第34話 あの子はずっと後悔しておりましたな



「あの子はずっと後悔しておりましたな。手を離してしまったことを」


 そうつぶやいた老ゴブリンの横顔を、俺は何も言わず見つめた。

 深い皺のせいで、その表情は上手く読み取れない。

 しかしギーゾッドの窪んだ眼窩の奥の瞳は、井戸の底の水面のように仄暗く揺れていた。


 護衛騒動が終わった翌日。

 俺たちは再び、北の渓谷を進んでいた。


 昨日の出来事は持ち帰った地虫ワームの禍々しい突起とともに、おおよそのことはレイリーには説明済みである。

 むろん騎士団の関与は伏せて、怪しい輩から渡された荷物ということにしておいた。

 騎士様を放置して地虫の餌にした件がバレると、また名前と顔を変えて逃げなきゃならんからな。

 

 それと奴隷にされかけていた羽人ハーピーの子どもの件も、打ち明けてはいない。

 相手は市議会に議席を持つ大物だ。

 当然、市庁舎に務める役人も、そっち側と考えたほうが良いだろう。


 まあ、レイリーもいろいろと察したのか、深くは掘り下げず淡々と報告書を作成してくれた。

 ただし討伐報酬に関してはお預けで、もう少し見栄えの良い部位を持ってきたらという話になった。

 棘亀の頭部の後だと、突起一本では迫力不足と言われても仕方ないか。


 そんなわけでまたも無料券を貰い、ガズの馬車で昨日の現場に向かっているというわけだ。

 むろんガズには宴を開くとしか告げておらず、食材が何かまではあえて教えていない。

 すっかりゴブリン料理にはまった御者の浮かれた顔を見ると、少々気の毒になってくる。


 それと目的は、もう一つある。

 ロンゾの手向けと、その遺品の回収だ。

 亡くなった行商人には家族がおらず、その財産は市に強制的に寄付されることとなった。


 といっても、俺たちが連れ帰った馬や一部の荷物などは報告しておらず、騎士たちが乗っていた馬と一緒に小鬼横丁に預けてある。

 馬鹿正直に言ったところでたいした得もないと、門衛の棘亀の頭の横取り事件で学んだからな。


 それ以外で残っているのは、横転した馬車ともう腐っているであろう魚の詰まった樽のみということになる。

 で、それらは自由に処分してくれとレイリーからお墨付きを貰っていた。


 それを族長に教えたところ、馬車はぜひ修理して小鬼横丁で使いたいという話になった。

 そうなると、引っ張って帰るための馬も必要となる。


 まともに馬に乗れるのは俺とギーソッドのみだったため、くつわを並べて馬車の後ろをゆっくり歩いているという流れだ。

 少々、踏み込んだ話をしたかったので、ちょうど良い機会である。


「ノーリはどうだ?」

「元気にしておりますのう。あちこち連れ回されるのに慣れておるのでしょうな」

「そうか」


 ノーリというのは、ハーピーの子どもの個人情報にあった名前である。

 ただ分かっているのはそれだけで、どこで産まれたのか、今何歳なのかなどは何一つ不明だ。

 あの子どもの母親が生きているかさえも分からない。


「せいぜい可愛がってやってくれ」

「はい、お任せを。ナツリが甲斐甲斐しく世話を焼いておりますよ」

「……ナツリか。なあ、そろそろ聞かせてくれるか?」

「さて?」

「今回の奴隷の密輸とお前ら小鬼族ゴブリンに、どんな関係があるんだ?」


 ナツリの動揺を示すサインは、ぎゅっとこぶしを握る仕草だ。

 ハーピーの子どもを受け取る際にも、それがなぜか現れていた。


 それにギーソッドは俺にゴブリンの若者を預ける目的は、自衛のためだと。

 さらに恐ろしい地虫の魔物を前にして、あれほどの覚悟を見せたゴブリンたち。

 全てが何からの線で繋がっている気がする。


「そうですな。深い関わりができてしまった以上、勇者殿にはやはりお話しておくべきでしょうな」


 いつものひょうひょうとした顔のまま、ギーソッドは淡々と話しはじめた。


「我らはいかなる地でも棲家を得るお目こぼしに、なんらかのお務めを果たせばなりませぬ」

「それは聞いたことがあるな」


 防壁の外であろうと、自由にしていいとはならないらしい。

 ドーリンの小鬼横丁に課された責務は、下水道の清掃であった。

 煙突掃除と並んで、小鬼仕事と呼ばれる汚れ作業だ。 


「おおよそ二年ほど前からでしょうかな。汚泥に何やら不穏な物が混じりだしたのは」


 燃えて炭のようになった手足らしきものや、いくつもの穴が空いた骨。

 それに血まみれの布に包まれた臓物等々。


「そいつは確かにヤバい代物だな」

「最初は鳥か獣を捌いたたぐいかと思うておりました。……毛や羽根が残っておりましたからのう」


 だが、それらは次第に多くなり、姿形もはっきりしてくる。

 そしてとうとう予想していた通り、最悪なものが汚水の奥から現れる。

 それは首から上がない獣人の死体であった。 


「お役人様をお呼びしたのですが、うっかり下水に落ちて溺れ死んだのだろうと一言で済まされましたわい」

「確かに顔がないと息は出来ないな。それで、どうしたんだ?」

「我ら小鬼の墓にですが、弔わさせていただきました」


 それから月に一、二度は、そのようなことが続いたらしい。

 が、数ヶ月前に、それはピタリと止まったそうだ。


 で、ほっと安堵したところ――。


「消えたのは、四歳になったばかりの女子おなごですじゃ。ナツリが妹のように可愛がっておりましてな。どこへ行くにも手を繋いでおりましたが、ちょっと目を離した隙に……」


 およそ三ヶ月前の話だそうだ。

 五日後、その子どもは下水でうつ伏せになっていたのが見つかった。

 死体の有り様については、ギーソッドは何も語らなかった。

 ただ冒頭の一言を、ぽつりと漏らしただけである。


 数ヶ月前という時期は、北の峡谷を通る行商人が行方不明になりはじめた時期と符合する。

 おそらく騎士団の介入が始まり、奴隷の密輸が途絶えたのだろう。

 そして近場に住む鬼人に目が向いたと。 


「ありがとうございます。勇者殿」

「うん?」

「ナツリの手を開いてくださって。あの子は今朝、羽人の子と仲良く手を繋いでおりました。……心から感謝いたしますぞ」

「それは何よりだな」


 そう言いながら俺は、深々と息を吐いた。


 地虫と遭遇した現場に馬車がたどり着いたのは、午後三時をちょっと過ぎた辺りだった。

 腰を抜かす御者を放置して、さっそく解体班と修理班に別れて作業を開始する。

 タルニコは解体作業の穴掘りで活躍し、鍛冶見習いのドルスは修理作業をテキパキと指示していた。 


 俺はというと、テッサを伴ってロンゾや騎士たちの形見探しだ。


「おお、今回も凄い相手だったんだな! 参加したかったぞ」

「テッサがいないせいで苦労したよ」

「ふふ、お世辞でも嬉しいぞ、ザッグ」


 谷底を流れる緩やかな風に髪を揺らされたオーガの美女は、その見事なプロポーションを見せつけるように大きく背を反らした。

 それから振り向いて、なんでもないように尋ねてくる。


「何か悩んでいるのか?」

「……どうしてそう思った?」

「お前は考え込むと、目が鋭くなるからな」

「そうか。それが俺の癖か」


 思わず笑みをこぼすと、テッサも微笑みながら言葉を続けてくる。


「悩むなら好きにしたほうが良いと思うぞ。無責任な助言だけど、それが一番、楽にはなる」

「一理あるな。テッサはやりたくない仕事の依頼が来たらどうする?」

「うーん、そうだな。一度くらいは我慢するかな。やってみたら意外と面白い仕事になるかもしれないし」

「そうか。そうなるかもしれないな。ありがとう、楽になったよ」


 結局、ロンゾたちに関係する物は何も見つからなかったため、余った板材で組んだ十字架を壁際に並べておくことにした。

 何もないよりはマシだろう精神だ。


 夕食は地虫のステーキや肉団子のスープであったが、ガズが一番多く平らげていた。

 荷馬車の修理は終わらなかったため、日暮れ前に峡谷を出てコードレンの港町へ向かう。

 魔物化した地虫の群れを、わざわざ相手にする気はない。


 宿で一泊してから港で魚を少し仕入れ、盛況している屋台の亭主に挨拶しておく。

 いろいろと面白い話が聞けたが、それはまた後日。


 次の日、直した馬車に地虫の頭部を積み込み、ドーリンを目指す。

 市庁舎で待っていたレイリーに引き渡し、調査と討伐の依頼はようやく完了した。



 そしてその夜、俺はギーソッドに案内させて、下水道の奥へと向かった。


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