第29話 ……岩、じゃないな



「おーい、助けてくれ!」


 出鼻をくじくように響いたのは、道の真ん中で両手を振り回す男の声であった。

 崖に沿って谷底へ向かう細い坂道の途中。

 目に飛び込んできたのは、路傍の岩に乗り上げた一台の馬車の姿だ。

 護衛らしき革鎧姿の男二人が、馬に声をかけているが全く動けないようである。

 下り坂で速度を上げすぎて、障害物を避けきれなかったように見える。


「大丈夫だ。賊じゃない」

 

 目を凝らした俺の言葉に、タルニコは矢をつがえていた弓を下ろした。

 ゴブリンたちも安堵の息を吐きながら、構えた盾を背負い直す。


「どうしたんですか?」


 手綱を引いて馬車の速度を落としながら、ロンゾが大声で尋ねる。

 男は腕を挙げ武器を持っていないことを示しつつ、大股で御者台へ近付いてきた。

 

「通りかかってくれて助かったよ。見てのとおり、やらかしちまってな」

「すみません。こちらも急いでいるので、あまり手助けは……」

「いやいや、あの馬車は車軸が逝かれちまって、手伝ってもらいようがないんだ」

「そうなんですか」


 馬車を岩から下ろす手伝いは要らないと告げられ、ロンゾは露骨に目に安堵の色を浮かべた。

 が、続いて発せられた男の言葉に、戸惑った表情となる。


「だから街へ戻って代わりの馬車を用意したいんだ。すまないが、コードレンかドーリンまで乗せていってもらえないか。もちろん金は払う」

「申し訳ない。こちらも荷物は一杯でして……」


 ロンゾの返答に、男は額に手を当てて困りきった素振りを見せる。


「そこをなんとか頼めないか?」

「魚を積んでまして、今日中に届けないと駄目になってしまうんですよ」

「そうか……。俺も急ぎの荷物を抱えていてな。どうしても日暮れまでに、ドーリンのランドール商会に届けないとまずいんだよ」

「そ、そうですか」


 男はロンゾの目をじっと見つめた後、急に顔を近づけ、その耳元に小声で話しかけた。


「どうだろう。なんなら俺の代わりに届けてくれないか。そんなにでかい荷物じゃないし、ついでで良いんだ。頼むよ」

「ですが……」

「だったら、こうしよう。無事に届けてくれたら、この取引でもらえるはずだった代金の半分を支払う。失敗しても文句はないし、少しなら前金も出そう」


 破格の条件にロンゾは小さく唇を噛んでから、しぶしぶといった感じで頷いた。

 

「おお! 本当に助かるよ。ありがとう!」


 急ぎ足で自分の馬車に引き返した男は、そこそこの大きさの木箱を両手で抱えて戻ってきた。

 とたんにタルニコが鼻先を持ち上げて、何か言いたげに俺を見てきたので首を横に振っておく。

 男は荷台に箱を下ろすと、ロンゾに銀色の硬貨を何枚か手渡した。


「この箱を見せれば、すぐに分かってもらえるはずだ。頼んだよ」

「ええ、任せて下さい」


 手綱を握り直したロンゾは男に頷くと、慎重に馬へ鞭を入れた。

 急な勾配をゆっくりと下り終えた馬車は、車輪を揺らしながら走り出す。

 遠ざかっていく俺たちを、男たちは身じろぎもせず最後まで見つめていた。


 この北の峡谷の端は、国境の山並みまで続いていると聞いた。

 切り立った左右の崖の高さは、百メートルを越えるところもあるらしい。

 横幅も十分で、馬車が二台並んでもまだ余裕はありそうだ。

 

 谷底を流れていた川は今はもう大雨の時にしか現れないらしく、現在は乾いた平らな地面が露わになっている。 

 ただ、たまに石が露出しており、そうそう急いで走り抜けるわけにもいかない。


 時に車体を上下に揺らしながら、馬車はそこそこの速度で進んでいく。

 おかげで徒歩のゴブリンも、余裕を持ってついてこれているようだ。

 それでも足場が悪いため、十五分ごとに交代させている。

 さらに谷に入ってからは、随行する一人は馬車の斜め後ろを離れて歩き、全体が視界に収まるよう指示していた。

 

 荷台に残った四人も気を抜かず、周囲に絶えず気を配っている。

 御者台のタルニコも、いつになく集中して前方を警戒中だ。

 その耳はピンと立っており、手にした弓をいつでも引けるように身構えている。

  

 それが起こったのは、四度目のゴブリンの交代があった直後だ。

 延々と代わり映えのない景色に、すこし空気が緩んできたその時――。



「ワオォン!」

 


 突如、響き渡ったのは、タルニコの鋭い鳴き声であった。

 同時にコボルトは、隣のロンゾの首根を掴んで御者台から飛び降りる。

 

 一拍遅れて、馬車の前方から激しい衝突音が轟いた。

 間を置かず、車体が一瞬で大きく傾く。


 何が起こったのか分からず、身を強張らせるゴブリンの若者四人。

 それらをまとめて荷台から突き落とした俺は、転がりながら外へ飛び出した。


 素早く立ち上がり、状況を確認する。

 眼前の馬車は前の部分が、完全に浮いてしまっていた。

 前輪が虚しく空回り、くびきに引っ張られた馬たちが半ば宙釣りになって苦しそうな声を上げている。

 

 一瞬でこんな惨事を引き起こした原因は――。 


「……岩、じゃないな」

 

 巨岩にぶつかって、乗り上げたとかではないようだ。

 馬車を持ち上げていたのは、地面からいきなり現れた岩のような何かであった。

 ガリガリと嫌な音が馬車の底から響き、恐怖にかられた馬たちがもがきながら激しくいななく。

 

「タルニコ、無事か?」

「ハウ!」

「お前らは下がれ!」

「は、はい!」


 馬車の向こうから聞こえてきたコボルトの声には、焦りがあるもののそれ以外はいつも通りだ。

 声の位置からして、距離は十分に取れているようだ。

 ゴブリンたちも、俺の指示に慌てて起き上がり後ずさった。


 全員の無事を確認した俺は、ガタガタと揺れながらさらに持ち上がる馬車へ右手をしならせる。

 手首から飛び出した細身のナイフは、寸分違わず狙った一点に突き刺さった。


 一瞬で留め具が解け、二頭の馬はくびきから解き放たれる。

 地面にやっと降り立てた馬たちは、口から泡を飛ばしながら馬車から離れた。

  

 そして重しがなくなった馬車はそのまま傾き続け、あっさりと横倒しになる。

 樽や木箱が次々と地面に転がり、その中身をぶちまけた。


「な、な、なんですか? あれ!」


 馬車が横転したことで、地の底からの襲撃者の正体がようやく白日の下で露わになる。

 そこにいたのは、岩石そっくりの外皮を持つ化け物だった。


 凶悪な突起にぐるりと覆われた頭部には、円形の口のみがぱっくりと開く。

 地の穴から伸びる胴体に脚は見当たらず、その太さは丸太を数本束ねたほどだ。

 ウネウネと巨体をくねらせる様は蛇に似ているが――。

 

「もしかして、地虫ワームか!?」

 

 この世界の地虫は、人の腕ほどの太さと長さを有する馬鹿でかいミミズに、ヤツメウナギのような口がついた化け物だ。

 普段は土中の虫を食っているのだが、まれに地面の上の獲物を狙う習性がある。

 そして今、眼前で異様な姿を晒す化け物は、それを軽々と凌駕する大きさであった。


「こいつは、間違いなく魔物化してやがるな」


 なるほど、こんな風にいきなり地中から襲ってこられたら避けようがないな。

 どうやらこいつが、これまでの行方不明事件の犯人で間違いないだろう。


 馬車を容易くひっくり返した地虫は、大きく頭を動かして周囲を睥睨した。

 もっともその顔の部分には眼球らしきものはなく、ぎっしりと鋭い牙が並ぶ穴しかないが。

 

「耳か、鼻か。どっちだ?」


 一噛みで人の頭くらい余裕で噛み切れそうな、その外見のあまりの凶悪さに、ゴブリンの一人がストンッと尻餅をついた。

 他の四人も完全に血の気が引いており、肩や足をガタガタと震わせている。


 事前に棘亀の死骸を見て、少なからず覚悟は出来てはいただろう。

 が、地面の下から、いきなりこんな出鱈目なのが現れたら、やはり厳しいか。

 そして、そんな経験すらない行商人だと――。


「うわぁぁあああ!」


 不意に大きな悲鳴が上がり、地面を蹴りつける蹄の音とともに沈黙が崩れる。

 視線を動かすと、馬にしがみつくロンゾの姿が見えた。

 その目は大きく見開かれ、口元は小刻みに震えている。

 飼い主に腹を蹴られた馬は怯えたように頭を左右に振ったあと、一目散に駆け出した。

 砂埃を巻き上げながら、その姿はまたたく間に小さくなっていく。 


 まあ、馬車が壊された時点で護衛の任務は失敗だし、見捨てて逃げるのも雇い主の自由だ。

 責めるわけにはいかない。


 ただ囮には、なってくれなかったようだ。

 ロンゾたちが立てた物音を気にも留めず、地虫は再び頭を元の位置に戻した。

 そのまま倒れ込むように、馬車へ食らいつく。

 即座に激しい音が上がり、噛み砕かれた木片が周囲に派手に飛び散った。

 あの様子だと獲物を決めるのは、音じゃないようだな。


「……ど、どうします? 隊長」

「ああ、そうだな」


 掠れた声で尋ねてくるナツリに、俺はザッグに主導権を渡しながら唇の端を持ち上げた。


「あいつには銀貨十五枚を稼がせてもらうとするか」



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