりで子供たちを照らし出している。女性が扉に向けて一言二言話すと、少しの間を置いて大きな音を立てながら扉がひとりでに開く。それと同時に拍手が沸き起こった。四つの長いテーブルに生徒たちが並んで座り、今しがた入って来た子供たちを見つめている。それぞれのテーブルの中央、頭上には、赤と金、黄と銅、緑と銀、青と白金の旗が掲げられており、白抜きで女性の横顔が描かれている。それらは、これから新入生が振り分けられる4つの寮を象徴する旗である。テーブルに着く生徒たちを見ればマントを留めるブローチの大きな石がそれぞれの寮の色であり、新入生はこれからどの色になるのかと歩きながら知り合った者と目配せをする。その奥の壇上には教師陣のテーブルがあり、何人もの教師と思われる者たちが同様に拍手でもって子供たちを出迎えた。

 新入生たちは檀の前に並ばされる。徐に一人の年配の男性が立ち上がり、壇上の中央へとやって来た。彼が手を挙げると、途端にざわめいていた生徒たちが静かになる。


「新入生諸君、ようこそクランカスラーン魔法学校へ。儂はここの校長を務める、ダグラス・アバークロンビーじゃ。さて、早速じゃが寮の組み分けじゃな。ここには四つの寮がある。勇猛果敢な赤のサラマンダー、温厚篤実さを兼ね備えた黄のグノーム、臨機応変さを尊重する緑のシルフィード、そして千思万考を良しとする青のウンディーネ。皆も知っておろうが、四大精霊にちなんだ寮分けになっておる。どこに入ってもよき友を得、勉学に励み、今しかできぬことを、自由に!積極的に!まずはやってみることじゃ。さて立たせっぱなしは良くないからのう、わしからの話はいったんここまでとしよう」


そういって、校長はゆっくりと自分の席に戻る。交代するように新入生を引率してきた女性が前に立ち、大きな本を取り出すと長い羊皮紙が彼女の目の前に現れた。ここにきて魔法らしいものを目の当たりにした新入生たちは思わずそれに見とれた。


「それでは組み分けを開始します。組み分けには中央に置かれた水晶玉に触れてもらい、そこに表れた色で判断します。名前順に呼ぶので、すぐに壇上に上がるように」


そういって、まず一人目が声高に呼ばれた。一人の少女が緊張した面持ちで壇上に上がり、女性に促されるまま右手を大きな水晶玉の上に置いた。すぐに変化が訪れ、光るように映し出されたのは緑色。


「シルフィード!」


宣言され、緑の宝石を身に着けた生徒たちが一斉に拍手する。女子生徒はそのテーブルからやって来た上級生に連れられ、手前側の空いた席についた。




 次々と新入生の名前が呼ばれ、徐々に檀の前に並んでいる子供が減っていく。


「エドワーズ・アスター!」


お先に、と軽い調子で残る二人に告げたアスターは快活に女性の前へ歩み出る。指示されるまま水晶玉に手を置くと、すぐに赤く染まり、サラマンダー寮から大きな拍手が送られた。双子のためすぐに呼ばれたリリアも同様にシルヴェスターに手を振り、壇上へ上がる。やはり同じように赤に染まった水晶玉を見て、先に席に着いていたアスターが千切れんばかりにリリアへ向けて手を振った。ずっと先にサラマンダー寮に組み分けされていたサイモンは何とも言えない顔をしていたが。

 そのあと何人かが呼ばれ、次々と寮が決定していくのを、シルヴェスターは少し緊張した面持ちで見ていた。自分は一体どこへ組み分けされるのだろうか、そんなことを考えながらぼんやりと壇上の女性が名前を読み上げていくのを見つめる。


「グリフィス・シルヴェスター!」


ついに呼ばれ、彼は弾かれるように壇上へ駆けあがった。何人かが彼を見てひそひそと話しているが、緊張が最高潮となった彼には届いていない。ちらりと下を見ると、リリアが手を振っているのが見えた。


「ミスターグリフィス、さあ手を置きなさい」


女性に促されてそっと水晶玉に手を置く。間近で見ると思っていたよりも大きい水晶玉は、ひんやりと彼の手を冷やす。すぐに変化は訪れ、表れた色は冴えるような青。


「ウンディーネ!」


ウンディーネ寮の方から拍手が沸き起こる。あの双子と寮が離れたことにシルヴェスターは思わず固まったが、リリアの寂しそうな目線とそれを打ち消すようなアスターの意思が強いサムズアップを見て、組み分け前に言い合った言葉を思い出しほんの少しだけ安堵する。青い宝石のブローチでマントを留めた上級生についていき、すでに先に組み分けされていた新入生たちの傍に座らせられる。他の寮に比べて比較的おとなしそうな寮生の雰囲気に、彼は自分がここへ組み分けられた理由を感じ取った。サラマンダー寮のにぎやかな雰囲気は彼には確かに合わなさそうだ。


「ナイトレイ・シャーリー!」


いつの間にかKの名前まで来ていたらしい。呼ばれたその名の持ち主が落ち着いた様子で壇上に上がる。高く束ねられた白ともいえるようなホワイトブロンドが目に眩しい少女が、水晶玉に手を置く。すると、赤、青、黄、緑が激しく入り混じるように水晶玉を渦巻いた。そしていきなり真っ黒に染まり、少しも動かなくなった水晶玉に生徒からも教師からもどよめきが上がる。名前を読み上げていた女性は何事かを話しに校長の元へと歩みより、当人の少女は若干怯えた様に目を見開きながら水晶玉を見つめた。

 数分は経っただろうか、沈黙をし続けていた水晶玉が動きを見せた。誰もが息を殺してそれを見守る中、一度青がちらついたのを飲み込む様に、紫が水晶玉を塗りつぶした。どの寮の色でもないその色は変わることなく少女の瞳に残酷に映し出される。俄かに騒ぎ出した大広間、教師陣もひそひそと何かをささやきあっている中で校長が立ち上がると少女の隣に立ってその肩を抱いた。手を挙げる彼に、その場は再び水を打ったように静かになる。


「ありがとう。さて諸君、ここに四つの寮のどの色でもない色が映し出されたのう。じゃが安心せい、ちゃんと君の所属する寮はある、決して水晶玉が君に意地悪をしたわけではないんじゃ」


そういった校長は、先程は持っていなかった背丈ほどのスタッフを持ち上げる。ウンディーネ寮の旗の近くに光が集まり、それは旗の形を形成していく。光が霧散すれば。その場には新しい旗、紫と黒の中央に白抜きで冠を被った女性が描かれた明らかに何らかの寮を表す旗が現れた。


「これは今儂が適当に作った旗ではなく、今までにあった、今は無き寮の旗じゃ。その寮の名は、ティターニア寮。皆も知っておろう、かつて妖精の世界がすべて一つの国だった時、それを統治していた最も有名な女王の名前じゃ。その名前を冠したこの寮は、今からおよそ百年前に誰も適正者がいないようになって久しく、その存在を知らない者がほとんどじゃ。しかし、ここに新たにこの寮の適正者が現れたのなら、迎える以外ないじゃろうて。しかしおそらく、今期の新入生に他にこの寮の適正者が現れるとは思えんからのう、独りぼっちは寂しいじゃろうて、一番性質が近いウンディーネ寮の者と行動を共にしてもらうことにしよう。ほれシャーリー、行っておいで」


優しく背をたたいて校長に送り出されたシャーリーという少女は茫然ぼうぜんとした顔でたたらを踏み、校長の顔を見上げる。それでも優しい笑顔で見つめられて、とぼとぼとウンディーネ寮の傍へやってきた。上級生も扱いに困ったのか何もできずにおろおろと彼女の傍で慌てていると、シャーリーは諦めた様に席の一番奥へ歩いて行ってしまった。同じ今期の新入生も、そのうちの一人であるシルヴェスターもどうすることもできずにそれをただ見送るだけだった。

 途中のアクシデントはあったものの寮分けは全員終わり、新入生たちは晴れてこの学校への入学を果たした。シルヴェスターはジェフリーがリリアと同じサラマンダー寮に入ったのがの心残りだったが、隣にやって来たドミニク・モーガンという生徒と少し話し、気が合いそうな相手がいるとわかったことでようやく気分が上がった。再び校長が立ち上がり、それと同時に生徒たちの口が閉ざされる。


「結構、結構。さて諸君、組み分けも終わったことだしそろそろ宴へと移りたいところじゃが、その前に先生方の紹介をせねばならんのう。去年度と変わったお方は居ないから二年生以上はちと退屈かもしれんが、もう少し付き合っておくれ」


そういって彼は端から順に先生の名前と担当教科を紹介していく。先ほどまで新入生を担当していた女性は副校長で、担当教科は薬草学らしい。全員の紹介が終わったところで、彼はグラスを持つように全員に促す。何も入っていないゴブレットをシルヴェスターが持つと、何処からともなく勝手に何かの液体が注がれた。香りからジンジャーエールだとわかり、思わぬ仕掛けに隣のドミニクと顔を合わせる。


「さて皆ゴブレットは持ったかの、では、乾杯!」


乾杯、と全員が唱和したところで今度は目の前にあらゆる料理が現れる。わあっと生徒たちがカトラリーを手に取り、にぎやかな夕食会が開始された。




 粗方料理が片付き、食後のデザートをもう少しで食べ終えるころに、副校長がゴブレットをスプーンで鳴らした。彼女がその場で立ち上がり、そろそろ寮へ行く時間であることを告げる。監督生と呼ばれた各寮二人ずつの上級生が立ち上がり、生徒たちの誘導を始めた。シルヴェスターは慌てて残り一口を詰め込んで立ち上がる。


「行こうグリフィス」

「ああ。…名前でいいぞ」

「そうか?なら僕のこともファーストネームでいいぞ。よろしくなシルヴェスター」

「ああ、よろしく、ドミニク」


ふとサラマンダー寮の方を向くと、アスターとリリアが名残惜しそうに手を振っている。リリアの後ろをちゃっかり陣取っていたジェフリーがリリアに話しかけているが、何も聞こえていないかのようにスルーしている彼女に思わず苦笑いをする。


「あの双子のレディはご友人か?さっきも二人に手を振ってたな」

「ああ、幼馴染だ」

「なるほど」


ドミニクに関係を聞かれ、それに控えめに手を振りながら答える。後ろから来る生徒にぶつからないように前を向こうとして、シルヴェスターは視界の端に一瞬見えたホワイトブロンドを視線だけで追いかけた。たった一人のティターニア寮生であるからか引率は副校長で、表情は見えないもののどこか寂しそうな背が見えた。何となく気になった彼は、しかし別の寮ということで場所も別であり今どうにかなるものでもないだろうとすぐに視線を戻した。監督生に急かされつつ、組み分けされたばかりの新しいウンディーネ寮生たちはやや急ぎ足で大広間を後にした。



 ウンディーネ寮の場所は水の精霊が象徴する寮らしく湖の中にあった。建物の大半が湖の中に沈んでおり、寮全体で共有の談話室やミニキッチン等は水上に出た一階部分に集約されているようだ。部屋割りが発表され、偶然にもドミニクと同室になったシルヴェスターは二人そろって部屋へ入った。二人部屋らしく、品のある落ち着いた部屋には家から輸送を頼んだ荷物がすでに置かれている。


「はあ、流石に疲れた…」

「同感だ、荷解きは明日にしよう」

「明日は…僕たちはブローチの配布と杖の選定だったか」

「そう、授業は明後日からだから時間はたくさんある」

「じゃあもうシャワーを浴びて寝るか」

「そうだな」


部屋に備え付けられているシャワー室へ、先にドミニクが消えて行く。シルヴェスターは一度机に向かい、祖母へとアスターとリリアに向けての手紙を書いた。それを簡単に折ると、指先でとんとん、と二回叩く。たちどころに鳥に姿を変えた手紙は部屋を二周ほど飛び回り、壁をすり抜けて飛び立っていった。




 翌朝、緊張で思ったよりも疲れていたのか夢を見ないほど良く寝たシルヴェスターは寝ぐせと格闘していた。少し先に起きていたドミニクに指摘され、難しい顔をしながら髪を整えていく。彼の黒髪はまっすぐに見えて若干毛先に癖があり、跡が付くとどうにも直しにくいのが彼にとって悩みの種だった。支度を進めているうちに机に三通の手紙がひらりと落ちてくる。昨夜送った手紙は無事宛先に届き、すぐに読まれたようだった。ドミニクの机にも二通ほど手紙があり、少し嬉しそうな顔をしていたのをみて、昨日は背伸びしたような真顔だったのに随分と年相応な顔だな、とぼんやり考えていた。

 制服に着替えて、二人揃って大広間へ向かう。朝食はどんな内容なのかを話しながら歩いていると、シルヴェスターを呼ぶ二人の声が耳に届いた。その方向を見れば、大広間の入り口すぐにエドワーズ姉妹が見える。


「おはようスライ!そちらの人は?」

「おはようアスター、リリア。僕の同室のドミニクだ」

「やあお嬢さん方、初めまして、ドミニク・モーガンだ」

「初めまして!あたしはアスター・エドワーズ」

「私はリリアよ!アスターとは双子なの、目が似てるでしょ?」

「ああ、綺麗な若葉色だ」


元気にありがとうと返す双子の声は揃って、ドミニクは思わずといった風に笑った。まだ眠たそうな目を擦りながら入ってくる生徒を避けながら、興味津々な顔をしたリリアが少しのめり出すように話を続ける。


「モーガンって、あの有名な貴族の?モーガン家なら世間知らずの私たちでも知ってるほど有名よね」

「まあ、そんなところだ」

「へえ凄い!シルヴェスターの事よろしくね」

「もちろん。僕ともぜひ仲良くしてくれ」


人見知りしない双子の性格からか和やかに会話は進み、その様子をシルヴェスターはほほえましげに見守る。徐々に人が増えて出入り口が混んできたのを見て、四人はそれぞれに分かれて席についた。今回はすでに料理が並んでおり、朝食らしい品が所狭しと並んでいる。あまり空腹でなく朝食を抜きがちなシルヴェスターは、取り敢えずグラノーラとヨーグルトを適当に皿に取った。隣のドミニクが何か言いたそうにシルヴェスターを見るが、知らんぷりでそれを口に運ぶ。


「…おい、いくら何でも少なくないか?」

「朝は腹が減らない」

「そんな量、たった三口で終わる量だろう。もう少し食べないとあとがつらいぞ」

「平気だ」


性懲りもなくそう言って突っぱねるシルヴェスターに、ドミニクは眉をひそめたがそれ以上はなにも言わずに自分の朝食に手を付けた。実際彼があまり空腹でないことは確かな様で、二口食べたところで口を押さえながらスプーンを置いて水を飲んでいた。

 朝食が終わり、各寮を受け持つ教師に連れられて新入生たちは一つの教室に集まった。まずはマントを留めるブローチが一人一つ配布される。教師曰く、この学校の生徒であることを証明するためのものでマントを纏わなくても必ずどこかにはつけるようにとのことだ。青いブローチをまじまじと見ていると、次の説明へ入った。


「それでは、今度はこちらをお配りします。ここに置いている物の見た目はただの棒切れですが、魔法の出力調節などで重要な役割を果たします。教師側がしばしばそれらを総じて“魔力媒体”と言いますので、魔力媒体を持ってくるようにと言われた授業では持ち物として忘れないように、できる限り常日頃持ち歩く様にしてください。皆さんが持てばそれぞれに合った形のものに変化しますが、変化後は形は戻りませんので、くれぐれも初めの扱いは気を付けるように。人によっては体内に吸収されて形がないという場合もあります。これは問題ありませんのでもし手元から無くなった人は近くの先生を読んで確認してもらうこと。大体所属する寮で見た目が似たものに変化する傾向がありますが、違うからと言って何かあるわけでもないので、ご安心なさい」


前に立つ教師が彼のロッドを一振りすると、それらは一瞬で座っている生徒たちの前に一つずつ配られた。持って一度振るようにという指示のもと、生徒たちは一斉にただの棒切れのようなワンドを振る。シルヴェスターも持ち上げ、振ってみると重たげな黒が特徴的な心持ち長めのワンドに変化した。大きさとしてはそんなに無く、まるで初めから彼の物だったとでも言うようにぴったりと手に収まった。持ち手部分にはよく見ると蔓性植物と花の浮彫が施され、一見シンプルながらも意匠を凝らせた美しいワンドだ。隣に座っていたドミニクはかなり長い羊飼いの持つような見た目のロッドになっていた。いきなり身長より長く伸びたそれに驚いた様子のドミニクだったが、細身な赤茶のロッドを見上げて満足そうに撫でた。近くにいたアスターはどうやら吸収したようで手元には何も残っておらず、慌てながらも生徒たちを見回っていた教師の一人を呼び止めていた。リリアはというと水晶玉のような代物となり、組み分けの時を思い出すと言いながら転がり落ちないようにその球体を手で支えた。

 明日以降の授業についていくつかの注意事項と開始時間を知らされた後、今日はここまでとの声がかかった。一斉に姿勢を崩し、それぞれの魔力媒体がどのような変化をしたのかについてにぎやかに話し始める。駆け寄って来た二人も楽しげに自分のものについて語った。


「わあ、スライはワンドだ!黒かっこいい~」

「ドミニクのは長いのね!遠くからでも貴方だってわかりそうだわ」

「リリアは水晶玉だな、まるで占い師だ」

「アスターは…?」

「そう!それがね、吸収されちゃったんだ。見てくれた先生が言うには、私はおそらく踊りとか指の動きで魔法を使うんじゃないかって」

「へえ、歌ではないんだな」

「私もアスターは歌だと思ったのよ、上手いからね!でも踊りも得意だわ」

「そうなのか。僕は見たことが無いから是非見てみたいな」

「ええ、恥ずかしいよ」


興奮気味に話すアスターはそういいながらくるくるとターンをして見せる。それに伴って光の欠片がスカートの端から舞って、これは確かに教師の見立てが正しそうだと揃って頷く。そこへ近づいてくる二人の気配に、ドミニク以外の三人は一気に顔をひそめた。


「ああ愛しのリリア!君の持つものは何だったんだい?ああ水晶玉か、可憐な君にはとてもお似合いだよ!」

「そう、別にあなたに言われてもうれしくないわ。特に用がないのならどこか行って頂戴」

「そんなこと言わないで、僕のエメラルド!君には特別に僕のを見せてあげよう」


そういって、リリアの言うことはお構いなしにジェフリーが自身のワンドを掲げ持つ。柄の元の部分に何かの赤い宝石が埋め込まれたワンドは派手なオレンジで、とても良く目立ちそうだ。その隣で不敵な笑みを浮かべながら見下ろしてくるサイモンは生まれ故か、上に鷲の装飾が彫られたセプターを持っていた。


「あー…っと、お前、なんだっけ?随分貧相なワンドじゃねえか」

「ああなんだ、君たちいたのかい?リリアがあまりにも眩しくて気づかなかったよ。本当だ、シムの言う通り、真っ黒でまるでカラスじゃないか、気味悪い」

「…お言葉だが、別に派手である必要はないだろう」

「そうかい?自分の威厳を主張するにはとても大事な要素だと思うけどね!シムのを見てごらんよ、やっぱり王族の持つものは違うじゃないか。それに僕のも美しい宝石が付いている!それに比べて君のはどうだい、あまりにも質素すぎる!」


好き勝手言葉を並べて囃し立てるジェフリーとサイモンに、うんざりした顔でシルヴェスターはその場を離れるべく踵を返した。それに続いてリリアは二人を睨み、アスターはあきれた様に振り返り、何も知らないドミニクはただ困惑したようにそれについていった。どうして行ってしまうんだい!?とジェフリーが悲痛な叫びをあげたのが聞こえてきたが、その足をだれも止めなかった。

 速足で歩いていき、ようやく止まったのは校庭のど真ん中。後から急いで追いついてきた三人は移動しながら先程の騒ぎの理由をドミニクに詳細に話したようで、気遣わしげにシルヴェスターの肩を持った。


「もう!何なのあの人たち、ちっとも話を聞いてくれない!」

「あいつらに話をつけるのは諦めるんだリリア、とても同じ人間とは思えない」

「同感。それよりもここのみんなでお茶会した方がよっぽど有益だよ」

「何というか…ベネットは意外と随分な性格なんだな。何度かパーティーで姿を見たことはあったが話したことはなかったな」

「もうダメだねあいつらは。はあ、どうしておんなじ寮なのかなー。あんなのとずっと一緒にいたらいつか禿げちゃうよ」

「…ふっ、禿げるのはいけない、なにか対策しないとな」

「んふふ、そうね!アスターの綺麗な髪が無くなっちゃったら大変だもの」


四人はそのまま連れ立って校庭を何とはなしに歩いていく。崖側から見たら全く分からなかった校庭はとても広く、一周するにも時間がかかりそうなほどだ。その先は更に森が続いていて、暗いその先は立ち入るのが憚られるような様子だったので四人は近づくのをやめておいた。翌日の授業などの話をしながら歩き続け、校舎に戻る頃にはすっかり絡まれたことなど記憶の彼方へ消えて楽しそうにお茶会の約束を取り付けていた。




 翌日、一番初めの授業は呪文学で、早速自分になじむ形となった魔力媒体を使う機会となった。一番初めに習うのは小さな明かりを灯す呪文で、シルヴェスターは数回試しあっという間に習得した。ドミニクも同じ程度で習得し、二人揃って教師に褒められた。ウンディーネ寮と合同で授業を受けていたのは偶然にもサラマンダー寮で、アスターとリリアは少し苦戦していたものの授業が終わるまでにはものに出来ていたため、何人か習得できていないものを考えるとそれなりにセンスがある方なのだろう。昼食を挟んで次の授業は魔法史だった。ひたすら魔法界や魔法そのものの歴史について学ぶこの授業は眠気に襲われる者が多く、昼食の後ということで抗えずに眠ってしまう者が続出した。

 その日は二教科で終わり、次の日は薬草学、魔法生物学、そして魔法薬学が続いた。その次の日は呪文に主に使われる言語について学ぶ呪文言語学、動物言語学、もう一度呪文学。土日の休日を挟み、週初めの日は飛行術、もう一度魔法史。次の日は変身術、午後に天文学と魔法陣論を受けて、一週間がたった。ひとつの授業が長く、休憩は挟むものの実践が伴わない授業は座りっぱなしということでかなりの疲労感を覚えることが多かった。

 毎日の授業の復習と課題をこなし、忙しく三週間が過ぎていった。そのころにはようやく新入生も学校の授業に慣れ、迷子になることなく目的の場所まで行くことが出来るようになっていた。三週間が経ったすぐの土曜日は前々から取り決めていたお茶会の日。アスターは張り切って寮監の先生に厨房の利用許可を貰っていたため、お菓子はかなりの力作が期待できるだろう。参加させてもらうお礼だといってドミニクが実家から取り寄せた茶葉は高級品で、紅茶好きのシルヴェスターは思わず目を見開いた程だった。

 待ち合わせは大広間の入り口近く。アフタヌーンティータイムである三時に間に合うように午後の二時四五分に集まった四人は、奥まった場所にある薔薇に囲まれたガーデンを管理している薬草学の教授に頼んで借りることにした。現在は白い大輪の花が咲く品種が季節であるらしく、上品ながら華やかなその場所でリリアは歓声を上げた。丸を基調としたそのエリアの中央、白いガーデンテーブルとガーデンチェアがいい雰囲気を出している。アスターは早速持ってきていたバスケットからいくつかのお茶菓子を取り出す。クッキーが数種類とスコーンがあり、クロテッドクリームとイチゴジャムも忘れずに並べる。その傍らでシルヴェスターは紅茶をいれるためのティーポットを温め、紅茶を入れる。それを待っている間にリリアがカップを温め、時間が経ちルビー色になった紅茶を注いだ。ドミニクはそんな三人の手際の良さに感心し、褒めたたえた。


「あら、褒めても何にも出ないわよ」

「こんなにおいしいお茶菓子と紅茶が出てきたじゃないか」

「あはは、確かにね!」

「アスターはお菓子作りの腕をまた上げたな」

「でしょ、ちゃんとスライご所望のシナモンクッキーもあるんだからね」


新しい環境に置かれて数週間。初めの方は慣れない場所や動作に疲れた様子も見せていた彼らだが、今日のお茶会では疲労感もなく楽しそうにはしゃいでいた。




 少し冷え込みが強くなってきたある日の夜、シルヴェスターは一人本を抱えて急ぎ足で歩いていた。つい先ほどまで図書館で課題をやっていたところだったのだが、気付けば消灯時間間近になっていたのだ。図書館からウンディーネ寮まではかなり遠く、消灯まであと十分もない。急ぎすぎて転びそうになりながらも、彼は懸命に寮を目指した。

 図書館から寮までの中間あたり、曲がり角を曲がるところで彼はふと立ち止まった。というのも、この夜だというのに何者かの声が聞こえた気がしたからだ。思わず止めた足は若干の興味によって動かず、彼の耳は、今度はすすり泣くような音をはっきりと捉えた。消灯時間も近いし、自分には関係ない、そう思いながらもどうにも後ろ髪をひかれるその音に、自分自身に舌打ちをしながら音のする方へと進路を変えた。

 声に従って歩いていくと、見知らぬ曲がり角を見つけた。はてこんな場所があっただろうかと不思議に思いながら足を踏み入れる。歩くにつれて曲がり角が多くなり、こんなにうねった廊下は矢張り初めての場所だと確信した。徐々に明瞭に聞こえてくる泣き声は、少女らしい高い声だ。あまりに悲痛な声色のそれに、心が締め付けられるような思いに駆られた。心持ち急ぎ目で歩いていると紫の装飾が多くなり、突然あまりにも広い廊下へと出た。まるで宮殿の一角のようなその場所に、彼は圧倒されて動きを一瞬とどめる。紫色のステンドグラスから月明りが溢れて幻想的なその場所、奥の方に泣き声の主が蹲っているのが見えた。光を反射するホワイトブロンド、それはあの五番目の寮、ティターニア寮に組み分けられた少女だった。そばに歩み寄ると、びくりとその小さな肩が震える。


「どうしたんだ、もう消灯時間だろう」


シルヴェスターは柔らかい口調と声を心掛けたが失敗した様で、かえって怯えを増幅させてしまったらしくすすり泣きが止まらない。溜息をついた彼は、そっと彼女の前に腰を下ろした。視線が同じ程度の高さになっていくらか威圧感がましになったのか、ようやく少女が泣くのを止めて顔をあげる。薄い血が透けたような赤の瞳が、シルヴェスターの黒い瞳を捉えた。


「…誰…?」

「ウンディーネ寮一年のシルヴェスター・グリフィス。お前は確かティターニア寮の…」

「…シャーリー・ナイトレイ」

「そうだった。こんなところで何してるんだナイトレイ、このままでは見回りの先生に叱られてしまうぞ」


そう問いかけると、彼女は一層哀しそうな目で自身の足を見た。血を流しながらぴったりとくっついているのを見るに、何か呪文によるものだろうかと近づいてみると、刺されたような傷が目立つ。まるで茨を巻かれたような傷のでき方に、彼は覚えがあった。


「これは…足縛りの呪文か、酷いな。解除の呪文が分からなかったか」

「それだけじゃない…魔封じもされて」

「なんだと、自分の杖は」

「…私のはとても大きくて、ほんの少しの外出なら特に必要ないだろうと思って寮の中に置いてきてしまって」


そういって俯くシャーリーが痛ましく、シルヴェスターは眉をひそめた。やった相手を聞いてみると、特徴がジェフリーとサイモンに一致し頭を抱える。彼らはかなりの問題児らしいということを改めて突き付けられた気がして頭痛がしそうだと心の中で悪態をついた。懐からワンドを取り出し、脚に向けて呪文を唱えると、ぴったりくっついていたのが噓だったかのようにするりと離れた。


「申し訳ない、足縛りは解いてやれるが魔封じはまだ分からなくて何とも…」

「…いや、十分」

「足の傷は早めに診てもらえ」

「うん。ありがとう、グリフィス」


多少安堵した様子のシャーリーがシルヴェスターに向けて綻ぶような笑みを浮かべて見せた。アスターともリリアとも違う控えめな笑い方に、彼はどうしていいかわからずこくりと頷いた。シャーリーは立ち上がると、更に奥にある重厚な扉へと歩き、手前でシルヴェスターを振り返りもう一度ありがとうと呟くように言うと扉に吸い込まれていった。どうやらティターニア寮はここだったらしい。認識阻害の呪文がこのエリア全体に掛けられているとしたら、今まで全く気付かなかったのも納得だった。遠くから聞こえてきた消灯時間を告げる鐘に彼は慌てて立ち上がると、万が一教師の誰かに見つかったときは何と言い訳をしようか考えながら駆け足で寮を目指した。




 帰りが遅くなったことをドミニクに散々詰め寄られた翌朝、同室組の二人は欠伸を噛み殺しながら朝食に向かっていた。この日は一番初めの授業が遠い教室の薬草学であるため、彼らの手には既に分厚い教科書とノートがある。


「そういえばスライ、気になってたことがあるんだが…」

「なんだ」

「あー、その、君の姓はグリフィスだろう、あの『魔女』家系の…」

「…ああ、僕も詳しくは知らないが多分そうなんじゃないか」

「やっぱりそうか、いやな、他の奴らもコソコソ君のことを見て話していただろう?」


急に切り出してきたドミニクの話に少し驚きながらも、シルヴェスターは入学以来やけに視線が集まっていることを自覚していた。もっとも、なぜ注目されるのか、その要因が思い当たらない彼は、ここまで特に視線に触れることも無く過ごしてきたのだが。面倒なので放置していた、というのが彼の言い分である。


「…もしかして、グリフィスの姓を持つからか」

「ああ、『魔女のグリフィス』と言えば有名だからな」

「そんなに目立つ名前だったのか。どおりで視線が鬱陶しいわけだ、やっぱり今度祖母に聞いてみるか…」

「おばあさまがグリフィス家なのか」

「ああ、姓がグリフィスだから間違っては無いと思う」


聞きたいことが聞けてスッキリしたのか、眠気の欠片もなくまっすぐ前を向いて歩きだすドミニクに、シルヴェスターは何とも言えない気分で従った。貴族としてそういったことに敏感なドミニクに対し、これまで祖母と人気のない場所で薬草に触れながら育ったシルヴェスターは周囲のそういった噂話などに疎い。今までの不躾な視線の正体が分かったところで多少安堵はしたものの、変わらず気味の悪い視線に付きまとわれるのには注目を嫌う彼としてはうんざりなことだった。

 寮のテーブルに座り、相変わらずの小食さに小言を言われて適当にあしらういつも通りのやり取りが行われる。あれこれと言われながらも朝食を食べ終え、口直しのレモン水を口に含みながら何気なく大広間の入り口を見ると、良く目立つホワイトブロンドが揺れているのが目に留まった。思わずゴブレットを置いて立ち上がる。


「うわ、どうしたスライ」

「いやちょっと…ここに一人増えてもいいか」

「ああ、それは構わないが…」


ドミニクがそういうが早いか、シルヴェスターは急ぎ足で入り口を目指す。よく見れば近くにジェフリーとサイモンがおり、尚のこと急いだ彼はその勢いでぐいと彼女の腕を掴んだ。驚いた彼女が勢いよく振り向いたが、シルヴェスターの顔を認めると肩の力を抜いた。


「おはよう」

「お、おはよう…グリフィス…?」

「ファーストネームでいい、シャーリー。ここにいてはまたあいつらに標的にされるかも知れん。僕のところに来い」

「…いいのか」

「ダメだったら誘っていないが。僕の友人が一人傍にいてもいいか」

「…ふふ、それもそうだ。もちろん」


ここでずっと掴んでいた腕をようやく離し、今度はシャーリーの後ろから付き添うような形で肩を持ち座っていた場所へ誘導する。後ろを振り返ると入り口付近でぽかんと口を開いた問題児二人が立っており、その後ろに見慣れないサラマンダー寮の少年が早く動いてくれとせっついている。その少し離れたところ、サラマンダー寮のテーブルに座っていたアスターは力強くサムズアップして見せ、リリアは小さく拍手していた。何やら勘違いをしていそうな二人の反応にシルヴェスターは困ったように眉を下げたが、一先ずシャーリーを座らせることに成功した。いきなりどこかへ行った彼があの噂の少女を連れてきたことで、ドミニクは混乱の嵐だ。


「戻ったぞ、何も言わず行ったのは悪かったからその顔をどうにかしろ」

「あ、ああ…失礼、僕はドミニク・モーガン。君は、ええと確かシャーリー・ナイトレイ、だったか?」

「…初めまして。名前は合ってる。シャーリー・ナイトレイ、ティターニア寮一年。彼…シルヴェスターには昨日助けてもらったもので」

「へえ、あの話の。じゃあ魔封じの話も君の事かい」

「そう。もう先生に解いてもらったから」

「あ、そういえばシャーリー、君の杖はどうした」

「見えないようになっているんだ、授業がある時はちゃんと出してる」

「見えなく?」

「そう、私のはとても目立つんだ」


おずおずとシルヴェスターの隣に座ったシャーリーは、ドミニクの警戒し品定めするような視線に一瞬ひるんだものの、シルヴェスターと出会った経緯を簡単に述べればすぐに同情の顔つきで握手を求められた。安心したようにそれをそっと握り返す。


「いやしかし、足縛りの上に魔封じとは随分酷いことをされたものだ」

「まったくだ。あいつらにはほとほと愛想が尽きそうだ…ああそうだ、アスターとリリアにも紹介しよう、仲間は多い方がいい」

「それもそうか、シャーリーもこの後は僕たちと同じだよな?」

「同じ。よっぽどのことが無い限りは君たちウンディーネ寮と同じ行動をするんだ」

「なるほど、じゃあこれから一緒に行動しよう。レディ一人であの面倒な奴らから逃げるのは大変だろう」

「!…いいのか」

「もちろんだ」

「君が嫌だというのならば無理強いはしないがな」

「嫌なわけない。よろしくシルヴェスター、ドミニク」


彼女の境遇から、今までまともに友人と呼べる存在がいなかったのは容易に想像がつくことだ。何とも嬉しそうな顔をして頷いたシャーリーに、シルヴェスターとドミニクも顔を綻ばせた。




 一限の薬草学。教室に向かった三人は早速何かの変化があったことを察した双子に捕まった。目を輝かせてシャーリーを見るアスターとリリアに、初めこそおっかなびっくり返答していた彼女も、教室で五人掛けの机に着いた時にはとても人懐こい双子に既に気を許していた。何かにつけては容姿を褒めたたえられることで血色が悪かった顔色をしていたがほんのり頬が色づき、少女らしさを帯びている。シルヴェスターとアスターに挟まれるように真ん中に座らせられ、初めてこんな状況で授業を受けると嬉しそうだった。


「…ねえ」

「ん?」

「あそこ、なんて書いてあるか分かる?」

「ええと…『傷つけるとコルク状に固まる』の部分だな」

「ああなるほど、ありがとう」


授業開始後、五人は行儀よく授業を受けた。途中シルヴェスターにそう質問したシャーリーは目を細めながら黒板を見ていて、今まで前の方の席に着いていた事を思い出した。どうも目があまりよくないようで必死に黒板の白い文字を凝視する彼女に、彼は少し場所を考えなくてはと思う。薬草学は得意分野である分既に予習をきっちりしていたシルヴェスターは退屈しのぎに少し教室を見回したが、一角で明らかに授業に集中していない様子の生徒を発見した。見られているとも知らずに近くの席を陣取っていたジェフリーとサイモンは何やらひそひそと話していたが、どう見ても授業には関係ない事を相談している。シルヴェスターは呆れて溜息を吐いたところ、アスターにため息がばれたが、彼女も察した様で苦笑しながら肩を竦めた。カリカリと紙の上をペンが走る音と、黒板に自動でチョークが文言を書き連ねる音、そして教授の説明。シャーリーは勉強が楽しいと感じる部類であるらしく、見辛そうにしながらも生き生きとした表情で板書をしていたため、両隣りの二人のやり取りは全く気にならなかったようだ。




 シルヴェスターはずっと気になっていることがあった。それは、シャーリーが結局その日に出して見せることのなかった、彼女の杖についてである。目立つという情報しかなく、もしかしたら杖の類ではなくリリアの水晶玉のように何か別の道具かもしれないということを悶々と繰り返し考えたせいで、彼は翌日若干の寝不足だった。何がここまで興味を駆り立てるのか、それはシルヴェスター自身も分からなかった。とにかく、何かが気になって仕方がなかったのだ。

 幸い、それを見る機会はすぐに訪れた。今日の午後の授業は呪文学。どうやったって未熟なために何かしらの媒体なり仕草なりが必要な低学年であるため、彼女はそれを持ってくるだろうと内心期待に満ち満ちていた。

 そんなことをずっと考えて、ようやく午後に入る。昼食を外に持ち出し、シルヴェスターとドミニク、アスターとリリア、加えてシャーリーの五人で済ませ、彼らは呪文学の行われる教室へ向かっていた。ドミニクはすでにあの羊飼いが持つような長い杖をやや持ちづらそうに持っているし、リリアは落として割れてしまわないように大事に布に包んで持っている。そもそも吸収されてしまい身軽なアスターは別だが、シルヴェスターも黒いまっすぐなワンドをポケットに入れている。その中で、シャーリーは何かを持っているとは見た目からは分からなかった。


「そういえば、シャーリーはどんな形の物なの?」

「あっ、それ私も気になってた!」

「僕も気になるな」


ふと思いついたというようにリリアがそう発言し、アスターとドミニクもそれに便乗する。シルヴェスターは表情にこそ見せないものの、あれ程気になっていたものの答えがようやく出ると期待し、シャーリーを見つめた。四人の視線を一気に向けられたシャーリーはたじろぎ、困ったように眉を下げる。


「あー…教室についてからでいいか、とても目立つので普段は見えないように隠しているんだ」

「えっ、そんなことできるの?」


苦笑いを浮かべながら曖昧に頷く彼女に、リリアとアスターは純粋に感心した様で瞳を輝かせた。ドミニクは見えないようにしているその手段を考え始めたようで、沈黙したまま先を歩いていくのを三人は慌てて追いかけて行く。シルヴェスターはというと、シャーリーの反応が何かを隠している者のそれのようだと思い返していた。だがいつの間にか離れていた四人から急き立てられ、その思考はあっという間に霧散していった。

 教室に着くと、まだ誰も来ておらず一番乗りだとはしゃいだアスターがいつもの席を陣取りに駆ける。危なっかしげに跳ねる彼女の後をドミニクがまるで兄の様に着いていく。遅れて三人も席に着き、少し遠い教室への移動に一息ついた。今回一番端、シルヴェスターの隣に座ったシャーリーが徐に立ち上がると、座ったままの四人の前に出る。彼女は両腕を前に突き出した状態で手を組み、一つ息を吸う。


「〈姿を示せ、我が良き友よ〉」


歌うように紡がれた言葉とともに、彼女は光り輝く組んだ手に力を入れる。そして一瞬にして解き腕ごと開くと、それに伴って光の中から棒状のものが現れた。ぱし、と小気味良い音をさせてシャーリーがそれを掴むと、光は消え去った。彼女の背丈を遥かに超える長いセプターとも呼ぶべき杖は、先に豪奢ながら繊細な細工が施され、明るい黄緑色の宝石が散りばめられている。たった一つ、装飾の中央に燦然と輝く橙と赤の中間のような色をした不思議な輝きの宝石は一際大きい。シャーリーはそこから垂れ下がったリボンのような紐飾りを杖を持ったのとは反対の手で掬い上げると、首を傾けながらはにかんだ。


「わぁお…すっごい綺麗な杖だ」

「ありがとう、でもやっぱり目立つから、この取り出し方については誰にも言わないでほしい」

「うん、約束するよ!」

「こんな立派な杖を持ってるだなんて奴らが嗅ぎ付けたらもっと面倒だしな」

「授業中はやっぱり見えなくするのか?」

「そのつもり。狭いところでこんな長い杖は扱いづらいし周りに迷惑だろうから。先生には初めから許可を取っているから、今までアスターの様に吸収されているものだと思われているかもしれない」

「ま、その方が都合がいいだろう」

「そうね!私たちだけの秘密なんて、なんだか楽しいわ。でもいいの?私たちまだ知り合ってすぐなのよ?」


リリアがそう言うと、シャーリーはセプターをその場から消しながら少し気まずそうに顔をそらせた。


「…見ていたから」

「見ていた?」

「君たちを。寮を超えて仲良くしている新入生は今のところ君たちだけなんだ、どんな人柄なのか気になって、その、四人で授業を受けているところを見ていた。だから、君たちが信用に値する人間だってことをそれなりに分かっているつもりだったんだが…ええと、言ってしまえば、少し羨ましくて、つい」


話しながら声も姿勢も小さくなっていくシャーリーに、アスターとリリア、ドミニクは顔を合わせてにやけた。シルヴェスターは三人の表情に若干引きながらも、なんだかくすぐったいような、温かいような気分になるのを感じていた。


「…なんてこと、シャーリー」

「ご、ごめんなさい」

「いいえ!違う、違うのよ、謝る必要なんてないわ。ああなんて可愛いの!」

「もしかして、あたしたち今まで損してたのかな?」

「ああ、大損だな。こんなに可愛らしい友人が出来るなんて、もっと早く知りたかったぞ」


感極まったように机越しに抱き着くリリアに、シャーリーは最早真っ赤になってしどろもどろだ。それを眺めながらにやけた顔を隠しもしないで意地の悪い言葉遊びをするドミニクとアスターも随分楽しそうだ。


「じゃあ、僕たちはスライに感謝しなければならないな」

「なんでそうなる…」

「だってさ、君が寮の前で泣いているシャーリーを見つけなければ今頃こんな風にしゃべってなかったんだよ?いやあ、消灯時間を破ること承知で行ったのもそうだけどさ、普段はあまり人に関わらない君があたしたち以外に積極的に関わりに行ったのがビックリだし、幼馴染としてはその進歩がとても嬉しいわけ」

「で、結果的に僕たちもかわいい友人が増えて、感謝こそすれ何があるって言うんだ?」

「…時々君たちの言っていることが分からなくなる」


徐々に人が増えていく教室の中、五人は今しがた共有した秘密を思ってさざめく様に笑った。いつの間にか間の席に引き込まれたシャーリーはアスターとリリアにぴったりとくっつかれ、慣れないながらも嫌がる素振りは全くない。今までであればこうしていると目ざとく近づき鬱陶しく絡み嫌がらせともいえるような関わり方をしてきたあの問題児二人組も、あまりのリリアの嫌がりようを見て流石に目に余ると判断され、現在接近禁止令を言い渡されており邪魔する者もいない。偶然が功を奏し、彼らは穏やかな時を過ごす新たな友人を獲得したのだった。

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