第10話


 ギルヴァは跳ねて、フニから一歩遠ざかる。


「……お前、今まで俺を見て震えてたじゃん。ビビってたんじゃないの?」


「ボクが貴方にビビる?アホらしい」


「ワケわかんないね」


 首を傾げるギルヴァに、フニは鼻で笑って答えを返す。フニの言葉に嘘はなかった。


「わざわざ説明する義理もありませんが……例えば貴方、誰かに『明日世界が滅びる』と言われて信じますか?」


「信じるわけないでしょ。バカなのお前」


「でしょうね。ボクもそうですよ。……でも、それがリガミア様の言葉であれば、ボクは信じるんですよ。枕とサーシャを抱きしめて、ベッドに潜って震えます」


「……は?」


「ボク自身は貴方に負けるなどとは思いませんが、リガミア様はボクの敗北を予言した。それだけの話です」


 ギルヴァはまだ理解できていない様子だが、しかしフニは説明は終わりだとばかりに細剣レイピアを構え直す。その先端は、僅かに赤く濡れていた。


「結局、貴方は剣を使わないのですか?」


「流石に使うよ。というか手入れはサーシャにやらせるし、初めから気にする必要もなかったね。この剣に染み付いたお前の血を、泣きながら洗い流すサーシャを見るのが楽しみになったよ」


「……趣味の悪い」


 フニは隠す気もない嫌悪を、改めてギルヴァに向けた。


「それにしても、周りがうるさいね。俺の所有物のくせにギャーギャーと喚いて……なんかムカつくね」


 ギルヴァは四方八方から聞こえる歓声が鬱陶しいようで、苛立った表情でボリボリと頭を搔く。そして何を考えているのか、唐突に剣を振り上げた。

 フニが訝しげに、ギルヴァを見つめていると――


「静かにして欲しいんだけど。言わなくても分かってよ」


――観客たちに向け、剣を振り下ろした。


 何のつもりだ、とフニが目を見開く――と同時。

 観客席が縦に割れた。


「……ッ!?」


 『飛撃魔法』――それはまさに、飛ぶ斬撃。ギルヴァは自身の持つ魔法によって、触れてもいない観客席を無惨な姿に作り替えた。一瞬にして百を超える死体が生まれ、フニは言葉を失った。


 騒がしかった観客席は、再び静寂に包まれる。


「死にたくなかったら、もう喋んないでよね?」


 家族を失い泣き叫ぼうとする人々と、それを必死に抑えつける人々。ギルヴァの忠告をただの脅しだと思う人間は、この場には一人も居なかった。


「ギルヴァ……っ!」


「ぬ?あぁ、安心してね。お前と戦う最中に使う斬撃は、そんなに飛距離出ないからね。周りの人達を気にして戦う必要は――」


「うるさい!もう無駄話は終わりです……ッ」


「……わわ、いきなり斬りかからないでよぅ」


 この男は一秒でも早く殺すべき邪悪だと、フニは容赦無く細剣レイピアを突いた。軽くいなされるが、構わず二撃三撃と繰り出す。


 突き終えた細剣レイピアは弧を描き、そのまま斬撃へと姿を変える。細剣レイピアを弾かれればその反動を攻撃へと用い、躱されれば残る威力を追撃に使った。


 フニの身体は、反射を繰り返す光のように跳ね回る。

 フニの細剣レイピアは、流れる水の如く向きを変え加速する。


「ぶふっ、やっぱ俺と離れて戦いたくはない?まぁ俺の魔法を見ればそうなるよねぇ」


 しかしギルヴァには、まだ余裕が見えた。


 フニが仕掛けるのは、超至近距離での斬り合いである。それはギルヴァの言う通り、『飛撃魔法』を警戒してのことだった。遠距離への攻撃手段を持たないフニが、ギルヴァから離れるメリットは少ない。


 フニの武器は素早さだ。常人では目で追うことすら出来ない移動速度と反応速度が、フニが強者と呼ばれる所以である。事実、フニの速さはギルヴァを大きく上回っていた。


 しかし。


「動きに無駄が多いんだよね、お前」


 攻撃が当たらない。ギルヴァは最小限の動きで、フニの細剣レイピアを躱し、弾き、受け流す。練度の違いは明白だった。


「それと最初に使った技……えっと、《残響》?あれと比べたら、今のお前は全然遅いね。もしかしてあの技、助走がないと使えないのかな?」


 図星をつかれ、フニの頬は僅かに強ばる。

 まだ傷一つ負わされていないにも関わらず、追い詰められているような感覚がフニにはあった。


「俺の魔法を封じるために、自分の技を潰してちゃ世話ないねぇ。ほらほらもっと頑張って。もう死んじゃう?」


「舐めないでください……ッ」


 フニは初めから全力だ。手加減など一切せず、ギルヴァの首を狙っている。だがそれでも届かない。


 ならば、今の自分に出来るのは。

 サーシャの為に出来るのは。


「……ふっッ!」


――限界を超えて、加速することだけだろう。


 剣戟のリズムが増していく。フニの身体は輪郭を霞ませ、橙色の瞳は軌跡を残す。ただ一度の瞬きすら許されぬ高速の中、フニはさらにペースを上げた。

 この剣戟の隙間を聞き取れるのは、フニとギルヴァの二人だけだった。


 フニはチャンスを窺い続ける。眼球に血管が浮かぶほど、「一瞬の隙」に目を凝らした。

 

「――ッ!!」


 そして訪れた好機。それは偶然の産物だった。

 

 ギルヴァの剣を、斜めに受け流したフニの細剣レイピア――その角度が、コンマ以下でドンピシャに嵌る。結果、ギルヴァの重心がコンマ一センチ揺れ、コンマ一秒だけ後ろを時間が生まれたのだ。


――貰った。


 フニの足元から爆音が生じる。それはただ一歩、本気で地面を蹴り抜く音だった。


 ギルヴァの背後に立つ、と同時。

 突きの構えに最速で至る。


 左手を前に、右手の細剣レイピアを引く。

 両足の幅は広く保ち、腰は低く柔らかく取った。


「神威――」


 万物を貫く迅雷の突き。

 視認できるは始点と終点のみ。

 その技に経過は存在せず、ただ結果だけが残る。


「――《刻閃》」


 それは神速の一閃だった。

 フニは、ギルヴァの背に大穴を空けたと確信する。


「あっぶな」


 しかし響き渡るのは金属音。硬い手応えに、防がれたことを理解した。


「……剣の、刃で」


 ギルヴァはフニに背を向けたまま、剣の刃で完璧にフニの突きを受け止めていた。もしぶつけたのが剣の側面であれば、間違いなく剣ごと貫いていたのに、とフニは奥歯を噛む。


――落ち着け。まだボクが優位。


 フニは即座に次の行動を選ぶ。渾身の一撃を防がれたとはいえ、ギルヴァの姿勢は未だ大きく崩れている。動揺している暇など欠片もない。


――今なら《残響》が間に合う。


 フニは《残響》を使うのに必要な距離を取り、再び細剣レイピアを鋭く構えた。

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