第2話


「……サーシャ、こっちです」


「フニ様?」


 首を傾げるサーシャを意に介さず、強引に手を引き路地裏に隠れる。

 直後響くのは、馬の足音。ここら商店通り一帯は『乗馬禁止』となっているが、その一団は悪びれる様子もなく馬に股がっていた。


 騒々しかった商店通りは一瞬で静まる。男の接近に素早く気づいた連中は家の中へと姿を消し、そうでなかった人々は慌ててその場で両膝をつき頭を下げた。


――『第一位』。ギルヴァ・グレイグ。


 法に縛られない、唯一の男である。


「んー、今日はこの辺で探そう。可愛い子が見つかるといいね」


「そうですなぁギルヴァ様。本日はどのような女性を?」


「とりあえず若い子。おっぱいは大きい方が良いかな」


 豚のように丸々と太った体型に、脂でテカテカと光る額。ニチャニチャとした笑みの底には性欲だけが満ち満ちており、多くの人間は近づかれるだけで嫌悪した。


 ギルヴァは買い物をしにきましたー、なんて軽い雰囲気で馬を降りる。大勢が頭を下げた大露路の中心で、手を叩いて注目を集めた。


「はーい、俺だよギルヴァ様の登場だね。それじゃあ早速だけど、女の子は俺の前に並ぼっか。今日は20歳以下だけでいいよ。それ以外はそのまま伏せといてね」


 そして有無も言わさず、理不尽な命令を口にした。歳若い女性たちは歯を震わせながら立ち上がり、娘を持つ親たちは一同に祈る。抵抗なんて出来るはずもなかった。なんせ相手は、殺人すら許容された人間なのだから。


 ギルヴァは横に並んだ女性の列に舌なめずりをしつつ、一番端の女の目の前に立つ。垂れ目で小柄な女の子だった。


「はいはい大人しくしようね」


「ひぃ……っ」


 一切の脈略なく、遠慮もなしに胸を揉みしだく。女は顔を真っ青にするが、ギルヴァは気にしない。その女性の衣服の胸部には、ギルヴァの手汗でぬらぬると光る染みが生まれた。


「胸が小振り過ぎるから、お前は60点だね。一応聞くけど処女かい?」


「……い、いえ。処女じゃない、です」


「そっかぁ。気持ち悪いねぇ」


「きゃ!」


 蹴り飛ばして、次へ。ウィンドウショッピング程度の気軽さで、ギルヴァは他人の尊厳を汚す。

 隣の女に対してもまた、胸を揉みながらジーッと顔を見つめた。


「うん、お前は30点だ。見れば分かるよ、処女だよね?」


「……は、はい」


「だよねぇ。お前ブスだもんねぇ」


 蹴り飛ばして、次へ。


「わ、凄い20点だ。面白い顔ー」


 蹴り飛ばして次へ。


「おめでとう、お前は80点だね。処女かい?」


「ち、違います……、ごめんなさい……っ」


「勿体ないなぁ。今度、俺の私兵の玩具にしてあげるね」


「ひっ、ぃ……ッ」


 次へ。


「なるほど、お前は70点の処女かぁ。俺のお嫁さんにするには足りないけど、そのうち処女だけ貰いに来てあげる。ちゃんと処女膜を残しておくんだよ?分かったね?」


 次へ。次へ次へ次へ。

 フニは怒りに拳を握り締めるが、それでもこの国の法律はギルヴァに味方する。介入して罰せられるのはフニの方だった。


「ん?んんん?」


 そうして、フニが固く目を閉じたとき。ギルヴァの声が歓喜に染まった。


「わぁ、お前はとても可愛いね。うん、文句無しに100点だ。凄いよ、満点だね。名前を覚えてあげるから、名乗ってくれる?」


「ひ、ゃ……」


「どうしたの?褒めてあげてるのに嬉しくないの?嬉しいよね?早く名前を教えてくれないかな?」


「……ク、クイナです」


「んーいいね、名前も可愛い。お前は俺の、新しいお嫁さんだよ。クイナは第三十……四十番目?まぁいいよね、ともかくお嫁さんに追加だよ」


「え、え?……あの、そんな……私は」


「クイナのご両親はどこ?早く挨拶しないと」


 果たしてギルヴァの瞳には何が映っているのか、ギルヴァは「俺に気に入って貰えて運が良かったね」とでも言いたげな顔で微笑んでいた。

 ギルヴァは一瞬でクイナの後ろに回ると、強引にクイナを抱きしめ頬を擦りつけた。その瞬間のクイナの表情といえば、それはもう蛆虫に全身を這いずられたかの苦悶である。


「あ、そうだ。クイナが俺の妻になるにあたって、一つ確認しなきゃならないことがあるんだ。……といっても、さっきまでも繰り返してた質問なんだけどね」


 気味の悪い笑みはそのままに、ギルヴァは「クイナは俺の運命の女の子だし、心配ないと思うけど」と続け、そして。


「お前、処女だよね?」


 そう問うた。

 何度も何度も繰り返した問いではあったが、この一度に限り、ギルヴァの本気のほどが伺える。付近の人々は皆、その冷たい声色に息を止めた。


 嫌でもクイナに視線が集まる中――


「い、いえ。初めてはもう……ずっと、前に」


「……は?」


――ギルヴァの顔色の変化に、皆が死を覚悟した。


「え、え?お前は何を言っているの?お前は俺のお嫁さんなのに、他の男に股を開いちゃったの?ふざけてるの?ねぇどうしてそんなことをしちゃったの?お前は誰とでもセックスする淫乱なの?俺のお嫁さんになるかもっていう自覚はなかったの?俺のお嫁さんになる可能性は考えなかったの?この国に生まれた時点でクイナの処女膜は俺のモノだよね?なのにどうして俺に確認もせずに破っちゃったの?俺がどんな気持ちになるか考えなかったの?おかしいよね?おかしいことしちゃったの分かるよね?」


 ギルヴァはクイナの目の前に顔を近づけて、唾を飛ばしながら早口で語る。


「ひっ、あ……っ、ギ、ギルヴァ様のことを知るより、ずっと前で……っ」


「いやいや前とか後とか関係ないでしょ?だってクイナは生まれた瞬間から俺のお嫁さんになる運命だったんだもん。可愛い顔に生まれたら、俺に見つけて貰えるまで待ち続けなきゃダメじゃないか。だからね、その男は俺から女の子を奪ったことになんだよね。分かるよね?」


 言葉に道理は無く、理屈は壊滅的。フニは頭痛を抑えるように、自身の額に手を当てていた。


「ねぇねぇその男はどこにいるの?バラバラにして殺しちゃうね」


「い、一年ほど前に……魔物に襲われて、もう」


「ぶふっ、何それ。魔物なんかに殺されたの?笑っちゃうね」


 唖然とするクイナに気づかないまま、ギルヴァは楽しそうに笑う。


「うん、まぁいいよ。じゃあ親は?そっちは生きてるでしょ?クイナのお父さん、いるなら出ておいで」


 そして標的は父親へと切り替わる。クイナの表情は不安に染まった。

 一瞬の間が空き、一人の男が立ち上がる。それは串肉の屋台を営む男――クイナの父親だった。


「……はい。私が父です」


「あ、お前かぁ。まったく娘の貞操観念くらいちゃんとさせなきゃダメだよ?女が夫以外の男とヤるなんて、普通に考えておかしいよね?どうして止めなかったの?」


「……ふ、二人はお互いを愛していました。そして私は、二人なら上手くやっていけると判断しただけです」


「ぬぬ?お前は何を言ってるの?クイナが愛してるのは俺だよ?娘の気持ちもちゃんと理解できないなんて、お前は本当にダメなお父さんだね」


 ギルヴァはキョトンと、大真面目なトーンで首を傾げる。あまりにも噛み合わない会話に、クイナの父親が眉をひそめているのが分かった。


「そもそもの話ね、死んだってことは上手くいってないよね?クイナを中古にして死んだだけの無価値な人間でしょ?実際のところクイナを幸せにしてないもんね。それはつまりお前の判断が間違いだったってことじゃない?俺の言ってること分かるよね?間違ってないよね?」


「……」


 結果だけを見た自己都合的な理屈に、フニは底知れぬ気色悪さを感じる。やはりフニの中でギルヴァは、救いようのない悪だった。


「だからね、俺はお前に罰を与えるよ」


「……罰、ですか」


「うん、全財産没収。クイナと一緒に野垂れ死んでね」


「な……ッ」


「お前、串肉屋だよね?うんうん、丁度いいから今日の俺の晩御飯にするね。一つも残さないから安心してね」


「お待ちください、そんな……あまりにも……っ!私はともかく娘が!」


「だから二人揃って死んでってば。いくら顔が可愛かろうと、俺以外の男に股を開くような節操無しに価値はないんだ」


 串肉屋の男はギルヴァに縋り付く。しかしギルヴァは気にも留めずに手を掲げ、「お前ら、ちゃんと全部回収してね」と指示を出した。


 串肉屋の持ち物はそう多くなかったらしく、あっという間に全てが消えた。取り巻き共は下品に笑い、今夜の宴に思いを馳せる。


 狙われた娘は嗚咽を洩らしているが、しかし串肉屋の男は娘を抱きしめたまま、一粒の涙も零さなかった。きっと彼なりの意地なのだろう、とフニは思った。

 

 ギルヴァの一行の姿が消えたのを確認して、フニとサーシャは路地裏から出る。すると周囲の人々が、分かりやすく串肉屋を避けていることに気づいた。余計なことをしてギルヴァに目をつけられたら堪らない、という考えからだろう。


「サーシャ。ボクは昔から金銭感覚が壊れているので分からないのですが……」


「自覚はあったのですね」


「あの串肉屋さん、どのくらいの金額を奪われたのですか?」


「……。彼の身なりであれば、貯蓄はそう多くないでしょう。持っていかれた肉の量と合わせて――150万ルピ、といったところかと」


「そうですか」


 サーシャの答えに頷いたフニは、串肉屋の方へと歩いていく。そして俯いたままの二人のもとに、しゃがみ込んだ。

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