第1章 Syndrome- シンドローム③

 翌朝俺は、いつもとは違う院内の空気を感じて、早く目を覚ました。

なんとなく、病棟内が騒がしい。なにかあったのか?

 隣のベッドを見た。輝はまだ戻ってきていない。 

 しばらくすると、美香がやってきた。いつもとは様子が違う。深刻そうな顔をしている。今にも泣き出しそうにも見える。いったい何があったって言うんだ?

「優悟・・・・。落ち着いて聞いて。」

 美香が震えた声で言う。だから、なんだってんだ!?

「輝が・・・・・・・死んだよ。」




 ザッと、目の前で世界が斬られた。世界が真っ暗になった。今聞いたことが、俺にはすぐには理解できなかった。

「輝・・・・・が、なんだって?」

「だからね、今朝早くに、亡くなったの。信じられないくらいの高熱で。」

 頭が、フライパンで殴られたみたいにガンガンぐるぐるした。

「・・・・はは、うそだろ!?」

 俺は笑った。こんなときに何笑ってんだって思うかもしれないけど、笑わずにはいられない。信じられるわけが無い、そんな話。嘘だ。美香と、医者と全部グルで、俺をだます気なんだ!

 そうだろ?

「・・・・嘘じゃないの。私も信じられない。先生たちも不思議がってるの。原因が分からないって。」

 美香は目を赤くして、必死に涙をこらえている。

「・・・嘘だ!だって、あいつ昨日あんなに元気だったじゃねーか。ここで、バカやって・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 昨日の輝の様子が俺の脳裏に浮かぶ。ネットゲームのキャラクターを自分の恋人だと言って、午後中ずっとスマホをいじっていた。騒ぎすぎて、美香に怒られて、俺に大爆笑されて、ふくれっつらして・・・・・。

「なんで・・・・?あいつが・・・・」

 俺の目から涙が零れ落ちる。


 すっと、美香の白い腕が伸びてきた。美香の腕は俺を包み込む。

「泣くな・・・・優悟。男だろ。」

 美香の涙声。俺の額に、一粒の雫が落ちた。

 美香は温かかった。俺の胸が、トクン・・・と鳴った。

 俺は生まれたときから病気で、自分はどうせすぐ死ぬからって、ひねくれていた。死ぬのが怖いかと聞かれれば、別にそんなことはない。ただ、自分は不幸なんだと思ったことはある。みんなから同情されて死ぬんだと。

 まさか俺より早く誰かが死ぬなんて、そんなこと、考えてみたことが無かった。


 隣のベッドは、その日のうちに空っぽになった。輝の両親がやってきた。父親は興奮して怒鳴りながら医者に突っかかっている。

「なんなんです!?なんであの子が死ななきゃいけなかったんです!?死ぬような病気じゃなかったでしょう!?おたくの医療ミスなんじゃないですか!?」

 母親はその隣でただ泣きじゃくっている。医者は、おどおどしながら二人と話している。

「大変ご愁傷様です。しかしながら、医療ミスなどは一切ございません。実は、私どもにも息子さんの亡くなられた原因が分からないのです・・・。」

 その隣で、目を腫らした美香が、ぺこぺこと頭を下げている。輝の死は謎の死だったようだ。

 俺はどうしたらいいか分からなかった。心の中に、ぽっかり穴が開いたってこういうことを言うんだと思った。長いこと入院しているから、隣のベッドの人がいなくなるってことはよくある。だけど、今までの人はみんな元気になって退院していった。俺はそんな奴らを冷めた目で見ていた。羨ましかったのかもしれないし、寂しかったのかもしれない。

 輝がいなくなったのは、今までのこととは明らかに違う。俺にはそれがよく理解できなかった。


 その日の午後は、いつもと違う午後だった。あの、輝のうるさいおしゃべりがないから、俺とじいさんしかいない病室はとても静かだった。売店か、便所にでも行ったのか、今はじいさんもいない。俺は、ぼんやりと、空になったベッドを眺めた。なんとなく。

「・・・・・・あれ?」

 俺はあるものに気がつく。ベッドの下の暗がりで、何かが光っている。光を発しているのではなくて、窓から差し込む陽の光を反射して、つるんと光沢のあるものが見える。よく目を凝らしてみると、俺にはそれがなんだか分かった。輝のスマートフォンだ。

 輝の遺品は、午前中に両親がすべて引き取っていった。

 忘れたんだ・・・・・!!

 俺は、その黒光りする機械に手を伸ばす。めいっぱい。

 しかし、届かない。体は言うことを聞かず、ベッドから降りることはできない。チクショー。あと30センチ。俺は手をバタバタさせるが、やっぱり届かない。焦燥感に駆られる。なんで届かないんだよ!!!むかつく。

 そのときだ。黒いスマートフォンが一瞬で宙に浮き、俺の手の上に現れた。手のひらが冷たくなる。目の前に突然現れた誰かが、俺の手のひらの上にひょいと輝のスマートフォンを乗せた。

 びっくりして、その人を見上げる。向かいのベッドのじいさんが、にこにこしながら立っていた。

「早く、しまっときなさい。看護師さん来る前に。」

 じいさんは言った。

「え・・・、でも・・・」

「お前さんの友達が大事にしてた遺品だ。オラには操作できねぇけど。お前さんのものだ。大事にとっとけ。」

 じいさんは、そう言った。俺の中で、ある種の驚きを感じる。

「ありがとう、じいさん。」

 俺は輝のスマートフォンを自分の枕の下に隠す。

 こうしてこの機械は俺のものになった。それは、ただ単に輝の形見のつもりだった。使うつもりなんてなかった。そのときの俺は、まだ気づいていなかった。あのデジタルな彼女も一緒に、俺のものになったことを。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る