第8話 さて、始めるか
予想以上にあっさりだな、おい。
ドルスが白眼剥いちまったじゃねえか。
「それは?」
「オミィヤゲです。居たので、捕まえておきました」
手にした羽兎を、道端で拾った石ころのように掲げてみせるタルニコ。
羽兎とは耳の後ろから背にかけて薄い被膜を持つ兎で、襲われるとそれを使って飛んで逃げる習性があり、捕まえるのはかなり難しいはずだ。
兎の長い耳には両側に石が結んである紐が絡んでおり、どうやらそれを投げて捕獲したらしい。
馬車に乗っている間、ロープで何かしているなと思ってたら、この
魔物の痕跡をすぐに見つけるだけなく、行きがけの駄賃とばかりに兎まで獲ってくるとは、本当に優秀な狩人だな。
「よくやったぞ、タルニコ。魔物の居場所は近いのか?」
「チヨットだけ奥です」
「それなら見に行くか。テッサはタルニコの横についてくれ。しんがりはドルスが頼む」
俺たちは警戒しながら、整備された森の道を進み始めた。
所々で太い柵が壊されたまま放置されており、魔物の凶暴さがひしひしと伝わってくる。
しばらく進むと、先行していたタルニコが手を上げて合図してきた。
「ここがイチィバン新しい跡です」
タルニコが指差したのは、下草が途切れ土がむき出しとなった地面にくっきりと残った丸いくぼみだった。
等間隔に並んだ跡は、森の奥へと続いている。
「……これは足跡か。かなりの大きさだな」
「ど、どうして、これが新しいって分かるんだ?」
生唾を呑み込むドルスに、タルニコは今度は傍らの木を指差す。
そこにあったのは、樹皮に生々しく残った大きな傷であった。
おそらく亀の甲羅が掠ったのであろうが、その位置は俺の胸元に余裕で届くほどだ。
「まだ湿っているな。数時間以内ってとこか」
「この高さに届くとなると、相当の大きさだな! うん、大きいぞ!」
「気をつけて下さい。そこフゥンあります」
「えっ!」
タルニコに足元を指差されたたテッサは、茶色い塊に気づき大慌てで飛びのく。
こちらも、かなりのサイズだ。しかも結構、臭い。
「これも乾いてないし、出したてだな。くたばってないのは分かったが、他に証拠はないのか? 持ち帰れそうな棘とか」
俺の問い掛けに、タルニコはしょぼんとした顔で首を横に振った。
深々と息を吐いた俺は、改めてこの依頼の困難さを思い知る。
糞や足跡でまだ魔物が生きていることは確実に分かるのだが、それを第三者に証明することが難しすぎる。
かといって、もっと確実な生存の証拠を得ようとすれば、その危険は計り知れない。
俺は周囲を見回しながら、これからの行動を考えた。
危険を覚悟でこのまま魔物の足跡を追った場合、運が良ければそうそうに棘とかを拾えて仕事が終わるかもしれない。
ただ運悪く魔物に遭遇した場合、慣れていない森の中だ。
確実に逃げ切れる保証は、ほぼないだろう。
それなら広場にいったん避難して、安全に逃げられる範囲内で魔物の痕跡をじっくり探すって手もあるな。
もっともその場合、運が悪ければ数日かかる仕事となる。
判断に迷った俺は、皆の意見も聞いてみることにした。
ドルスは木についた魔物の痕跡をじっと見つめたまま、何度も意味なく盾を構えているし聞くまでもないか。
「テッサはどう動けばいいと思う?」
「私は広いところまで下がりたいな。ここは遠くまで見通せないし、得物を振り回すにも木が邪魔になる」
いつの間にか、戦うのが前提になっている。
流石は戦闘民族だ。
「タルニコはどうだ?」
「そうですね。ヒロゥバまで戻りましょう」
「それが良いか」
タルニコなら追跡を選ぶと思っていただけに、その答えは意外だった。
だが狩人のコボルトはその後に、さらに意外な言葉を続けてきた。
「ここはアナァが掘りにくいですから」
ひとまず伐採場まで帰ってきた俺たちだが、そのまま森林監督官の小屋まで戻ることにした。
「場所を貸してもらって助かったよ」
「それくらいならお安い御用さ。しかし魔物がこんな近くまで下りてきているとは……」
小屋のテーブルを囲みながら、昼飯のチキンサンドを皆に配る。
多めに買っておいたので、髭の監督官にもおすそ分けしておいた。
後で世話になる可能性が非常に高いので、印象は良くしておくに限る。
「おお! これは美味いな。鶏の焼き加減が絶妙だ」
「気に入ってもらって何よりだ。南門通りの屋台で買えるよ」
さりげなくナッジの店も宣伝しておいた。
「それで厚かましい願いなんだが、さっきの杭作りの話、引き受けてくれるかい?」
「ああ、任せてくれ。食べ終わったらすぐに取り掛かるよ」
「それは助かる。じゃあ、飯を食いながらで良いので聞いてくれ。やる事を説明するぞ」
チキンサンドに舌鼓を打っていた他のメンバーは、俺に呼び掛けに耳を傾ける。
「穴掘りは俺とタルニコとドルスの三人だ。テッサは穴を擬装する下枝を集めてくれ。枝集めが終わったら、頼んだ杭が出来てるか確認にいってほしい。仕上がっていたら手伝ってもらって運んできてくれ。杭を立てる位置とかの細かい部分はタルニコに任せる。分担はこんな感じだが質問あるか?」
テーブルを見渡したが、皆が無言のままなのが逆に俺の不安を煽る。
だが、それを表に出すわけにもいかない。
止めるなら今が最後だなと思いつつ、計画立案者のコボルトにちらりと視線を移す。
タルニコはチキンサンドを咥えながら、目が合うと激しく首と尻尾を縦に振ってきた。
任せてくれということか。
少しも変わらないその様子に、俺も覚悟を決めることにした。
「よし、食い終わったら作戦開始だ!」
俺たちのやろうとしている作戦は、至極簡単だ。
魔物を誘い出して落とし穴に落とす。これだけである。
最初に思いつく疑問点は、そんな簡単に落ちるのかってとこだが、タルニコの話だとそれが意外と落ちるらしい。
魔物化した時点で闘争本能が強くなった分、危機察知能力が低下するのだろうか。
そして無事に落ちた場合に備えて、穴の底には太い杭を仕掛けておき、罠に掛かれば串刺しになるようにしておく。
強固な亀の甲羅も、装甲の薄い腹側なら何とかなるだろうと考えてだ。
まあ即死しなくても、動きが止まればそれで良いしな。
この作戦の利点は、そこにある。
成功しても失敗しても、こちらに人的な損失がないのだ。
安全な場所から遠巻きにしておいて、成功すれば儲け物。
失敗しても失うのは、作業の手間と時間だけだ。
もし上手くいかなかったとしても、闇雲に森を歩き回るよりは安全だし、新たな方法を試す時にっその経験を活かせばいい。
正直なところ、元日本人である俺の中では、魔物は獰猛や野生動物そのもののイメージだ。
生のサイやカバを見たことがあるなら分かるだろうが、あれらに生身で近づこうなんて考えはまず浮かばない。
圧倒的な生き物としての差を、遺伝子レベルで感じ取れてしまうからだ。
だが、俺の中のザッグは違う。
三十センチを超える糞や、えぐれた樹皮の位置から、棘亀の大きさは大体ではあるが頭の中で描かれている。
そうでありながら……。
なんとかなるだろう。
こんな感情しか、浮かんでこないのだ。
元から感情の起伏は無に近いのだが、それにしてもここまで平然とできるものなのか。
まあ、己の強さを、誰よりも知っているからだろうな。
「さて、始めるか」
髭の監督官からもスコップを借りれたので、三人でいっせいに穴掘りに取り掛かる。
伐採地の辺りは切り株を退かせた跡を一度埋め立てたせいか、それなりに柔らかくてかなり掘りやすい。
逆に森の中でこのサイズの落とし穴を掘るのは、木の根が邪魔過ぎて無理だろうと改めて感じる。
そして頼りになったのは、やはりタルニコだった。
物凄い勢いでコボルトはスコップを振るい、またたく間に穴を深く掘り進めていく。
深穴掘りの名はだてじゃないってとこか。
途中からはもうタルニコに掘り役を任せ、俺とドルスは掘った土をひたすら広場の隅に運ぶ流れになった。
そんなこんなで、作業はだいたい二時間くらいで終了した。
木の杭はしっかり尖らせてもらい、テッサのハンマーできっちり打ち込み済みである。
太い枝の上に葉っぱ付きの枝を重ねた蓋も、きちんと土がかぶせてありカモフラージュは完璧だ。
仕上げにタルニコが、棘亀の糞があった場所で捕まえておいた羽兎の耳を切り落とし、その血を滴らせながら落とし穴まで誘導する。
そして死に掛けの兎を蓋の上の置き去りにして、巨大な罠は完成した。
「ふう、ここからが本番だな」
「ああ、やっとか!」
いざという時も考えて俺とテッサ、タルニコとドルスの二手に別れて見張りをすることにした。
そして待つこと、一時間。
巨大な質量が、森の中から姿を現した。
伐採場の端の木が大風に吹かれたように、突如その身を激しくしならせる。
同時に地響きに近い振動が、地面を通して伝わってきた。
葉を散らして揺れる木々の間から、黒く大きなモノがニュッと飛び出てくる。
それは馬鹿でかい亀の頭であった。
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