第5話 何が欲しいんだ?



「ヤドゥヤに帰らないのですか?」

「宿屋に戻る前に、森に行く準備をしとくぞ」


 市庁舎を出て左に視線を向けると、鍛冶職人の通りはすぐに見つかった。

 鍋や蹄鉄を模した鉄製の看板が、軒下からずらりと飛び出して並んでいる。

 俺はタルニコを引き連れて、金属臭い道へ足を踏み入れた。


 ここも大広場と変わらぬくらい雑多な音が溢れている。

 店員ががなり立てる呼び込みの声と、そこら中から聞こえてくる槌を振るう音。

 それに窯の熱気が合わさって、慌ただしく空気がかき混ぜられているような雰囲気だ。


 そんな中を看板と店先に並べられた商品を吟味しながら、俺は悠々と歩いていく。

 幸い昨日のサイコロ賭博のおかげで、懐はかなり温かい。

 明日の仕事に必要な品を脳内でピックアップしつつ、作業中の職人の手捌きを一人一人眺めて回る。

 一通り金物通りを見終わった俺は足を止め、いま来た道を振り返った。


「オミィセ決まりました?」

「やはり表通りはこんなものか。次、行くぞ」

「ハウ!」


 俺は細い路地を抜けて、金物通りの裏へ回った。

 こちらの通りの道幅は、表の半分もない。

 鍛冶の音は聞こえてくるのだが、人通りもまばらで寂れた空気が漂っている。


 一軒一軒、品定めしながら、俺はある小さな店の前で足を止めた。


 狭い間口のせいで、薄暗い店内はほとんど表からは見えない。

 手前の陳列棚に並べられている商品の数もごくわずかだ。

 だが俺の目には、それらはほとんど映っていなかった。

 見つめる先は只一つ、奥の工房で作業する一人の鍛冶職人の後ろ姿だけである。


「小さいオミィセですね。アニィキ」

「店の大小と、商品の品質は必ずしもイコールじゃないぞ」


 意味が分からないのか、タルニコは首を傾げた。


「表通りは大きい店が多かったろ。あれは鍛冶組合の古株の親方連中が出してる店だ」

「ハウ」

「親方に求められるのは組合をまとめる政治力だから、鍛冶の腕前なんてのはそこそこでも良いのさ」


 見て回った限り、鍛冶技能は高くてもレベル3までの職人しか居なかった。

 

「あと、表は品数が多い店ばっかりだったろ」


 思い出しつつ頷くタルニコに話を続ける。


「品数が多いって事は、客の色んなニーズに応えるって点じゃ間違っていない。だがその分、質が上がらない」

「ハウウ?」

「包丁と鍋と矢じりが造れる職人と、包丁しか作らない職人。どっちの方が切れ味が良いと思う?」


 やっと理解したのか、タルニコは顔と尻尾を大きく縦に振る。


「裏通りってのは、表に空きがなくて仕方なしにこっちで店を構える遍歴職人が多いのさ。表が一般向けの店だとしたら、こっちは専門としての誇りをもった職人たちの店ってとこだな。まあ良い品が多い分、ちょいと高いけどな」

「あんたよく分かってるな。その中でも、ここはとびっきりの良店だぜ」

 

 急に会話に入ってきた男に、俺は即座に視線を向けた。


――――――――――

 名前:ドルス

 種族:汎人種

 性別:男

 職業:鍛冶見習い

 技能:鍛冶技能Lv2、斧術技能Lv1

 天資:小運、頑強

――――――――――


 見覚えあると思ったら、昨日の酒場でぼろ負けしてた丸禿げじゃねーか。

 天資は小運か。それじゃあ、博打で賭運に歯がたたないのも仕方ないな。

 お、鍛冶見習いって事は、ここで働いているのか。


「良かったら、この店案内してくれないか?」

「おう、こっ――。へ、へい! こちらへどうぞ!」


 また堅気の衆をビビらせてしまったか。

 なるべく個人情報を見る時は、人と視線を合わせないように気を使っているんだが。

 流石にこれから買い物しようって店で、店員を脅かすのってのは不味いな。


「昨日は惜しかったな」

「さ、昨日ですか?」

「サイコロだよ」

「えっ!!」


 空気を和ませようと軽く振った話題のつもりだったのだが、俺の話に丸禿げは分かりやすいほど震え上がった。

 考えてみれば、自分がギャンブルで敗けた時の話なんかで、気がほぐれる奴も居ないか。


「あ、昨日オオゥマケしてた人ですね」

「大負けってのは、借金するほど負けてたお前が言っていい言葉じゃねえぞ」

「ハウ……」


 なぜかタルニコと一緒に、丸禿げも落ち込む素振りを見せる。

 これ以上会話しても、丸禿げとタルニコの心の傷を広げるだけのようだ。

 さっさと商談に入ろう。 


「すまんが店主を呼んでくれないか? ちょっと相談したいんでな」

「……わかりました」

 

 逃げるように奥に消えた丸禿げを待つ間、俺は店内の商品をじっくり眺めることにした。

 壁に掛けられた武器は、どれも目を引く業物ばかりだ。

 その素晴らしさに思わず見入っていると、ひょいと奥から一人の女性が顔を出した。

 即座に俺の視線が、改めてその見事な容姿に吸い付く。


――――――――――

 名前:灰銀のテッサ

 種族:鬼人種

 性別:女

 職業:鍛冶親方

 技能:鍛冶技能Lv4、槌術技能Lv1、土精技能Lv1

 天資:鍛冶神の加護、剛力

――――――――――


 そこに居たのは、額に一本の角を生やした大鬼オーガであった。


 この世界では大鬼族や小鬼ゴブリン族は、鬼人と呼ばれ町中で普通に見かけたりする。

 頭部に角を持つ鬼人種は、地母神イシュタルトと鍛冶神ドゥエルグが血を混ぜ合わせて創った種族と言われている。

 同じく二柱を始祖に持つ種族としてドワーフが居るが、そっちは地下国家群を築いているのに比べ、鬼人種らは一箇所に定住しない流浪の民である。

 もっとも近年は色々とあって、神の加護を受ける職能集団として、ひっそりと街角で生計を立てる現状に落ち着いている者も多い。

 

 長々と説明してしまったが、それは目の前のとびっきりの美人から視線が離せなかったせいである。

 身長は俺より頭一つ低く見た目もやや細身であるが、その体は編み込まれたような筋肉で覆われおり、黒い革製のエプロンで覆われた形の良い胸や張り詰めた尻を際立たせている。

 抜けるような白い肌はピンッと引き締まっており、触れた指先を即座に弾き返せるほどの弾力がありそうだ。

 名前の由来らしい灰色がかった銀の髪と瞳が、彫りの深い端正な顔立ちによく似合っていた。

 

「そ、そんなに熱く見つめられると、恥ずかしいのだが」 


 オーガの女性の照れを含んだ言葉に、俺はようやく正気を取り戻した。

 耳を赤く染める美女に片手を差し出しながら、急いで自己紹介をする。 


「あまりにも魅力的だったのですまない。俺はザッグで、こいつは連れのタルニコだ」

「ここで武器屋をやってるテッサだ。今日はどういった御用件で?」


 握った手はごつごつしており、女らしさを欠片も感じさせない職人の掌をしていた。

 彼女の鍛冶技能がレベル4なのも、納得のいく感触だ。 

 しかし考えてみると、俺の個人情報を見る目付きを怖がらないのって、技能がレベル4以上の人間ばかりだな。


 俺はちらりと脇のタルニコに目を向けた。

 なぜか、ハッハと舌を出しながら呼吸している。

 何も考えていなさそうだ。


「タルニコ、何が欲しいんだ?」

「ハウ?」

「狩りで使う得物を買ってやるぞ。お前には、たっぷり稼いでもらわんとな」

「ハウ!」


 正直、甘すぎると思われそうだが、これは純粋な先行投資である。

 暗殺稼業に二度と戻る気はない俺だが、まともな仕事はすぐには就けそうにない。

 そこで目をつけたのが、ザッグが身につけた数々の技能だ。


 大半は堅気の仕事には不向きだが、一つだけ滅茶苦茶便利な技能が存在する。

 そう、洞察技能である。


 ちょいと見つめるだけで、そいつの技能の程度や才能の有無があっという間に把握できるのだ。

 これほど確実な投資先の見分け方が、他にあるだろうか。


 つまりは俺が思いついた商売というのは、適度な所へ適材を送り込む人材派遣業であった。

 そしてこいつは、その第一号というわけである。


「ほら、遠慮するな」

「良いんですか? アニィキ!」

「ああ、ちょっとくらい高めでもいいぞ」

「それなら、エートォ、エートォ、ユミィはないのですか?」

「弓? 見ての通り、刃物なら一通り揃えてあるんだが、弓は専門外でね」


 残念そうに肩をすくめるテッサに、タルニコはしょぼんと尻尾を下げた。

 その様子に、店主は慌てた顔で言葉を繋ぐ。 


「その、弓なら腕のいい知り合いがいるので、頼んでみようか? 少し時間がかかるかもしれないが」

「ハウ! それでお願いします」

「分かった。伝えておくよ。他に欲しい物はないかい?」

「じゃあ、スコップゥはありますか?」

「すまない。穴掘り鋤も扱ってないんだ」

「ザンネェンです。それではナイフゥかオノォありませんか?」

「ああ、それなら幾らかある。何に使うか聞いても?」

「オニクゥを切ったり、キィを切ったりします」


 あまりにも大雑把な回答に、テッサは困った顔で俺に視線を寄越してきた。

 

「こいつは狩人なんだよ。近々、森へ行く予定なんで、そういった場所で使える得物を見繕ってくれるか」

「なるほど。だったら、これとこれかな」


 そう言ってテッサが差し出してきたのは、手頃な感じの短刀と手斧だった。

 短刀は片刃で湾曲しており、先のほうがやや幅広いククリナイフのような造りをしていた。

 刃の重みが先端にくるようにデザインしてあるのか。

 片手斧も同様で、刃の部分にほどよい重心があり、振りやすさが持っただけで伝わってくる。

 こんな切れそうな刃物を不用心に手渡してくる女店主に、俺は呆れた視線を向けた。

 だが、テッサは気にする素振りもなく、話を続けてくる。


「斧は銀貨一枚、短刀は銀貨一枚と半銀貨一枚だよ」


 普通の店の相場なら大銅貨数枚で手に入るので、これはかなり高い値付けだ。

 だが道具の質を考えると、正直、倍の額でも安いと言える。

 

「よし、もらおう」

「ありがとう。鞘をつけると、大銅貨二枚ずつかかるけど、どうする?」

「鞘がないと持ち歩けないんだったな。じゃあ、それも頼む」

 

 この街では、市法で剥き出しの刃物の携帯は禁止されている。

 街へ入る際には、門で武器の有無を確認されて、強制的に鞘や覆い袋を買い取らされる仕組みになっていた。

 銀貨三枚を手渡そうとすると、テッサは手を差し出しかけてわずかに顔をしかめる。

 そしてしばし迷った挙げ句、小さく息を吐いて話を切り出してきた。


「やはり黙っているのは性に合わないな。先ほど、森へ行くと言ってたな」

「ああ、そのつもりだが」

「この辺りで森と言えば南の森のことだと思うんだが、あそこに立ち入るのは止めといたほうが良い。もう長い間、危険な魔物が棲み着いている」


 事情に疎い間抜けなよそ者なぞ、普通は格好のカモと捉えるはずだ。

 なんともまぁ、馬鹿正直で……、商売に向いていない娘だな。

 だが、親切でもある。


「なので、今、買うのはお勧めしな――」

「いや、その二つは必要なんでね。買わせてもらうよ」

「だから!」

「まぁまぁ、落ち着いて下さい、親方。ささ、旦那方はこれでも召し上がれ」


 背後からの声に振り向くと、丸禿げが盃を二つ載せたお盆を差し出していた。

 禿げている割に、結構気が利くようだ。

 ただし、その呼吸は少しだけ浅い。


 怪しい匂いがないことを確かめた俺は、盃を受け取るとグイッと一息に呷った。

 街を歩き回ったせいで渇ききっていた喉を、燃え盛る炎のようにアルコールが焼き尽くす。


「その匂いは……。ドルス、それはまさか!」


 ガツンとくる素晴らしい酒の礼を言おうとしたその矢先、またも背後で何かが動いた気配がする。

 振り向いた俺の目が捉えたのは、ゆっくり後ろに倒れていくタルニコの姿だった。


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