・5




 タイラーは片手にカボチャでも入るぐらいの布製の袋を持って街道を歩いていた。袋にはしっかり乾いた薪でも入っているかのような重みがあり、その中身とは血抜きをしたりなど解体処理を行った鹿肉である。今朝、彼はタイロンに頼まれてしまった。タナラ村に住んでいる友人の家へと訪問して、これを届けてほしい。聞いているかぎりほかのお手伝いと比べると、とくべつ労力もかからない。ゆえにタイラーは快く引き受けた。わかった。持っていけばいいんだよね。

 タイロンは散弾銃を持ち、森のなかへと頻繁に狩りにいく。獲物を取ってくる腕はあるようで、鹿、イノシシが得られない日であってもかならず何かしらは持ち帰っていた。

 タイラーは思う。いつか、おじさんと一緒に狩りに出かけたりするのだろうか。彼にはとうぶん先の話のように思えた。今年で十歳になる。しかし、まだまだ先のことだと。

 そのときになれば、自分は上手くやれるのか。ひょっとしたら自分はたくさん獲物を持って帰えるぐらい、できるのではないのか。鹿、イノシシ、それはもう大量だ。タイラーのなかには根拠のない自信はあった。

 街道を歩いていると、何を思ったのかエマが立ち止まる。彼女は木々の隙間を眺めていた。

「どうかしたか?」

「エマもお手伝いする」彼女は顔の向きを変える。

「お手伝いするって、だからこうしてついてきたんだろ? すぐに帰るから、家にいろって言ったのに」

 家を出る前、エマが玄関前で呼び止めた。「行く」、「行かない」でやりとりがあった。

「エマも持ちたい」

「これをか?」

 タイラーは腕を上げた。袋の中身とその重さ、それからそれが対象であることを確認するように。「持ちたい」と言うからには、少しの時間でも持っていたい。

『持ちたい』のは、ソラではない。ソラは静かに、タイラーの頭の上にとまっていた。

「エマには無理だろ」

 タイラーには鹿肉の詰まった袋が少女の手に持てるような物ではないと考えていた。彼でさえ、腕が疲れ始めている。

「エマもやる」

 彼女は主張を変えるつもりはないようだ。とにかく何が何でも、その袋を持たないと歩き出そうともしないのかもしれない。気持ちはわかる。試してもいないのだ。すこし言われたところで、意見を変えるわけがない。

 タイラーは意地を張る理由はないので、袋を渡してみることにする。彼はエマの傍まで近寄っていき、袋を彼女の右手に受け渡した。

「重いだろ?」と彼は言う。

「おもい。おもくない」

「いや、重いだろ」

 タイラーは腕を伸ばした。だめそうだ、と彼はその様子を見て思った。

「地面に引き摺ってしまうと、いけないから」

 ソラが翼を広げた。タイラーの頭からエマの頭へと飛び降りる。翼を羽ばたかせ、ゆるやかに着地した。そうして首を下におろして、なぐさめるように高い音で鳴く。

 ソラが飛び立てるようになったのは昨日のことだった。

 

 鹿肉を届けるお手伝いが終わると、タイラーは寄り道をせず家に帰ることにした。彼はたとえ午後になったとしても森に出掛けていく気にはならなかった。傍にはエマがいて、ソラがいる。三人で森のなかへ遊びにいくのはとてもいい考えではある。だがはじめのとおり、彼は「行ってみよう」という気分にならなかった。家に帰って、家の周りで過ごす。それだけでもまだまだ自分たちにはやるべきことがあるのではないか。家にいても、不満がない。そんな気持ちが彼にはあった。

 ソラは自由を得た翼をたたみ、エマの頭の上から離れようとはしなかった。鹿肉を届けてから、ソラは飛び立とうとはしない。タイラーの上ではなく、少女の上でしばらく身体を休めている。

 ソラが鳴いた時のこと――タイラーは家に到着するまでのあいだにひとつ考えていた。針尾竜の声を聞いて、心が動き、彼は口を開く。

「ソラって、魔法が使えるんだよな」

「魔法?」とエマが言う。

「ほら、タイロンおじさんが言ってただろ。ソラは幻獣。身体は小さくても、幻獣なんだから魔法は使えるって」

 ソラが鳴いた。それはやや低めの音だった。

「いってた」とエマは小さく首を縦に振る。「ソラはすごい」

 彼女は両手を上げて、つぎに頭上にいる竜をその一対の目で見ようとする。頭はわずかに傾き、大きな目は上を向いている。当然にはなるがそれでは視界には入らない。

 彼女の手のひらも、竜の皮膚に触れはしなかった。まるで下手な雨乞いのようだ。

 ソラは目の前まで来た小さな手のひらを見て、不思議そうに鳴く。

「ソラ。ほんとうに、お前は魔法が使えるのか?」タイラーは歩みを止めた。「魔法が使えるなら、前まで飛べなかったのも、あの場ですぐにどうにかできたんじゃないのか?」

「ぴゃー」

「できたら、やってるか?」

「ぴー」

「そうだよな。できるならやってるよな」

 これは会話ではない。人によっては仲の良い会話のように思えるかもしれないが。

 エマは腕を下ろした。重みでも感じるように次第に頭の傾きをなくしてから、すこし間を置く。「ソラはどんな魔法が使えるの?」と彼女は問いかける。

「なにができるんだろうな。俺もわかんないや」

 おおまかにはなるが、『魔法』というものがどんなものであるのかをタイラーは知っている。しかし、魔術師ではなく幻獣であり、しかも竜の子供となると、『魔法』が自分の知らない全く別なものに思えてくる。魔法ではあるのだとしても。

「エマは? どう思う?」タイラーは思考を止めて、ひとまず尋ねてみた。

「エマは」

 彼女はそう言うと、顔を下に向ける。彼女は自分の考える『魔法』を型にはめ込んで、合致するものを探していた。悩みが窺えた。

「空を飛ぶ」

「空を飛べるのはすごいが、それは、ソラの魔法なのか?」

 タイラーは彼女ではなく幻獣の顔を見て、いまいち同意できなかった。なるほど、とはいかない。多少ぐらいであれば魔法の影響もあるのかもしれない。だが、『魔法』というのはもっと「人をわっと驚かすようなものごと」なのではないだろうか。彼は黙り、口を開かなかった。空を飛ぶのはすごい。空中を自由に飛び回るのだって、誰にでもできることではないだろう。だからといって、針尾竜の子供であるソラには、似合った魔法を使って欲しい。それは人を惹きつける不思議な力なのだから。

『竜』も、『魔法』も、自分の思うものとの間にはどうやら明らかな差があるらしい。彼はエマには説明しようとはしなかったが、絵本に出てくるような、「人をりんごの置物に変える」などといった、そのぐらいのものを期待していた。

「ソラは幻獣」と彼は言う。そして、息を吐いた。「ということは、ソラにも幻獣の親がいるってことだよな。針尾竜の」

「ソラのお父さん、お母さん?」

「だって、そうだろ?」

 エマは首を傾げた。「ソラのお父さんもお母さんも、魔法が使える?」

「だな」

「ソラは」とタイラーはそこまで言って、別の表現をつかう。「ソラのこと、親は探しているんじゃないかな」

 針尾竜は聞いて、鳴いた。返事のようだった。そこに悲しみは含まれていない。言葉を聞いて、その調子を耳にして、タイラーの心配を理解しているのか。それはタイラーもこれといってなにも掴めなかった。仲間たちのもとに帰りたい。会いたい。そういう気持ちはあって当たり前のことではないのか。

 彼はパラノマ山があるであろう方角を見る。ソラとの出会いを思い出した。彼はすこしだけ深く話をしてみようと顔の向きを変える。

「俺にも父さんと母さんがいる」

「タイラーのお父さん、お母さん?」エマはわずかに目を大きくした。

「ソラは幻獣で魔法が使える。じつは、俺の父さんも母さんも魔法が使えるんだ」

「タイラーの。魔法? すごい」

「父さんも母さんも、魔術師なんだ。だから、魔法が使える。俺は使えないんだけど」

 ソラは頭を上に向けて鳴いた。首を伸ばして、遠くに響かせるような。

「タイラーは魔法」とエマが呟く。「なんで? ソラは使える」

「俺は、魔術師ではないから。『人』は、魔法が使えないのが当たり前なんだ。エマも使えないだろ。だから、魔術師ではない俺は、父さんや母さんみたいには魔法が使えない」

「タイラーの、お父さん、お母さん。魔法。魔術師」

 エマは文節ごとに強調するように言うと黙り込んでしまう。使えない理由を抵抗なく理解するのが難しいようだった。なぜ、タイラーはできないの? どうして? 彼女は頭に浮かんだ疑問と向き合っている。くわえて、その場で思ったことを、湧き水のように口にすることはしなかった。

「俺の父さん、母さんが魔術師なのは秘密な。ここだけのはなし」

 タイラーは少女のようすを少しのあいだ眺めた。

「エマは、親がいないんだよな」

「エマは、いない。お父さん、お母さん。もういない」

 それが彼女と一緒の家で暮らしている理由だった。もし彼女に「頼りにできる人」がいれば、この日まで共に生活をしていない。エマはタイラーの妹ではない。タイロンの姪でもなかった。あるよく晴れた日のこと、彼女はタナラ村にやって来た。

 エマには両親がいない。彼女は口では言うが、それが事実なのか本当のところはわかっていない。なぜなら確かめようがなかった。彼女は一人で村にやって来た。しかしながら、彼女がはっきりとそう言うからには、そのとおりなのだろう。いちおうは、そう簡単には信じていいものではないので、タイロンは近くの町に出掛けて住人に聞いて回っている。『エマ』と呼ばれる少女に心当たりはないか。

 孤児なのか。

「俺は、父さん、母さんが、魔法を使えることぐらいしか知らない。それ以外のことは、俺はよく知らないんだ。何をしているのかなんて。今どこにいるのかも。なんにも」

「タイラー、しらない」とエマは呟く。

「もう三年ぐらいあっていない。手紙のやり取りは、はじめの頃あったんだけどな」

 タイラーは二年ぐらい前の記憶を辿る。そこで、手紙が途切れたはずだ、と彼は思った。それまで読んでいた。こちらから手紙を送ることは叶わなかったが、一方的に届いた手紙を喜んで開いた覚えがある。走って、頼んで、タイロンに読んでもらった。

「なんで、できなくなったんだろ?」

「じじは?」

「タイロンおじさんは、父さんと母さんの古い友達。俺があの家にいるのは、父さんたちと一緒に居られないから。だから、おじさんに預けられた」

「一緒にいられない?」

「ああ。そう。いろいろあるんだとおもう」

 タイラーはそのようになった訳を考えるべきではないと心のどこかで思っていた。だが、その訳は彼の頭のなかに勝手に浮かび上がってこようとする。正しいわけでもない。一つだけとも限らないのに。なぜだ。そのとき聞いた。おじさんに預けられた理由はなんだっけ? 納得できなかったはずだ。

 受け入れられない。どうして、いまでもタイロンおじさんの家で暮らしているのだろう。彼は高い木を見詰める。エマの前でとった彼の反応は、非常にわかりやすいものだった。

「もしかしたらエマと一緒で、俺の父さんも母さんも、もうこの世界にはいないのかもな。俺の知らない、どこかにいった」

「一緒」とエマは呟く。

「ああ」と彼は言う。「なにか知っててもよさそうなタイロンおじさんも、なにも聞いていないと言ってたし。急に、手紙も届かなくなったって」

 エマの親はどうなんだろ。タイラーは思うと、俯いてみせる。岩の上を小さな蜘蛛が歩いていた。彼は小さな蜘蛛が複数の足を伸ばして移動していく姿を眺めて、悪いほうに想像を膨らませる。

 エマは親がいない。頼れる人がいなかった。だから、ひとりで村に来た。ひとりで歩いてきた。三年ほど会っていない、なにもわからない、俺よりも――。

 針尾竜が鳴いた。タイラーは軽く笑む。

「お前は、会いたくないか? いつか会いに行こうか。できるだけ近いうちに。そのほうがいいよな」

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