第2章 Trance- トランス⑥
確かに自分は今日は男のつもりでノリ気だった・・・・
しかし、それがさきほどの老婆に分かったか?
男物のジャケットを着て髪を立てている・・・・
でもいくらなんだって、本当に男だと思うか・・・・?
あの婆さんはしっかりしているように見えて実はボケているのか?
・・・そこで、急に思い出す。自分が気づいたこと、いつもと同じ駅の何が違うのかを。
駅が違うんじゃない――。
自分の身長が、三十センチほど高いんだ・・・・。
電車を降りた女性二人組の頭が、自分の目の高さだった。乗るときは確か、自分の身長より高かったはずだ。それから改札口が低いこと。さっきの老婆が、異常に小さく見えたこと。いくら老人といえども、いつもの自分の背だったら少し視線を下げる程度だったはず。
ニューデイズの、ガラス張りの壁に自分の姿が写る――。
・・・・・・!
いつも見る、小柄な女の子のジュンじゃない。
背が高い。若い、男が写った。
彼が、ずっとジュンの中にいたもうひとりの自分なのか?
すなわち今の自分。時折存在を現すのに、決して姿形を持たない自分。
ジャケットもジーンズも、家を出たときのままだ。でも、サイズがなぜかちょうどよくて・・・・。髪はワックスでツンツンと立っている。
それが、自分であることを確かめるために、髪や顔をゆっくりと触ってみた。ガラスの中の人間も全く同じ動作をする。
駅の雑踏の中。
通りすがりの人が不思議そうに見ていく。
そのとき、自分の中から湧き上がってきたものは、不安なんかじゃない。フルーツを切ったときのような新鮮な喜びと、莫大な好奇心――。
ポケットからスマホを取り出して時間を確認する。一時ちょうどだった。自分は駅から出て、数十メートル先の喫茶店に入る。イチゴは架空の人物だ。ゲームのキャラクターだ。いるはずがない。でも、今日は何が起こっても不思議は無いかもしれない。
「いらっしゃいませ」
と言う店員を無視する。店内にそれらしい女の子がいないかと探す。いなかったところで、一人で空想を楽しむだけだ。
「まさかな・・・・・・・・・」
さすがに、それはないか。そう思ったとき、窓際の席で一人で据わっている女の子が目に入った。小柄で、セミロングのウェーブヘア。白地に赤いドット柄の可愛らしいタートルネックを着て、上品な薄い赤のフレアースカートを穿いていた。
イチゴ・・・・・
そう呼びたくなるような女の子だった。
おまけに一人だ。しかも誰かを待っている。
まさかな。
でも、そのときの自分は彼女に声をかけることに決めた。仮に彼女がイチゴじゃなかったとしても、彼女をナンパして今日一日デートをすればいい。彼女は可愛いじゃないか。
胸が高鳴る。好奇心が騒ぐ。
今の自分は正真正銘、男の身体を持っているのだから、一人で喫茶店で空想に耽るなんてもったいない。
――あきれてしまうほど身勝手な思い付きだ。
今の自分には何でも出来そうな気がした。というか、どうにでもなれ。
「ねえ、ここいい?」
彼女に声をかけると、案の定とても驚いた表情をした。返事を待たずに強引にその席に座る。彼女はオレンジティーを飲んでいた。自分はアイスコーヒーを注文する。
「誰かと待ち合わせ?」
彼女に訊ねると、なぜかイチゴのように顔を赤くして答えた。
「いえ、一人です」
その意図するところは分からないが、可愛い。
「そっか。ちょうどいいね。俺も一人だ」
声とセリフが合っている。気持ちがいい。本当に自分の身体は変化を起こしたのだ。こんな面白いことがあるなんて。
怖い、という感覚はなかった。もしかしたら、男になったというのは現実ではなくて、ただの夢とか、自分の思い込みとか、自分の頭がおかしくなったとかいろいろあるかもしれないが、とにかく予想以上に面白い小説が書けそうだからそれでいい。
「俺はジュン。名前は?」
「・・・・・ジュン?」
名前を言うと、なぜか彼女は驚いた。なぜだ?ありふれた名前なのに。
「嘘よ、偶然同じ名前だっただけよね。」
彼女はイチゴみたいな赤いスワロフスキーでデコレーションされたスマホケースを握り締めて、独り言を言った。・・・意味が分からない。
可愛い、けど不思議な子だな。一人で喫茶店にいること自体不思議だ。自分のことを棚にあげて、そう思う。
「イチゴ。」
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