鬼火 続

第4章「小さな魔法使いと王国の騎士」

 ・1



 タナラ村魔女事件後のこと、テルベラノ王国首都セントビスに新たな魔法使いが護送される。名はタイラー・マイエという。彼はタナラ村タイロン・シモンズの自宅で警察に身柄を拘束され、聖なる使命と共にあるテルベラノ王立騎士団へと引き渡される。

 おかげで旧オルドランダ宮殿では、新たな魔法使いが運ばれる前から(運ばれた後も)その話題で持ちきりだった。

 男は広大な敷地を持つ宮殿内部を歩いていた。彼は息がつまるような評議会に出席してから己の不満と向き合っている。モーリス・ダン・ドブレフは次の予定についても頭に入れておきながら、相談をせず、それを口に出すこともなく、あれこれと思考を巡らせていた。

「ドブレフ。いいですか」

「なんだ、シンディ」

 彼に声をかけてきたのは女だった。歳は若くまだ十六であり、彼と同じテルベラノ王立騎士団所属の騎士である。シンディ・パワー・スティン、彼女は鷹のような目で見ていた。

 見上げるようなかたちではあれど、熱心になにかを狙う目つきだった。

「タナラ村の魔法使い、タイラー・マイエ・コーデン、彼の今後の事です」

「そのことか」

「少年は牢獄暮らしだと、議会で決まったと聞きました」

「早いな。それがどうした」

 モーリスは「誰から知ったのか」と聞こうとしていた。しかし、それを知ったところで、意味もないとすぐに判断する。自分から尋ねたのだろうか。魔女事件に関心を持つのは、火を見るよりも明らかである。

「タナラ村で起きた事件についても知っています。両親のこと、共に暮らしていたタイロン・シモンズという男性、孤児エマという少女、森で拾ったという青針尾竜の子供についても」

「なぜ、そんなことを。どこで聞いた」

「報告書を読みました」

「勝手に読んだのか」

 タナラ村魔女事件の報告書は一部の騎士にしか渡していなかった。最年少で騎士見習いを終えている彼女ではあるが、その詳細を知らせるのは早いと考えていた。

 シンディはうしろめたい気持ちなどはないようで動じず、態度に揺れはない。

「牢獄に入れられる前に、少年をすこし見かけましたが、死んだ目をしていました」

 彼女は瞳にかげりを見せる。

「彼はまだ十歳です。彼が、なにか罪を犯したのでしょうか」

 モーリスは小さく息を吐く。「――虚偽の発言があり、国で起きている事件すべて、魔女含め家族ぐるみでの共犯とも考えられなくもない」

「本気で言ってるんですか?」シンディは理解に苦しむと顔を歪める。「このままでは、彼は誰一人、人を信じることができなくなります」

「君の兄にでも、伝えてくれないか。わたしがすべてを決めているわけではない」

「兄は、否定的です」

「君の父親もな」

「それでも騎士としてできることはあるはずです。兄を説得できませんか」

「リンウッドとは、長い付き合いだ。それでも議会の決定だ」

「魔物から人々を守るのがすべてではないと思います」

「魔法使いからも国を守るのがわたしたちだ」

 モーリスはまっとうなことを言っているつもりだった。心から受け入れ、納得してもらうのは難しい。だが、彼女は飲み込める人間であると考えて告げている。

 わたしたちは長きにわたり戦い続けたテルベラノ王立騎士団である。

「我々は、王に仕える身であることを忘れてはならない」

「あなたは、指揮官です。違いますか」

「魔法使いである彼を野放しにしろというのか。問題が起きた際には、君が責任を取れるというのか?」

 シンディは視線を逸らそうとはしない。鷹のような目は変わらず、モーリスの強めな言葉を聞いても、業を煮やさず見苦しく取り乱したりはしなかった。

「寄り添おうともしない。そんなの、悲しすぎます」

「いいか。関わってはいけない」

 モーリスは声を大きくして言った。

「目立たずに、ね」

「はい。ドブレフ。失礼します」

 彼女は最後に明るさをほんのすこし口元に見せると、足早に去っていった。

 彼は後ろ姿を眺めていた。そこに思いはあったとしても、彼は表情をほとんど崩すようすはない。きりりとしてゆるみのない顔つきで、少しのあいだ眺めたあと、その大きな体を動かし音もなく振り返る。

 足音がする。モーリスは知って立ち止まった。

「大変そうだねえ。団長でも。イタチちゃんの相手は」

 気配でも消していたのだろう。会話を邪魔するのは悪いと感じたか。ほかに理由でもあるのか。男がひとり物陰からぬっと現れた。

 騎士団所属、グレン・ホープだった。年齢は二八。行動とは裏腹に、彫が深く、(濃くはなかったが)髭の似合う顔をした男である。

「難しいものだ。初めて会った時から、何事にも前のめり気味というか」

「危ないとこに飛び込む傾向がある」

「そう。彼女の兄もそんなところを心配しているよ」

 シンディの兄、リンウッド・ヴァン・スティンは図体の大きいわりには、性格からか、不安をよく口にしていた。モーリスは騎士団に入ったあとも聞かされていた。妹だ。心配すると。

 お前が騎士団にいるから、冷静でいられる。頼りにしている。

「二人とも、養子だよな」

 グレンは彼女がいるであろう方向を一度見た。

「ああ」

「よく、ご両親は争い事に巻き込んだな。兄君はまだわかるが、大事な娘だろ?」

「騎士は、能力があればなれるわけではない」

「普通は、遠ざけるものではないもんかね。我が子だろうに」

 モーリスは二人の両親についてわずかに考えると、砂の文字を手で払うかのように消した。グレン・ホープは、彼はそうなのだろう。我が子に苦労を強いるものではない。だが二人の両親、特に父親であるアラン・イグネ・スティンは『それとは異なった』という。

 くせ者である大臣や多くの者から偉大と称えられる、テルベラノ軍大将「スティン将軍」も己の考えで決めたことではないだろうか。

「で、どうすんのよ」とグレンは間を置いて言う。「その取り押さえたという少年は、魔術師の間の子で、それもこの国で現在指名手配中の魔術師のだ、タナラ村の事件で、魔女コーデンの血を引き継いで、本物の『魔法使い』になってしまったんだろ?」

「どうするもない。これは決定だ。牢獄にいることも、正しいわけでもないからな」

 

 

 テルベラノ王国で新たに誕生した「小さな魔法使い」は、首都セントビスの地区の一つオルドランダにある地下牢獄へと収容された。タナラの魔法使い、タイラー・マイエは現在自由を奪われている状況にある。彼は「赤森の魔女」ジュナ・コーデンからとうてい金では買うことのできない「力」を授かった。特別な本――魔法書の切れ端は、彼を認めた。よって、あの日、ただの人間では避けることの難しい死を免れ(医師の手も借りず)、両親と同じ「魔法使い」へと生まれ変わった。騎士団がその名を口にしたように、彼は「タイラー・マイエ」から「タイラー・マイエ・コーデン」へと変わった。美しき魔女の名を与えられた。

 彼はテルベラノ王国首都へと連れていかれるまでの記憶が霧にでも包まれたようにぼんやりしていた。目を覚ましたあとといえば、タイロン・シモンズの自宅にある自分の寝台で眠っていた。誰がそこまで運んだというのか。そのとき体の痛みだけがよく伝わっていた。

 彼を家まで運んだのは村の住人である。気付けば、臙脂色の石が傍に置かれている。そのあとに、自宅へと警察がやってきた。

 手錠と魔法使いの力を奪う首輪で拘束された彼は、大人たちの指示に従い村を離れ、地下牢獄へと監禁されて、その翌日に事情を尋ねられる。

 知らない人ばかりだった。騎士団の人らしいが。高圧的で接してくる。タイラーは覚えている限りのことは話す。

 彼はそこでようやく両親の友人であるタイロン・シモンズの死を知る。間違いないようだ。おじさんは死んだ。賞金稼ぎに殺された。

 そして、エマも死んでしまったようだ。まだ、みつかっていないんだとか。家の中で、かくれんぼをしていただけのはずだ。あの時、銃声がした時から、おそらくエマは家にいなかった。窓の外を見て、数をゆっくり数えていたはずで。

 賞金稼ぎが殺したのだろうか? 彼は思う。子供を殺した、と確かに口にしていた。あれがエマだったとして。

 いや、まだわからない。死体は見つかっていない。エマは見つかっていない。いつか、家に帰ってくる。そう思いたい。それなら、あれが、エマではなかったとしたら。だれ?

 タイラーは牢獄で人の叫び声を聞いて、身を縮める。夜中であろうと、信じられないような人の声が聞こえてきた。

 彼は地下で九日間ほど過ごした。その間、呼び出しがあれば牢から移動し、拘束が解かれるわけがなくときおり同じ質問に答える。両親については知らない。食事は美味しくない。冷たい水をバケツでぶっかけられる。体はまだ痛い。悲しみに染まれど、涙はない。

 タイラーには悪い事ばかり――長い時間――頭のなかを駆け巡った。おじさんは死んだ。エマは死んだかもしれない。ソラは死んだ。死んでしまった。殺された。

 『帰ってきた』として、家にいないと知ったら、どう思う?

 彼は名前を呼ばれた気がする。そして身を縮める。

 いや、生きてるわけない。

 生きてるわけがない。

 みんな死んだんだ。

 おれが……。すこしでも早く伝えていたら。こんなことにはならなかったのかな。

 

 少しずつ痛みが軽くなる。なぜならそれは「魔法使い」の体だからである。タイラーは気付いてはいなかった。疑いはあれど自分でも「魔法使い」になったとは知らなかった。そんな彼に若い女性騎士が声をかける。

「タイラー・マイエ・コーデンで、間違いないな。話がしたい」

 『外を、見る気はあるか?』

 彼女は彼を連れ出した。決して近すぎず、遠すぎずの距離を置いて接する。

 それからもその若い騎士は、たびたび様子を見に来てくれるようになる。

 ある日、新たな出会いがある。その男も騎士団の人間だった。グレン・ホープと名乗った。

 彼はどちらかといえば、陽気で距離の近い男だった。馴れ馴れしい口調である。

 タイラーは二人と会ってから、徐々に自由が与えられる。さすがに首輪が外れることはなかったが、一人で行動もできなかったが、首都を見る機会ができた。

 この国の中心。彼は初めてはっきりとその目で見る。

 グレン曰く、美味しい食べ物を貰う。

 タイロン・シモンズ。タナラ村の人たち。

 彼女の兄は魔術師らしい。

 ある晴れた日のこと、きれいな夕暮れ、グレンの言葉は彼に大きなきっかけを与えた。

「悲しいことがいっぱいあったんだ。これからは良いことが待っている。はずだ」

「これからも辛いことは人生にいっぱいある」

「怒ることも、泣くこともできなくなるのは、あっちゃいけねえんだよ。今のお前はそのぐらいがいい」

 二人の騎士がやった行いとは、相手の心を楽にした。

 

 騎士との出会いは、彼に変化をもたらした。とくに辛い生活は明白であった。

 騎士団所属の、二人以外のほかの騎士が声をかけてくるようになる。聞き取りの回数が減った。食事がおいしくなったような気がする。目覚めもすこし。

 もちろん見張りはいるが、ときおり悲鳴が聞こえる地下で暮らすこともなくなった。手錠も外れた。

 自由というには、ほど遠いとしても。

 夜、タイラーは、森草花に囲まれた古惚けた家に帰りたくなる。そこには、もう誰もいないのだとしても。

 そうして彼に一つ話が舞い込んでくる。国のために働いてみる気はないかと。

「魔女から貰った、命、そのお前の力を未来に活かしてみないか」

 タイラーはテルベラノ王立騎士団に入団するわけにはいかなかった。まず彼はこの国の出身である。だが、彼はからだに「魔女の力」を得ている。故に、優しくしてくれる人たちと同じ仕事を、というわけにはいかない。

 今はまだたいしたことはできない未熟な魔法使いである。

 騎士のひと押しもあって、タイラーはテルベラノ王国が保有している『魔術師会』に加わった。

 辞退しようと、どちらにせよ、村に戻ることはできない。両親は見つかっていない。赤森の魔女もあれから姿を消した。俺は、魔法使いになってしまった。村に戻るのが怖い。

 国内ではすでにタナラ村の魔法使いの話がささやかれている。

 村の人が、以前と同じように接してくれるだろうか。魔法使いになってしまったおれを。

 もしセントビスで暮らしていくにしても、街では魔女事件が噂されている。

 魔術師であることを、人に教えるのは危ない行為である。たいてい危険を招くことになる。人とは異なる。

 『人』は、魔法が使えないのが当たり前。魔法は毒なのだから。

 

 

 タナラ村魔女事件から四年後になる。この日、テルベラノ王国首都セントビスにある旧オルドランダ宮殿では国家評議会が開かれていた。騎士評議会とは異なり、様々な立場の者たちが集まり、参加者側が容易には黙っているわけにはいかない議題について議論がされた。

 グレン・ホープもまたその評議会に参加した騎士の一人だった。彼は旧オルドランダ宮殿から続けて出ていく者たちを眺めている。困ったな、と思うと、場所を移動した。

 大臣たちのなかには、不満そうな顔をしている者がいた。おもしろくないのだろう。同じく出席した、テルベラノ王立騎士団団長モーリス・ダン・ドブレフとよく似ている。

 グレンはふと立ち止まる。中庭に、軍部の者たちが残っていた。だれか待っているのか。または、軍人が取り留めのない会話でもしているのか。

 テルベラノ軍大将アラン・イグネ・スティンはその場にはいない。

 魔術師会会長リンウッド・ヴァン・スティン。彼がいるわけでもない。

 魔術師会は相変わらず参加者の人数が少なかった。背の低い、幼い見た目の女、名は「ポルカガ」。今回、会長の隣にいたのは彼女ではなかった。以前は、彼女がリンウッドの横にいた。グレンから見た、あの時の印象といえば、一言も口を開くようすもなかった。国家評議会だというのに、その端麗な顔立ちが見るのが難しいほどに頭巾を深く被っていた。

 その前も、たしか女だった。名は「キャロル」という。幼く内向的な魔術師ポルカガと比べると、その女は昔から外向的な一端が見られる。

 出身は知らない。だが、生まれはこの王国からそこまで遠く離れた場所ではないと思える。やはりたいしたもので「魔法使い」というだけあって、容姿が整っていた。グレンは議会の最中でも、何人かが彼女に目をやっていたのを覚えている。あれは、すべてが恐れではない。

 経済的に余裕のある男と良質な時間を共に過ごし、その対価に金銭を貰っている。一時期、彼女はそんなことをしているという噂があった。さすがは魔女の娘だと。魔女の血を引いていると。

 しかし、誰が――魔法使いの――その相手であったのかは今でも明らかになっていない。当人の魔術師キャロルが大っぴらに話すはずもなく、羨ましいとも言われている、相手の男がどこかの時点でうっかり口を滑らす事態にもならなかった。何人か疑われた人物はいた。現在もいるのか。

 この日の付き添いは男だった。参加者のなかには、残念と思うものもいたのではないだろうか。

 名は「イヴァン・ロカイテ」。この男も、頭巾を深く被っていた。議会中、呼吸しているのかもあやしいくらいに静かなものだった。

 魔術師会は、毎回会長と合わせて、参加者は二人だけである。ぞろぞろといても邪魔なだけというのもあれば、たいした意見を言えない立場ではあるので致し方ない。

 もう一人ぐらい、いてもよさそうなもんだが。グレンは思う。王国が有する魔術師会。だというのに、構成員がそれぞれ好き勝手やっている。声をかけても集まらないのだろう。

 グレンが人を探していると、わかりやすい気配を感じる。

 シンディ・パワー・スティン。近付いてきたのは彼女だった。

「はっ、どうしたんだ、シンディ。随分と急いでいるように見える」

「グレン、お兄様を知りませんか?」

「兄君は、見ていないな」

「そうですか」

「将軍は? 一緒にいたんじゃないのか」

「お父様とは評議会後、少しだけ話をして別れました。それからお兄様を探しているのです。エイルボーン卿と中庭で話していたのを見たと聞いたのですが、見つからなくて」

 グレンはすこしのあいだ庭に目をやる。「だとすれば、もうどこかに行ったのかもしれんな」

 リンウッドがその場にいれば、すぐにわかるだろう。体の大きな男だ。魔術師だからといって、よく鍛えられた肉体を持つ軍人にも引けを取らない。

「大事なことか?」彼は言った。

「急を要することではないので」

 シンディは先程とは違って、焦りを見せない。彼女はせわしく去ろうとはしなかった。

 グレンは一つ思い出し、人差し指を立てる。

「さっきデープが、踊り場で将軍を見かけたと言ってたが、そこにいたのはお前か?」

「踊り場? いえ。それが、なにか?」

「独り言を言ってるように見えたとかなんとか言ってたから。違うならいいんだ」

「お父様が独り言を」シンディは俯いて考えている。「ソールズの見間違いでは? あの方も、どこかの誰かと同じくらいには頼りになりませんから」

「おっ、いうねえ」

 グレンはお遊びに付き合う。これが、現場であったら状況にもよるがあっさり流していた。

「崇高なテルベラノの騎士、『イタチちゃん』は」

「その、イタチちゃん、やめませんか?」シンディは眉をひそめる。

「おやっ、気にしてないようにも見えてたが、嫌だったか?」

「とくには。ですが、先日、トラベル通りのパン屋のおばさんから、愛称のように呼ばれて、こう、複雑な気持ちになりました」

 グレンはわずかに笑む。「誰かが言ってたのを偶然聞いてしまったのかもな」

「それより、いいですか」

「なんだ。議会の話じゃないだろうな」彼は嫌な感じがした。

「人食いの話についてです」

「そのことか」

「噂は本当なのでしょうか。この国テルベラノに人食いが潜んでいると」

「乞食や娼婦たちが話していたというだけなもんで、まだなんの確認もできていない。その行方がわからなくなったという娼婦は、どこかで生きているかもしれんし、死んでるかもしれん。まずどこから来た噂なのやら」

「しかし隣国でも、人食いの話があります。聞きました。『人食い男』と」

「食糧問題ときて」グレンは声をほんのすこし抑える。「テルベラノが寄こしたペットとかそういうのだろ?」

「ええ」

「ここではよそう。その話はまた今度だ」

 彼女は意外にも黙ると、頭を働かせている。彼の言葉の意味は理解している。気になることが残っているようだった。

「では、その、一つだけいいですか。これは軍の仕事ではなく、騎士団や魔術師会の仕事と考えて、よろしいのですよね。警察の管轄でもなく」

「警察ではないだろ」

「警察は、自分の管轄と。犯罪組織と関連があると睨んでいます」

「モーリスに伝えておく」

 グレンは静かにそう言うと、庭のほうに目をやる。ため息をついて額に手を当てた。

 周囲から、人の数が減っていく。

「問題が多くて、考えることが山積みで、団長、近いうちに頭爆発すんじゃねえか」

「国内の増加傾向から、しばらくはまた、魔術師会に助けを借りるという話になったのでは?」

「安心して任せられるかってことがな。国民も黙ってはいられないだろ。助けを求めて、やってきたのが騎士ではなく、魔術師たちだったと知って、どんな顔をする」

「彼らも国のために働いている者たちです。悪い話も、もちろんありますが」

「信用はないだろ。『魔女の子』だ。同じ人間と思うほうが珍しい。よそ者でもある」

 颯爽と助けに来てほしいのは、王のもとで働いている者たちだ。勇ましい英雄たちよ。国民の多くがそういった考えだった。それについてはべつにおかしなものでもない。

 魔術師会が発足される際にも、反対の意見が多かった。魔法使いたちをこの国に招くのかと。追い払え。何をされるかわからない。私たちには騎士様がいるではないか。ずっとそうだった。長くそうだった。なぜ、魔術師に手を借りる?

 王国としては、魔法使いたちの力が必要と判断しただけのこと。魔法使いには魔法使いを。そういう言葉もある。

 グレンの考えとしては、反対でも賛成でもなかった。彼も騎士の一人であり、この国の出身である。不安はある。しかし彼らは我々よりも、「敵」と上手く戦える。それには違いない。

 シンディは言う。「彼は、大丈夫でしょうか」

「かれ?」

「タイラーです。本格的に国の仕事を始めて、まだそれほど経ってはいないので」

「つっても、なんだかんだ魔術師だ。聞いた感じじゃあ、なんとかやってるらしいぞ」

「無理な問題をやらされるのではと思って」

「兄君はなんて?」

「わかってるよ、とは言ってくれました」

「それなら、大丈夫だろ」

 グレン・ホープは振る舞いに慌ただしさはなくとも、内心では気がかりだった。「十分、学んだ」、「もう平気だろう」魔術師会が判断し決めたのだとしても、その決定は騎士団で考えたら、あり得ないはずなのだから。

 手錠も外れ、首輪も外れ、騎士の監視がなくなってから、ずいぶんと時間が経過した。タナラの魔法使いに、指名手配の魔術師二人が接触する様子はない。赤森の魔女ジュナ・コーデン――もう一人の母――も彼の前に現れた様子はない。

「今日、会えるかとも思っていたのですが。いませんね」

 シンディはそう言いながら辺りを見回していた。

「それはそうだろ。ひよっこが評議会に出られるはずがない」

「いえ。評議会ではなく。今日、別の用事で、宮殿に来ることになっていたから」

「別の用事?」

「お兄様に呼ばれたようで」

 グレンは頷いた。十四となったばかりの彼が評議会に出ていないのは知っていたし、ではどういった理由で旧オルドランダ宮殿にいるのかを考えたら、無理なくそこへといきつく。

「タイラー、なんかドジって、兄君に呼び出されたとかな。身分証を無くしたとか」

 彼女は考えた。「……どうでしょうか」

「いやいや、わからんぞ。あんがいな、ああいうのはな、年上の女が好みで――」

「王に仕える身である立派な騎士が、ひとの悪口を言ってていいのか?」

 二人の背後から現れ、声を大きく問いかけたのはほかならぬ当人だった。タイラー・マイエ、彼は途中までの会話が聞こえていた。自分の名前がとりわけよく聞こえた。

「なんだ。いたのか」グレンはうっすら笑う。

「なんだって、なんだ」

「いやいや。魔術師会の会長に、宮殿に呼ばれたんだろ? 話は、いま終わったのか」

「うん」

「無理ならいいが。それで会長さんはなんだって?」

「仕事。セントビスに戻ってきたばかりだけど、すぐに出なきゃいけない」

「仕事ですか」シンディが言う。

 グレンは彼女を一瞥した。「一人か? ずっと一人なのか」

「ずっとではないかな。魔術師は、そうだから。騎士とは違う」

 タイラーは腕時計に目を向ける。何気ない仕草から時間に余裕があるようには見えない。

 グレンはそのとき、街で買ったものではないなと思った。それはかなり古い物に見える。必要だろう。買ってやろうかと言ったが。

「もう行かないとだから」

「そっか。準備しっかりして、行ってきな」

「気を付けて。武運を祈ります」

 シンディの言葉に彼は頷くと、旧オルドランダ宮殿の出口へと向かう。

 グレンはしばらく黙っていた。彼はタイラーの顔を見て、底にあった不安が薄まった。

「目標は、死食鬼かな」

「えっ、そうなのですか」

「いや、なんとなくだ。それより、あれから大きくなったな。とはいっても。まだシンディと同じぐらいなもんだが」

 グレンは片腕を上げながら、「このぐらい」と思い出す。四年前といえば、もっと小さかった。テルベラノ王国で新たに誕生した、小さな魔法使い、と言われてたものだ。今でも国内で、タナラ村魔女事件を覚えている者はいるだろう。

 そのときの少年が、こうして大きくなった。

「たしかに」シンディは言う。「後輩にも身長を抜かれましたし。彼もいずれ、わたしを抜くのですかね」

 


 タナラの魔法使い――騎士グレンが言ってたように、魔術師タイラーの次の仕事とは「死食鬼」だった。その規模は、大群というほどのものではない。領内の森で最近見かけるようになり、小さな町が付近にあり、数が増える前に叩いてしまおう。そういう話だった。この国の現状、彼らが増える一方であるのはわかってる・・・・・。増えてしまうと。

 町の住人から報告があった。兵士はいるが、叩く戦力としては頼りなかった。

 町の住人は、首都セントビスから使いが来ると知って気持ちとして喜びがあった。しかし、町にやってきたのは、騎士でもなく、軍人などでもなく、魔術師。それを知ったときと言えば、彼らはなんともいえない顔をしたものである。しかも、どう見ても、まだ子供だ。はてさて困ったと口にしていた、町の男どもよりはるかに小さい。年齢を聞けば、十四というではないか。

 魔術師、魔術師。魔術師会に、子供がいるという話、聞いたことがある。いや、あれって、子供ではないって話ではなかったか?

 住人の不安をよそに、タイラーは「死食鬼」の問題を解決した。すぐに次の仕事がある。

 これは気持ちだ。お礼を受け取って、彼は出発する。

 タイラーは訪れた時とその後の違いに嬉しくなる。そこには笑顔があった。

 そして彼は一つ疑問があった。

 訪れた時もそうで、仕事をしている間に、「赤毛の女」を見かけることが何度かあった。その女は、エマに似た赤毛だった。

 住人に聞けば、その者は町の者ではないらしく。

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