悪人転生 ~異世界冒険者ギルド創設譚・序~

しゅうきち

第1話 どこだ、ここは?



 気がついたら、知らない街の雑踏の中にいた。


 確か昼飯を買いにコンビニに行こうとして、アパートの階段を下りようとしていた筈。

 そこで記憶が途切れている。

 そして今はなぜか、見知らぬ通りの人混みの中だ。


 足元は石畳。

 道の左右には、見慣れない切妻屋根の家や年季の入った屋台が立ち並んでいる。

 思わず見上げた空はビルや電柱がないせいか、やけに広く見えた。

 そして臭い。むわっとした独特の匂いがそこかしこから漂ってくる。

 

 俺はひとまず状況を整理するために、何食わぬ顔をしたまま家と家の隙間にある細い路地の一つに入った。

 気を落ち着けるために、大きく深呼吸をして激しくむせる。

 よく見ると通路は、小さなゴミの山だらけだった。

 強烈な悪臭を放つ足元の水溜りを思わず避けようとして、見慣れない靴を履いていることに気付く。


 買った覚えのない革製の使い込んだブーツに、ゴワゴワした生地の服。

 それにずた袋のようなカバンを、いつの間にか背負っている。

 紐を緩めてカバンの中身を確認してみた。

 何枚かの下着と布切れ、油紙に包んであったのは堅そうな黒パンと干しぶどうが少し。

 それと錫製の安っぽい水筒が、カバンの底にあった。

 蓋をねじると、ツンと鼻に来るアルコールの香りが溢れ出る。

 あとは用途がよく分からない手のひらサイズの金属製の玉だけで、今の状況の手がかりになりそうな身分証明的なモノは何もなさそうだった。


 仕方がないので、そっと通りを窺ってみる。

 金や赤や茶と雑多な髪の色の人々が、忙しそうに往来を行き来していた。

 彫りの深さや顔の濃さから、どう見ても日本人ではないのが判る。

 ふと思い付いた俺は、自分の髪を一本引き抜いてみた。

 色は黒いままだが、やけに短い。

 散髪屋に行ったのは二ヶ月ほど前なので、もっと長かったはずだ。

 アゴや鼻を触ってみたが、どうも馴染みのある感触とは違う感じがする。

 仕方がないので、舌先で上顎の左の奥歯をつつく。

 触れると鈍痛が走っていた虫歯が、綺麗さっぱり消え失せていた。

 

 

 うん、どうやら今の俺は別人になってるらしい。



 有り得なさすぎる状況だと、人は逆にパニックになりにくいってことだろうか。

 俺はガタガタ震えることも大声で喚くこともなく、あっさりと今の状況を受け入れた。

 この手の理不尽で理解できない物事は、諦めて受け入れた方が時間の節約になる。


 ふと疑問を感じた俺は、もう一度映画のセットのような通りへ顔を出した。

 そして聞こえてくる喧騒に耳を傾けてみる。

 

「――安い! 安いよ! 今朝採りたての――」

「――を募集中だ。早い者勝ちで――」

「――は要らないかい? もう残りわずかだよ――」


 ホッと安堵の息を漏らす。

 聞こえてくる言葉は日本語ではないが、その意味はなぜか理解できていた。

 と、同時に疑問が湧き上がる。

 

 語学留学をした覚えはない。

 だが全く聞き覚えのない言葉なのに、すらすらとその意味が頭の中に入ってくる。

 そもそも、どこの国の言葉なんだろうか?



 ――王国公用語。



 答えは不意にもたらされた。

 脳裏に思考が唐突に浮かび、そしてそれが正しい認識であると、なぜか俺は理解していた。

 知らない知識が頭の中にある不気味さよりも、好奇心がそれに勝る。

 面白くなった俺は、新しい疑問を思い浮かべてみた。

 ここはどこだ?



 ――ここは王国の西にあるヘントン辺境伯が治めるドーリンと呼ばれる都市。



 王国とは?



 ――百年以上前に蛮族どもを平定したカルマン一世が建国した。今代は曾孫にあたるカルマン四世が統治。



 蛮族? 中世にタイムスリップでもしたのか。


 

 ――鬼族や獣人などの混じった連中だ。頭は足りてないが、扱いやすい奴らが多かった。



 急に教科書でも読んでいたような解説から、くだけた説明に変わる。

 もしかしたら伝聞的な知識と、この身体の持ち主の経験による知識の差なのか。

 伝わってきた蛮族のイメージは、ゲームや小説でよく見る類のモノとそっくりであった。

 本当にここは、俺がいた世界とは全く違う場所のようだ。

 そういえば肝心なことを、訊いてなかった。



 俺は誰だ?



 ――ザッグ。今の名前はザッグだ。


 

 その返答が、皮切りだったのかもしれない。

 次の瞬間、俺の思考に流れ込んできたのは、ザッグとしての生きてきた経験とそれから得た知識、考え方、その全てであった。

 数秒かもしれないし、数分だったのかもしれない。

 長いようで短いような記憶の奔流が終わった後――。


 俺という意識は、ザッグと融合していた。


 魂の憑依とか体の乗っ取りではないと思う。

 なぜなら、それまであったはずの日本での生活とか残してきた兄弟や友人への愛着の感情が、根こそぎなくなっていたからだ。 

 それらは今はもう只の情報としてしか、俺の中に存在していない。

 同時にザッグの両親や知り合いについても、同じような状態だったのは正直驚きであった。

 もしかしたらザッグにとって、過去の知人は本当に全て只の情報でしかないのかもしれない。


 俺はザッグの経歴を思い起こして、それもそうかと小さく頷いた。

 こいつは正真正銘の悪人……、人を殺して糧を得てきた生粋の殺し屋だった。

 依頼されれば誰であろうと平然と殺害し、その行為に何の感情も抱くことはない。

 他人の命を虫けらどころか、ただの仕事の対象かそれ以外としか考えていない。

 そんな男だ。


 もっともそんな生き方には、当たり前だが大きな危険や代償がつきまとう。

 不味かったのは、一月ほど前にザッグが始末した相手が、この国の有力貴族のお気に入りであったという点だ。

 足がつくことを恐れた依頼者から命じられ、ザッグはほとぼりが冷めるまで身を隠すこととなった。

 

 ただし顔形を変えたり姿をくらます程度なら、凄腕の呪術師であれば容易に追跡が可能である。

 そこでザッグが使ったのは魂を偽装する偽魂球という魔道具、さきほどズタ袋の底にあった金属製の玉っころだ。

 これは死人の魂を一時的に取り憑かせることで、魂の波形を見抜く呪力の眼から逃れられるという触れ込みであったが……。



 結果は、なぜか異世界人である俺の魂と融合してしまったというオチだ。



 おそらくだが、あのアパートのぼろ階段で足を滑らせてというのは十二分にありえることだ。

 本当なら悔いも未練もたっぷり残っているはずだが、愛着と一緒で不思議なことに何一つ俺の中に残っていない。

 これは融合したザッグの性格が、影響しているのだろうか。

 そもそも今のザッグという名前も仮初めで、本当の名前すら忘れてしまった男だからな。


 ま、こうなってしまったしまったのなら仕方がない。

 今、湧いてきているのは、こんな感情だけだ。


 生ごみのすえた臭いが溢れる小路で大きく深呼吸して、今度はむせることなく、俺は通りへ足を踏み出した。

 俺がザッグと一緒になった以上、こっちの世界で生きていくしかない。

 ただし、思い出すのもおぞましい過去とは、永遠にサヨナラさせてもらおう。

 真っ当な人生を送って、この世界で静かに骨を埋めるつもりだ。  

 そもそも小市民的な俺に、ザッグのような生き方は絶対に出来そうにない。


 人の流れに身を任して通りを歩きつつ、周囲をさり気なく観察する。

 俺を怪しむような奴や、後をつけてくる連中はいないようだ。

 できるだけ自然な感じで、屋台の一つに立ち止まる。

 この先を無難にやって行くためにも、軽く買い物でもして慣れておいた方が良いだろう。


 目の前の屋台は鉄の網の下に赤く炭が燃え、上に置かれた肉を香ばしく炙っている。

 塩と脂の混じった空腹をそそる匂いが立ち昇り、俺の胃袋をきつく刺激した。

 肉から目が離せない俺に気付いたのか、店主が威勢の良い声を掛けてくる。


「ドーリンに来たら地鶏の塩焼きは喰っとかねえとな。ほらほら、焼き立てだぜ。どうだい。一つ?」


 店主の呼び声に、俺は思わずポケットをまさぐった。

 指先が探り当てたのは大銅貨が三枚。

 ザッグの知識によると、荷運びの人足を一日やって、もらえるのが大銅貨五枚ほどらしい。 

 人件費の安そうな世界だし、大銅貨一枚は千円未満ってとこか。

 

「ほら一切れ、大銅貨一枚だよ。早くしないと、焼き過ぎになっちまうぜ」


 値札を探していた俺に、店主は勢いの良い言葉を重ねてくる。

 少し高い気もしたが、腹の減りが優先された。

 ポケットから取り出した大銅貨を渡そうとして、俺は寸前で動きを止める。


 目の前の男の胸元に、見慣れた日本語が浮かび上がっていた。


――――――――――

 名前:ナッジ

 種族:汎人種

 性別:男

 職業:屋台経営者

 技能:調理技能Lv2、仲介技能Lv2

 天資:世話役

――――――――――

 

 

 …………なんだこれ?


 

 ジジジッと肉の脂が弾ける。

 押し黙って自分を見つめてくる俺に、店主は焦れたのか声を荒らげた。

 

「兄さん、買わねえのかい? 冷やかしなら勘弁して――ヒィッ!」


 宙に浮き出た文字の意味を理解しようと集中してた俺は、その呼びかけに視線をあげた。

 目があった瞬間、なぜか店主の顔が大きく引き攣る。


「その、すまねぇ。……地鶏は、十銅貨一枚だったよ。ハハ、ヘヘ、ウッカリしてたぜ」


 百円と千円を間違える様なことはあり得るだろうか。

 まあ勘違いは、誰にでも起こり得ることだしな。

 俺は大銅貨を手の内に握ったまま、目の前の男をじっと見つめた。

 

「あ、いや、その、あっそうだ! 間違えたお詫びに二切れで十銅貨一枚にさせてもらいますよ」


 お釣りが出るかどうか思い出そうとしてる間に、肉が一切れ増えてしまった。

 うん、そこまでおまけしてくれるなら、ちょっと厚かましいお願いをしてみよう。


「ちょっといいか?」

「はいぃぃぃい、な、何でございましょうか?!」


 敬語を使うか少し悩んだが、屋台で丁寧に会話するのは違和感が強い気がして止めることにした。

 背負い袋から取り出した黒パンを片手に持ったまま、ブーツに隠してあった細身のナイフを抜き取る。

 パンの真ん中に切れ目を入れた俺は、店主に手渡そうとして誰も居ないことに気付いた。


 いや、よく見ると屋台の向こう側に、店主の情報だけが宙に浮かんで見えている。

 これ対象が物陰に隠れても、こうやって居場所が判るのか。物凄い便利な仕組みだな。

 身を乗り出して屋台の奥を覗き込むと、店主はしゃがみ込んで懸命に祈りを捧げていた。


 こちらを見てくる視線は、周囲から感じ取れない。

 今なら簡単に、背後から首をひねって始末――。

 いやいや、殺しちゃダメだろ!


「もう二度と賭場には行きません。酒も控えめにします。だ、だからどうかお願いします、聖母神アフラーダ様――」

「おい」

「だっ、旦那、勘弁してください! 俺には可愛い嫁と育ちざかりの息子が二人も――」

「これちょっと焼いてくれ」

「へ?」


 店主は間の抜けた顔のまま、黒パンと俺の顔を交互に眺めた。


「そうそう、火から少し離してくれ。温め直すだけで良いんだ。よし、柔らかくなったか? それじゃ真ん中に切れ目があるだろ。そこに鶏肉を挟んで、そうそれで良い」


 もっさりした歯応えの黒パンに鳥肉の脂がよく染みて、噛み締めると旨みがじんわりと口の中へ広がっていく。

 ただ物凄い勢いで口内の水分が吸い取られる。それと地鶏というだけあって、鳥肉自身にも結構な噛み応えがあるな。

 顎は疲れるが、この食べ方は非常に美味い上に満足度も高い。


「なるほど、パンに挟むってのは中々いい考えですな」

「そうだろ。あとは何かソースが欲しいとこだがな」

「手も汚れないし、皿や串を準備する手間が減る……パンの仕入れはロッチの店で……味付けも少し変えて……」

「気に入ったら、このアイデア使っても良いぞ」

「良いんですか?! 旦那」

「その代り、ちょっと教えて欲しい。えっと、名前は……」

「ナッジって言いやす。俺で良ければ、何でもお答えしますよ」

「俺はザッグだ。この街に着いたばかりでな。宿屋を探してる」

「それなら白鹿亭が料理が美味くておススメでさぁ。この通りをどん突きまで行って右に曲がれば、右手に白い鹿の看板が出てますぜ」

「そうか。助かったよ」


 俺は大銅貨を一枚、店主に手渡すと店から離れる。


「あ、旦那、お釣りが!」

「それは美味い飯の礼だ。取っといてくれ。気に入ったんでまた近々寄らせてもらうよ」

「あ、ありがとうございます。またいつでも来て下さい、旦那」


 頭を下げる店主に軽く手を上げた俺は、通りを真っ直ぐ歩き出した。




 …………どうやら謎の表記が見えるのは、俺だけのようだ。

 会話の間、気取られないよう店主の眼球の動きを見ていたが、俺の胸元に一度も視線は飛んでこなかった。

 逆に俺が何度、店主の表記を見ても、それを咎める素振りは全くなかった。

 それに通りの看板も明らかに日本語ではなく、ミミズがのたくったような王国公用語が使われている。

 どうもザッグと魂が同化した際に俺の記憶や知識が混じって、こんな便利な特殊能力が身についてしまったと考えるしかないな。


 しかしこの個人情報の表記は、どういう仕組みなんだ。

 試しに通行人を少しばかり"視て"みたが、目線を移すたびに表記は自動で切り替わった。

 だだ漏れ状態の情報に、俺は静かに息を吐いた。

 なんにせよ、便利なことは間違いない。

 それと表記の内容だが、尋ねたナッジの名前があっていたので、正しいものと考えたほうが良いようだ。


 まあ、どこまで信用していいかかは不明だけどな。

 そもそも誰が、どういう基準でレベルなり素質なりを判定しているんだろうか?


 考え込んでいるうちに、跳ねる鹿にジョッキとサイコロが添えられた鉄細工の看板の下へ辿り着く。

 たしかザッグの知識だと、宿代は大銅貨一枚からが相場の筈。

 当面の宿はここで良いとして、早めに金を稼ぐ必要があるな。

 

 新しい世界での生活だとか、特別な力を得たとかで、はしゃいでいる余裕はそれ程なさそうだ。

 俺は軽く溜息をつきながら、宿屋のドアを押し開いた。



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