第2章 Trance- トランス⑤

 土曜日は心踊るような気持ちで自然と目が覚めた。外は気持ちよく晴れている。

 「あら、純が休みの日に自然に起きるなんて珍しいじゃない」

と、久美子に言われた。いつもは十時近くまで寝ている自分でも、誰かとの約束があると、起きられるから不思議なものだ。

 ん?誰かとの約束・・・・・?

 確かに、イチゴとの約束ではあるが約束ではないわけで・・・・・・?

 まあいいや、そこらへんは。


 どんな物語が始まるのかと、わくわくしていた。「わくわく」なんて言葉は適切ではないが、いい表現が他に浮かばない。今日は起きた瞬間から、すっかり自分のことを男だと思っている自分。ジーンズを穿き、黒いシャツの上に男物の上着を羽織る。髪にはワックスをべたべたと塗りたくっていく。髪の毛がツンツンと立つ。楽しくて仕方が無い。

 自分はショートのウルフカットだった。女の子にしては短め、でも珍しい髪型ではなく、男の子が同じ髪形をしたところで不思議はない、という髪型だ。

 日によって、気分が女の子で女の子らしい格好をしたいときと、気分は男なのに女の子らしい格好を自分にさせたいときと、気分が男で男の子っぽく見える格好をしたいときがあるから、これが一番ちょうどいい。服装は変えられても、髪の長さだけは今日と明日で変えるのは難しいから。


 その服装のまま小説を書いて時間をつぶし、十一時半に家を出た。出かけ際に、

「ちょっと、純、そんなダボダボのジャケット着てどこ行くのよ!?」

という久美子の声を聞いた。

 駅の駐輪場に自転車を置き、十二時五分前の上り列車に乗る。

 駅のホームで女性の二人組みとすれちがった。二人とも背が高く、春らしいニュアンスカラーのトレンチコートを羽織っていた。一人がちらりと自分の方に視線をやり、また戻してもうひとりと高い声でおしゃべりをしていた。 

 男物の服を着たとき、というかそういう気分のとき、いつも思う。あと二十センチ、いや十センチでもいいから身長が高かったら・・・・・。

 例え男物の服を着て、男物のワックスを髪に塗り、すっかり自分はその気になっていても、身長百五十三センチの女性の身体は変わらなかった・・・。

 

 休日の真昼間の電車内は空いていた。向かいにミニスカートを穿いた女子中学生が座り、ドア付近にはさっきの女性二人が立っていた。斜め前には、ギャンブル紙と見られる新聞を広げたおっさん。それからお婆さんが一人。

 自分はゆったりと座席に座り、窓から差し込む日の光と、電車の規則正しい揺れを感じていた。イチゴから何か連絡があるだろうかと、スマホを取り出してみたが、なにもメッセージは来ていなかった。

 なんとなく、眠くなる。

 自分は電車やバスに乗ると必ず寝る。どうしてだろう。家の布団で寝るよりも気持ちがいい。一時間近くもかかるんだ、眠っていこう。

 スマートフォンを握り締めたまま、うとうとし始め、まもなく眠りに落ちていった。


 「次は××――、××――。△△線をご利用の方はお乗換えです――。」

車内アナウンスで目を覚ました。ん?もう着いたのか?いつもは電車で眠っても、乗り過ごさないように一駅ごとに目を覚ましてしまうのだが、今日は一度も起きずに目的地まで来てしまった。乗り過ごさなかったことは本当に運がいい。いや、自分の勘がいいのかな。 手には白いレザーのカバーをかけたスマートフォンを握り締めたままだった。


 プシューッ

 電車のドアが開く。寝ぼけたまま、ふらふらしながら降りる。

 乗るときに一緒だった女性二人も降りていた。こちらをちらりと見て、二人で顔を見合わせる。

 ・・・なんだ?

 自分がどうかしたか?


 ・・・・あれ?



 なんとなく、視界が変な気がした。でも、どこが変なのかは分からない。ここは、何度も利用している××駅だ。見慣れた駅のホーム、自動販売機、階段、エスカレーター、トイレの方向を示す張り紙、演歌歌手のコンサートのポスター・・・。

 エスカレーターを上って、改札口をくぐる。これも、普段と何も変わらない。目の前にニューデイズがある。駅の中を改装したという様子も無い。でも、やっぱり変だ。

「・・・・・・・・・・・?」

なにが違うんだ・・・?

 自分はその場で立ち尽くしていた。まだ脳内が眠りから覚めていないということもある。


 「ちょいと、お兄さん。」


 なぜだ・・・何がおかしい?

 

 あ・・・!

 なんか、気づいたような気づいていないような気がする。


 半分くらい分かりかけたそのときだった。

「お兄さん、あなたですよ。」

上品そうな年老いた女性の声が聞こえて、下を見ると、ちいさな老婆がこちらを見上げていた。・・・小さい。

 思えば先ほどから呼ばれていたが、それが自分のことだとは思っていなかった。

「あ、すみません。気づかなくて・・・・」

そう言った自分の声にはっとする。・・・・・違う。自分の声じゃない。そんなことを思っている間に老婆は次の言葉を放つ。

「ちょいとお尋ねしますが、市民会館に行くにはどちらからバスに乗ればよいのですか。」

「あ、北口から出て、一番手前の乗り場です。」

そう答えると、老婆は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げて北口へ向かって歩き出した。


 「・・・・・・。」


 お兄さん?


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