第3話 なんで、そうなる?

 

 

 夕食は兎肉のシチューに、黒パンと大きく切り分けたチーズが一切れ。

 それにブドウ酒が一杯だけ付く。


「うん、美味いな……」


 ザッグには食事を楽しむ性分は一切なかったようだが、逆に俺は日本での高水準な食生活で舌が肥えてしまっている。

 そんな二人の魂が融合したことで、ちょうど良い塩梅になったようだ。

 トロリと煮込まれたシチューは少々濃い目の味付けで、パンにつけて食うと手が止まらない美味さだった。

 

 食事を終えた俺はそのまま厨房前のカウンターへ移動すると、隅っこの椅子で麦酒をチビチビ飲みつつ店内の様子をじっくり見定める。

 レベル4もある害毒耐性のせいで全く酔えないのだが、酒場で何も飲んでいないのは目立ってしまうしな。 

 酒のツマミは、一番安い木の実にしておく。

 ポリポリ食べてはグビリを繰り返しつつジョッキを空にする頃には、俺はそれなりに洞察技能の使い方のコツを掴んでいた。


 個人情報を見たい時は、一秒ほど視線を対象に合わせる必要がある。

 通常は胸元に表記が浮かぶが、対象が後ろ向きや座っている場合は胸元と同じ高さの空中に表示される。

 対象が移動している場合は表記もそれに追随して動き、読めないほど離れた場合は勝手に消える。

 二人以上を同時に見た場合は一人だけ表示されるが、選ばれる条件は不明と。


 ひとしきり店の客を眺め尽くした俺は、もっと直接的な情報集めもしておこうと考えた。


「マスター、おかわりを頼む。あと何か面白い話も」


 新しい麦酒のジョッキの代わりに、十銅貨を二枚受け取った酒場の主は静かに俺を見つめてから口を開いた。


「お客さん、仕事を探してるのかい?」

「どうしてそう思うんだ?」

「仕事や遊びで来た風には見えないからね」


 確かに用事があってこの街に来たのなら、調子が悪いわけでもないのに宿で半日も寝ているのは不自然だ。

 

「ごもっともだ。それじゃ良い稼ぎでも教えてくれ」


 マスターは俺をもう一度ちらりと眺めたあと、つらつらと思い返すように話し始めた。


「南の森に厄介な魔物がでたそうで、市庁舎で賞金がでておりましたよ。あとは北の道に野盗が出没してまして、護衛の募集がありますな。それとビヘン鉱山で揉め事があったらしく、新しく張り番を探してましたね。今、紹介できるのはこれくらいでしょうか」


 堅気の仕事が一切入ってない時点で、やはりこの老人の見る目は確かなようだ。


「ヘントン公がゼドビアとの小競り合いで、傭兵を探してるって聞いたが」

「ずっと探してますな。お勧めしませんよ」


 ゼドビアとはカルマン王国の西にある国で、国境線について長い間、揉め続けている相手でもある。

 しかし表立ってやりあってはいないとの噂だったが、絶えず補充がいるほどきつい戦場なのか。そりゃ勧めないな。

 ちょっと感心した俺は、改めてマスターの個人情報に目を通す。


――――――――――

 名前:ゴート・トランシェット

 種族:汎人種

 性別:男

 職業:酒場経営者

 技能:剣術技能Lv5、歩法技能Lv4、馬術技能Lv3、洞察技能Lv3、調理技能Lv3

 天資:剣才、達眼

――――――――――


 これまで見てきた個人情報とザッグ本来の観察眼を照らし合わせた結果だが、レベルについて分かったことが二、三ある。

 まず上限は今まで見てきた中だと、レベル5が最大のようだ。

 それを踏まえてレベルの程度を推察すると、レベル1はそれなりにかじった見習い、レベル2で一人前、レベル3になると熟練者といったところだな。

 そしてレベル4はひたすら長時間打ち込んで辿り着ける達人級で、レベル5はそこに天賦の才能を加えて至った境地となる。


 つまりこのカウンターの向こうの老人は、世間で言う剣豪や剣聖といったレベルの腕前ということである。

 どうりで先ほどから、周りに悟られずに確実に殺せる状況が浮かんでこないはずだ。

 おそらく正面から剣だけ使って戦えば、まず間違いなく俺が逃げる羽目になるだろうな。


 ただし逆に言えば、それ以外だと間違いなく俺が勝つ。

 そう確信してしまえるザッグという男の底の知れない強さに、俺は改めて恐ろしさを感じた。

 それはそうと、これほどの剣士が、こんな場所でなぜ酒を注いでいるかだが、宿屋の女将と苗字が一緒な辺りに理由がありそうだ。

 

「色々参考になったよ、ありがとう」


 チップとして十銅貨一枚を手渡すと、マスターは無言で受け取りそのまま仕事へ戻る。

 満足した俺もそろそろ部屋へ戻るべく席を立とうとして、奥のテーブルが騒がしくなっていることに気がついた。


 そのテーブルでは先ほどから、賭博が開催されていた。

 一応この世界でもカードや駒を使った賭博はあるが、ルールが複雑な上に使用する道具も高級な品のため、それほど一般には普及していない。

 それらは金と時間をたっぷり持っている上流階級の嗜みであり、庶民といえばもっぱらサイコロ遊びが主流であった。


 卓で行なわれていたのは、大小と言われるサイコロ博打である。

 親がサイコロ二個をカップの中に入れて振り、その目が七より大きいか小さいかを当てる遊びで、当たれば賭け金が二倍になり七がでたら賭け金は持ち越しとなる。

 そしてそのまま三連続で七が出れば、親の総取りとなるルールだ。


 そこは現在、親をやっているツルツルに禿げた男が大勝ちしており、かなり場が熱くなっていた。

 個人情報を見てみたが、場を囲んでいるのは農夫や人足ばかりで只の素人のまぐれ勝ちが続いてるだけのようだ。

 さり気なく耳を傾けていると、またも歓声と怒号が上がる。

 丸禿げ男が連続で七を出したらしい。


 しかし儲けている丸禿げ男の態度が、どうにも不味い。

 勝つたびにテーブルを激しく叩き、周囲を煽るような叫び声を上げている。

 このままだと、遠からず一悶着起きそうな気配であった。

 どうするのだろうかと思いながら、俺はカウンターの中へ視線を戻した。

 マスターの腕前なら、余計な波風を立てず追い払うことはたやすいだろう。

  

 が、老齢の店主に動こうとする気配はない。

 まあ、少しばかり意気がっているというだけでは、酒場から叩き出す理由には弱いようだ。

 ある程度まで羽目を外せる自由がなければ客足は遠のいてしまうし、線引きが難しいところなんだろうな。

 昼間に女将を脅してしまったし件があるし、さっきはマスターに良い情報ももらったことだし、ここは俺がサクッと始末して――。


 いやいやいや、真っ当な方法で退散してもらうとするか。

 ギャンブルに関しては、ザッグの知識と経験があるので何とか出来るはずだ。


「盛り上がってますね、お客様方。こちらお店からのおごりです」


 と、一歩出遅れたか。

 卓に参加しようと腰を浮かした瞬間、眼鏡を掛けたウェイトレスの子が愛想笑いを振りまきながら、テーブルの客に麦酒のジョッキを配り始める。

 マスターの指示だと思うが、良いタイミングだった。

 荒れていた場の空気が、一時的に収まって行く。

 

「ご馳走になるよ、ありがとう。なあ、ドナちゃんなら、この目どっちに賭ける?」


 麦酒を受け取った客の一人が、伏せられたカップを指差しつつウェイトレスの子に何気ない感じで尋ねる。


「私ですか? そうですね、それじゃあ大きい方に」

「じゃあ、オジさんも大きい方にしようかな」


 軽く返された返事の割に、その客はなぜかかなりの金額を大へ張り込む。

 そして会話を聞いていた他の客も、どういうわけか次々と大に賭け金を移動し始めた。

 よく見ると騒ぎを遠巻きにしていた客までも、いつの間にか賭けに参加している。

 

 瞬く間に、テーブルに積み上げられる貨幣の山。

 それはすでに今の目が八以上であれば、あっさりと親が飛ぶ額に達していた。

 だが六以下ならば親の総取りだ。


 突然の大勝負に変わったことで、親の男は額に汗を浮かべながら、伏せられたカップに強く祈りを捧げ始めた。

 もう、さっきまでの強気だったなりは、すっかり影を潜めている。

 店内の耳目を集める中、丸禿げの男はおそるおそるカップを持ち上げた。



 現れた賽の目は四と六。

 ――大だ。



 どっと観客が沸き立ち、あちこちで歓声と乾杯の音が鳴り響く。

 たった一勝負で全てを失った男は、呆然としたまま舞台から退場する羽目になった。

 よろめきながら酒場を去っていく丸禿げ男に、同情の視線を向ける者は誰も居なかった。


 いや、一人だけ居るな。

 先ほどの眼鏡のウェイトレスの子だけが、心配そうな顔付きで男の背中を見送っていた。

 歳は二十前だろうか。酒場に似合わないおっとりとした顔立ちをしている。

 そして彼女も、ここの女将に負けず劣らずの巨乳であった。

 はちきれそうになっている給仕服の胸元につい視線が動き、浮かび上がった個人情報についでに目を通す。


――――――――――

 名前:ドナ

 種族:汎人種

 性別:女

 職業:給仕、学生

 技能:算術技能Lv3、接客技能Lv1

 天資:賭運

――――――――――


 なるほど。

 常連の連中は彼女の幸運を知っていたので、あそこで賽の目を訊いた上で乗ったのか。

 変にごたつくこともなく荒れた場も静まったし、賭け金もそれなりに戻るしで、なかなかの落としどころだった。

 さしずめ彼女は、この酒場の隠れた用心棒ってとこか。


 まあせっかくだし、俺も少し遊んでいくか。

 ここはこじんまりとした賭場で、ガツガツした感じを出す奴もいない娯楽場のような雰囲気だ。

 ちゃんと空気を読んで、少しだけ儲けさせてもらうか。


 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………なんでこいつ、こんなに弱いんだ?


 すでに俺が親になってから、三十分以上が経っていた。

 サイコロなんて二回ほど振れば、大体の癖はわかる。

 狙った目を出すのは、至極簡単であった。

 後は適当に張らせつつ、ギリギリ勝ったりちょっと負けたりするだけだ。

 トータルで見たら俺が銀貨一枚分くらい儲けて、皆は気持よく楽しんで終わりとなる筈であった。


 予想と違っていたのは、あまりにもヘボい参加者の存在である。

 

 俺は溜息を我慢しつつ、目の前に座る獣人の男を見やった。

 男は俺の視線に気付きもせず、目の前の伏せられたカップに全神経を集中させている。

 いやそんな睨み付けても、その賽の目は小だ。お前の望む大にはならんよ。


 カップを開き二と三の目が並ぶサイコロを見せた途端、男の犬そっくりの顔が激しく歪む。

 勝った客に金を渡しつつ、男の賭け金を回収しようとすると、さらに悲痛な顔になる。

 そろそろ諦めて止めてくれれば良いんだが。

 って、おい、服を脱ぐな。


「まさか有り金、全部すったのか?」


 黙って頷くな。お前の服なんていらん!

 こんな馬鹿がいるなんて、まったくの計算外だ。

 こいつは人が考えながら場の流れを作ってるのに、それを全く無視して賭けてきやがるし。


 大小なんて結構分かりやすいリズムが付くもので、大大と来たらたいてい次は小にするような流れがあったりする。

 他にも外れが続くと次は当たる気がするギャンブラーの誤謬とか、当たりが続くと次も当たる気がするホットハンドの誤謬とかもある。

 なのである程度、勝ち負けの操作はしやすいのだが……。


 だが、この犬男は大に5連続で賭けた後、今度は小を5連続した挙句、急に大小交互で賭け出すとか賭け目が非常に読み難い。

 おかげでテーブルの他の客は、それなりに勝って負けてを調整できているんだが、一人だけ大損状態になってしまっている。

 負けているんだから素直に勝っている客の尻馬に乗ればいいのに、あえて逆張りしてきたりと余計な工夫をするなって。

 まさに親の苦労、子知らずってこのことか。


 俺はカウンターの向こうのマスターに、ちらりと視線を向けた。

 黙って首を横に振られる。

 貸元はやってくれないようだ。仕方ないな。


「おい、これ貸してやる。だから服を着ろ。あと次に負けたら今日はもう止めろよ」

 

 半銀貨を差し出すと、男は壊れたおもちゃのように犬面と尻尾を縦に振った。


「俺もそろそろ終わりにしたいな。よし、景気づけに奢るぜ。おーい、この卓のみんなに一杯注いでくれ」


 強運ウェイトレスの子を、強引にテーブルに呼びつける。

 さらにサイコロをカップに振り入れておいて、敢えて麦酒が届くのを待つ。


「さあさ、最後の賭けの前にグイッとやってくれ。ああ、あんたもどうだい? 賭けていきなよ」

 

 そして笑顔でジョッキを手渡してくれたウェイトレスのドナちゃんに、麦酒の代金を手渡しながら、さりげなく賭けに誘う。


「あ、私、賭け事はちょっと……」

「じゃあ賭けなくても良いが、あんたならどっちの目を選ぶ・・・・・・・・・?」

 

 周囲の空気が、大きくざわつく。

 俺がわざわざ儲けをドブに捨てる大馬鹿に見えるんだろうな。

 しかし、俺にとって誰かの身ぐるみを剥ぐ人でなしよりも、間抜けの印象の方がよっぽどマシだ。

 正直、これ以上悪い評判が立つのは遠慮したい。

 もう既に獣人の奴の負けっぷりで、他のテ―ブル客からヒソヒソと声が漏れてきているしな。

 それに大負けは痛いが取り返せない額じゃないし、ちょっとしたバラマキで人気を取るのも悪くはない筈だ。


 ほら、お膳立てはしてやったぞ。


 俺はもう一度、目の前の子の個人情報を確認しておく。

 うん、賭運の表記は消えてないな。

 あとは俺のサイコロを当ててくれればいい。


「そうですね。私なら小に賭け」


 よし、良い子だ。

 眼鏡をキラリと光らせながら、ぴったり出目を当ててくれたウェイトレスに、俺は感謝のウインクを送る。



「ません!! やっぱ大ですね。うん大だ。大が来てる気がしますよ!」



 ちょっ! なんで変える!!

 俺の顔を見て賭け目を突然覆したドナの強い断言で、場の流れが大きく変わった。

 目の色を変えた他の客どもが、いっせいにテーブルへ押し寄せて来る。

 瞬く間に大に貨幣が積み上げられた。


「なあ、あんた、よく見てくれ。このカップの出目だぜ。本当に大か?」


 焦りのあまり、つい真顔で見つめてしまう。

 俺の問い掛けに、女の子の顔色が一瞬で白くなった。

 血の気が引くとは、こういうことか。

 

「はい、大です。大に間違いありません!」


 蒼白な顔のまま丁寧なダメ押しをしてくれた彼女は、逃げるようにカウンターの奥へ消え去る。

 残されたのは途方に暮れた俺と、テーブルを取り囲み無言の圧力をかけてくる客たち。

 そして状況を全く理解できずに、賭け金が積み上がった卓を見つめ首を捻る獣人の男であった。


 伏せられたカップを見つめ、俺の顔色をそっと窺った男は、手にしてた半銀貨を静かに大に置いた。 

 やはり賭け事の才能は皆無だな、こいつ。



 俺は大きく嘆息すると、無言のままカップを開く。

 そして酒場中に、阿鼻叫喚の叫びが大きくこだました。


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