第27話 すごいなぁ……



 次の日の朝、陽が昇ると同時に、部屋中が騒がしくなる。

 このマルヤの村からドーリンへは、徒歩で向かうと丸一日かかる。

 そのため門が閉ざされる前に街へたどり着くには、少しの時間も無駄にできないというわけだ。


 慌ただしく旅立っていく大部屋の客を横目に、俺たちは混雑が終わった井戸でゆうゆうと顔を洗う。

 昨日、さんざん歩いてくたくたになったせいか、ゴブリンたちはぐっすり眠れたようだ。

 修学旅行二日目の学生のように、はしゃいで水を掛け合いながら笑い声を上げていた。


 その後、小鬼種の若者たちは、テキパキと手分けして部屋の掃除を始めた。

 ナツリともう一人は、その間に土間の炊事場で朝食作りに取り掛かる。

 綺麗になった部屋の有り様に目を丸くした亭主は、うずらの骨で出汁をとった麦粥を味見して、さらに目を丸くしていた。

  

 宿の亭主からもらった手土産の新鮮なバターミルクを飲みながら、俺たちを乗せた馬車はゆっくりと出発する。


「今日もよろしく頼みますよ、みなさん」


 北の街道は大きく弧を描きながら、西にある峡谷とその周囲の森を避けて北西の方角へと向かう。

 鬱蒼と生い茂る木々を横目に、馬車は一定のリズムで車輪を回していく。


 点在する薄紅色の花をつける茂み。

 草に埋もれかけている古びた石垣。

 きらきらと光を跳ね返す深碧色の湖面。

 そして頭上には、子どもが千切ったパンのような白い雲。


 なんとも、のんびりした眺めである。

 聞こえてくるのは時折響く鳥の声と、馬車に遅れまいと足を動かすゴブリンの若者の荒い息遣いだけだ。


 何事もなく太陽は真上に差し掛かり、何もない草原に馬車は停まる。

 昼食は昨日と同じメニューだった。


 変化があったのは、午後三時に差しかかる頃合いだろうか。

 御者台のタルニコが軽く鼻を鳴らしたので、俺は視線だけを動かして前方を確認する。


 目に飛び込んできたのは、道を塞ぐように立ちはだかった大きな門であった。

 そこでは複数の馬車や旅人が、順番を待つように列をなしている。

 門の傍らには石造りの平屋があり、いかめしい鎧姿の歩哨が睨みを利かせていた。


「あれは関所か?」

「ええ、そうですよ。あそこまで行ったら、コードレンまで一時間です」

「関所とはなんですか? ザッグ隊長」


 目を輝かせて聞いてきたのは、休憩に入ったばかりのナツリだ。

 そういえば勇者様という呼び方だが、誤解を招くので人前では止めさせている。


「簡単に言えば、街道の仕切りだな。ここまでお前らが歩いてきた道は北の街道だが、あそこからは海境の街道に変わる」


 関所の向こうを横切る広い道を指差すと、少女は納得した顔で頷いた。


「あんな風に道が交わるところは交通の要衝っていうんだが、いろいろと重要な地点だから守る必要があるんだよ」


 北海に沿って東西に走る大きな街道と、ドーリンから伸びる北の街道が交わる場所だ。

 さらにもう少し北へ足を伸ばせば、海防の要となる港まである。

 押さえるべき要所として、これほどの場所は早々ないだろう。

 

 関所の建物には、複数の馬の姿も見えた。

 おそらく衛兵だけではなく、騎士辺りも駐留していそうだ。


「だから、ああやって怪しい奴がいないか調べたり、敵が攻めてくるのをあそこで防いだりするわけだ」

「なるほど。勉強になります!」

「それだけじゃないよ、お嬢ちゃん。ほら、あそこを見てごらん」


 割り込んできたロンゾの言葉に、ナツリは額に手をかざして首を伸ばす。

 キョロキョロと瞳を動かす少女に、行商人は肩をすくめながら言葉を続けた。


「ああやって我々から金を巻き上げるのが、この関所の最大の目的だよ」

「なるほど。通行料ですね!」


 近寄ってきた兵士に何かを手渡した御者が馬車を動かして門を抜けていく様に、ナツリは弾んだ声で答える。

 その様子にちらりとこちらへ顔を向けたロンゾは、唇を小さく噛んで愚痴をこぼした。


「それだね。おかげで厄介な盗賊連中は消えたが、往復すると費用も馬鹿にならないし、おまけに痛くもない腹も探られて面倒極まりないよ」


 喋っている間にも門はどんどん近付いてきて、程なく列に到着した馬車はその最後尾で停まった。

 そこから待つこと三十分、ようやく俺たちの番が回ってくる。


「目的地は?」

「コードレンへの荷運びですよ、旦那」

「そいつらは?」

「護衛に雇った人たちです」

「蛮族を雇うとは、ずいぶんな物好きだな。帰りもここを使うのか?」

「明日は峡谷を通って帰る予定です」

「そうか。気をつけろよ」


 銀貨を受け取った衛兵は、鷹揚に頷いて門の向こうへ顎をしゃくった。

 門を通り抜ける際にさり気なく確認したが、どうやら峡谷へ続くほうの道には衛兵の通せん坊はないようだ。

 自由に通っていいが、街道と違って安全は保証しないということか。


 賑わう海堺の街道を横切り、北へ向かう道へ進む。

 十分と立たぬ間に、潮臭い空気が鼻孔に入り込んできた。

 そしてその十分後、丘を越えた先に広がっていた青一面の眺めに、ゴブリンたちはいっせいに腰を浮かせ、タルニコは耳と尻尾をピンと立ててみせた。


「アニィキ、ミィズいっぱいです!」

「す、すごい、すごい、すごい、すごい!」


 海を見たのは、全員が初めてのようだ。

 興奮する若い護衛たちの姿に、ロンゾは小さく笑いを漏らした。

 

 コードレンの港の防壁に近づくと、潮の香りはますますきつくなった。

 浜風に乗って、跡切れ跡切れな海鳥の鳴き声も聞こえてくる。


 港町の門は関所と打って変わって、ゆるゆるであった。

 あくびを隠さない年老いた門番が、門柱にもたれて一人座っているだけだ。

 その男に軽く頭を下げたロンゾは、速度を落としながら開け放たれた門の中へ馬車を乗り入れた。


 待っていたのは、喧騒であった。

 雑多な人々でごった返しているが、ドーリンの街と比べると派手な装いの者が目立つ。

 大きな港町だけあって、水夫や漁師が多いのだろう。

 凝った衣服に身を包むのは、水死体になった際に判別がつきやすいためだと聞いたことがある。


 道の両脇の露店には見慣れない果物や野菜が並び、嗅いだこともない香辛料スパイスの匂いが漂ってくる。

 その刺激にゴブリンたちは皆、荷台から身を乗り出して目を輝かせた。


「ほら、落ちないよう気をつけろよ」


 一人だけ徒歩だったゴブリンを迷子にならないよう荷台へ押し上げ、俺が代わりに歩き出す。

 しばらく進むと大通りを抜けたらしく、人影がまばらになってきた。

 逆に海水の臭いはいっそう強くなり、波音も大きくなる。


「うわぁあ……」

「すごいなぁ……」


 不意に眼前に現れた風景に、ゴブリンの若者たちは今日何度目か分からない感嘆の声を漏らした。

 夕暮れの波止場に広がっていたのは、壮観な眺めであった。


 問答無用で視界を埋め尽くす、巨大な帆船たち。

 その船体からずらりと突き出した長いマストの群れが、光を失っていく空を尖塔のごとく指し示す。


 岸壁と船を繋ぐ細い桟橋では、荷物を抱えた水夫たちが忙しそうに行き来する姿が見える。

 こまごまと動くその姿は、船の大きさをより引き立てていた。


 人足たちの怒声や、埠頭に打ち寄せる波音。

 さらに折りたたまれた帆が海風に煽られる音など、街中とは違う騒がしさがある。

 あちこちに干された網からの生臭い匂いが、そこら中に漂う魚の腐臭と交じって、口をぽかんと開けていたゴブリンたちはいっせいに顔をしかめた。

 

 忙しそうに立ち働く男たちと積み上げられていく荷物の合間をすり抜け、荷馬車は一隻の船の横に停まる。

 御者台から飛び降りたロンゾは近くにいた少年を呼びつけ、もやい綱の近くに立って指示を飛ばしていた男を指差し、二、三言話しかけた。


 ゴブリンたちとさほど背丈の変わらぬ水夫見習いが呼んできたその男は、少し値の張りそうな服に身を包んでいた。

 おそらく船長か、それに近い身分の奴だろう。

 

 ロンゾが懐から出した書き付けを手渡すと、男は素早く目を通してから部下を呼びつける。

 たちまち集まってきた水夫どもに、荷台に腰掛けてきたゴブリンたちは慌てふためいて飛び下りた。

 むさくるしい男たちの集団は気にする素振りもなく、荷馬車に積んであった樽を次々と下ろし始める。

 出発時に中身を聞いたが、塩漬けの肉や蜂蜜漬けの果物、ぶどう酒なんからしい。


 力自慢の水夫たちのおかげで、荷下ろしはまたたく間に終わってしまった。

 見届けた船長らしき男は書き付けにサインを済ませ、チャリチャリと音がしそうな小袋をロンゾに差し出す。

 うやうやしく受け取った行商人の耳元に、高そうな服の男が何かを囁いて取引は終了した。


「お疲れさまでした。宿に行きましょうか」

「無事にすんで何よりだな」


 軽くなった荷台に全員が乗り込み、馬車は車輪を軋ませながら波止場を後にする。

 ロンゾが俺たちを連れていったのは、白鹿亭と同じ酒場を兼ねた宿であった。

 が、明らかに小綺麗さと料理の腕は落ちるようだ。


 白身魚と赤茄子トマトの煮込みを、ぶどう酒で流し込んで夕食は終わった。

 部屋の割り当てはロンゾと俺とタルニコで一部屋、ゴブリンどもで一部屋だ。

 少しシーツは汚れていたが、一日ぶりのまともなベッドに寝っ転がる。

 

「明日は急ぐんだっけ?」

「ええ、水揚げが終わるのが七時過ぎで、その後、買い付けを済ませたら、すぐに街を出ます」

「ゆっくり土産を選んでいる暇はなさそうだな」

「そこらへんは我慢してください。ほら、寝酒です。よく眠れますよ」


 唇を少し噛みながら、ロンゾがツンと匂いのする盃を差し出してくる。

 なかなかに強そうな酒だ。


 案の定、タルニコは一杯だけで、即座にベッドで丸まってしまった。

 コボルトの無遠慮ないびきを聞きながら、俺は静かにまぶたを閉じる。


 護衛の旅、二日目の終了である。


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