第2話 誰だよ、こいつ
どうも俺の目付きは、尋常じゃないらしい。
宿屋の一階は食堂となっており、そこそこの数の客がそれぞれのテーブルで食事中であった。
奥の方にカウンターがあり、さらに奥からは良い匂いが漂ってきているので厨房だろう。
ザッグの記憶によると食事をしたければ、勝手にテーブルに着けば良いらしい。
待っていれば、給仕が注文を取りに来てくれる。
宿泊ならカウンターへ。
料金は前払いで、食事付きかなしを選べるはず。
俺は無意識に気配を抑え、誰にも気づかれることなくテーブルの間をすり抜けて奥へ進んだ。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
カウンターの中から愛想よく声を掛けてきたのは、エプロンを身に着けた若い女性だった。
整ってはいるが、どこか愛嬌のある顔立ちをしている。
だがそれよりも真っ先に目を引くのは、そのエプロンを押し上げる胸部であった。
思わず、そちらへ視線が動く。
となると、当然のように個人情報が浮かび上がった。
――――――――――
名前:エルザ・トランシェット
種族:汎人種
性別:女
職業:宿屋経営者
技能:家事技能Lv3、接客技能Lv2
天資:性愛
――――――――――
屋台の店主の時も思ったが、表示内容の説明がないと意味がよく分からないな。
ヘルプ機能でもついてくれていたら助かるんだが。
「朝晩の食事付きなら一泊百五十ゴルド、素泊まりなら百ゴルドになります。馬をお連れでしたら別途……。あのぅ?」
おっと、胸を見つめすぎていた。
百ゴルドが大銅貨一枚だから、だいたい一泊千五百円程か。
ちなみに貨幣単位のゴルドは商業を司る福神ゴルドから来ている。
俺は隠しポケットから半銀貨、五百ゴルド分を取り出して顔を上げた。
「食事つきで三泊頼む」
なぜか俺と目があった宿屋の女将は、悲鳴を押す殺すようにヒュッと息を吸いこんだ。
そして慌てて顔を伏せると、消え入りそうな声で返答する。
「……す、すみません。ただいま宿の方は満室です」
「部屋は空いてるように見えるが」
俺は女将の後ろの棚に吊るしてあるルームキーを指差した。
整然と並ぶカギたちの下には部屋番号が割り振られており、所々空いてはいたが半分以上のカギが残っていた。
「……これは既に予約が入っております」
「予約はその飾りをつけるんだろ?」
俺はカギ棚の下に置いてある予約用と書かれた、花を模した飾りが入れてある小物入れを指差した。
女将はなぜか唇を震わせていたが、俺の指摘に突然カウンターに打っ伏した。
「許してください! うちの娘は五歳になったばかりなんです」
全く持って意味が分からない。
この場合、誕生日おめでとうとでも言えばいいのか?
ただ、どうしても俺に泊まってほしくない気持ちは伝わってきた。
「わかった。諦めるよ」
「ありがとうございます!」
花が綻ぶような笑顔を魅せつけられると、流石に俺もちょっと傷つく。
「ただ、俺はこの街に来たばかりなんだ」
「そうなんですか」
「だから他の宿屋を紹介してくれ。そしたら、そっちへ行く」
「えっ?」
「もちろん、ここで紹介されたって、ちゃんと宣伝しておくよ」
「……分かりました。お部屋へご案内します」
こういう業種は、実は横のつながりがそれなりに強い。
自分のところが嫌がった客を、他所へ押し付けるなんて事をしたら同業者からの評判が落ちることは間違いない。
もし宿屋組合から追い出されでもしたら、営業自体が無理になるしな。
「できれば、角の部屋で頼む」
「……はい。何かあったら、即出て行っていただきますので」
全てを諦めたような目でぼそりと呟いて、女将が部屋へと案内してくれる。
そこまで言われるほどかと思いつつ、俺は階段の下に掛けてあった大きな姿見で自分の姿を改めて確認してみた。
短かめの黒髪に、低くはないが高くもない鼻筋。
ほぼ、印象に残らない顔立ちだな。
背丈はそこそこ高いが、全体的にスマートな感じである。
もっとも服の下に隠された肉体は、みっちりと鍛え上げられているが。
体重は軽めだが、力は強い。まんまパワーウェイトレシオの体現だ。
そして当然ながら、鏡に映る俺の胸元には個人情報が浮かび上がっていた。
文字が逆さだから、かなり読みにくい。
――――――――――
名前:ザッグ
種族:汎人種
性別:男
職業:なし
技能:暗殺技能Lv5、回避技能Lv4、投擲技能Lv4、洞察技能Lv4、害毒耐性Lv4
天資:愚神の加護、精力増大
――――――――――
とりあえず天資ってのは、もって生まれた才能のことだろうな。
愚神というのは、ザッグの知識によると創世の神話に出てくるナイヤル神のことで、どうやら厄介事ばかり起こすトリックスター的な存在だったらしい。
そんな神様の加護とか、ろくなもんじゃないな。
あと、精力増大ってなんだよ。
ザッグには性欲が強かった記憶なぞないから、これってもしかして俺由来か……。
しかし技能を見る限り、暗殺者としては本当に一流の男だったんだな、ザッグ。
鏡の前で立ち止まった俺をせかすように、階段の半ばで女将が振り返った。
今なら簡単に首の骨をねじ折って、階段から落ちたように見せかけられるな。
逃走経路として二階の角部屋の窓から隣の家に飛び移れそうなのは、宿に入る前に確認済みだ。
って、だから殺しちゃダメだろ!
頭を横に振った俺は、移動する前に鏡の中の自分にふと視線を向けた。
――――そこに映っていた男の眼差しに、俺は言葉を失った。
極端に縮まった瞳孔のせいで、三白眼どころか六白眼くらいになってしまっている。
それも由々しきことだが、さらに問題なのはその目の無機質さだ。
本当にそこからは、感情が何一つ読み取れない。
あらゆるモノを、ただモノとして認識するだけの眼差し。
そして無関心のようでありながら、突然襲い掛かってきそうな爬虫類を連想させる眼球だ。
それはゴミを道端の
ああ、うん。
いきなりこんな目で見られたら、誰でも悲鳴を上げるか逃げ出すわ。
そっか。個人情報見てる時って、俺こんな目付きしてたんだな。
「お部屋はこちらです」
廊下の奥のドアを開けながら、女将を俺を部屋へ誘い入れる。
カーテンが付いた窓が一つと、壁に備え付けてあるテーブルと椅子。
反対側には綺麗に整えてあるベット。広さはビジネスホテルのシングルタイプくらいか。
埃一つなく清掃された机の上には淡い色の花が飾ってあったりと、なかなか居心地の良さそうな部屋だった。
特に窓の外から、部屋の中が見通せないのが良い。
「手洗い場は一階の裏手にあります。食事は朝晩の提供となりますのでご希望の際は、一階のカウンターで部屋番号をお告げ下さい」
淡々と事務的に宿泊規則を述べる女将の口振りには、最初にあった愛想は欠片も残ってない。
「外出される際は、部屋のカギを受付へお預け下さい。それでは失礼いたします」
深々と頭を下げて女将が退出した後、俺も深々と溜息をついた。
部屋の中を一通り探ってから、ベットに腰掛けて色々と反省する。
真っ当な生き方をしようと決めたはずなのに、すでに堅気の人間を二人も脅してしまっている。
特に強引に宿泊しようとして、脅迫に近い形になったのは不味かったかもな。
この街で快適に過ごすためにも、早めに女将との関係は改善すべきか。
いや、それよりも今は、これからどうするかを考える方が重要だ。
少しばかりの蓄えは、体のあちこちに隠してはいる。
全部あわせると五万ゴルド、五十万円程あるが、何もしなければ数ヶ月で消える額だ。
現在の俺には、すぐに金に換えられるような堅気の技術や資格はない。
ゲームや小説とかだとモンスターを倒して稼ぐとかもあるだろうが、この世界ではそれも厳しい。
化け物退治の需要自体はあるのだが、継続的な供給元がないせいだ。
言い換えると必要とはされているが、仲介する層がない。
つまりゲームに出てくるような冒険者ギルドだっけ?
そういう便利な斡旋組織が、存在していないのだ。
だから勝手にモンスターを倒して回ったところで、本当ににただ働きでしかない。
この街は北へ行くと海があり、海辺の港とも交通が整備されて流通の行き来はできている。
南には大きな鉱山と森が広がり、そこからも多くの産物が流れこんくる。
西は隣国との小競り合いで傭兵が引く手数多だし、周辺にはトラブルの種となりそうな蛮族も多く棲んでいる。
まさにこのドーリンは王国西部の中心的な場所であり、今後もどんどん栄えていく場所だと見ていいだろう。
そして俺は、これから商売を始めるには絶好の場所だとも考えていた。
もっとも普通に肉体労働をしてても、たいして金は貯まらない。
どのみち人足や傭兵なんかの体を張るタイプの仕事は、年齢的に長く続けるのは厳しいだろうしな。
ある程度の資金をなんとかして稼ぎ、それを元に店舗などを構えてみるというのを、当面の俺の指標にしておくか。
まずは色々やりながら、その中で自分にあった仕事を探していくしかない。
その為にも、最初はじっくり情報を集めてみることにするか。
幸いにも俺の洞察技能は、まさにそれ向きな訳だし。
これだけ広い街なんだ。
良い感じで儲けられる手段も、絶対にある筈。
それとザッグの記憶があるとはいえ、俺にとってこの世界はまだ慣れないことのほうが多い
今はまだ荒事は避けて無理はせず、馴染むことを優先しよう。
さて。
そうと決まれば、夕食まで軽く寝ておくか。
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