第4話 違う。そうじゃない


 

「おい、起きろ」


 俺は床の上で丸まって寝こけていた男の腿を蹴っ飛ばした。 

 ビクリと身動ぎし、男はすぐに目を開ける。

 横になったまま大きな黒目をせわしなく動かし周囲を確認する様は、怯えた犬そっくりだった。

 獣人といえば呑気な奴が多いのに、どうもこいつは気が小さいな。


「ここは俺が借りている宿屋の部屋で、お前は昨日、博打で一文無しになったので泊めてやった。ここまでは覚えてるか?」

 

 俺の説明に、男は寝っ転がったままコクコクと頷く。


「ちなみにお前には銀一枚の貸しがある。返せるアテはあるか?」


 俺の問い掛けに、男はブンブンと首を横に振る。


「よし当分は金を返すために、俺の下で働いてもらうぞ。それで良いな?」


 目を丸くした後、男は猛烈な勢いで顔を縦に振り始めた。

 ついでに尻尾も千切れそうなくらい振られている。

 本当、これだから犬人族コボルトは単純だって言われるんだ。


 俺は改めて、目の前の犬顔を眺めた。

 犬種で言えば柴犬に近いだろうか。

 毛の色は銀色に近い白で、頭の上部や首の辺りは黒い毛に覆われている。

 なめした革の服から覗く胸元や手首はかなり毛深いが、体つきは人間とほぼ一緒で、身長は俺より親指一本ほど低い。

 左右の腕の太さがやや違っており、姿勢も少し前屈み気味である。


 心当たりの確認のため、個人情報も見ておくか。


――――――――――

 名前:深穴掘りのタルニコ

 種族:獣人種

 性別:男

 職業:狩人

 技能:探知技能Lv4、狩猟技能Lv3、弓術技能Lv2

 天資:狩猟神の加護、感覚鋭敏

――――――――――


 上腕三頭筋や広背筋の付き方で予想していたが、やはり弓を使う職業か。

 うーん、狩人で稼がせるとしたら、まず猟場や卸先を把握しないと駄目だな。

 

 この世界の獣人と呼ばれる連中だが、たいていは秀でた感覚器官を持ってたり身体能力が高かったりと、生物的には普通の人間より勝っている。

 だが、その分、頭の回転が少し遅かったりもする。

 いや頭の回転が遅いというより、回転数が少ないと言った方が正しい。

 すぐに他人を信じて疑わなかったり、素直すぎて言葉の裏を深読みしないといった感じだ。

 そのせいで、奪われたり利用されたりと結構悲惨な状況になっていることも多い。

 住んでいた土地を追われる獣人も多く、こいつみたいに街に流れてくるのも増えてはいるのだが、風習や言語が違う都市部の生活では色々と問題が起きやすく、流民が集まってスラムを作っているような場所も多い。


「俺の言ってることは分かってるようだな。言葉は喋れるのか?」


 問い掛けると、タルニコは小さく息を吸い込んで話し始めた。


「コトゥバは分かります。話すのがニィガテです」


 まあ犬の口だから、すらすらと喋るのは難しいんだろうな。


「まあ、返事だけでも出来るようにしとけ。それだけでかなり違う。腹は減ってるか?」

「ハウ!」

「ハイな。それじゃあ昼飯は外で軽くすませて、お前の仕事でも探すとするか」

「ハウ!」


 出かける前に、カウンターにカギを預けに寄る。


「女将さん、ちょっと出掛けてくるのでカギを頼む」

「……勝手にお客様を連れ込まれるのは困ります」

「ああ、すまなかった。料金を払うんで、こいつの分も一部屋頼む。出来れば、俺の隣の部屋がいいな」


 俺が半銀貨を差し出すと、直ぐには受け取らずジッとこちらの顔を眺めてくる。


「その、そういった趣味は出来るだけご理解はしておりますが、出来ればお部屋では、なさらずにお願いしたいのですが」


 ん?

 何か妙なことになってないか?


「違う、そうじゃない。こいつは文無しだから、ちょいと面倒見ているだけだ」

「あ、そうだったんですが。私てっきり……」

「アニィキは優しくてイィヒトです」


 てっきりって、女将の中で俺は一体、どんな人間になってるんだ?

 男色獣姦趣味の上級変態か。

 あと、お前も庇ってくれる気持ちはありがたいが、余計なことは言うな。

 また誤解されるだろ。

 

「晩飯前には戻るよ」

「はい、お帰りをお待ちしております」

 

 引き攣った笑みの女将に見送られながら、俺たちは宿屋を後にした。


「よう、ナッジ、儲かってるか?」

「あ、ザッグの旦那! ボチボチでさぁ」


 俺とタルニコがまず向かったのは、昨日立ち寄った鳥の塩焼きの屋台だった。

 昼過ぎなのに、客の姿はあまりない。

 よく見ると周囲の他の屋台も、それほど賑わってる様子はなかった。


「二人分頼む」

「毎度あり! はさみ焼きにしますかい?」

「はさみ焼き?」

「ほら、旦那が教えてくれた奴ですよ」

「おお、じゃあそれ頼む」

「はい、ちょっとお待ちください」


 店主はテキパキした手つきで、黒パンを網の端に乗せ軽く炙りながら、網の中央で脂を焦がしている鶏肉をトングでひっくり返す。

 よほど腹を空かせていたのか、タルニコは目を見開いて肉の焼ける様を食い入るように見つめている。

 俺は大銅貨を手渡しながら、ふと思いついたことを尋ねてみた。

 

「そういや、ちょっと訊きたいんだが」

「何でしょう? 旦那」

「屋台の材料は、どこで仕入れているんだ?」

「朝市で安く買えればいいんですが、駄目なときは肉屋ですね」

「そうか、市場とかもあったな」

「はい、お待ちどおさま」

 

 パンに挟んだ鶏肉が二人分、手渡される。

 相変わらず良い感じに脂が乗っており、味への期待感が半端ない。


「で、どうしたんですか? 仕入れなんて気にして」

「ああ、こいつが狩人なんで、獲れた肉の売り先を考えててな」

「そうなんですか。ここらの屋台は皆、顔見知りなんでお手伝いさせていただきますよ」

「そいつは助かるな。って、もう食べたのか?」


 気が付くとタルニコが口の周りに付いた脂を舐め回しながら、俺の食べさしの肉をじっと見つめていた。

 尋ねると、激しく顔と尻尾を上下に振る。


「もう一つ、はさみ焼きをたのむ。ここらで狩りをするなら、南の森が良いのか?」

「毎度あり。そうですな、南の森は狩猟解放区なんですが、ただ、今はちょっとヤバイって話でさ」

「厄介な魔物が出てるって聞いたな」

「あの森は、何かと湧きやすいんですよ」

「それで狩猟権を放棄してるのか」


 手渡されたおかわりのはさみ焼きを、そのまま涎を垂らして待っていたタルニコに差し出す。

 俺の手まで一緒に食べそうになるがっつきぶりに、少し苦笑しながらナッジとの会話に戻る。


「しつこく聞いてすまんが、その魔物について詳しい奴は知り合いに居ないか?」

「それでしたら、賞金を出してる役人に聞くと良いですよ。市庁舎なら、ここを真っ直ぐに行った大広場にありますぜ」

「ありがとう、助かった。良い獲物が手に入ったら、また寄せてもらうよ」

「ぜひお待ちしてますよ、旦那」 


 追加分の金を手渡した俺は、もぐもぐと満足げに口を動かすタルニコを連れて、南の森の魔物について詳しく知るため次は市庁舎へ向かった。


 昼過ぎの大広場はなかなかの盛況だった。

 そこかしこを人が行き来しており、露天商と大道芸人の呼び声が合わさって、ちょっとした祭りにも思える。 

 人の多さにビビって足を止めてしまったタルニコを強引に引っ張りつつ、俺はそれらしい建物を探した。

 広場の中ほどの位置に面している一際大きい石造りの建物が、すぐに目に入ってくる。

 出入りする人の多さから見ても、多分あれが市庁舎だろう。


 建物の外壁はアーチ造りになっており、等間隔に並んだ太い柱が上の階をガッシリと支えている。

 入って見ると一階は幅広の廊下のようで、奥の大階段へ真っ直ぐにつながる造りになっていた。

 廊下の左右は沢山の小部屋が連なり、何かを待つ人の群れが廊下まではみ出して列と作る混雑ぶりだった。


 見回してみたが、案内係や部署配置図はなさそうだ。

 部屋にプレートも付いていないので、どこ行けば良いのかさっぱり分からない。

 仕方がないので列に並んでる連中の一人に、個人情報を見ないよう気をつけながら声を掛けてみた。

 

「南の森の賞金がついた魔物について訊きたいんだが?」

「さあ。金の話なら、経理課じゃねーのかい」

「どの部屋か知ってるか?」

「二つ隣りだよ」


 礼の代わりに手を振って、言われた部屋の列に並ぶ。

 かなり長い間待たされて、なんとか受け付けの机まで辿り着いたのだが……。


「賞金の魔物の情報? ここは関係ないね。それよりも寄付はないかい? 半銀貨から受け付けているよ」

「ここじゃないなら、どこに行けば良いんだ?」

「さあ? 魔物の話なら警邏課じゃないかな。右斜め向かいの部屋だよ」


「魔物が出たのか? 南の森? 市外はうちの管轄じゃないな。それよりも塔守りの仕事はどうだ? 絶賛募集中だぞ」

「塔守りって防壁の見張り塔か。余所者には無理だろ」

「大丈夫だ。ちゃんと正規市民が監督に付く」

「そうか、考えておくよ。それで南の森の魔物の話は、誰に訊けばいいんだ?」

「そうだなあ、南の森ってなら管財課だろう。二階上がってすぐ右の部屋だ」


「南の森は確かに狩猟権は必要ありませんね。ご自由にしてください」

「そうしたいんだが、まずそこに出る魔物の話を訊かせてくれ。危なくて狩猟どころじゃないだろ」

「魔物は当市の財産ではございませんが」

「そりゃそうだろな」

「…………」

「…………」

「…………」

「すまないが南の森の賞金が掛った魔物について、詳しい部署を教えてくれないか」

「賞金についてでしたら、お隣の部屋でどうぞ」


「ここは何の部屋だ?」

「知らずに足を踏みいれるとは愚の骨頂。ここは誰もが二の足を踏む地獄の一丁目、税務課でございます」

「邪魔したな」

「おっと、お待ち下され。お兄さん納税はお済みですか?」

「俺は市民じゃないぞ」

「それは失礼。良き納税者となられる日を期待しております」


 結局、目当ての部屋が見つかったのは、陽もかなり傾いてからであった。


「賞金が南の魔物で情報の森について教えてくれる場所はどこだ?」

「ここですよ」

「そうか、次行くぞ。タルニコ」

「ハウ!」

「ですから、ここですよ」

「何がだ?」

「南の森の魔物と、その賞金のお話ですよね」

 

 俺とタルニコはハッと顔を見合わせると、無言で固い抱擁を交わす。

 長い旅路を経て、俺たちはやっとゴールに辿り着いたのだ。


「すまん、感動に耽っていた。俺はザッグで、こいつは連れのタルニコだ」

「私は環境保全課課長のレイリーと申します」

「魔物の賞金が環境保全?」

「ええ、ドーリン市民の穏やかな生活環境を脅かすものの排除が我々の仕事です」

「道すがら考えていたんだが、ヘントン公の軍隊でその魔物を退治すれば早いんじゃ?」

「そんな事でいちいち軍を動かせませんよ。そもそも管轄の問題もありますしね」

「森は公爵の所有だろ?」

「その通りですが、あの森の伐採権は市がイーリス卿から買い取っておりますので」


 ややこしい話だが現在このドーリンを統治しているのは、ヘントン辺境伯であるイーリス卿からこの街の自治権を買い取った都市の有力市民たち、いわば裕福な商人の連中だ。

 彼らは市壁の中に於ける全ての権利を保有しており、さらに都市に関係する周辺の土地の一部権利も握っている。

 上下水道のための水利権や鉱山の試掘権、森林の伐採権などがそれに入るらしい。

 そして当然、その権利を守るのは所有者の務めとなる。


「だったら、市の警邏隊でいいだろう」

「彼らは野外の活動向きではありません。さらに言えば、人外との戦闘も不慣れです」

「うーん、兵隊が動かしにくいのは納得はできたが、賞金をかけたぐらいで魔物は退治できそうなのか?」

「期待薄ですね。ただ何もしていないと、この課の予算が減らされるんですよ」

「やはりそうだよな」


 魔物と言うのは"魔"が憑いた生き物だ。

 じゃあ"魔"って何かって言われると、そこら辺にちょっとずつ居る見えない何からしい。

 ザッグもよく判ってないらしく、その辺りの知識はあやふやだ。

 

 その"魔"が何かの拍子に生き物の中に入り込むと、その生き物は凶暴化し見境なく他を襲い出す。

 なんとなくウイルスのようなイメージが思い浮かぶが、病気とは違い"魔"に憑かれた生き物たちは逆に強くなる特異性がある。

 肉体の耐久度や反応速度が上がり、簡単には退治しきれない厄介な災害と化すのだ。


 そんな面倒臭い獣を、わざわざ倒したがる物好きはいない。

 ザッグも対人戦闘には慣れているが、魔物はちょっとばかり専門外である。


「今回は、どんな魔物なんだ?」

「棘亀らしいです。森の少し奥での目撃報告が、森林の関係者の方々から上がっておりまして。報告書をお読みになりますか?」

「ああ、見せてくれ」


 たしか背中に大量の棘が生えた甲羅を持つ陸棲の亀だったな。

 大きさは雄牛サイズで動きはかなり速く、その上、棘を飛ばして来たと。

 おいおい、こんな化け物にかなう筈ないだろ。

 これは森へ行くだけ時間の浪費だ。タルニコには違う仕事を探すとするか。

 無駄な情報を聞くためだけに、随分な時間をかけてしまったぜ。


「はい、これをどうぞ」 

「これは?」

「通行許可証ですよ。これがないと持ち帰った証拠に課税されますよ」

「引き受けるとは、一言も言ってないんだが」

「様子を見て来て下さるだけでも良いんですよ。幸運なことに、もう死んでいる可能性もありますから」

 

 魔物はその所構わず喧嘩を売る習性上、それほど長生きはしないケースもまれにある。

 もっともそれは他に強力な生物が棲んでたり、新しい魔物が現れた場合がほとんどではあるが。

 それとは逆に周りの生き物を全て倒してしまい、災厄と云われるほどの存在になるモノもいたりする。


 俺は冷ややかな視線で、目の前の男を見つめた。


――――――――――

 名前:レイリー・ラント

 種族:汎人種

 性別:男

 職業:役人

 技能:事務技能Lv1

 天資:人脈

――――――――――


 む。

 今、少し違和感があったな。

 

 高い鼻筋に細い目がやや吊り上がり気味のせいで、狐のような印象を受ける。

 個人情報に嘘を上手くつく技能は見当たらないが、ちょいと引っかかるな……。

 そもそも今の俺と目を合わせて顔色が全く変わってない時点で、人としておかしいだろ。


「そいや肝心なこと訊き忘れていた。賞金はいくらなんだ?」

「賞金は一万五千ゴルドです。偵察だけでも二千ゴルド出しますよ。もちろん王国銀貨でのお支払いです」


 倒すと日本円でだいたい十五万円くらいか。簡単そうな確認だけで二万円も美味しいな。

 命を賭けるには安いが、魔物が自然死してて棚ボタで手に入るモノと考えると上々の金額だ。

 どのみち猟場がないとタルニコは俺に金が返せないし、獣人だと人足で雇われるのも難しいだろう。


 うーん、タルニコ向きの仕事を新たに探す手間と、森の猟場が使えるかの確認の手間か。

 俺が今、思いついている商売のことを考えると、後者のほうが良さそうだな。


「分かった。明日、南の森へ行ってみるよ。それと鍛冶職人の通りは、この街にあるか?」

「金物通りでしたら、この建物を出て左ですね」

「ありがとう。また顔を出すよ」

「良いご報告をお待ちしております」



 一応、準備だけはしておくか。

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