第9話 ……本当に落ちるんだな



 広場に首を突き出して周囲を見下ろした亀の魔物は、のっそりした足取りで全身をあらわにする。

 その大きさは報告書にあった雄牛ではなく、もはや象に近い。

 外れてほしかったが、おおよそザッグの予想通りである。

 ゴツゴツした鱗に覆われた四本の足は、大人の胴回り並の太さだ。

 大きな丸みを描く甲羅の高さは俺の身長を余裕で超えており、その表面には人の二の腕サイズの棘がまんべんなく天を向いて生えていた。


 伐採場を睥睨していた棘亀は、広場中央で血を吹き出す羽兎に気付いたのか小さく首を揺らした。

 次の瞬間、その巨体は思わぬ速度で、大地を震わせながら走り出す。

 一切の躊躇も見せず巨大な亀は、囮の兎へ迫り――――。


 激しい轟音と土埃が巻き起こった。


「やったぞ、ザッグ!!」

「……本当に落ちるんだな」


 土煙が収まった広場の中央で、亀の魔物は見事に穴に落ちていた。

 いや、落ちるというか、はまっていた。

 かなり頑張って掘ったのだが、それでも足りなかったらしい。

 完全に穴に落ちたわけではなく、甲羅の縁が穴の端にぎりぎり引っ掛かってしまっている。

 それでも穴底に仕掛けた杭が腹に刺さったらしく、そこから動けないようだ。


「予想をもっと信じるべきだったか」

「なんか言ったか?」

「気にするな。こっちの話だ」 


 どうしたものかと様子を窺っていたが、しばらく甲羅を揺らしてた亀はじょじょに動きが鈍り、やがて静かになった。

 その後、五分ほど待っていると、亀が全く動かないことにじれたのか、ドルスとタルニコが茂みの後ろからそっと顔を覗かせる。

 しばしためらう表情を浮かべた後、タワーシールドを構えたドルスが、バトルアックスを突き出した状態で姿を見せた。

 その背後にピッタリとタルニコがくっつく形で、二人は慎重に魔物に近づく。

 まずタルニコが拾った石を投げつけてみるが、亀はピクリとも反応しない。

 そこで数歩の距離まで接近したドルスが、亀の頭部を戦斧で軽く触れて生死を確認しようと試みた。


 が、その瞬間を待ち構えていたのか。

 巨体とは思えぬ素早さで、いきなり亀の頭が甲羅へ引っ込む。


「ワオォン!」

 

 同時に、タルニコが動いていた。

 鋭い吠え声を放ちながら、とっさにドルスの首筋を掴んで地面に引きずり倒す。


 一瞬の間をおいて、大亀の甲羅が、わずかに膨らむような様相を見せ――。

 その表面を覆っていた棘が、いっせいにばら撒かれた。


 幾重にも重なった風切音が響き渡り、猛烈な勢いで辺り一面にこぶし大の尖った塊が飛び散る。

 飛んで来た棘の威力は、凄まじいものであった。

 少し手前に並んでいた切り株たちは、ずたずたに切り裂かれ原型を留めていない。

 周囲の樹木にもいくつか突き刺さったようで、大きく幹が揺れ木の葉が派手に舞い踊る。

 眼前の有り様に、テッサが目を見張りながら声を発した。


「今のは!?」


 最大限に焦りつつも、俺の中のザッグは冷静にタルニコたちへ視線を走らせる。

 すぐに目についたのは、掲げられたタワーシールドであった。

 倒れこんだ瞬間、偶然かもしれないが、ドルスは盾を持ち上げていたらしい。

 顔をしかめながらも無事だったドルスの姿に、テッサが大きく安堵の息を吐いた。


 だが、全てを防ぎ切れたわけでもないようだ。

 後ろに匿われたタルニコともども、盾でかばいきれなかった部分の衣服が裂け、血が滲んでいるのが見える。

 俺の視線に気付いたのか、タルニコがドルスの肩に手をかけながら、大袈裟に首と尻尾を横に振ってきた。


「どうやら、ドルスが動けないようだな」

「えっ!」

「次の棘が来る前に、二人をあそこから動かさないと不味いぞ」


 棘亀の甲羅には、まだたっぷりと棘が残っている。

 しかし、すぐに棘を打ち出す気配はない。


 原因を求めて動く俺の眼球が、すぐさまその理由を見つけ出す。

 地面に接している甲羅。

 その縁から棘に向かって、大量の土が蟻の群れのように移動していた。

 甲羅の上へ引き寄せられるように動く土の膜が、辿り着いた棘を一つ一つ覆って石のように固まりだす。


「あれは、どういう仕組みか分かるか?」

「……多分だが、土の精霊術だ。ああやって、精霊を使って土を棘に集めているんだと思う」

「そうか」


 俺の問いかけに、テッサは少し考えてから答えをくれる。

 完全に落ち着きを取り戻しているな。これなら頼りに出来そうだ。


 しかし精霊術というのはよく分からないが、棘ではなく土の塊を飛ばしていたのか。

 どうりで抜けた棘が見つからないわけだ。

 

「くそ、来るな! 来るんじゃねぇぇえ!!」

 

 迂闊に近づいてきた獲物が、動けないと悟ったのか。

 ズルリと甲羅から、大亀の頭が出てきた。

 

 大きな顎がバックリと開き、ずらりと並んだ牙を見せつける。

 迫ってくる魔物の頭部に、ドルスが必死でバトルアックスを突き出しながら叫ぶ。

 その体を懸命に引っ張って、少しでも距離を取ろうとするタルニコ。


 すぐにでも助けに行きたいところだが、すでに大亀の土の棘はほぼ再装填済みである。

 今、広場に飛び出せば、確実に乱射してくるだろうな。

 ……待てよ。逆にそれで良いのか。


 この状況を何とかできそうな作戦に気付いた俺だが、肝心のあの厄介な棘をどう対処すべきかまでは思いつけない。

 が、ザッグから返ってきた答えは、意外なものであった。

 

「あの程度なら、全部躱せるだと……」

「なるほど。こうか!」


 傍らに視線を移すと、テッサにも驚きの変化が起きていた。

 彼女の足元。

 そこから動き出した土が、革靴を次々と這い上がっていく。

 そしてまたたく間に、テッサの下半身は土で覆われてしまった。


 まさか見様見真似で、精霊術とやらを使いこなしたのか。


「よし、これであの棘もなんとかなりそうだ!」

「鎧代わりにするのか?」

「ああ、一度くらいなら耐えられると思う」

「じゃあ、ちょっとやってほしいことがあるんだが」


 テッサに指示を伝えた俺は、迷うことなく茂みから飛び出した。

 タルニコたちとの距離を詰めながら、両腕をしならせる。

 その瞬間、服の両袖に仕込んであった細身の黒い刃が放たれ、寸分違わず大亀の両目を貫いた。

 

 耳障りな鳴き声とともに、魔物の頭部が甲羅に吸い込まれる。

 同時に大亀の背甲が膨らみ、みっしりと並ぶ棘がいっせいに震えだす。


 すでにタルニコとドルスの元にたどり着いていた俺は、二人の前に立ち新たなナイフを革靴から抜いた。


「アニィキ!」

「旦那!」


 まったくもって絶望的な場面である。

 手にするナイフは刃渡り三十センチ足らずで、幅は五ミリにも満たない細さだ。

 対して向かってくる土の棘は、幅は五センチから十センチ、長さはゆうに五十センチを超えている。

 しかもそれが、まばたきする一瞬で向かってくるのだ


 どうにかなる状況とは思えないが、それでも俺の心臓は恐ろしいほどに落ち着き払っていた。

 少しだけ顔を傾け、背後の二人に見えるように唇の端を持ち上げてみせる。


 そして次の瞬間、大気が震え――。

 放たれた数十本の土の棘が、俺の眼前を埋め尽くした。


 迫りくる圧倒的な殺意。

 考えるよりも先に、身体は動いていた。


 大亀の甲羅に生えている棘は、長さや太さ、位置など大小高低様々だ。

 当然、それは俺に到達するまでの時間に関係してくる。

 数秒にも満たない、そのタイムラグ。


 だが、ザッグにはそれで十分であった。

 凄まじい速度で飛来する棘の群れを、俺の視界はコマ送りで捉える。


 踏み出した足とともに黒い刃の影が空中をよぎり、一本目の棘の側面を突き刺した。

 とたんに土の塊は、急激に自壊してバラバラに飛び散る。

 続いて二本目、三本目の棘も同様の道を辿った。


 いかなる物も形を成す以上、結合する力が集う箇所が存在する。

 そして信じがたいことにザッグの鍛え上げた目は、そのわずかな一点を瞬時に見極められるのだ。

 結び目。こいつは、そう呼んでいるらしい。


 俺の両の瞳孔が、次々と土の棘が崩壊するわずかな部分を見定める。

 あり得ない速さで縦横に走る細い刃によって、次々と結び目を貫かれる棘たち。

 砕け舞い踊る土煙の中、最小限かつ最速で俺の体は動き回り――。


 気がつくと俺の眼前には、ぽっかりと空白が生じていた。

 あれほど大量にあった土の棘は、一つ残らず消え失せている。

 そして一呼吸遅れて、俺の耳に背後の二人が漏らす唖然とした声が届いた。


「し、信じられねぇ。何が起こったんだ……?」

「ア、アニィキ……。すごい……」


 ああ、信じられないのは俺もだ。

 だが魔物である亀は、その程度では動揺しなかったようだ。

 再び穴周辺の土が、いっせいに大亀の甲羅へ集い出す。

 そして、それこそが俺の狙いであった。


「行け、テッサ!」

「任せろ!」


 鋭く声を上げて大亀の真横で立ち上がったのは、戦鎚を構えたテッサだった。

 俺が真正面から魔物の注意を引きつけている間に、地面を這って進みながらあそこまで接近してくれたようだ。


 土くれを払い落としたテッサは大亀の甲羅に駆け寄ると、その上に軽々と跳び乗った。

 そして棘を足蹴にしながら頂きまで一気に駆け上り、そこでバトルハンマーを高々と構える。

 

「来い!」


 その一声に、大亀の甲羅を覆っていた土がテッサの体を伝い、ハンマーへと集まっていく。

 みるみる間に膨れ上がり、重量を増していく戦槌。


「うぉぉぉおおおおお!!!!」


 甲羅の天辺で力強い叫びを放ったテッサは、巨大な土塊と化したハンマーを力の限り打ちつけた。 

 その渾身の一撃が決め手となる。


 穴にかぶさるような状態だった大亀だが、土埃を巻き上げながら落とし穴の中へとずり落ちていく。

 同時に腹部に刺さった杭が、その体を奥深くまで喰い破ったようだ。

 魔物は最大限に首を伸ばし天を仰ぐ。

 そして一呼吸置いて、その鼻口から大量の体液を撒き散らした。


 全身を痙攣させながら何度も血を吐いた大亀は、不意に糸が切れたように頭部をがっくりと地に落とす。

 

 完全な静寂に包まれた広場で、俺たちはしばし息を殺して魔物の動向を見守った。

 大亀の息は完全に止まっており、動き出す気配は微塵もない。

 油断なく大亀を見据えたまま、俺はその頭部に大胆に近寄ってみた。

 開かれたままの眼球に刺さっていたナイフを引き抜くが、何の反応も返っていない。

 

 今度こそ、本当に死んだようだ。

 死んだフリをされた時は驚いたが、しょせんは亀か。

 大量の土棘を飛ばす為に、自分で落とし穴を広げて落ちやすくするとは間抜けすぎる結末である。

 まあ、それを狙って、何度も棘を撃たせたんだけどな。


「タルニコ、大丈夫か?」

「ハウ!」

「ドルスはどうだ?」

「何とか生きてますぜ。まだ腰は抜けてますが……」


 禿頭の顔は汗と泥まみれで酷い有り様だが、生きていればこっちの勝ちだ。

 ナイフを全て仕舞い込んだ俺は、棘だらけの甲羅の上で誇らしげに戦槌を掲げ持つテッサに手を降った。

 

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